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ゴキブリマイウェイ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 大崎 遥花 、 出版 山と渓谷社
 この出版社がなぜ、ゴキブリを扱った本を出すのかな…。そんな疑問に引きずられながら読み進めました。
 ゴキブリをめぐる、とても面白い本です。ホッコリしながら、学者の厳しさと楽しさが伝わってくる本でもあります。
 ゴキブリといっても、わが家に出てくるような、憎き「敵」のゴキブリではありません。森の中の朽ち木に潜んでいて、「害虫」とは無縁です。それどころか、森の中の第一次清掃人の仕事をしている、いわば益虫です。
 私は著者をてっきり男性と思って読んでいたのですが、途中で女性だと知りました。若い女性が沖縄の森の中で、ハブを心配しながらゴキブリを採集し、リュック一杯にゴキブリを入れて飛行機に乗せて運び、研究室で大量に飼育・繁殖させ、その生態をビデオ撮影しながら観察し、分析するというのです。
 もちろん、学者に性差はありえません。でも、うちの女性陣はゴキブリを見たら、まずは何よりキャーッと叫び、次には「叩き殺せ!」という大合唱です。どこも同じではないでしょうか。
 著者の研究の対象は、クチキゴキブリ。森林の奥でひっそりと暮らす、害虫ではないゴキブリ。クチキゴキブリは、朽木(くちき)を食べながらトンネルを作り、そこで家族生活を営んでいる。父と母は生涯つがいを形成し、一切浮気をしない。
 これって本当でしょうか…、信じられません。かの有名なオシドリが、実は浮気する鳥だということは既に実証されています。
 クチキゴキブリは「卵胎生」。卵は母親の体内で孵化(ふか)して子が直接母体(腹)から出てくる。
 クチキゴキブリは、交尾後2ヶ月ほどすると子が生まれ、両親ともに口移しでエサを与えて、子育てする。この両親そろっての子育てというのは、とても珍しいこと。そうですよね。
 ゴキブリ研究の第一人者である著者は、実はゴキブリアレルギーの持ち主。クチキゴキブリを素手で触ると、無数の水ぶくれが出来てしまう。
 著者は、九州大学理学部を卒業し、クチキゴキブリ研究を現在進行しているのは全世界広くといえども著者だけ。まさしくあっぱれ、です。今はアメリカの大学で研究を続けています。
 全世界のゴキブリは4500種。日本には64種類いる。そのうち害虫と認識されているのは5種類だけ。1%にも満たない。
 クチキゴキブリは雑食性で朽木、落ち葉のほか、昆虫の死骸や動物のフン・キノコなど、全部、何でも食べる。分解の第一段階、物理的な分解を担っている。クチキゴキブリの寿命は3年ほど。メスは生涯に複数回、子を産む。
卵胎生の長所は、子どもが母親の体内で守られ、天敵の襲撃を避けられるし、メス親とともに逃げることができる。
クチキゴキブリのオスとメスは、配偶時に互いの翅を食べ合う。
いったい、なぜこんなことをしているのか、どんな意味があるのかを著者はじっくり観察し、記録しながら、学者として考察するのです。実にすばらしい。でも、根気がいりますよね。
そして、その行動(生態)を撮影して記録するため、暗室をつくり赤色LEDでクチキゴキブリをじっくり観察し、その成果物を学界(会)で発表したのです。一大センセーションをまき起こしました。
クチキゴキブリのオスとメスは配偶時にお互いの翅を食べあう。翅は付け根付近まできっちり食われている。昆虫の翅は再生しないので、食べられたが最後、一生飛べなくなる。
クチキゴキブリの後尾体勢は、互いに反対方向を向いて、お尻とお尻をくっつけるようなポーズなので、カマキリのように、交尾しながらメスがオスを食べることはできない。
ゴキブリを含め、昆虫の視覚は赤色光は見えず、紫外線は見える。
翅の食い合いは、オスとメスの協力行動。相手個体が嫌がって抵抗したり、逃げ出すことはない。食べるのに時間をかけている。非常に遅い。なぜなのか…。いったい何が起きているのか、互いの翅を食べて、飛べなくすることに、何の意味があるのか…。謎は深まります。
とても読みやすい文章なので、すらすらと読めました。ゴキブリの生態とあわせて学者(研究者)の生態までも深く掘り下げられていますから、とても面白いのです。
ご一読をおすすめします。なお、「関わらず」という、「不拘」と書くべきところの誤字が何回も出てきました。著者だけでなく、出版社(編集者)の責任です。ぜひ訂正してください。
(2023年12月刊。1760円)

