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アトミック・ゴースト

カテゴリー:アメリカ

著者:太田昌克、出版社:講談社
 いま、地球は核爆発5分前です。なぜなら、今もアメリカとロシアが依然として2万6000発もの核兵器を保有し、うち1000発以上が即時発射態勢にある。そのうえ、今や軍のコンピューターへのハッカー侵入による偶発的核戦争が始まる恐れさえある。うへーっ、怖いですね。冷戦後も、さまよい続けるアトミック・ゴーストが人類の「終末」を2分だけ早めたわけなんです。一刻も早く、核兵器を文字どおり全廃すべきです。問題は北朝鮮のチャチな核製造能力だけではありません。
 1969年1月。大統領に当選したニクソンは、次のような核戦略の説明を受けた。
 アルファ作戦で先制攻撃用につかわれる核兵器は合計1750発。全標的を先制核攻撃するなら、合計3018発。さらに全面的な核戦争をソ連に仕掛けたときには、ソ連の全国民の40%、最大9000万人が死ぬ。・・・・
 むひょう、これはひどい・・・です。レーガンとゴルバチョフが冷戦に引導を渡した 1988年の段階で、アメリカの核兵器は2万3000発もあった。ソ連の崩壊した  1991年には1万7300発。その後、ブッシュ大統領のときまでに1万5000発にまで減った。それでも、まだ、とんでもなく多いですよね、これって。
 核実験をしないまま、核兵器の信頼性をどう保つのか、も問題となっているようです。 ソ連が冷戦中に製造し、世界各国に輸出したウラニウム(HEU)は判明分のみで  2245キログラムある。これは核兵器90発分に相当する。同じように、アメリカ産のHEUは合計7335キログラム。実に290発以上もの核兵器を製造できる核分裂物質が各地へ輸出されている。
 今年も、核兵器をなくそうという平和大行進が始まろうとしています。日本各地、隅々から、核兵器を一刻も早く地球上からなくしてしまおうと呼びかけて歩く行進です。まったく同感です。
(2008年4月刊。1800円+税)

モーターサイクル南米旅行日記

カテゴリー:アメリカ

著者:チェ・ゲバラ、出版社:現代企画室
 チェ・ゲバラというと、キューバのカストロ前首相を連想し、てっきりキューバ人だと思いますが、実はアルゼンチンの人です。裕福な家庭に生まれ育ち、医師の資格を得て、南米旅行に出かけます。
 この本は、いかにも冒険好きの若者らしい、旅先で遭遇した数々の出来事を日記のように書きつづった日記をまとめたものです。
 チェ・ゲバラのとった写真と、とられた写真が何枚も紹介されています。とてもハンサムであり、なにより目の輝きがすごいです。ゲバラは、キューバ革命に成功したあと、アフリカにも渡り、次いでボリビアに潜入して政府軍と戦っているうちに負傷して捕まり、射殺されてしまいました。39歳でした。世界は、実に有能な人物を失いました。
 それはともかくとして、ゲバラ青年はオートバイで、気のあった仲間(男性)と2人で、あてのない旅に出ます。そのうち、そのオートバイは故障して走れなくなってしまいます。
 1952年6月14日。土曜日。貧乏な僕は、24歳になった。
 こんなくだりが出てきます。24歳のとき、私は何をしていたんだろう・・・。私は、司法研修所にいて、せっせと青法協(青年法律家協会)の活動にいそしんでいました。そのときの仲間は今も私にとって貴重な「財産」になっています。
 チェ・ゲバラの演説が紹介されています。キューバに学ぶ医学生の前で話したことです。
 戦争に備えるための仕事や、そのために投資される資本は、すべて無駄な仕事であり、捨て銭だ。戦争に備える者たちがいるばっかりに、ばかばかしいことに、我々もそうせざるを得ないのだが、私の誠心誠意と、兵士としての自負を込めて言うが、国立銀行の金庫から出ていくお金で一番わびしく思えるのは、破壊兵器を購入するために支払われるお金である。
 なーるほど、そうなんです。まったく同感です。
 いま、改めて南アメリカの各地でチェ・ゲバラが見直され、評価されているそうです。39歳で凶弾に倒れた前途有望な青年政治家をしのび、世界の平和のために、我々は今何をなすべきか考えるのも悪くないように思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2004年9月刊。2200円+税)

