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白雲の彼方へ

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 山上 藤吾、 出版 光文社
 幕末の掛川城(今の静岡県)における尊王派と攘夷派との抗争を背景とした時代小説です。アメリカのペリーが来て、ロシアのプチャーチンがやって来たころ、1854年(嘉永7年)のことです。
 ロシアの地に渡った日本人、橘耕斎は、和露辞書を発刊した(1857年、安政4年)。ロシアに着く前から、伊豆の戸田でロシア語を自由に話していたようです。大したものです。
 耕斎は、明治7年(1874年)に日本に帰国し、明治18年(1885年)に亡くなりました。
 私は、今から40年も前の大学1年生のとき、伊豆の戸田(とだ、ではなく、へだ、と呼びます)に行きました。なぜか、大学の寮がそこにあったのです。海岸に無数の夜光虫がいました。夜、海岸を裸足で歩くと、足跡が青白く光るのです。不気味というより、幻想的な光景でした。
 その戸田で、難破したロシアの水兵たちが本国へ帰るため足止めをくい、日本の船大工が見よう見まねで外国船をつくりあげていったのです。橘耕斎は、そこに派遣されて、ロシア語を習得しました。
 読み物に仕立て上げた著者の筆力に感心・感嘆しました。これが新人の作品とは恐れ入りました、という作家の評が載っていますが、私もまったく同感です。まさに、後世、恐るべしです。こんな本に出会うと、小説を読む楽しみがあります。でも、私は、こんな本を書きたいのです。読む人の魂を揺さぶってやまないような本をぜひ書いてみたいと思っています。
 
(2009年2月刊。1500円+税)

西太后の不老術

カテゴリー:人間

著者 宮原 桂、 出版 新潮新書
 高麗人参は現在、そのほとんどが栽培物である。収穫するまでに6、7年かかるうえに、畑の養分を全部吸収してしまうため、収穫後の数年間は畑を休ませる必要がある。そのため、栽培物であっても高価である。野生種となると、栽培物の50~100倍の値がつく貴重品だ。
清朝の皇帝のうち、乾隆帝の長寿の秘訣は「参麦飲」にあった。高麗人参と麦門冬(ばくもんどう)という二つの生薬(しょうやく)から構成されていた。高麗人参は「百草の王」とも呼ばれ、清代には、良質なものは同量の黄金の値を上回った。す、すごいですね、これって。
西太后は、日頃から高麗人参の切れはしをそのまましゃぶっていた。高麗人参には、消化器系と呼吸器系を補強するだけでなく、血圧調節作用もある。
 高麗人参は、ウコギ科オタネニンジンの肥大根で、その効能は元気を補い、消化器系を健やかにし、からだを潤し、精神を安定させ、思惟活動を活性化する、つまり幅広くからだを助ける。
 ストレスにもめげず74歳まで長生きした西太后の食生活を、カルテなどをもとに追究した本です。不老長寿とまではいかなかったわけですが、滋養強壮力の強い生薬を用いた薬膳料理を好んだのでした。
 私も、実は20年来、高麗人参酒を愛飲しています。おちょこで一杯のむのが毎晩の楽しみです。
 
(2009年3月刊。1100円+税)

疑心…隠蔽捜査3

カテゴリー:警察

著者 今野 敏、 出版 新潮社
 キャリア組で降格処分を受けて警察署長になった主人公が、アメリカ大統領が来るときの方面警備本部長に任命されます。本来、一署長がそんな地位につくはずがないのです。なにかの間違いだと問い合わせても、その通りだという答えしか返ってきません。何か重大な失策をやらかせて、追い落としを図る陰謀ではないのか……。
 うまいですねえ。実に気を惹く出だしです。
 警備本部には、いくつかの等級がある。最高位は、最高警備本部。国家に甚大な影響を及ぼす恐れがある事柄を警戒し、防止するためのもの。警察庁内に置かれ、本部長は警察庁長官ないし次長がつとめる。
 次に、総合警備本部。警備事案を担当する警察本部に置かれる。本部長は警視総監か道府県本部長が任命される。
 その下が、特設警備本部と特別警備本部。「特設」は国宝の保護とか群集に対する警備を扱う。本部長は警察庁警備局の警備課長が理事官。「特別」は、日米合同演習などの特別な場合に設置する。本部長は警視長が担当する。
 方面警備本部は場所を一定の区域に限定して設置する。本部長は警視正。
一番下が、管内警備本部。これは警察署長単位の警備態勢。範囲は署の管内のみ。本部長は、署長か課長。
 この本では、キャリア組の警察官僚がお互いに拮抗しながら動き回る様子が描かれ、また、下積みの刑事の苦労がそれを支えていることも明らかにしています。と同時に、キャリア組の署長がついつい「不倫」願望のような、人間らしい悩みにはまって泥沼をはいずりまわる心理状態を追い続けていますので、読み手に人生の深い淵をのぞかせる気にさせてくれます。そこらあたりの人情の機微は、見事なものです。
 アメリカの大統領を守るためのシークレットサービスが先発隊としてやってきて、日本の警察を思うように動かそうとして、あつれきが発生します。おそらく、こういうことも起きるんだろうな、と思わせる描写です。
 心理描写にも優れた警察小説として、一気に読み上げました。
(2009年4月刊。1500円+税)

