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無法回収

カテゴリー:司法

著者:椎名 麻紗枝・今西 憲行 発行:講談社
 サラ金業者は大激減した。2002年に2万7000社あったのが、2008年6月にはその3割の8272社となった。これに対して、債権回収業者(サービサー)のほうは取扱額が急増している。法務大臣の許可を受けたサービサーは113社(2008年8月)で、1999年の取扱件数は15万件だったのが、2007年6月に4955万件となり、その取扱債権額は207兆円だった。そして、その回収額は21兆円をこえ、トヨタ自動車の国内販売高に匹敵する。
 RCCは、銀行から無担保債権を1件一律わずか1000円で買い取り、2004年9月末までに6342件を買い取って、112億円を回収した。つまり、600万円の元手で112億円もの売り上げをあげたわけだ。銀行は無担保債権をポンカス債権と呼んで、サービサーに売却している。かつては、「ひと山いくら」とバルクセールがなされていたが、今では、個別譲渡のチェリーピック方式に替わった。サービサーを競争させて、個々に高く債権を譲渡する方式だ。
 サービサーは、県営住宅の未払い家賃の回収、保育園の滞納保育料の回収なども地方自治体から受託している。そして、奨学金の支払い督促もサービサーの仕事となった。しかし、このサービサーは古くからあったわけではなく、バブル崩壊の前には、日本には存在していなかった。
 RCCの調査は預金保険法の付則7条1項の「財産調査権を」根拠としている。そして、RCCは、強制力をつかって隠匿された財産を見つけて刑事告発を乱発する。ただし、RCCが伝家の宝刀をつかうには、金融再生法53条にもとづいて金融機関から買い取った債権でなければならないというしばりがある。
もちろん、サービサーが野放しにされていいはずはありません。サービサーは営利企業であると同時に、重要不可欠な公共的存在の一員でもあるという性格を見失ってはいけない。つまり、営利の追求のために債務者の人権や経済的基盤を無視してはいけないのだ。
 この指摘に、私もまったく同感です。鋭い告発の本でした。
(2008年9月刊。1700円+税)

森鷗外と日清・日露戦争

カテゴリー:日本史(明治)

著者:末延 芳晴、 発行:平凡社
 森鷗外は、夏目漱石と並ぶ明治の文豪であり、同時に、文学者でありながら陸軍軍医官僚であるという矛盾をかかえ通したことで、謎の文学者でもある。そもそも軍人でありながら文学者であることが可能なのか。
 私は、『五重塔』や『阿部一族』など、森鷗外の重厚な文体に強く惹かれるものがあります。その森鷗外の実態に迫る本書は、私の知的好奇心をますますかき立ててくれました。森鷗外は、日清・日露戦争に軍医として従軍し、日記や妻への手紙を書き、歌まで詠んでいたというのです。戦争の残虐さを実感し、綱紀がいいはずの日本軍が罪なき市民を大虐殺したことも現地で実見しながら、立場上そのままを日本に伝えることはできませんでした。それでもストレートでは伝えられなかったものを、それなりに伝えているようです。
 日清戦争のとき、日本軍は旅順に入って一般市民を無差別に殺戮した。旅順虐殺事件として世界に広く知られた。しかし、日本国内ではほとんど知られていません。乃木将軍も関わっている虐殺事件です。
 森鷗外は、軍医として台湾侵攻作戦にも従軍している。このとき、現地住民によるゲリラ的反撃にあい、予想もしなかった苦戦を強いられた。戦争の過酷さ、恐ろしさを体験させられた。
 森鷗外は、実家にいる妻あてに、実にこまめに手紙を書いて送った。ヒラの兵士だと月に2回という制限がある。しかし、鴎外は1年10ヶ月のあいだに妻へ133通もの手紙を書いて送った。1週間に1回のペースである。妻は鷗外より18歳も年下だった。1年10ヶ月というのは、日露戦争に鷗外が従軍した期間である。
 森鷗外は、しばらく小倉で軍医をしていました。それが初めての挫折といわれるほどの左遷であったことを初めて認識しました。明治32年(1899年)6月のことでした。
「左遷なりとは、軍医一同が言っており、得意な境地はない」
「実に危急存亡の秋(とき)なり」
小倉での鷗外の軍医としての仕事は、徴兵を忌避しようとする若者をチェックすることにあった。
 明治42年2月、森鷗外は朝日新聞の記者によると、怒鳴りあい、取っ組みあうという喧嘩沙汰までひきおこした。偉大な文豪と呼ばれる人でも、こういうことってあるんですね。よほど記者がカンに触るようなことを言ったのでしょうか……。
 森鷗外は軍医として最高峰の地位にまでたどり着き、元老の最長老として政・軍に絶大なる影響力を行使していた山県有朋とも交流を深めた。
 明治43年5月に大逆事件が起きた。逮捕された幸徳秋水らは、翌1月に処刑された。大逆事件は、「時代閉塞の状況」(石川啄木)をさらに決定的にした。
 いやあ、よくよく考えさせられる森鷗外の評伝でした。
(2008年8月刊。2600円+税)

