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腸内環境学のすすめ

カテゴリー:人間

著者:辨野義己、出版社:岩波科学ライブラリー
 著者の名前は読みにくいですよね。ところが、その自己紹介の言葉を聞くと、すぐに分かります。
 便(べん)の研究をしている辨野(べんの)です。
 うひゃあ、本当なんです。人間のウンチ(便)の研究を長いあいだしてきた学者による画期的な本です。なにがすごいといっても、自分の便(ウンチ)を毎年とって大事に保存しているというのです。その数、なんと5000検体。うち200サンプルを容器に入れて凍結保存している。
 こうやってヒトの腸内常在菌の研究をうまずたゆまずしてくれている学者のおかげで、特別のヨーグルトが商品として売れ、企業として成り立っているのです。いやあ、お疲れさま、としか言いようがありません。私と同世代の学者の苦労話でもあります。
 これまでに種類が解明された腸内常在菌は、腸の中にいる菌全体のわずか2割ほど。残りの8割は、その種類も機能も分かっていない。
 人間の身体のなかで病気の種類が一番多いのは、大腸である。大腸は、人間に病気の発生を知らせる発信源である。
 小腸は6〜7メートル、大腸は1〜1.5メートル。ウンチ(便)をつくるのに重要なはたらきをするのは、大腸にすみつく腸内常在菌だ。腸内常在菌は、全部で1000種類以上いて、糞便1グラムにつき1兆個ほどもいる。重量にして1キログラムにもなる。
 腸内常在菌のうち、善玉菌が2、悪玉菌が1、残りの7割が、どっちでもない日和見菌。日和見菌は、その名のとおり、善玉か悪玉のどちらかが優位になると、すぐに強いほうになびく。そして、この日和見菌が善か悪のどちらになびくかによって、大腸の働きが変わる。したがって、健康を考えるうえで大切なことは、腸内環境の中で、いかに善玉菌の優位を保つか、ということ。
 花粉症に悩まされているヒトも、BB536入りのヨーグルトを毎日食べていると、すっかり症状が軽くなるという実例がある。そうなんですか、本当なんでしょうね。
 実は、私も3年前から花粉症に悩まされているのですが(5年初めから、すっかり良くなりました・・・)、幸いにも自然に感じなくなりました。
 今や、健康の秘訣は、腸内常在菌にあり、とさえ言われる。
 私は、ともかく便秘にならないように気をつけています。弁護士になって2年目でしたが、緊張のあまりに神経症から、下痢と便秘をくり返すようになりました。下痢症状もつらいのですが、便秘もまた、それに劣らずお腹がはって苦しいものです。
 牛乳やヨーグルトが見直されている今日、大いに注目していい研究分野ではないでしょうか。ありがとうございます。
 日曜日に仏検(一級)を受験しました。今回は最悪で、我ながら厭になるほど全然できませんでした。ひどいものです。3割もとれたでしょうか。私の得意とする書き取りまで、みるも無惨でした。聞きとれないし、書けないのです。まあ、それでも8月のフランス旅行を楽しみに、毎朝、ラジオ講座は聴いているのですけれど・・・。
(2008年4月刊。1200円+税)

