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戦争

カテゴリー:アメリカ

著者:Q.サカマキ、出版社:小学館
 パレスチナ、ハイチ、スリランカ、コソボ、アフガニスタン、リベリア、イラクの戦場を生々しく伝える写真集です。よくぞ、こんな写真がとれたものだと感心します。目をそむけてしまいたい写真ばかりです。でも、現実から目をそらすわけにはいきません。そして、その大多数にアメリカが関わっています。まさに「世界の憲兵」としてのアメリカです。いえ、むしろ、アメリカ帝国主義の世界制覇の野望の実証的写真と言ったほうがいいのでしょう。アメリカは、イラクのように、自国に有利な利権があると思えばいち早く石油省だけはなんとしても確保します。自国にとって当面の利権がなければ、現地でどんな虐殺が起きようとも、「そんなのカンケーねえ」と無視してしまいます。
 パレスチナのガザでは、ユダヤ人入植者の子どもたちは、イスラエル政府が提供した装甲車で通勤通学していた。ひゃあ、毎日の生活の始まりが、装甲車だなんて、とんでもないことですよね。
 ハイチでは、クーデターが33回もあったというのです。すごいことです。これでは、国民は、ずっと政争の犠牲になってきた、というのは、まさにそのとおりですよね。
 2004年2月29日、アリスティード大統領が2度目の亡命を余儀なくされた。どうして、こんなに小さく、貧しい国で、何度も何度も凄惨な殺しあいが起きるのでしょうか。アメリカは、イラクとは違って、小国ハイチに利権が乏しいことからでしょうか、まったく無策のままです。
 スリランカもコソボも、アメリカの注目をひかないためか、戦争が続いたままです。
 アフリカのリベリアでは、ドラッグとアルコールでハイとなった少年兵が、耳元を弾丸がつんざいているにもかかわらず、激しい戦闘を楽しんでいるかのようにゆっくり闊歩し、マシンガンを撃ち続ける。「今まで何人殺したかなんて覚えていないし、気にもかけていない」とうそぶく。こんな狂気が、14年間に25万人の生命を奪い、わずか300万人のリベリアの人口の3分の2を難民にしてしまった。
 リベリアには、アメリカを招き入れるほどの利益がないから、アメリカは介入しない。
 最後はイラク。2003年4月のバグダッドの病院の写真があります。フセイン政変崩壊による混乱のなかで、我が身と患者を守るために医師たちが銃をもつ状況です。
 戦争が日常生活のレベルにきたときの悲惨さがよくとらえられている写真集です。こんな写真を見て今夜はよく眠れるかどうか、つい心配してしまいました。といっても、お互い現実から逃げ出すわけにはいきません。
 われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 いい言葉です。日本国憲法の前文にあります。自民党は、これを削除しようとしています。先日の名古屋高裁判決は平和的生存権は具体的権利として、その侵害をやめさせることができるものだ。このように高らかにうたいあげました。世界に戦火の絶えない今こそ、憲法9条2項を世界中に広げたいものです。
(2007年10月刊。3000円+税)