黄金郷伝説

カテゴリー:アメリカ

著者:山田 篤美、 発行:中公新書
 まったくの偶然ですが、イギリスのサー・ウォルター・ローリーについて書かれた本を同じころに読みました。エリザベス女王のころ、イギリスはスペインとはりあってアメリカ大陸へ進出(侵略)しようと必死だったのですね。そのころ、イギリス側で活躍した一人が、このサー・ウォルター・ローリーだったのです。結局、エルドラド(黄金郷)を発見することができず、失意のうちにイギリスに戻って、逮捕され、スペインの要求どおりに死刑に処せられてしまうのでした。
 コロンブスのアメリカ大陸発見というのは日本では定着した考えです(私の高校生時代、教科書でそう習いました。今でもそうだと思います)。しかし、アメリカ大陸にはそれ以前も多くの「インディアン」が平和のうちに生活していたのだから、「発見」というのはおかしいと指摘されています。私も、なるほど、と思います。それは、ともかくとして、コロンブスは
1498年の第3回航海で南米大陸のベネズエラに到達しました。そうです。今、反アメリカで健闘しているチャベス大統領のいるベネズエラなのです。
 コロンブスが他の人と違っていたのは、地球球体論を取り入れ、東方世界に行くために西を目ざした逆転の発想だ。コロンブスの計算では、西に向かうとまず日本(ジパング)に到達し、その後に中国に到達できると考えた。目ざす財宝は真珠と黄金である。
 コロンブスの到達を祝う記念日は、今では先住民の受難がはじまった日と考えられている。この日は、中南米の各地で「民族の日」と呼ばれ、民族の権利回復を求める先住民族によるデモや集会が行われている。
 さて、ローリーである。ローリーは、エリザベス女王の近衛隊長に就任し、出世していった。その本質は、エルドラド探検隊であり、海賊、つまり侵略者であった。
 当時、イギリスはスペインと敵対関係にあった。スペイン船団を襲撃するイギリス人は国から特命状をもらっていたので、単なる海賊ではなく、私掠船(しりゃくせん)と呼ばれていた。ローリーには、キリスト教徒の君主が所有していない土地を征服する権利が与えられていた。だから、その地を未発見の地にカモフラージュする必要があった。そこで、スペインが発見したグアヤナではない、別のギアナという地方を発見したと言いつのった。
 ローリーたちは発見できなかったが、ベネズエラには、本当に金を産出する地方があった。これが今の悲劇をもたらしている。
 大航海時代から続く大土地所有のルールでは、先住民しかいない土地は誰もいない土地であり、最初に到着したヨーロッパ人が、その地を領有することができた。
 いやあ、、これって、よく考えたら、とんでもないルールですよね。私も高校時代まで習った世界史で、このことをまったく疑いもせず、ただひたすら暗記していました(日本史も世界史も私の得意科目でした)。しかし、先住民がいるのに、なぜ、突然現れた「先進国」が勝手に自分の領土だと宣言できるのでしょうか。おかしなことです。人間みな平等なんですからね。
(2008年9月刊。940円+税)