筑豊じん肺訴訟

カテゴリー:司法

著者:小宮 学、出版社:海鳥社
 実にいい本です。久しぶりに、じわーんと心が温まる心地よさを堪能しました。著者の人柄の良さがにじみ出ていて、世の中には、こんな人がいるから、捨てたもんじゃないんだよな。そう思わされました。だって、法廷で弁論しながら、依頼者の置かれた苛酷な状況を思い出して、思わず泣き、勝つべき裁判で思いがけない敗訴判決をもらって一晩中、泣き通したというのです。残念なことに、弁護士生活35年になる私にはそのような経験はありません。いえ、勝つべき裁判で負けて悔しい思いをしたことは何回もあります。でも、負けて悔し泣きを一晩中したというほど肩入れした裁判はありません。なんで裁判官はこんなことが分からないのか、とんでもない、と憤りを覚えたことは、それほど数限りなくあるのですが・・・。
 大変よみやすい本でもあります。とにかく気どりがありません。著者は福岡県南部に生まれ育ちました。著者は仔豚を育てる農家の長男として生まれ育ったのでした。そして、仔豚が高く売れた時代でした。そのおかげで、関西の私立大学(関西学院大学)に進むことができました。まさに豚のおかげです。
 大学では法律研究部に入り、末川杯争奪法律討論会に出た。6人中5位の成績だった。
 久留米で弁護士となり、やがて筑豊へ移った。1985年、筑豊じん肺訴訟を起こすことになった。弁護団長は北九州の松本洋一弁護士。山野鉱ガス爆発訴訟を3年で解決した。この裁判は国を被告としているから少し大変なので、4年で解決する。松本弁護士は、こうぶちあげた。松本弁護士は豪放磊落を絵に描いたような弁護士でした。そのたくまざるユーモアに私は何度も魅きこまれてしまいました。
 著者が担当したじん肺患者の角崎さんは入院中だった。酸素マスクをとりはずし、喉にあいた穴を指でふさいで、小さくこう言った。
 「地獄です。助けてください」
 一審での弁論のとき、角崎さんのその悲痛なうめきを話しながら、著者は泣いてしまった。弁護士の仕事は説得である。相手方を説得し、裁判所を説得し、依頼者を説得し、紛争の解決を目ざす。弁論の最中に泣いたため、説得力のある弁論ができなかった。弁護士として恥ずかしい限り。
 うむむ、こう言われると、泣いたことのない私のほうが、かえって恥ずかしい思いにかられてしまいます。
 松本弁護士は次のように言って弁護団にハッパをかけた。
 被告代理人が理不尽なことを言ったら、腹を立てて大声で怒れ、法廷が混乱してもかまわない。法廷が混乱したときには、オレが引きとってまとめるから、心配するな。
 松本弁護士は、弁護団に議論をたたかわせるが、事態の転換を図る術を知っていた。実際、2回目の裁判のとき、江上、岩城、稲村の3弁護士が激しく被告企業を論難して、法廷は大混乱した。しかし、弁護団の剣幕に圧倒されて、次の3回目から、医師の証人尋問に入ることができた。
 まことにあっぱれです。そうでなくてはいけません。
 被告企業側が裁判のひきのばしを図ると、松本団長以下、そろって地裁所長と高裁事務局長(裁判官)と面会して、国民の裁判を受ける権利が侵害されているので直ちに改善するよう申し入れた。
 す、すごーい。こうするべきなんですね。
 その結果、2ヶ月に1回、午前10時30分から午後4時30分まで証拠調べがされるようになった。昼休みには、裁判所の会議室で原告団と弁護団そして支援する会が一緒に弁当を食べ、裁判の報告をした。すごく交流が深まったことでしょうね。
 一審判決の前日、弁護団は8本の垂れ幕を用意した。「国・企業に勝訴」「時効なし」「全員救済」「画期的判決」「国に敗訴」「企業に勝訴」「時効不当」「不当判決」
 そして1995年7月20日、よもやの「国に敗訴」、「時効敗訴」判決だった。
 7月21日の夜、著者は一睡もできなかった。一晩中、「ちきしょう、ちきしょう」と声を出して泣いた。それから3ヶ月、まったくやる気がわかず、下ばかり向いて歩いていた。秋となり、予定の仕事をすべてキャンセルし、上高地にのぼった。2泊3日の山のぼりで、ようやく敗訴判決を受け入れることができた。
 そのあとは、敗訴判決の原因をきちんと直視して、まき直しを図るのです。すごいものです。人間、やればできるという気にさせます。
 そして、筑豊じん肺訴訟の完全勝利まで18年4ヶ月かかりました。原告患者169人のうち、144人が亡くなっていたのです。
 2007年、筑豊じん肺訴訟記念碑の除幕式が行われました。
 著者は弁護士として、人間として、実に豊かな人生を送っておられるとつくづく思いました。多くの人、とりわけ若手弁護士に一読を強くすすめます。小宮先生、いい本、ありがとうございました。これからも、ますます元気にがんばってください。
(2008年4月刊。1500円+税)