アゲハ蝶の白地図

カテゴリー:生物

著者:五十嵐 邁、出版社:世界文化社
 前に同じ著者の『蝶と鉄骨と』(東海大学出版会)を読みました。著者は私より20年も年長の虫屋(正確には、蝶屋)です。世界中、どこまでも蝶を追い求めていく勇気と元気には、ほとほと感心します。なにしろ、乗っていた飛行機が墜落しても、多くの乗客が亡くなるなかで無事だったり、砂漠の中やトラのすむ密林の中をさまよったりするのです。うひゃー、そこまでやるか、という感じです。
 蝶の生態を明らかにするには、オスとメスの違いを一目で見分け、食草を求め、卵を産ませて育てなければいけません。根気づよい作業が求められます。虫屋って、そこまでするんですね。感動すら覚えます。
 日本の蝶愛好家はプロ・アマふくめて2万人。間違いなく世界一。たしか、今をときめく高名な保守政治家もそうでしたよね。
 日本の土着の蝶は233種。ところが、中国の蝶は1300種もいる。日本の土着種すべてを採集した人はわずか1人だけ。中国となると、1300種を採集するのは、容易なことではない。
 日本に産する蝶のほとんどが中国に産する。というより、日本に産する蝶は、中国の蝶のほんの一部に過ぎず、日本は中国の出店でしかない。
 蝶は、見たら欲しくなる。コレクションとは所有欲の究極のもの。けっして癒えることのできない煩悩である。なーるほど、そういうことなんですね。実は、私もよその家にある見事な花や木を見ると、すぐに欲しくなります。かといって、ドロボーするつもりはありませんので、何とかして買い求めたいと思うのです。ところが、これが案に相違して、なかなか容易なことではありません。近くの花屋で売っているとは限りませんし、通販でも容易に手に入りません。
 著者は、1969年7月、イラクへ出張を命じられます。その2年間の出張中、ひまを見つけて蝶の採集にいそしむのですから、並の神経の持ち主ではありません。砂漠の国イラクにも蝶はいるのですね。もちろん、砂漠に蝶がすんでいるわけではありません。
 アゲハチョウは、特有のしっかりした方向性のある飛び方をする。モンシロチョウのような、チラチラと左右にゆれる飛び方はしない。
 蝶を探すときには、食草となるウマノスズクサ科の草を探せばいい。
 一般に、蝶は雌が羽化するころには雄が待っていて、すぐに交尾するもの。だから、自然の中を飛んでいる雌に未交尾雌はいない。ところが、現実には飛んできた雌が未交尾のことがあった。ふむふむ、そうなんですか・・・。
 普通のアゲハチョウは、飼育していると、1週間に1度くらいの割合で脱皮し、孵化後30〜40日で蛹になる。いやはや、じっくり飼育までして観察するのですね。
 すごい本です。世界のアゲハ蝶のいくつかがカラー写真つきで紹介されています。なるほど、なるほど、大のおとなを虜にしてしまう魅力があることがよく分かります。
(2008年2月刊。2800円+税)

朝令暮改の発想

カテゴリー:社会

著者:鈴木敏文、出版社:新潮社
 私はコンビニをなるべく利用しないようにしています。従来型のパパ・ママ・ストアーをつぶしたくないからです。でも、出張したときなどには、コンビニを利用せざるをえません。だって、他に店がなければ選択の余地がないからです。
 この本によると、今や「セブン・イレブン」は日本全国に1万店舗をこえます。一国内の店舗数では世界最大規模。ところが、四国、北陸、山陰など、13の県には1店舗もありません。これをドミナント戦略と言います。ドミナントとは、高密度多店舗出店と言われます。ドミナント戦略は、経営面では物流やシステム、広告、店舗指導等の各面での効率向上などの効果が期待できる。出店地域の消費者に対しては心理的な面で及ぼす影響が大きく、爆発点をもたらす一つの仕掛けになっている。
 うへーん、「セブン・イレブン」って、日本全国どこにでもある店かと思っていましたが、違うのですね。それはともかく、1万店舗を統率するリーダーの言葉には重みがあります。
 過去の経験をなぞる時代は今や完全に終わった。環境が激変し、マーケット全体が縮小(シュリンク)し、アゲンストの風が吹くなかで、仕事の仕方はかつてなく難しくなった。今は、一度言ったことでも、環境が変化して通用しなければ、すぐに訂正して新しい方針を示さなければ変化に取り残されてしまう。朝令暮改をちゅうちょなくできることが優れたリーダーの条件の一つとなっている。
 必要なことは、もう一人の自分を置いて、自分を客観的に見つめ直すこと。自分は過去の経験にとらわれていないか、前回と同じやり方を繰り返すので挑戦にならないのではないかと、「もう一人の自分」から自分をとらえ直す。そして、過去の経験をいったん否定し、一歩ふみ込んで考えてみること。
 顧客がその商品を買うか買わないかは、心理によって大きく左右される。単に需要があれば売れるわけではなく、顧客に買うだけの価値ある商品であることを心理的に認知してもらえなければ、買ってもらえない。まさに心理学の時代である。
 日本の消費者は世界でもっとも対応が難しい。そして、日本ほど「画一化」が進んだ国はない。そうなんですよね。日本人って、ホント、横並び心理が強いですよね。あの人が持っているのなら、私も持っていなければ、と思ってしまうんです。
 日本ではソフトドリンクだけでも毎年1000種類もの新製品が生まれ、そのほとんどが半年、早いものは2週間で店頭から消えてしまう。セブン・イレブンで扱う商品も、年間7割が入れ替わる。これほど商品のライフサイクルが短い国は日本以外にない。
 セブン・イレブンでは、毎週20〜30アイテムの新商品が登場している。
 会議は90分まで。生産性の低い仕事の典型は、多すぎる会議と、そのための膨大な資料づくり。
 人間は、妥協するより、本当はこうありたい、ああありたいと思っているときの方が精神的に安定するものだ。守ろうとする自分があることも認めながら、新しいことに挑戦しようと意欲を持ち続ける。それが人間本来の生き方ではないか。要は自分から逃げないこと。
 コンビニ必要悪論者である私も、大いに学ばされる本でした。
(2008年1月刊。1400円+税)