西部戦線、異状なし

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 レマルク 、 出版 新潮文庫
 ご承知のとおり、戦争文学の古典です。昨年(2023年)9月に75刷になっています。初版は昭和30年(1955年)9月ですから、私が小学生のころに刊行されています。前に一度読んだことがあると思うのですが、最近誰かが紹介していましたので、改めて読んでみました。
 ウクライナへのロシアの侵攻が止まらないうえに、イスラエルによるガザ地区ジェノサイドも現在進行形です。毎日、小さい胸を本当に痛めています。
 地震災害は天然自然が起こすものなので、根本的には止められず、対処法を考えるしかありません。でも、戦争は人間が始めたものですから、必ず止めることができるはずです。
 武力には武力で対抗するという考えに取りつかれている人のなんと多いことでしょう。日本の軍事予算は5兆円でも多すぎるのに、8兆円へとふくれあがってしまいました。5年間で43兆円、しかも、その内容はかの不要不急かつ未完成というか危険なオスプレイを大量購入するだけでなく、トマホークを400発もアメリカから買わされます。とんでもない税金のムダづかいです。
 戦争が始まったら、前途ある青年が大量に殺し、殺され、容易に終わらせることが出来ません。そして、戦争のかげで軍需産業とそれに結びついた自民党などの「政治屋」たちがぬれ手にアワでもうけるのです。嫌ですね、嫌ですよ…。
 兵隊がもっとも喜ぶのは、うまい食事と、休息。
 戦線に背を向けて帰ってくると、戦線の恐ろしさは消えてしまう。僕らは、戦線の恐ろしさを下等な残酷なシャレ(洒落)で茶化してしまう。軍隊新聞にも出ているような兵隊の面白いユーモアなるものは、みんな大嘘だ。ユーモアを持っていなければ、生きていられないからだ。ユーモアがなければ、僕らの体は長続きしない。
 「考えてもみろよ。俺たち、みんな貧乏人ばかりだ。敵のフランス兵だって、たいてい労働者や職人、下っぱの勤め人だ。俺は前線に来るまで、フランス人なんか一度だって見たことがない。向こうのフランス兵だって、俺たちと同じことだろう。奴らだって、俺たちと同じように、何がなんだかさっぱり知りゃしねえんだ。つまり、無我夢中で俺たちも奴らも戦争に引っぱり出された」
 「これは、戦争でトクをする人間がいるからにう違えねえな」
 「それに、将軍たちだって有名になる。戦争のおかげだ」
 「そうか、戦争の裏には、戦争でトクしようと思ってる奴が隠れてるんだな」
 僕らが兵士になったのは、感激と善良なる意思によってだ。けれども、兵士になって受けた訓練によって、僕らは心の中から、そんなものを追い出すように、あらゆる迫害を受けた。
 僕らは、戦争のおかげで、何をやろうとしてもダメにされちゃった。僕らは、もう青年ではなくなった。世界を席巻しようという意思はなくなった。僕らは世界から逃避しようとしている。
僕らは18歳だった。僕らは、仕事と努力と進歩というものから、まったく遮断されてしまった。僕らは、もうそんなものを信じてはいない。信じられるものは、ただ戦争あるのみだ。
 僕らは波に圧倒された。この波は、僕らを乗せて、僕らを残酷にし、追いはぎをさせ、人殺しをさせ、悪魔にする。
 僕らはお互いに対する感情を一切失ってしまった。僕らは他人から見ると、誰がなんだか分からなくなっている。僕らは、まったく感情のない死人になっていた。それが魔術によって、危険な魔法によって、なお走り、かつ人を殺すことが出来るのだ。
 レマルクがこの本をドイツで出版したのは1929(昭和4)年1月のこと。そして、同年のうちに日本で訳書が刊行された。これって、すごいですよね。でも、残念なことに日本は軍部ファシズム体制をつきすすんでいって破滅を迎えてしまいました。
 400頁ほどの文庫本ですが、訳文がとても読みやすくて、スイスイと、重たい内容の割には読めました。戦争の非人間的な本質を分かりやすく暴いている古典小説です。改めての一読をおすすめします。
(2023年9月刊。850円+税)