戦争が遺したもの

カテゴリー:社会

著者:内田雅敏・鈴木茂臣、出版社:れんが書房新社
 前に『半世紀前からの贈物』(れんが書房新社)という本を紹介しました。1958年12月につくられた小学校2年生の文集『いつつぼし』を復刊したという本です。著者の一人は私より3歳年長の弁護士で、いま日弁連憲法委員会でよく顔をあわせます。この本は、前の本の反響を紹介する本でもあります。内田弁護士(さん)の出版意欲には、さすがの私もほとほと呆れるほどです。私も負けずにがんばります。
 内田さんたちの恩師が元気なころに語った録音テープが反訳され、紹介されています。恩師79歳のときの話です。
 ご主人を昭和20年6月9日の空襲によって亡くしておられます。1トン爆弾の直撃を受けたのです。その後、2人の子どもをかかえて小学校の教員となり、65歳まで勤めあげたのです。恩師は次のように語っています。
 戦争で有望な大勢の若い人たちが無惨にも散ってしまい、本当に残念に思います。二度と戦争の悲惨さを味わってはならない。平和な世界をみなさんで築いていただきたいと願っています。
 この願いに私たちはこたえなければいけません。
 久子先生(恩師の先生です)は、とにかくお優しく、いつもニコニコしていらしたという思い出が紹介されています。
 昔の先生は、今より心に余裕があったのでしょうか。今は上からのしめつけが私たちの想像する以上に厳しいようですね。学校の先生はもっと大切にされなければいけないと思います。子どもたちを立派に育てるという大切な仕事をしている教師を粗末に扱ったら、子どもに、そして、日本に未来はありませんよね。
 内田先生、ありがとうございました。日本と世界の平和を守るために、これからもがんばりましょう。
(2008年5月刊。700円+税)

限界自治・夕張検証

カテゴリー:社会

著者:読売新聞夕張支局、出版社:悟桐書院
 夕張支局の女性記者が追った600日、というサブ・タイトルのついた本です。夕張市が破綻していく実情を現地からリポートしていますので、迫力があります。
 ただ、国や企業の責任を追及しようとしていないのが気になりました。そこは、「右派」ヨミウリの弱点なのでしょうか・・・。
 ゆうばり、という地名は、アイヌ語のユーパロ、つまり鉱泉の湧き出るところ、に由来する。夕張市は、南北に細長い。そうなんです。一度だけ行ったことがある私も、奇妙な町だと思いました。奥行きはあるけれど、ほとんど幅のない町なのです。
 夕張市の65歳以上の高齢化率は42%。これは全国トップだ。夕張市は最盛期の1960年には人口11万7000人だった。市内に17の炭鉱があり、1万6000人の労働者が働いていた。最後の炭鉱となった三菱南大夕張炭鉱が閉山したのは1990年のこと。
 夕張市が財政再建団体になったのは、福岡県の赤池町が1992年に指定を受けてから、2番目。赤池町の負債は32億円で、2000年度に再建を終了した。ところが、夕張市の負債はケタ違いの何百億円にのぼる。
 ゆうばり映画祭が始まったのは1990年のこと。ふるさと創生資金1億円を活用した。それ以来、夕張は映画の町として知られるようになった。毎年の運営費は1億円。市が7割を補助した。中田元市長の観光政策のもので、1991年に観光客が1991年に230万人も来た。しかし、それがピークで、あとは減るばかり。
 1979年度から2005年度にかけて、夕張市の財政破綻の要因となった観光事業に施設整備費だけで150億円近くが投じられた。そのうち、国の補助が22億円ほどあった。そうなんです。夕張市の財政破綻に国も手を貸していたのです。
 夕張市は財政再建団体になるまで、財政のつじつまあわせをしてきていたから、市の広報誌で発表される決算は、ずっと黒字だった。市民はだまされ続けたのである。
 夕張市の6400世帯の半分近くは公営住宅に住み、民間アパートは少ない。4000戸の公営住宅の1300戸が空き家だ。公営住宅の多い夕張市では、不動産屋は商売にならないので、市内には不動産屋がない。ひえーっ、これには、さすがの私も驚きました。町にコンビニがないというのと同じほどのショックです。もっとも近い隣の地区のコンビニまで来るまで15分かかるという地区もあります。うひゃー、ですね。
 夕張市の再建のバロメーターが人件費削減の割合だった。それが、やる気を示すバロメーターとなった。目安となったのが島根県海士(あま)町の削減率28%だった。
 夕張市は、12人の部長、11人の次長の全員が退職した。32人いる課長職も、3人しか残らなかった。管理職のほぼ全員がやめて、行政機能は維持できるのか?
 夕張市と職員260人を126人と半減した。管理職57人を15人に減らした。夕張市長の給料は86万円から25万円と、全国最低になった。
 市議会は18人の定数を9人とした。議員報酬は42%減の18万円となった。これまた全国最低だ。
 1960年ころ、夕張市内にあった小学校は22校で、中学校は9校あり、3万人いた。現在は、わずか600人でしかない。
 15歳未満の年少人口は7%。これまた全国の市のなかで最低。年間出生数は50人。市営住宅に入居すると4000世帯のうち、家賃を滞納する世帯が20%をこえる。3億3400万円もの滞納額となっている。
 うひゃあ、夕張市の再建って、これでは本当に大変だなあ、とつくづく思いました。
(2008年3月刊。1600円+税)