ポル・ポト

カテゴリー:アジア

著者:フィリップ・ショート、出版社:白水社
 不気味な響きのする人名です。あの忌まわしいカンボジア大虐殺を起こした張本人です。
 ポル・ポトは、いろんな名前を持っていました。サロト・サルは本名です。「サルの有名な微笑み」という言葉があります。この本の表紙にもなっていますが、会った人を自然に信用させるにこやかな笑顔です。これで多くの人が結果的に騙されたわけです。
 フランスから戻ってきたサロト・サルは私立学校(高校なのか大学なのか分かりません)で歴史とフランス文学を教えていました。生徒たちは親しみやすい、この教師(サロト・サル)のとりこになったというのです。
 人口700万人のうち150万人がサロト・サルの発想を実現しようとして犠牲になった。処刑されたのはごく少数で、大半は病死、過労死または餓死だった。自国民のこれほどの割合を、自らの指導者による単一の政治的理由による虐殺で失った国は他にない。お金、法廷、新聞、郵便、外国との通信、そして都市という概念さえ、あっさり廃止されてしまった。個人の人権は、集団のために制限されるどころか、全廃されてしまった。個人の創造性、発意、オリジナリティは、それ自体が糾弾された。個人意識は系統的に破壊された。
 サロト・サルは、フランスにいて、最後までフランス語を完全には身につけられなかった。サロト・サルがパリに到着した1949年10月1日は、毛沢東が北京の天安門に立ち、中華人民共和国の設立を宣言した日でもあった。
 サロト・サルは、フランス共産党に加入した。そこでは、元大工見習いで、学歴の低いことが、むしろ評価の対象となった。
 1953年1月に、サロト・サルは帰国した。サロト・サルたちは、みな共産党員のつもりだったが、どの共産党かは分からなかった。インドシナ共産党はベトナム人が支配していた。クメール人民革命党にかわるカンボジア共産党の再結成をめざした。そこで、自称として党ではなく革命組織(アンカ・パデット)と叫んだり、ただアンカ(オンカーとも訳されます)と叫んだりしていた。
 クメール語で「統治」とは、「王国を食いつぶす」という訳になる。シアヌークは、大臣、役人、廷臣、昔なじみ、彼らの汚職をやめさせることも、まして解雇することもできなかった。
 マルクス主義の書物をクメール語に翻訳するという真剣な取り組みがなかったのも、クメール文化が口承に重きを置いていたため。
 シアヌークが失脚してからの2年間、地方におけるクメール・ルージュの政策が人目をひいたのは、主として、その穏健さのため。
 革命への反対は死を意味していた。革命に反対を示した人は、地域の司令部に召喚されたきり、帰ってこないことがほとんどだった。
 革命からそれた人間は、みな害虫だから、それにふさわしい扱いをすれば足りる。これは中世キリスト教の教義に通じるものがあった。
 カンボジア人は、もともと極端なことに魅力を感じる。フランス革命を途中でやめるべきではなかったというクロポトキンの言葉は、パリで学生生活を送っていたポル・ポトに強い影響を与えた。毛沢東さえもクメール・ルージュの水準にまでは至らず、賃金と知識と家庭生活の必要性を認めていた。カンボジアの共産主義者たちは、だれも到達したことのない領域へ進もうとしていた。