戦国日本と大航海時代

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 平川 新 、 出版 中公新書
 本のオビに日本はなぜ「世界最強」スペインの植民地にならなかったのか、という問いかけがなされています。日本もフィリピンのようにヨーロッパ列強のどこかの植民地になる可能性(危険)はあった。なるほど、考えてみれば、そうですよね。
 1608年、フィリピン総督としてロドリゴ・デ・ビベロが着任した。ビベロは、着任早々、江戸湾の浦賀にスペイン船を渡航させ、将軍秀忠と大御所家康に書状を送った。
 ビベロは、日本征服を企国していた。そのためにはキリスト教の布教が必要であり、その布教のためには貿易が必要だと考えていた。
 家康はビベロに対して銀の精錬技術をもった鉱山技師50人をメキシコから派遣してほしいと要請した。これに対して、ビベロは、スペイン船とスペイン人を保護せよというだけでなく、スペイン人が発見して採掘した鉱石の4分の3はスペインのものにする、スペイン人に治外法権を与えよと要求した。うむむ、すごい要求です。家康は応じませんでした。
 日本に武力によって進入するのは困難だとビベロは考えた。なぜなら、住民が多数いて、城郭も堅固。日本人は弓・矢・槍や刀を有し、長銃を巧妙に使う。そのうえ、スペイン人と同じように勇敢なだけでなく、議論と理解の能力においてもこれに劣ることはない。
 メキシコ先住民はいとも簡単に屈服させることができたが、日本人には知性もあり軍事力もあるので征服は困難だと判断した。このフィリピン総督(ビベロ)は、日本滞在中に江戸、駿府、京都、大阪、豊後臼杵などを見てまわっており、要害堅固な城郭に驚嘆していたし、日本が秀吉時代に2度も朝鮮出兵していたことも知っていた。
 その前、イエズス会士(ヴァリニャーノ)の報告書(1582年)にも、日本人は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だとしていた。織田信長と大名たちとの実際の戦闘も見て、日本人の戦闘力の高さを認識していたと思われる。
 イエズス会宣教師は、日本人を奴隷として海外に送り出す奴隷貿易に関与していた。ポルトガル商人の購入した日本人が合法的に奴隷身分とされることを保証するために、宣教師は奴隷交易許可状を発給していた。
 奴隷商人とイエズス会は明らかになれあっていた。何度も奴隷禁止令が出されているが、このことは、逆に言うと奴隷貿易が続いていたことを意味している。日本の奴隷市場は、ポルトガル商人にとってきわめて巨利をもたらすものだった。
 秀吉による朝鮮出兵は、失敗したとはいえ、スペイン勢力に対して日本の軍事力の強大さを否応なく知らせることになった。早く日本を征服してしまえと威勢のよかったフィリピン総督や宣教師たち、世界最強を自負するスペイン人の心胆を寒からしめる効果を発揮した。
 1617年に平戸から出帆したオランダ船の積み荷の88%は中国船等からの捕獲品であり、日本調達は12%にすぎない。オランダは洋上で略奪した物資を平戸へ搬入して日本へ売り込み、また東南アジアへも転送して巨利をあげていた。オランダは海賊をもって交易を成り立たせていた。いやはや、そうだったのですか…。知りませんでした。
 1611(慶長16)年5月、ビスカイノは長銃・小銃、国旗・王旗と太鼓をもった30人の部下を従えて浦賀から江戸に向かった。そして、このスペイン使節の前後には4000人の日本兵が護衛した。このようにして世界最強の国スペインから派遣された国王使節として将軍秀忠と会見した。
スペインと家康・秀忠との関係など、まったく知らないことがたくさん書かれていました。
(2022年12月刊。990円)