憲兵政治

カテゴリー:社会

著者:纐纈 厚、出版社:新日本出版社
 陸上自衛隊情報保全隊は、2003年3月に調査隊を強化して設置された900人の隊員をもつ組織である。中央調査隊が1967年に発足したときは60人だった。
 この情報保全部隊は、本来は、自衛官が秘密裡に外部に漏洩することを取り締まることを任務とする組織である。そんな部隊が、なぜ一般の国民を対象とする監視業務についていたのか。やはり、戦前と同じく、国民を敵視する軍隊の本質が露呈されたとみるべきである。
 いやあ、そうなんですよね。軍隊って、国家すなわち支配層を守るものであって、国民を守る存在ではないのです。この点が、善良な国民は錯覚させられています。
 日本における憲兵創設の直接の背景は、西南戦争の翌年に起きた近衛兵叛乱の竹島事件(1878年8月)だった。この竹島事件については、いくつも面白い本が出ています。残念ながら最近は、話題になっていませんが・・・。
 1881年1月に、陸軍部内に憲兵が設置された。憲兵は、陸軍大臣の管轄下に置かれた。憲兵司令官は、当初は大佐クラスが充てられていたが、その後、中将クラスが就いた。
 憲兵の役割は、軍事警察として平時と戦時とを問わず、総力戦に対応する国民意識の形成を阻害する問題に関心を抱き、捜査警務を主任務とすることが強調された。
 つまり、治安と監視の両面が憲兵の課題とされたのである。憲兵にとって、「左翼狩り」が最大の関心対象だった、憲兵は、警察に代わり、「国軍を破壊するような言論」には弾圧をもってのぞむことを明確にしていた。そして、社会主義や共産主義の思想と運動がソ連の共産主義運動の指導下に日本社会に広まりつつある状況に対して過剰なまでの危機感と警戒感を露わにしていた。それは、天皇制国家支配体制と相容れない思想を基底にすえていたからだ。
 警察との均衡を図る理由から、憲兵上等兵は判任官待遇とされ、一般兵士に比べて給与は格段に高く設定された。1937年ころ、一般兵士の給与が8円80銭だったのに対して、憲兵上等兵は100円だった。うへー、すっごい差がありますね、これって・・・。
 一般兵士と異なる地位と権限、そのうえ高給が保証されていたので、尊大な態度と強圧的な言動に走る憲兵が多かった。なるほど、なーるほど。
 大正9年から昭和はじめにかけて、軍隊内で反軍運動が発生した。大正9年に118件、大正14年241件、昭和3年194件だった。反軍運動の担い手に現役の軍人が含まれるケースが相次いだ。そこで軍は日本共産党への警戒を一段と強めた。1928年の3.15事件のときに検挙された在官軍人は31人に達した。
 戦前の日本軍隊のなかで日本共産党員が反戦・反軍活動をくり広げていたことは、『そびゆるトマト』など、いくつかの本でも紹介されています。すごいものです。彼らは、みんな20代の青年たちです。
 関東大震災のとき、無政府主義者(アナーキスト)として有名な大杉栄を虐殺したのは甘粕正彦憲兵大尉でした。大杉栄はフランスに出かけてパリで検束されるなどの行状もありますが、その書いたものを読むと大変な教養人であったことは間違いありません。その大杉栄を政府に反抗する「主義者」として問答無用と虐殺した憲兵隊の野蛮さは、目を覆わんばかりのものがあります。
 甘粕は軍法会議で有罪となったが、出獄したあと、陸軍の庇護の下でフランスに出かけたりしたあと、満州国で実力者となった。すなわち、大杉栄を虐殺したのは甘粕個人ではなく、日本陸軍なのだ。
 先ほどの陸自保全隊の国民を不当に監視するスパイ活動のなかで、この部隊がマークしていたなかに、秋田市内で開催された「小林多喜二展」まで対象となっていました。本質的には、戦前も戦後も軍隊(自衛隊)はまったく変わらないのですね。
 東條英機は、統制派のリーダーであった永田鉄山少将(狂信的軍人に斬殺された)の片腕的存在だった。東條は関東軍司令官時代に憲兵将校の一団と強いつながりを持った。そして、満州帝国が事実上支配するなかで軍事警察権力を一手に掌握した。
 東條憲兵は、総理大臣たる東條大将に私兵的に奉仕し、東條の権力政治・暗黒政治に加担した。東條は首相になったとき、自らへの一切の批判を許さず、権力の濫用をあえて犯し、政敵や批判勢力を封殺した。
 反東條派の中野正剛代議士を検束せよという要請に、法的根拠が希薄だとこたえて東條の怒りを買った東京地検の中村登音夫思想部長は、急に軍隊に召集された。同じように松阪検事総長も抵抗した。
 東條政権の時代にあっても、法の遵守に体をはった司法官僚が存在したことは注目すべきである。それだけ、東條は独裁的だった。
 昭和天皇は、こんな東條が大好きだったのです。
 長年の軍国主義体制と、これに拍車をかけた東條独裁政治のなかで、動きを封じられていた一般民衆のなかに、深く、かつ暗く沈みこんでしまった憲兵政治という名の恐怖政治のなかで、多くの人は自由闊達に語る術も勇気も、喪失していた。
 自民党の新憲法草案は、今の憲法9条2項を削除して、自衛軍を創設するとしています。自衛軍は当然に軍法会議をともないます。軍人が軍人を裁くというのが建前です。でも、そのことは一般社会の民主主義を大きく破壊してしまいます。その尖兵が憲兵なのです。
 日本に再び憲兵政治を復活させないためにも、憲法9条2項を絶対に削除してはいけません。
(2008年2月刊。1900円+税)

