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世界を不幸にするアメリカの戦争経済

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョセフ・E・スティグリッツ、出版社:徳間書店
 ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者です。クリントン政権では、大統領経済諮問委員会の委員長であり、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストもつとめています。現在はコロンビア大学教授です。そのような保守本流の経済学者のズバリ直言ですから、重みがあります。
 今となっては、アメリカのイラク侵攻が恐ろしい過ちだったことは明らかだ。4000人のアメリカ兵が死亡し、5万8000人が重軽傷ないし深刻な病いを負った。10万人のアメリカ兵が深刻な精神障害になって帰還しており、慢性的な症状に苦しめられるだろう。
 サダム・フセインの統治はお粗末だったが、今のイラク国民の生活はその頃よりも悪化している。イラクに侵攻して中東に民主主義をもたらすというアメリカの大義名分は、今ではむなしい夢に思える。
イラク開戦の決断は、数々の間違った前提にもとづいていた。
イラク侵攻して5ヶ月の2008年の運用費は、イラクだけで月に125億ドルを超える。
2003年に比べて44億ドルも増えた。アフガニスタンと合わせると月160億ドルになる。
この160億ドルという金額は、国連の年間予算、またアメリカの13州分の年間予算と同じ。しかも、この金額には国防総省が通常の支出として一年間に支出した5000億ドルを含んでいない。
 イラク侵攻は、民間の軍事警備会社に新たな機会を与えた。国務省が支出した金額だけでも、2007年には40億ドルになる。3年前は10億ドルだった。
 2007年にブラックウォーターやダインコープなどの戦争請負会社で働く警備員は1日にして1222ドル、年間44万5000ドルを稼いだ。それに対して、陸軍軍曹は1日に140〜190ドル、年間で5万〜7万ドルだった。このように請負兵は軍人より費用がかかるうえに、軍の規律や指揮の下に置くことが出来ない。
 このような民間業者との契約が増えて、今では10万人以上がイラクで活動している。
 今や、アメリカは兵士と将校の補充・確保に苦労している。それは戦争反対の声の高まりと、死傷者数の多さによる。入隊年齢の上限を35歳から42歳に引き上げた。また、重罰犯の元受刑者も兵隊として受け入れるようになった。そして、経験豊かな兵士が軍を離れて民間の戦争請負会社に移らないように、再入隊ボーナスとして最高15万ドルを支払っている。
 2007年末までにイラクとアフガニスタンで重軽傷・病気になったアメリカ兵は6万7000人。少なくとも4万500人が戦争に直接起因しているとみられている。
 多くの退役軍人がM-1戦車とA-10攻撃機から発射された対戦車砲弾に含まれる劣化ウランにさらされた。退役軍人の障害手当は3000億ドル前後になると見込まれている。
 イラクとアフガニスタンで任務につく兵士の大多数は、その危険性を十分に理解していなかった。その3分の1は州兵軍や予備軍から召集された者であった。彼らは自分が長期間にわたって国外に配置されるなど想像もしていなかった。
 イラクとアフガニスタンからの帰還兵の健康問題の最大のものは精神障害だ。自殺率は10万人につき19.9人にまで高まっている。その自殺者の4分の1がイラクやアフガニスタンでの軍務中に起きている。
 アメリカは、アフガニスタンとイラクに戦争を仕掛けたため、2008年度末には9000億ドルの負債を抱えることになるだろう。今のアメリカは、滅亡直前のローマ帝国である。
 アメリカはイラクを長期占領すべく巨大な軍事基地をイラク国内にいくつも築き上げた。
 バラド基地は、縦7キロ横5キロの広さがあり、2万2500人の兵士を収容する。アサド基地には1万7000人の兵士のほか、民間の戦争請負業者が入っている。
 バグダッドにあるアメリカ大使館は、ニューヨークの国連本部の6倍以上の規模だ。
 アメリカによるイラク戦争が間違っていたこと、そしてそれがアメリカ国民にも不幸をもたらしつつあり、アメリカ国家経済を危機に導いていることがよく分かる本です。
 庭の酔芙蓉の花が咲いています。朝のうちは見事な純白の花なのに、お昼過ぎると昼食をとった時に軽く一杯やってほろ酔い加減になったように朱がさし始め、夕方になる頃にはすっかり出来上がって赫味の強い花になってしまいます。酔芙蓉とは、よくぞ名づけたものです。
(2008年5月刊・1700円+税)