韓国の国防政策

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 伊藤 弘太郎 、 出版 勁草書房
 韓国の国防費は日本の防衛費を追い抜き、世界第9位となっている。
 2017年5月に発足した文在寅政権の下で、それまで9年間の保守政権よりも高い年平均6.5%の増加率で国防費を増やした。
 2022年の国防費は、前年より4.4%増の54兆6112億ウォンであり、任期中だけで3割も国防費が増加している。2025年には、日本の防衛費の1.5倍に広がる可能性がある。
 文在寅大統領は、「誰からもみくびられない安保態勢を整える」と演説した(2019年10月1日)。
 韓国製の軍装備品の海外輸出額は、李明博政権から急増し、廬武鉉政権期の2006年に2.5億ドルであったのが、10年後の朴槿恵政権期の2016年には10倍の25億ドルにまで到達した。
 韓国の防衛産業の海外への輸出額は2006年に2億ドル、2008年に10億ドル台、2011年に20億ドル台、2013年には30億ドル台に到達した。つまりわずか10年で15倍となった。2014年には36億ドルとなった。
 文在寅政権以前は、防衛産業をめぐる不正が常に存在した。
防衛装備品の海外輸出は、単なる経済的利益にとどまらず、同家の威信をかけ技術力を結集させて、防衛産業業界だけではなく、経済界全体に技術革新の促進効果が滅小することを期待する。
 韓国の防衛装備品は、基本的に民間企業によって生産・販売されているが、歴史的にみると、装備品の開発や輸出は官主導で行われてきた。
 韓国防衛産業界は、財閥系企業であるハンファやLIGネクスワン(LG系)などの大企業と、その他中小企業の2つに分けることができる。サポートする行政組織は主に防衛事業庁である。そして、大企業は車両や艦艇などの防衛装備品そのものを製品として扱うことが多いのに対して、中小企業は主に装備品の部品や素材を扱っている。
 韓国の防衛産業の躍進を支えているのは、官主導による官民軍が一体となった海外セールスへの果敢な挑戦である。
 北欧諸国は、韓国製K-9自走榴弾砲を積極的に導入している。フィリピンは韓国製練習機T‐50を攻撃型に改造したFA-50軽攻撃機を導入した。
 インドネシアもT‐50に加え、韓国製潜水艦を購入し、現在は、韓国の次期戦闘機KF-21を共同開発している。インドは、韓国製のK-9自走榴弾砲を装備した。
 また、韓国はオーストラリアからK-9自走榴弾砲の受注を獲得した。
 しかしながら、2020年の各部品の国産化率は全体で76%、航空部門の装備品では53%である。T‐50の部分の国産化率では61%である。
韓国は世界11位の経済規模をもつ国家としての自信をもち始めている。
 私が不思議でならないのは、韓国にはいくつもの原発(原子力発電所)があることです。北朝鮮の脅威を本気で心配しているのなら、絶対にありえないことです。ちょっとしたミサイルが原発に撃ち込まれたら、それこそ韓国は破滅してしまいますよね(もちろん、日本も同じことが言えます)。
 この原発の存在と国防政策との矛盾に触れない「韓国の国防政策」なるものは、私にとっては単なる絵空事でしかありません。本書は、この点について触れていませんので、本のタイトルに私は違和感がありました。どうなんでしょうか…。
(2023年11月刊。3600円+税)

私はさよならを言わなかった

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 クロディーヌ・ヴェグ 、 出版 吉田書店
 ホロコーストの中を生きのびた子どもたちが大人になって語った17の物語が集められています。いずれも深く心を打つ内容です。語り尽くせないものを感じさせられました。
心の奥底には今でも恐怖が残っている。ユダヤ人でいれば、とんでもない災厄を受けてしまう。
 ユダヤ人でなかったなら、両親は強制収容所なんかに移送されなかっただろう。僕も他の子どもと同じように暮らしていたはず。ユダヤ人なんて、もうたくさん。
 私は信仰を持っていないし、神を信じることができない。宗教に反発している。でも、私には、そんなことを考える資格すらない。だって、私は助かったし、強制収容所へ移送もされなかったから。
 子どもたちは両親の死を悼(いた)めなくなるという運命を背負っている。だからこそ、子どもたちの古傷は、決して癒(い)えることがない。
 強制収容所において被収容者たちの肉体と精神に加えられた拷問は、彼らを無気力な人間に変えてしまった。彼らは絶え間なく恥辱を被り、嘲弄(ちょうろう)と愚弄(ぐろう)とサディズムの的(まと)になり、まさに弄(もてあそ)ばれていた。
 父は愚か者でなかったし、だまされやすい男でもなかった。でも、父は家族を守るために、警察署へ出かけていった。父が警察署に出頭しなければ、家族に制裁が下ることになっていたから。そして、父はそれきり戻ってこなかった。
 孤児として残された者たちの大多数は、過去に決して近づかない。これはタブーだ。彼らは過去が語れない。過去を話さないということは、それを消し去ることではない。むしろ反対に、過去を共有できない秘密のように扱いながら、自己のもっとも深い場所で、それを守り続けていくことなんだ。
 彼らは3歳から13歳だった。
 ドイツでもナチスを賛美しようとする動きが起きたりしていますが、それを止めさせようとする大きな動きがうねりとなっています。ひるがえって日本では公然と差別的言辞を言いふらす自民党の国家議員が相変わらずのさばり、岸田首相は辞めさせようともしません。
 ヘイト・スピーチの根を絶つ動きが大きなうねりになっているとは、日本はドイツと違って残念ながら言えません。でもでも、あきらめるわけにはいきません。
 理不尽な差別はたとえ小さくても見逃さないこと、そのことを痛感させる本でもありました。
(2023年11月刊。2700円+税)

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