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安倍晋三VS日刊ゲンダイ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小塚 かおる 、 出版 朝日新書
 国会答弁のなかで安倍晋三首相(当時)は次のように言った。
 「きょう夕方、帰りに日刊ゲンダイでも読んでみてくださいよ。これ(言論機関)が委縮している姿ですか、委縮はしないんですよ」
 安倍晋三がこうやって国会で持ち上げた「日刊ゲンダイ」は、たしかに鋭い安倍批判を展開していました。でも、記者会見のときには「日刊ゲンダイ」の記者はいくら手を挙げても指名されないので、質問ができなかった。
 大手新聞は、ヨミウリ・サンケイだけでなく、NHKをふくめて明らかに「萎縮」しているのが現実です。
 「新聞とテレビは制圧した。あとは『文春』のような週刊誌と日刊ゲンダイ」
 これが自民筋の最奥部から洩れてくるホンネです。最近では、これに加えて「しんぶん赤旗」が入るのかもしれませんね(自民党の裏金スクープなど)。
 自民党の国会議員の世襲比率は3~4割。そして、世襲候補の勝率は8割。圧倒的に高い。世襲候補の7割は自民党。
安倍首相は、大手メディア幹部と月2回、「夜の会食」に励んでいた。1人予算は1万円以上。その源資は月1億円が使い放題という例の内閣官房機密費でしょう。何しろ領収書不要の「ヤミのお金」ですから(もちろん、すべて私たちが税金として負担させられているものです)。
 岸田首相は、「総理になったら一番やりたいこと」を問われて、「人事」と答えた。そして、子ども記者から「どうして総理になろうと思ったのか」と質問されたとき、「日本の社会の中で一番権限が大きい人だから…」と答えた。
 いやはや、正直にホンネを吐露したのでしょうが、これって日本の首相が子ども記者に言うべきコトバでしょうか。こんな人をトップにいただいていて、まともな「道徳教育」が出来るとは、とても思えません。せめて、「弱者救済」とか「社会正義を実現したい」と、建て前を言ってほしかったです。すると、子ども記者は次の質問が繰り出せますよね。
 「現実はそうなっていないようですが、それはなぜですか」と…。
 安倍元首相はひどかったが、岸田首相はもっとひどい。まったくそのとおりです。支持率が2割台でしかないのも当然です。物価対策ダメ、能登震災対策ダメ、それなのにアメリカの言いなりに高価な武器の購入だけは爆進する。どうやっても評価できるところがありません。
 アメリカの大統領が日本にやって来るとき、成田や羽田ではなく米軍横田基地に舞い降りる。ここは大統領に限らずアメリカ人は入関手続がいらない。まさに日本は独立国ではなく、アメリカの支配する国のままなのです。
 「年寄りが長生きするから、若い人の負担が重くなる」
 国民を年寄りと若者に分断し、世代間でケンカさせ、お互いにいがみあう状況をつくり出し、権力者は腕を組んで笑っている。これが、今の日本の姿です。
 でも、年金は削られていますよ。介護保険料は値上がりしています。オスプレイとかトマホークを買うのを止めたらどうですか。アメリカからF35なんて超高値の戦闘機を買うのを止めたら、年寄りも若者もいがみあう必要なんかないのです。
 いまの日本政治のおかしさを徹底的に追求している「日刊ゲンダイ」や「文春」、そして「しんぶん赤旗」にエールを送りたいです。
(2023年10月刊。890円+税)