ルポ・正社員の若者たち

カテゴリー:社会

著者:小林 美希、 発行:岩波書店
 いま、私の事務所で働いている最若手の事務員は、関東の有名大学の出身者です。彼女の話を聞いて驚きました。
 大学を卒業して3年たった今、関東圏で就職した10人の友達のうち7人がストレス性うつ病などで休職・退職に追い込まれ、就職できなかった10人はまだ派遣やアルバイトなどで劣悪な生活状況に置かれているというのです。
 ひえーっ、すごいですね。若者をこんな悲惨な状況に追いやった者の責任を厳しく追及する必要があると思いますし、一刻も早く改善する必要があると思います。
 私自身は、一度も就職したことなく弁護士になりましたが、私の同世代は、モーレツ社員とか会社人間になったとかはいわれましたが、こんなに高比率でうつ病になるなんて、(少なくとも私には)考えられないところです。この本は、今の若者が置かれている状況を生々しくルポしています。一読の価値があります。
 非正社員や無業者の増加など、就職氷河期世代の働き方の変化によって生じる潜在的な生活保護受給者は77万4000人と試算されている。それに要する費用は18兆円近くから19兆円超とみられる。
 この世代の雇用が不安定で低賃金であることは、結婚や出産など、個人の行き方に影響を及ぼしている。長時間労働によるうつ病や過労死は若年層にも出てきている。これでは、なんのために生まれ、働き、生きているのか分からない。
 2005年度の派遣労働者は255万人(12.4%増)、派遣先は66万件(32.7%増)、年間売上高は4兆351億円(前年度比41%増)。2006年度は、派遣労働者は321万人(26.1%増)、売上高は5兆4189億円(34.4%増)。
 入社して早期にやめる人の大部分は、企業社会の中でへとへとになり、閉塞感を抱えた人たちである。たとえば、SE(システムエンジニア)の世界では、成果主義が行きすぎ、先輩社員は自分の成果を守るために、後輩に仕事を教える余裕がなくなり、目先の仕事、目先の成績にとらわれ、長期的な技術の向上や伝承という意識が希薄化している。
 メガバンクの大量採用は、人事戦略なしの横ならび。雇った一般職の全員が定年まで残ったら人件費がかかりすぎるため、ある程度の年数でやめることを銀行は想定している。
 国は、なにより若者が安定した雇用につける制度を作るべきではないか。
 私も、まったく同感です。そもそも派遣労働者を認めること自体が間違っています。せいぜい、正社員とパートにすべきです。
 この本を読んで、歯科医までがあまっているため、低賃金・不安定雇用で苦労しているというのを知って驚きました。まさか、という思いです。
 日本を捨てて中国へ飛び出していく日本人の若者もいるようです。それはそれでいいのですが、中国の人々からしたら複雑な気持ちになることでしょうね。なにしろ、同じ仕事をしていても給料に大きな差があるというわけですから。
 正社員になったら長時間労働で死ぬまで働かされる。派遣社員は差別され、面白くもない雑務をずっとやらされて仕事に意義を見出せない。なんと両極端なことでしょう。
 実は、私の娘も、今、そこで悩んでいます。最近まで派遣をしていましたが、責任のない仕事は面白くないといって、いったん辞めた元の職場に戻ったのです。そこは、過労のために病気になりそうなほど働かされるところです。いやあ、その中間がないものかと、親としては考えさせられます。人を軽々しく将棋の駒のように使い捨てにできる存在に変えたのは、財界の要求に政府が応じたからです。なんでも効率本位のアメリカ型労務管理の悪い面があまりにも出すぎています。
 もっと楽しく、意義のある仕事をみんなができるようにしたいものですよね。すごく時宜にかなった本です。 
(2008年6月刊。1700円+税)