団塊の世代とは何か

カテゴリー:社会

著者:佐伯啓思、出版社:講談社
 一億総評論家という言葉は、団塊の世代を論じるのにぴったりだ。かつて「怒れる青年」であった団塊の世代が「物言わぬ中年」となって久しい。団塊の世代が、いま一度、覚醒して「怒れる老年」となるのか否か、注目を集めている。
 団塊の世代とは、昔はともかく、いまは元気がないという印象が強い。
 団塊の世代はリーダーを出していない。政治家にしろ、経済人にしろ、文学者やジャーナリストにせよ、何人かの例外はいても、全体的に元気がなく、しょぼくれている。
 いやあ、こう言われると、実際そのとおりなんですよね、と、頭をかいて下を向くしかありません。団塊世代に引退気分がみちみちているからです。
 そして、団塊の世代の子どもたちが暴れ出した。学級崩壊や校内暴力が生じ、ファミコン・ゲームやケータイが登場するなかで、団塊ジュニアが想定外の犯罪を頻発させ、団塊の世代は深い失望感、思いどおりにいかないという気持ちを募らせ、やる気をなくし、虚脱感に陥った。うむむ、な、なるほど。しばし、声も出ません。でも、しかし・・・。
 団塊の世代は非常に中途半端である。団塊の世代には親の権威主義的な考えが残った。しかし、自分たちが擁護できるような強い価値観をつくり出すのには失敗した。団塊の世代の記憶のなかには、戦後まもなくの貧しさと、貧困の中での人々の絆(きずな)や友情といった価値感覚がある。しかし、それを大きな社会的・世代的価値として打ち出せなかった。そこに戸惑いが生じている。
 団塊の世代の父親世代は、戦争のため、出生人口の半分しか40歳を迎えることができなかった。ところが、団塊の世代はそれ以前の世代と比べて、出生数が多いだけでなく、その後の生存率も高い。
 団塊の世代は人数の割には国会議員が少ない、とは言えない。しかし、人数の割には、とくに自民党で質が乏しい。いやあ、これって革新政党についても言えることですよね。
 団塊の世代が、年金という既得権をもちつつ、自分たちの世代の人数の多さを政治的動員によって政治力に変換し、あらゆる改革に抵抗する一大勢力が生まれたら、日本の将来は暗いものになる。
 いえいえ、これは悪意ある見方ですよ。小泉流のエセ「改革」を手放しで礼賛する立場による、ためにする非難だと思います。
 教養主義が生きていた時代に青年期をおくった団塊の世代は、本を読みたがる。本に価値があると信じている文化の最後に近いグループとして過ごしたからだ。団塊の世代には、書き物への愛着が残っている。何でもいいから読んでいたほうが気が休まるという癖がついている。
 団塊の世代の自画像として、次のように言える。
智に働いた末に無用の人。時代に棹(さお)差して流された。通す意地など、もとよりない。なのに、本人は無用とも流されたとも思わず、通すべき意思を通した結果だと信じたがる。
 これって、夏目漱石の『草枕』の言葉のもじりですね。
 団塊の世代の家族の特徴を一言でいうと、前の世代に比べて、豊かでない家族の中で育ち、豊かな家族生活にあこがれ、それをつくり出したが、子どもへのバトンタッチには失敗した世代。
 団塊の世代は、もう少し自らの存在を顕在化して世の中の数字を動かさないと、やはりただの年寄りとして、あるいは社会的な粗大ごみとして、朽ち果てていくのを待たれるだけになりかねない。
 私は、この残間里江子の指摘にまったく同感です。今こそ団塊の世代は声をあげ、行動に移すべきときです。後期高齢者医療制度が団塊世代をターゲットにしていて、おまえら早く世の中から退場しろなどという策動を絶対に許してはいけません。ソバ打ち、陶芸、オヤジバンドもいいけれど、ひっそり小さくなっていてはダメなのです。
 統計によると、団塊の世代に自殺と殺人と失踪が多いのです。3人の男性が東京で一斉に自殺したという事件がありました。女性だったら、そんなことはしなかっただろうと指摘されています。
 でも黙って死んでいったら、それを高笑いする人間を喜ばせるだけです。なにくそ生き抜いてやるぞ。それこそ、憎まれっ子、世にはばかる。お互い、これでいきたいものです。
 団塊世代の大学生時代の息吹を感じるには、何回も紹介していますが『清冽の炎』(花伝社。第1〜4巻)をおすすめします。これを読んで熱き青春の血を思い出しましょう。
(2008年4月刊。1600円+税)