ハロー、僕は生きてるよ

カテゴリー:アメリカ

著者:カーシム・トゥルキ、出版社:大月書店
 イラク戦争が始まったのは、私が弁護士会の役員をしていたときですから、もう5年以上前のことになります。アメリカ軍がイラクに侵入する直前に弁護士会の役員としてベルリンに飛びました。9.11のあとでしたから、どんなテロがあるかも分からないと脅され、決死の覚悟でした。国際刑事裁判所を国際司法裁判所とは別に設立する必要がある。そのとき、弁護士は弁護人としての職責を果たすために何をするべきか、という国際会議でした。日本のなかにも東澤靖弁護士のように、ほとんど手弁当で国際司法(刑事)分野で活躍していることを知り、頭の下がる思いをしたことでした。
 この本は、元イラク兵だった著者が高遠菜穂子さん(例の人質事件の1人であり、多くの心ない日本人からひどいバッシングを受けた人です)たちと連携しながら、イラクの平和のために非暴力主義でがんばっている様子を伝えるブログを活字にしたものです。
 先日、アメリカ映画『告発のとき』を見ました。小さな小さな映画館でした。イラク戦争の戦場に駆り出されたアメリカの青年の心身がボロボロになっていることが見事に描かれていました。人を殺すことが何でもなくなったとき、それは仲間同士でも殺しあいがありうるという衝撃的な事件をふまえて、アメリカ軍を告発する映画です。これ以上は書けませんが、一見の価値はあると思いますので、ぜひ映画館へ足を運んでください。イラクでアメリカ軍がしている非道な行状も画面で少し紹介されます。やはり、戦争は狂気を生み出します。
 この本は、そんな状況をイラク人の立場から描いています。毎日毎日、罪なき市民がアメリカ兵や、その下のイラク兵に殺されています。その仇をうつためにテロリストを志願する人を、どうして止められるでしょうか。
 ぼくたちにとっての唯一の敵は、アメリカ軍戦車とアメリカの狙撃兵なんだ。みんな、どこが安全な通り道か分かっているし、危険を避ける術も身につけている。ところが、バグダッドでは安全なはずの場所で犯罪が多発している。犯罪者はやりたい放題。しかも、警察が犯罪者と収入を分かちあっている。
 アメリカ軍は、ザルカウィのグループはアンバール州に潜伏していると言って掃討作戦をしている。そういうことにしておけば、アメリカ軍がいくらアンバール州の住民を殺したり、建物を破壊しても誰も気にしない。アメリカ軍がやっていることからイラク人の目をそらすいい方法だ。占領に抵抗するラマディの人々を殺しているなんて絶対に言えないから、言い訳が必要だ。だから、ザルカウィというテロリストがアンバール州にいることになっている。なーるほど、ですね。そういうことなんですね。日本の警察が暴力団とか反共右翼を泳がす理由と同じですね。ときどき世間の耳目を集めるような悪いことをやらせたりする理由もよく判ります。
 このように、殺し、殺されが日常化しているもとで育つ子どもたちの心はどうなんでしょうか。未来は子どもたちのものです。そのとき、家族や友人が殺し、殺されて平然としていいなんてことを身につけたとしたら、日本はそれこそ、お先まっ暗でしょう。
 日本のマスコミがアメリカ軍発表という「大本営」発表と同じことしかしない、つまり現地のイラク人民衆の立場からの情報発信をしていないとき、この本はイラクに住むイラクの人々の実感の一端をうかがい知る貴重な本だと思います。
 日曜日、ようやく梅雨が明けましたので、庭に出て、少し手入れをしました。雨が降り続いたためか、ライラックやサザンカの木が枯れていました。グラジオラスが終わりかけています。ヒマワリはまだ咲きません。半畳分を掘り上げ、コンポストの枯れ草や生ごみを埋め、その上に日々草やカスミ草などを植えました。サボテンもたくさんの子をつくって親は死にかけていますので、整理してやらなければいけません。代替わりの季節です。何ごとにも、何物にも寿命があります。諸行無常の響きあり、です。蛇もチョロチョロしていますので、用心しながら庭仕事をしました。といっても、蛇は、我が家の守り神様です。
(2008年4月刊。1500円+税)

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