 あの人もゼロ、あなたもゼロ。それが共産主義だ。キュー・サムファンは述べていた。財産が有害であるという思想は仏教の天地創造神話に由来している。
 うひゃあ、そんなー・・・。これって、人間の幸福って何かということをまったく考えていない思想ですよね。信じられません。
 1975年の時点で、カンプチア共産党の存在はまだ秘密にされていた。謎に包まれた「アンカ」が、実は共産主義組織かもしれないと公式に匂わされるまでには、さらに1年を要した。国内の党員数は1万人以下だった。
 生かしておいても利益にならない。殺したところで損にならない。
 むひょう、こんな言葉がポル・ポト時代のカンボジアで通用していたのですか・・・。
 人は耕した土の面積で、その価値が測られた。人々は見習うべき雄牛と同じく、エサと水を与えられ、飼われて働かされる消耗品だった。
 人々は、「わたし」ではなく、「わたしたち」と言わなくてはならなかった。子どもは親をおじとおばと呼び、それ以外の大人を父か母と呼んだ。すべての人間関係が集団化された。個体を区別する言葉は抑圧の対象となった。
 1976年以降、ポル・ポト1人が決断を下していた。集団指導体制ではなかった。ポル・ポトは一挙両得をねらっていた。疑いのある分子をすべて抹消した。不純物のない純粋で完璧な党を手に入れると同時に、来るべきベトナムとの闘いに備えて全人口を団結させたいと考えていた。
 1979年1月に民主カンプチアを崩壊させたのはポル・ポトが秘密主義にこだわったから。どうしてもカンボジア国民に事態を告げることができなかった。
 ポル・ポトは、9月からベトナムの侵攻が時間の問題だと知っていた。しかし、非常事態計画を策定しなかった。不信が慣行となったポル・ポト政権が人民を、軍隊でさえ、信用することはありえなかった。ポル・ポトの中枢以外は、誰も十分な情報を与えられなかった。
 日曜の朝までにポル・ポトら民主カンプチアの統治者たちはひそかに首都プノンペンを去り、放棄した。4万人の労働者と兵士たち、そして周辺に駐留していた軍の部隊は指導者もなしに取り残され見捨てられた。メンバーを失っても、指導部を維持すれば、引き続き勝利をおさめることができる。一般人は使い捨てにできるという定理はクメール・ルージュの慣行だった。
 1979年1月の時点では、圧倒的多数のカンボジア人にとって、ベトナム人は救済者に見えた。代々の敵であろうとなかろうと、クメール・ルージュの支配があまりにもひどかったために、それ以外なら何でもましだった。しかし、人々の感謝は長続きしないものだった。数ヶ月のうちに、ベトナム人は感謝されない存在になってしまった。
 ポル・ポトが死んだのは1998年。心不全のために就寝中に死んだ。現在のカンボジア政府の最高権力者のフン・センとチェア・シムは、いずれも元クメール・ルージュだ。
 まったく無慈悲で冷酷で人間的な感情をもちあわせていないと評される人物である。
 ポル・ポトはカンボジアの招いた究極の設計者だ。しかし、単独行動したわけではない。カンボジアの最高にしてもっとも聡明な知的エリートの多くが、ポル・ポトの示した抗争を受け入れたのだ。
 読んでいるうちに大変気分が重たくなる本です。700頁もの大部な厚さがあります。
(2008年1月刊。6800円+税)