在日韓国人になる

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 林 晟一 、 出版 CCCメディアハウス
 民族マイノリティ(少数派)として生きるのも、楽ではない。
 ゴキブリのたとえは、日本の排外主義者の専売特許ではない。戦いのさなか、相手を「非人間化」として動物とみなし、殺しやすくするのは常とう手段である。
 ヒトラー・ナチスは、ユダヤ人について人間の顔をしているだけで、人間ではない、ゴキブリ同然と決めつけ、大量殺戮(さつりく)を続けていきました。殺人(大量か否かにかかわらず)には、それを「根拠」づけるもの(理屈)が必要なのです。
 排外主義者の派手なパフォーマンスに惑わされ、過去の実績と未来を見さだめるセンスを曇らせてはまずい。戦後ずっと、生活保護を除く社会保障全般から在日韓国人は排除されてきた。
 しかし、1970年代から社会の統合が進むなか、国民健康保険をふくむ社会保障の恩恵にあずかられるようになった。長い苦しい戦いのなかでの悲願達成だった。
 1945年8月の日本敗戦時、日本には200万人以上の朝鮮人がいた。翌1946年3月までに130万人以上が朝鮮半島へ帰国した。その後、日本にいる在日朝鮮・韓国人は、おおむね50~60万人台で推移した。日本の全人口の1%に届くことはなかった。2021年には30万人となった。
 1955年では朝鮮籍が43万人、韓国籍が14万人で、前者が在日の75%だった。1969年には韓国籍が31万人、朝鮮籍が30万人と、シェアが逆転した。
 1959年から1984年にかけて、在日の人々が北朝鮮へ移住していった。累計で9万3千人。ピークは1960‐61年で、7万人以上の人が日本を離れた。
 1970年ころ、神奈川県川崎市は市の人口の1%が在日の人々だった。
著者の名前は、金日成を合成したもの。
 在日の人々は自営業の比率が高い。それは日本の企業への就職困難の反映でもあった。三大産業は、パチンコ店、焼肉屋そしてスクラップ回収業。いずれも私の依頼者(在日)の職業でもあります(ました)。他には、医師、金融業そして弁護士です。いずれも高い知的職業です。
 力道山の本名は金信洛。日本国籍を取得していますが、百田(ももた)光浩として生きてきた。マスコミは、朝鮮半島出身であることを知りながら、あくまで「日本人の英雄」とみなした。これに対して、プロ野球選手の張本勲(張勲)は、韓国籍であることを隠さなかった。これは、きわめて珍しいことだった。
 1955年時点で、在日と日本人との国際結婚は3割を占めていた。1970年代半ばまでに在日同士の結婚は過半数を割った。
 松田優作は、在日韓国人1世の母と日本人保護司の父のあいだに1949年に下関で生まれた。
 1980年代に在日韓国・朝鮮人をふくむ外国人にも国民年金や児童手当が適用された。
 1986年には、国民健康保険が全面適用された。
 川崎信用金庫が在日のローン拒絶について、ジャックスがクレジット利用拒絶について謝罪した。第一生命は在日の生命保険加入拒絶の改善を約束した。
 1977年、金敬得が韓国籍のまま司法修習生となることが認められた。国公立大学の教授職も1982年より外国人に開かれた。外国人登録のとき、指紋採取制度も廃止された。
今日では、在日の9割が日本人と結婚し、その子どものほとんどは日本国籍を得ている。
 海外渡航の自由の面で、今でも朝鮮籍と韓国籍には大きな差があるようです。
 著者は東京都内の中高一貫校で歴史・国際政治学を教える教員(今、43歳)です。
 とても面白く読み通しました。
(2022年12月刊。1700円+税)