豊かさへもうひとつの道

カテゴリー:社会

著者:暉峻 淑子、 発行:かもがわ出版
 公共とは、テーブルの周りに多様な意見を持つ人々が集まって、ある共通のテーマについて、さまざまな角度から討論しあう場所のこと、というハンナ・アーレントの言葉が紹介されています。なんだか、日本人の「常識」とはずいぶん違うんだなと考えさせられました。
 スクール(学校)の元々の原義であるスコーレという言葉は、ギリシャ語で暇とか余暇を意味し、働く時間以外の時間でものを学んだり、考えたりするということから発している。うへーっ、そ、そうなんですか・・・。余暇にものを考えるというのは、小人閑居して不善をなす、という中国のことわざをつい連想してしまいます。忙しいときの方が、頭はよくまわると思うのですが、ちょっとイメージが違っていました。
 資本主義社会というのは、自分を限りなく増殖させていきたいという資本と、絶えず新しいものを求める技術が合体しているもの。
 経営者や自民党の政治家は、よく競争に勝つ教育を目ざすという。しかし、勝ってどうするのか、と問われると答えに窮してしまう。うむむ、そうなんですね・・・。
 中国人が日本人を評して、日本人は決して心を開くことなく、みんな心の中に計算機をもっていて、いつも計算している音が聞こえる、という。いやあ、そんなつもりはないのですが・・・。ちょっと、ショックを受けた評価でした。
 自民党の政治家たちは、よく国益がどうのこうのと言う。しかし、国益というのは「国民益」のことではないのか。国民がいない国益はいったいどこにあるのか。そして、国民益とは、国民の生活の質を高めることに他ならない。
 若者が非正規社員になると、社内研修が全然受けられず、単純労働の繰り返しになる。年金や医療保険など、社会保険の掛け金も払えないので、社会保障制度はくずれてしまう。フリーターが多くなっていくと、社会的に技術を伝承するということもなくなる。すると、30年か40年もたつと、専門的能力もなく、職もないので、生活保護を受けるしかない人々ばかり。そんな日本になってしまう・・・。
 つましく生きている人々のふところから富を奪い去って富裕層に貢いだのが、「改革なくして成長なし」という小泉ワンフレーズ改革の実態だった。
 貧困世帯の割合は、アメリカに次いで日本は2番目に多い。シングルマザーの貧困率は60%で、OECDの平均20%に比べるとケタ外れに多い。生活保護を受けている家庭は107万世帯、151万人いる。これに対して、年収1億円をこえる人々も同じく150万人いる。日本もアメリカ並みに両極分化しつつあるのですね。
 子ども時代に大人の管理や命令から離れて自由な遊びを経験することが大切だ。子どもは遊びの中でだけ、大人に管理されず、命令されず、本当に自由な自分の人生の主人公になれる。自由であればこそ、自分の能力を精一杯に発揮する喜びを知ることができる。自分の人生の主人公になる喜びを経験しなかった子どもは、大人になっても自立する喜びを知らない大人になる。管理されることに何の抵抗感も持たない大人は、自立する喜びを知らない大人だ。自分の価値に目覚め、自分の人生を生きる喜びが分からない人である。
うーん、何という鋭い指摘でしょうか。頭を抱えて、つい我が身を振り返ってみました。
 精神の老化は、必ずしも身体の老化に平行せず、創造、連合、洞察等の高度の精神的能力は年とともにかえって深まる。ゲーテが『ファウスト』を書いたのは82歳のときだ。
 人間らしい老後のある社会は、子どもや若者にも人間らしい生活を保障している社会であり、人権第一、生活第一、平和第一の社会である。
 日頃、何気なく過ごしている時を、ふと立ち止まって、もう一度よく考えてみようという気にさせる話が満載の本でした。
(2008年11月刊。1600円+税)