テレビ番組事始め

カテゴリー:社会

著者:志賀信夫、出版社:NHK出版
 今や、まったくテレビを見ない私ですが、もちろん高校生のときまではテレビをよく見ていました。そのころのなつかしいテレビ番組が登場する本です。まさしく労作です。2段組で560頁もある大作です。それでも語り尽くしたというわけではありません。
 私にとって印象に残るテレビ番組のナンバーワンといえば、なんといっても『おはなはん』です。樫山文枝です。テーマソングも良かったですね。大学受験勉強にいそしんでいましたが、ほんわか元気の出てくるテレビ番組でした。ただし、残念なことにこの本には紹介されていません。
 『紅白歌合戦』については、たしか私の高校2年生のときだったと思います。これって、日本を総白痴化する番組だと指摘するエッセーを読み、なるほどそのとおりだと思い、それ以降はプッツリみるのを止めました。それまでは楽しみにみていましたけど・・・。
 ですから、時代が下がりますけど、『8時だヨ!全員集合』とか、私は横目で眺めたことはありますが、一度もみたことはありません。なんで、大のおとなまで、こんなバカバカしい番組をみて無為に時間を費やすのかなあと不思議に思ってきました(今も、おバカ・キャラが受けているというのを聞いて、信じられません)。
 私の小学生のころに始まったのが『バス通り裏』です。十朱幸代が高校1年生のときから20歳まで出演していたそうです。本番でセリフを忘れて、「なんだっけ」と言ったという話は、私も聞いたことがあります。岩下志麻がその1歳年下だったというのを初めて知りました。高校生だった2人は、番組収録のあと、アイススケートに行ったり、遊園地で遊んでいたのだそうです。
 いかにもほんわかとしたホームドラマでした。庶民の日常生活がよく描けていました。
 そして、『お笑い三人組』です。江戸屋猫八、一竜斎貞鳳、三遊亭小金馬のトリオが出て、楠トシエ、音羽美子、桜京美のチャキチャキ三人娘が輝いていました。武智豊子のおばちゃん役も印象に残っています。登場人物のセリフは、いかにも自然で、即興のアドリブが盛りだくさんでした。と思っていたら、すべてのセリフが台本にあったというのです。それくらい、脚本家が楽屋で登場人物をよく観察していたということなのです。
 そして、『事件記者』です。これは、中学・高校とみていたように思います。8年ほど続いたそうです。永井智雄の相沢キャップ。なんて、今もしびれます。イナちゃん(滝田祐介)、ベーさん(原保美)など、鮮明に印象づけられています。小料理屋のママさん(坪内美詠子)にも、高校生の私は、ひそかに色気を感じていました。
 火曜日の夜は、『ジェスチャー』『お笑い三人組』『事件記者』と続いて、35〜40%という高視聴率を保持していた。そうでしょう、そうでしょう。私もずっとみていました。
 『チロリン村とくるみの木』もみていました。黒柳徹子のピーナツのピー子、タマネギのトンペイ(横山道代)、などを覚えています。そして、そのあとが『ひょっこりひょうたん島』です。いやあ、これはすごかったですね。作者の井上ひさしは29歳だったそうです。ひゃあ、若かったんですね。でも、これって、ホント、社会的なストーリーですよ。いろんな肌あいや癖をもった人間たちが一緒に仲良く漂流する。お互いの違いを認めあいながら、異質なものを排除せずに団結していく。それがテーマなのです。
 大人からすると、子どもにはあまり見せたくないと思うほど、きわめてリアルに世の中の状況が描写されていた。うむむ、そうだったんですか。さすがは、『九条の会』の呼びかけ人でもある井上ひさしです。私の、もっとも尊敬する作家です。
(2008年2月刊。3000円+税)

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