三淵嘉子と家庭裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 清永 聡 、 出版 日本評論社
 この春にスタートする朝ドラの主人公は、なんと女性裁判官だそうです。
 日本に初めて女性弁護士が登場することになったのは1938(昭和13)年のこと。3人の女性が司法試験(高等文官司法科試験)に合格したのです。もちろんビッグニュースになりました。
 司法科試験に女性も受験できるようになったのは1936(昭和11)年のことで、19人が受験したものの合格者はなく、翌1937年には女性1人が筆記試験に合格したけれど口述試験で不合格になりました。
 1938年に合格した女性3人は、武藤(のちの三渕)嘉子、中田正子そして久米愛。
 そもそも、女性には戦前、参政権が認められていませんでした。そして、大学にも女性は入れず、東京では明治大学だけが1929(昭和4)年に女性の入学を認めた。ただし、定員300人のところ、実際には50人しか入学者がいなくて、それも卒業時には20人ほどに減っていた。それだけ厳しかったのでしょうね。
 嘉子は修習を終えて第二東京弁護士会に登録して弁護士生活を始めた。そして結婚し、長男を出産。ところが、夫は兵隊にとられ、中国に出征していたところ病気にかかって、日本に帰国したものの、長崎の病院で死亡してしまった。
 戦後、嘉子は裁判官になることを考え、司法省へ出向いて「裁判官採用願」を提出した。しかし、裁判官ではなく、司法省嘱託として採用され、民事局さらに家庭局で働いた。
 あるとき、最高裁長官を囲む座談会が開かれ、ときの田中耕太郎長官が次のように発言した。
 「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしい」
 嘉子は、直ちに反論した。
 「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」
 まさにそのとおりです。この田中耕太郎という男は軽蔑するしかない奴ですから、私は絶対に呼び捨てします。なにしろ実質的な訴訟当事者であるアメリカの大使に最高裁での評議の秘密を漏らし、その指示を受けて動いていたのですから、最悪・最低の人間です。ところが、先日、東京地裁の裁判官が、それをたいした悪いことではないと免罪する判決を書きました。あまりに情なく、涙が出ます(これは砂川事件の最高裁判決の裏話です)。
 そして、嘉子は後輩の女性裁判官の悪しき先例にならないよう、あえて家裁ではなく、地裁の裁判官になりました。すごいことです。
 嘉子は、原爆裁判に関わりました。その判決文には、「原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当」とあります。原爆投下は国際法に反する違法なものと裁判所が明快に断罪したのです。1963(昭和38)年12月7日の判決です。
 嘉子は1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所の所長に就任。日本で初の女性裁判所長。1979(昭和54)年11月に定年退官したときは横浜家庭裁判所の所長だった。
 嘉子が「女性初」という肩書をつけながらも、重責に負けることなく立派にその使命をまっとうしたことがよく分かりました。
 今では、日本の司法界における女性の比率はかなり向上しています。日弁連も、この4月には初めての女性会長が実現することになりそうです。最近では、JAL(日本航空)の社長、そして日本共産党の委員長も女性です。首相も早く女性首相になればいいと考えていますが…。
(2023年12月刊。1200円+税)