対テロ戦争株式会社

カテゴリー:アメリカ

著者 ソロモン・ヒューズ、 出版社 河出書房新社
 イギリスのジャーナリストが、対テロ戦争と名付けて金儲けに狂奔している保守本流やネオコンの政治家たちを鋭く告発しています。思わず身震いするほどのおぞましさです。
 9.11のあと、投資家たちに現金を出資しないかと声がかかった。アメリカは、以前から、災害をタネに金を稼ごうという企業家たちに事欠かない。見積もりによると、9.11のあとアメリカ政府はテロ対策費に600億ドルを費やすと考えられた。
 対テロ戦争とは新しい奇妙な混合物であり、新たな脅威に立ち向かうべく増大する国家の力と、縮小に向かおうとする民営化論の現状を融合させたものだ。英米の政府は新しい力を握り、それをすみやかに民間企業にゆだねることで、新たな安全保障産業を生み出した。
新しい警備保障会社は国内にある民間の拘置所に人々を監禁し、外国では銃をうつことができるようになった。刑務所や難民収容所の民営化によって、国が独占してきた力を営利企業に下請けさせられるという原則がうちたてられた。アメリカで1984年に民間刑務所が開設し、イギリスで初めてのウォルズ拘置所が開所したのは1992年。
ところが、現実には、新しい民間刑務所は、公営の刑務所より効果的でないことが明らかになった。民営化された刑務所で、企業は犯罪者の更生には関心を持たない。収監者の自殺や自傷行為の発生率が全国平均よりも高くなった。やる気をなくした職員は、自分たちの困難な任務に対処できなかった。民営化された少年院では、暴力と虐待が横行した。
 イラクのアブグレイブ刑務所における収容者への虐待行為には、アメリカの民営刑務所で懲戒処分を受けた3人の男たちも関与していた。
 イギリスでテロ容疑者として逮捕された人々が裁判手続によらずに自宅監禁とされ、電子タグをとりつけられた。電子タグを監視するのは民間の警備保障会社である。ところが、この電子タグが実はいいかげんなもので、現実には機能していなかった。
 民間による安直な自宅監禁が、その指令に従った善良な人々の精神を破壊し、もとから強い意志を持っていたテロ容疑者は逃亡をゆるした。
 うへーっ、これって、ひどいですね。そんな杜撰なものなんですか、電子タグって……。
 アフガニスタンにおいて、アメリカのダインコープ社は警察の再建に取り組んだことになっている。5年間でダインコープ者は11億ドルを受け取った。しかしながら、アフガニスタン国家警察は、犯罪に対してもタリバンに対しても何ら有効に機能していない。
 イラクにおいて、英米の当局は、契約書に署名するだけで、契約した民間業者が軍事機構に熟練した人員をたっぷり補ってくれるものと信じていた。市場の優越という原理によって、イラクの民間兵士が占領軍に効率と創意をもたらすだろうと確信していた。ところが、現実には、民営化は占領の妨げになった。民間業者がもたらしたのは、腐敗と失敗そして暴力だった。重要なことは、民間業者がイラクという国家の崩壊に貢献したことだ。イラクの政府と経済はバラバラに解体された。
 イラクにおけるもっとも重要なアメリカの財産の2つ、アメリカ大使館と司令官はアメリカ軍によってではなく、雇われた兵士の手で守られていた。
 イラクにいるアメリカ軍部隊は14万人。民間業者に雇われている人は10万人。ある人は4万8000人の警備員が180もの別々の会社にやとわれていると見積もっている。
 しかし、民間軍事会社のもたらす最大のコストは、政治的なコストだ。彼らの存在や影響は、戦略を捻じ曲げ、テロ戦争をさらに大きな軍事行動へと押しやった。
 民営化された占領は、実際には、欠陥だらけの困難なものだったが、企業は公共セクターより効率的であるという先入観を持つ英米当局は、民間軍事会社の売り口上を素直に受け入れた。民間軍事会社にしてみれば、商売の宣伝をしていたわけで、自分たちの能力を過大評価気味に言いたてるのは当然のことだった。
 イラク経済へのアメリカ企業の侵攻は、再建の失敗によって、反乱者となる敵を増やす結果となった。第一に、基本サービスの失敗がイラクに住む人々を遠ざけてしまった。サダム体制のころより水が汚れ、電気が足りず、病院や学校が貧しくなった。お金はアメリカ企業を伝って、イラクに届く前に湾岸諸国の契約業者に滴り落ち、現金の鎖は、情実・賄賂・腐敗のためにすり減って切れた。そのあとに残ったのは怒りだった。失業者やろくにサービスを提供されない人々は、反乱の呼びかけにすぐ反応した。
 イラクの安定のために雇われた兵士を使うという決定は、サダム後のイラクの失敗の原因となった。アメリカ・イギリス連合軍はイラクで敵を打ち負かしたが、気がつくと、周囲に友人はほとんどいなかった。サダム体制が終わったことへのイラク国民の安堵は、まもなく米英占領軍への怒りに変わった。加えて、占領軍の悪行は、ただイラクの人々の心を失う方にしか作用しなかった。
 2003年の侵攻から数年のうちに、イラクとアメリカの何億ドルものお金が帳簿から消え失せた。それでも、腐敗の罪を問われる当局者はほとんどいなかった。
 イラクで活動する最大の傭兵グループの一つは、南アフリカから来た。
 イラクは戦場の民営化、占領業務の契約業者への移譲という試みの、きわめて壮大な実験場となった。その結果に疑問の余地はなかった。新しい傭兵たちはイラクの失敗を助長した。彼らはひたすらイラクからお金をしぼりとった。イラク自身の治安部隊をつくる代わりに、警備保障会社を利用することの利点と見えたものは、すべて空論だということが判明した。軍事部門の民営化がおしすすめられていったとき、その民間企業の経営陣には、ネオコンやタカ派の政治家たちが名を連ねている。ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・パールなど……。
ひどい、ひどい。「民営化」の美名のもとに、自分たちはぬれ手に粟でもうけていたわけですよ。許せません。ネオ・コンの連中なんて、汚い金もうけの戦争屋でしかありません。広く読まれてほしい本です。
(2008年10月刊。2400円+税

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