サザエさんの東京物語

カテゴリー:社会

著者:長谷川洋子、 発行:朝日出版社
 サザエさんの作者、長谷川町子の実妹による町子の実像を紹介する楽しい本です。
 ワンマン母さんと串だんご三姉妹の昭和物語。
オビのこの文句がぴったりくる内容になっています。サザエさん、マスオさん、カツオにワカメ。戦後日本の世相をよくよく描いていたと思います。ほんわかとした絵が読む人の心を大いに惹きつけました。
 長谷川町子は、家の中では「お山の大将」で傍若無人。声も主張も人一番大きかった。我が家の中だけが彼女にとって本当に居心地のいい世界だったから、喜怒哀楽はすべて家庭の中で発散していた。三つ子の魂百まで、というか、かつての悪童は閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまった。
家庭漫画って、清く正しくつつましく、を要求されるでしょう。だけど、それって私の本性じゃないのよね。だから「いじわるばあさん」のほうが気楽に描けるのよ。私の地のままでいいんだもの。
このように、町子は「いじわるばあさん」を自認していた。その割には、反省の色が少しもなかった。町子は一生独身だった。婚約したのに、それを土壇場で断ったのだ。
たくさんの愛読者に答えるためには、昨日より今日のほうが、今日より明日の方が作品はより面白くなくてはならないと、半ば強迫観念に似た思いが町子を苦しめていた。始終、胃が痛いと言って枕で胃の辺りを押さえていたし、病院の薬もあまり効き目がなかった。
 家族は町子の健康を心配して、「こんなしんどい仕事はいいかげんにやめたら」と頼んでいた。それに対して、町子は「でもね、いい作品ができたときの嬉しさや満足感は、あなたたちの誰にも分からないわ」と言って取り合わなかった。
 町子は、人に会うのが苦手で、パーティーや会合にほとんど出席したことがなかったので、友人や知人が極端に少なかった。ユーモアたっぷりの磯野家の雰囲気とは少し違うようですね。ひょっとして対人恐怖症だったのでしょうか…。
 長谷川町子のワンマンぶりがユーモアたっぷりに紹介されています。そして、串だんご三姉妹で末っ子として可愛がられた著者が、町子や姉と分離・独立していくときの心境には、なるほど、人間にとって独立と自由ほど尊いものはないんだなと、つくづく思わされました。なにしろ、「30億円」もの遺産を相続放棄したため、まさかと思った税務署が隠し遺産があるのでは、と疑って調査に来たほどだというのですから…。 
 パリにはタクシーがたくさん走っています。流しのタクシーもいると思います。エクサンプロヴァンスでは駅前にタクシー(車)はあるのに、運転手がいませんでした。タクシーは電話で予約するものなのです。でも、こちらはテレカルト(テレホンカード)を持っていません。仕方なく、ホテルまで20分以上も重たいスーツケースを引っ張って歩きました。しかも、果たしてこの道でいいのか不安のままに…。
 ニースではタクシーがなかなか見つからず、やっと見つけたタクシーには日本人のカモと思われたらしく、65ユーロもぼったくられてしまいました。というのも、バスセンターの周囲にはタクシーが一台もいなかったので、帰りの足をむやみに心配してしまったためでした。
(2008年4月刊。1200円+税)

アシナガがゆく

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:辻本 公一・斉藤 護、 発行:徒歩々庵編集工房
 いやあ、驚き、呆れ、恐れ入りました。こんなことを思い立ち、そして、それを実行する人が、この世の中にはいるんですね。信じられません。だって、パリからスペインまでの1800メートルを2ヶ月かけてテクテク歩いていったというのですよ。それも、いい年齢(とし)した弁護士のおっちゃん(67歳)が…。私の方はちょうど膝に神経痛が出て、歩くのも不自由していたときに読みましたから、余計に驚嘆してしまいました。
大阪には、狂歩楽々宗なる得体の知れないグループがあるとのことです。しかも、そのメンバーたるや、今の大阪弁護士会長、元の日弁連副会長まで加わっているというのです。なんだか西欧社会を背後で操っているというフリーメーソンみたいではありませんか…。(失礼しました)
 この本はまず、その狂歩楽々宗の有力信徒の一人である佐伯照道弁護士より贈呈されました。途中まで読んでいたところ、なんと恐れ多くも狂歩楽々宗の教祖様である辻本公一弁護士からも贈呈本が届いたのです。私のかねてより敬愛する石川元也弁護士の紹介で送るとの添え書きがついています。これは大変なことになった。そう思って後半を読み進めていったという次第です。
 いったい、2ヶ月間も、フランスをパリからスペインにかけて歩きとおすなんていう発想はどこから出てきたのでしょうか…?あとがきによると、大阪でも通勤するのに往復を歩いていたということです。1年間に360キロを歩いたと書いてありますので、毎日1キロ歩いたというわけですね。すごいですよね、これって…。それで、音に聞くコンポステル巡礼路へ行ってみよう、そして、美しいというフランスの田舎も見てみたいと思うようになった、というのです。なるほど、フランスの田舎町は美しいです。でも、でもですよ。一人でテクテク歩くのです。それも重たいリュックサックを背負って、なんですよ。私なんか、考えただけでも足が引きつってしまいそうです。
 パリから歩いていく途中で、ロワール川の古城めぐりのお城も登場します。シャンボール城やブロア城などです。私も3年前の夏に行ってきました。タクシーで一日かけて回りました。観光バスよりはゆっくりできたと思いますが、それを歩いて回ったとは…。
 ブロアもいいし、アンボワーズもいいところです。レオナルド・ダヴィンチが生活していたお城でもあります。この本には、歩いた風景が写真で紹介されています。うんうん、こんなのどかな情景って、フランスのあちこちにあるよね、そこをゆっくりのんびり歩くって、人生最高の贅沢だよね。私もそう思います。だけど、でも、ですね…。
 アシナガ氏は、ホテルに泊まって朝食をとって、だいたい午前9時ごろに歩き始めたようです。たまには3日間ほど同じホテルに泊まって、休養もしたようです。それはそうですよね。そして、一日9時間も歩いたことがあるそうです。一日に30キロとか40キロも歩くのです。しかも、雨が降っていても歩いたというのです。すごーい。
 ホテルはケータイで前日のうちに予約していたようですが、たまにはぶっつけ本番であたったりもしています。道に迷ってしまって夜になってもホテルが見つからず、道を尋ねたところ、親切な母娘に車でホテルまで送り届けてもらったこともあるといいます。やはり、見知らぬ国での一人旅は大変な冒険です。
 ところが、フランスではひなびた村にもとびきり美味しい料理を出してくれるレストランとホテルがあるのです。そこが、フランスの旅の良いところです。
 壁には風雅な飾り物。趣味のいい調度品、ゆったりとしたテーブルの配置、テーブルの上には古風なローソクスタンド。実に落ち着いたくつろぎの空間を演出している。若い夫婦二人で切り盛りしているホテル・レストラン。夫は厨房で料理を、妻はテーブルを回ってメニューを配り、注文を聞き、料理やワインを運び、天性の美しい笑顔で、お客と和やかに言葉を交わす。その挙措は精錬され、優雅なことこの上ない。
 アペリティフはカシスのキール。本日のスープはバジリコ入りの熱々スープ。メインデッシュは盛り付けも鮮やかな鴨のステーキ。味も申し分なし。ワインにもハズレたころは一度もない。
 いやあ、ホントなんですよね。さすが、うまし国、フランスだけのことはあります。どんな田舎に行っても、美味しい料理を期待できる。それがフランスです。
 田園地帯を歩いていると、牛が物珍しそうに近寄ってくる。眠たそうな目でじっと見つめ、トコトコと寄ってきて、「おっちゃん、どこ行くん?」と聞いてくるのもいるほど…。
 やはり、狂信的な信者というしかありません。いやはや、見事な道中記です。写真もまた素晴らしいですね。 感心、感嘆、感銘を受けました。
(2008年8月刊。?円)