プラネタリウムの疑問50

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 五藤光学研究所 、 出版 成山堂書店
 私はプラネタリウムが大好きです。遠い遠い宇宙空間に飛び出すことはできませんが、星空を眺めているのは気持ちいいものです。そして、途中でふと眠り込んでしまっていたりします。この本は眠ってもいいけれど、イビキをかいたり寝言(ねごと)を言わないようにだけは気をつけてくださいとしています。納得です。
 いま日本には全国47都道府県すべてにプラネタリウムがあり、日本全国で年間800万人から900万人が観覧しているそうです。これって、いいことですよね…。
 プラネタリウムの始まりは1925年5月のドイツでした。このときの機械は4500個の星が投映されました。日本では1937年に大阪、翌38年に東京・有楽町に設置されました。私も最近、少し前に有楽町のプラネタリウムを鑑賞しましたが、実に洗練されたストーリーと音楽で、楽しく過ごせました。周囲はアベックばかりでしたから、少しばかりの孤独感も味わいつつ…。
 その後、プラネタリウムで投影する星の数は1億4000万個になり、ついには7億個の恒星を投映できるプラネタリウムまであります。それは天の河も、くっきり見えるそうです。ただし、数が多いと「夜空」が明るくなりすぎるようで、肉眼で見える星の数9500個にしぼっているプラネタリウムもあるとのこと。
 星が無数にあるとしたら、夜空には暗いところなんてないことになるのでは…、という昔から有名なオルバースのパラドックスというものがあります。夜空が暗いのは宇宙は膨張しているし、あまりに遠い星の光は地球の私たちのところにまでは届かないということのようです。
 東京・渋谷の東急文化会館にもプラネタリウムがありました。映画館の入っているビルです。私も大学生のころに入ったことがあります。
 世界にデジタル式プラネタリウムを製作する会社は10社、光学式だと5社あります。主要なメーカーは、日本とアメリカに各4社、このほかドイツ、フランス、中国に各1社あります。
 世界で最多はアメリカで1400館ありますが、これは学校に小さいものが設置されているということのようです。2番目に多いのは日本で400館、次いで中国の350館です。
 日本には世界の大きさベスト10のうち9館があります。日本には大きなドーム形のプラネタリウムがたくさんあるのです。これは自慢していいことですよね。
 ちなみに、佐賀県と高知県には1、2館しかないのに、埼玉県には24館あるそうです。どうして埼玉県にはこんなに多いのでしょうか…。
 宇宙そして星の話は、大好きです。日頃のあくせくした営み、日常茶飯事のわずらわしさを忘れさせてくれるからです。
 さあ、あなたも宇宙の謎ときを目ざして、そして安眠を求めて、いざプラネタリウムへ…。
(2023年7月刊。1800円+税)
 庭に孫たちと一緒にジャガイモを植えつけました。メイクイン、ダンシャク、キタアカリそしてアンデスの乙女です。
 ホームセンターで千円分を量り売りで買って、4畝に植えつけました。6月に収穫できると思います。フカフカの黒い土になっていますので、きっとうまくいくと思います。
 チューリップの芽がかなり出てきています。雑草に埋もれて可哀想なところは雑草をとってやるのですが、ついでにチューリップまで抜いてしまいそうになります。
 ロウバイがほとんど終わり、白と黄色の水仙が庭のあちこちに咲いています。春はもうすぐです。今のところ花粉症にはまだ悩まされていません。

世界中で言葉のかけらを

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 冴里 、 出版 筑摩書房
 なんといっても、この本を読んで一番驚いた話は、著者が高校生のとき、芥川龍之介の「羅生門」の初めの1行を、1ヶ月かけて意味を読み解くという授業を受けたというものです。
 「ある日の暮れ方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
 ただ、これだけの1行に毎週ある国語の授業で1ヶ月かけ、5月半ばにようやく次の2行目に入ったというのです。しかも、高校生だった著者も、何日たってもこの一行を考え続けるのが当たり前という感覚に変わったというのですから、信じられません。
 肉眼から虫眼鏡、電子顕微鏡まで使い分けながら文章を観察していくような授業だったと評しています。このたとえは、とてもしっくり来ます。感じ入った著者は、国語の教員免許をとったのでした。いやはや、ものすごい熱烈教師がいるものです。
 フランス語が出来なかった著者は、カミユの『異邦人』の1章をまるごと暗記したとのこと。語学のできる人がやる手法ですよね。もっとも、著者はフランス文の前に日本語で読んでいるから、意味のほうは分かっていることが前提だったとしています。
 自分が何を言っているのか、意味の分からないままに口に出すのは虚(むな)しい。
 1章の文章は20頁ほど。これだけあれば、ほとんどの基本的な構文は出尽くす。丸暗記している構文の単語を入れ換えて応答するようになって、フランス語は急速に理解でき、やがて自由に話せるようにもなったとのことです。なるほど、なるほど、です。
 トンパ文字は、書く色によって意味が変わる。言語学習は何に突き動かされているのか…。それは欲望だ。
 慣れない言語の学習とは、他者の言葉を自分の舌に乗せ、指を使ってえがき、自らを示し、他者を理解しようとすること。それは本質的に他者を求める行為だ。
 世界各地で日本語学校の教員として働いたことのある著者は、10年かけて、この本を書いたとのこと。これまた、すごいことです。そして、今は山口大学の准教授です。
言語学だなんて、すっごく難しそうですが、面白いことに出会いもするのですね…。
(2023年10月刊。1870円)

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