日本国憲法の論点

カテゴリー:司法

著者:伊藤 真、出版社:トランスビュー
 著者の講演をつい先日ききました。いやあ、さすがですね。さすがに司法試験界のカリスマ講師と讃えられるだけのことはあります。実に歯切れがよく、明快なのです。なるほど、なるほどと、本当は分かっていなくても、ついつい分かった気になってしまいます。
 憲法の根本的な意義・役割とは何か。それは、権力に歯止めをかけるということ。これは憲法学のもっとも基本的な常識。しかし、そのことが学校で教えられていない。教科書にも出てこない。
 法律は国民をしばり、憲法は権力をしばるもの。だから、日本国民に憲法を守る義務はない。そして、ときに憲法は民主主義を制限することもある。
 憲法は国家の基本法であるからこそ、「気分刷新」といった目的のための、たんなる手段として使うべきではない。憲法には、人権保障と国家権力への歯止め、という憲法本来の目的がある。景気回復や財政改革のために憲法が存在するのではない。
 国民がつくった憲法によって、国民の多数意見の暴走に歯止めをかける。つまり、憲法とは、ときどきの多数意見によって奪ってはいけない価値を明文化したもの。
 多数意見に歯止めをかけるということは、近代憲法は「民主主義」に歯止めをかける存在でもあるということ。したがって、日頃、強い者の側にいる人間にとっては、弱者を守る憲法の必要性を感じない。
 著者の講演を聞いて、もっとも感銘を受け、印象に残ったのがこの部分でした。そうなんです。憲法は強い者にとってはなくてもいい、むしろ、どうでもいいものなんです。しかし、弱い者にとっては拠りどころとなるものなのです。
 憲法99条は、憲法を尊重し擁護する義務を負う者を明記しているが、そこに国民は含まれていない。憲法を守らないといけないのは、国の象徴である天皇、それから公務員、つまり国家権力を行使できる強い立場にいる人間なのである。
 100年前に制定された明治憲法ですら、国民の権利を守る道具であることを明確に自覚して制定されている。いやあ、そうなんですよね。
 理想を掲げることも憲法の重要な役割である。ふむふむ、そうなんですね。
 法と現実とのあいだには必ずズレがある。それを現実にあわないというので法を変えることを繰り返すのでは、法が何のために存在するのか分からなくなる。現実と規範の適度の緊張関係のなかで、現実を少しでも理想に近づける努力をすること、それが憲法に対する誠実な対応である。
 日本は、ポツダム宣言を受諾した時点で、現行憲法が示す価値観を自ら選びとったことになる。それは、決して「押しつけられた」というものではない。
 草案をマッカーサー司令部がつくったからといって「押しつけ」というのは、あたらない。それは、日本の法律のほとんどは官僚が案をつくり、国会で審議して成立させている。このとき、官僚が「押しつけ」たなどという人は誰もいない。審議と議決こそが、法の制定における核心なのである。また、ある意味で、憲法とは、常に「押しつけられるもの」である。少なくとも、近代憲法は、国民から権力者に向かって「押しつけられるもの」なのである。国家権力に歯止めをかけることが目的なのだから、権力側の人間が「押しつけ憲法」と感じるのも、ごくあたりまえのことなのである。
 「高校生からわかる」というキャッチフレーズの本ですが、なるほどそうでしょう。とても分かりやすい憲法読本です。
(2005年7月刊。1800円+税)

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