戦争の法のもとに

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:宮道 佳男、 発行:クリタ舎
 1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされた。その直前の7月28日、呉軍港にアメリカ軍が空襲をかけた。このとき、沖縄から発信したB-29が2機、そして艦載機も2機が撃墜され、アメリカ兵12人が捕虜となった。B-29の機長は、尋問のため東京へ護送され、残る捕虜11人が広島に残った。8月3日にはB-24の5機編隊が広島市街地を爆撃し、1機が高射砲で打ち落とされ、9人が捕虜となった。1人は住民に殺され、将校2人は東京へ護送されて、残る6人が広島に残された。
 そこで、アメリカ兵17人(23人説や11人説もある)が、広島師団内の拘置所に収容されていた。8月15日の終戦時にアメリカ兵が広島に何人生存していたのか、明確ではない。8月19日にアメリカ兵2人が死亡したことは確実だが…。結局、広島にいたアメリカ兵の全員がアメリカの原爆によって死亡した。
軍律裁判は軍法会議とは異なるもの。軍法会議は主として自国兵士の規律違反と罰するもの。敵前逃亡兵は銃殺が決まりである。軍律裁判は、戦闘地域とか占領地域で敵国民や被占領国民に対して占領国的違反を罰するものである。軍律裁判は、戦闘地域であるため、即決非公開、弁護人はなく、上訴もない。懲役もなくて、すべて銃殺ばかりという特殊性があった。それでも、少なくとも戦場における即決リンチ処刑よりはましなものだった。戦後、連合国が行ったA級戦犯そしてBC級の戦犯裁判は、この軍律裁判と同じものだ。
 この本は、原子爆弾で壊滅させられた広島にいたアメリカ兵たちに対して、軍律裁判で死刑に処せられようとするに至るまでを克明に描いています。
無差別爆撃は人道無視の暴虐非道の犯罪だ。だから死刑になるのも当然だ。このような暗黙の前提で裁判はあっという間に終わってしまいます。そして、やがて処刑されてしまいます。
 はたして、死刑に処する必要があったのか、あったとして、では軍の最上層部には責任がなかったのか、という疑問にぶち当たります。
 著者は、私の司法研究所での同期の名古屋の弁護士です。先日、箱根で開かれた35周年記念行事のとき、本人からサイン入りでもらいました。手術を受けて入院中に執筆し始めたということでした。実は、東京に出張したとき日弁連会館の地下の本屋にこの本を見かけたので、次のときに買おうと思ったところ、その次にはありませんでした。やはり本は買おうと思ったらすぐに買わなくてはいけません。
 それにしても、よく調べてあるなと感心しながら読みました。 
(2008年5月刊。1400円+税)

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