幕末史

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 半藤 一利、 出版 新潮社
 まるで漫談を聴いているような面白さです。博識の著者が、市民向け講座で12回に渡ってしゃべったものが文章となっていますので、とても語り口は平易ですし、エピソードが豊富に語られていて、ついつい身を乗り出して聞きほれてしまいます。なるほど、なるほど、そうだったのか、ちっとも知らなかった。何度も膝を叩きながら、うなずかされたことでした。
 たとえば、幕末の志士たちが「皇国」という言葉を使ったとき、そこには現代日本の私たちが常識的に考えるような、天皇というものを意識したものではなく、単に、徳川幕府ではなく朝廷が支配する日本、というくらいの意味でしかなかった。
 幕末の日本人が天皇中心の皇国日本という考え方で国づくりを始めたとか、その先頭に立った明治天皇は偉大なる天皇であり、明治維新は天皇の尊い意志を推戴(すいたい)して成し遂げた大事業であるという意識は、当時、まったくなかった。
 坂本龍馬を暗殺したのは、見廻組の人間だったが、その黒幕は薩摩藩だったという見解が語られています。このとき、薩摩藩は武力によって権力を得ようとしていたので、武力討幕に反対していた龍馬が邪魔になっていた。それで、暗殺の当日に京都入りした大久保利通が、龍馬の居所を教えたというのです。本当でしょうか……。
 ペリーが浦賀にきたころ、日本人はオランダの通報によってアメリカが江戸を目ざしてやってくることは知っていた。そして、そのころ、中国がアヘン戦争で大敗して香港などをイギリスから取られていたことを知っていた。そうなんです。日本人は、決して、鎖国していたので世界の動静はまったく知らない、なんていうのではなかったのです。
 そして、ペリーのほうも日本についての本をよく読んで、研究してやってきていました。居丈高に出て日本人の鼻をへし折ってやればいいと考えて、そのとおり実行して成果を上げることができたのでした。
 文久2年(1862年)、島津久光は薩摩藩士1000人の軍勢とともに大砲を引っ張りながら勅使護衛の名目で江戸に入った。このとき、朝廷側の要求を結局、全部、幕府にのませて帰る途上で、有名な生麦事件が起きたのです。イギリスは英貨10万ポンドの賠償金を要求しました。
 これに対して老中格の小笠原長行(ながみち)が無断で、その10万ポンドをイギリスに支払った。今なら160億円にのぼる巨額の賠償金である。うひゃあ、す、すごーい。
 賠償金といえば、長州が四国連合艦隊と戦って負けたときの賠償金は300万ドルだった。50万ドルを6回に分けて払うことになり、徳川幕府が潰れたあと、明治政府が明治7年までかけて残り半分の150万ドルを支払った。そ、そうなんですか。屈辱的な賠償額ですよね。
 徳川幕府最後の将軍だった慶喜は32歳だった。朝令暮改、腰の定まらないことおびただしい人物だった。勝海舟は西郷隆盛との江戸城明け渡しの交渉がうまくいかなかったときには、慶喜をイギリスの舟に乗せて亡命させることを考えていた。
 知れば知るほど面白いのが日本史です。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

がん哲学外来入門

カテゴリー:人間

著者 樋野 興夫、 出版 毎日新聞社
 今日、日本国民の2人に1人はがんにかかり、3人に1人はがんで死んでいる。2006年の死者は33万人。これは秋田県や大津市の人口に匹敵する。うひゃー、すごいです。
 ただし、がんになった人の約半数が治る時代になった。ああ、よかったです。
 がん細胞は、正常な細胞ががん細胞に変化(がん化)したもの。ウィルスはがんのトリガー(引き金)の役回りではある。がんは感染しない。ふむふむ、なるほどです。
 正常細胞を試験管の中で培養しようとしても、長く生きることはできない。細胞分裂を50回ほど繰り返したら、その先は増えない。ところが、がん細胞は、人間の体内と同じ37度の環境をつくり、それなりの栄養補給をすれば、永遠に生き続ける。現に、1951年に亡くなった人のがん細胞が、今なお培養液の中で生きている。な、なんと、すごい、すごい。
 がん細胞は飢餓状態に弱い。がん細胞は熱に弱い。1センチのがん組織の中に、がん細胞は10の9乗個、10億個もある。がんの初期の成長スピードは、おそろしく緩慢で、死につながる一人前のがんになるまで10~20年かかる。む、む、む。ヒトはがんと共存しているんですね。そうと分かれば、共存共栄とはいかないものでしょうかね・・・。
 日本では、がん治療の70%以上が外科手術。もう一つの治療の柱である放射線治療は25%程度で、欧米に比べてかなり低い。そうなんですか……。
 遺伝性がんは5%、食生活など環境因子によるがんが70%。原因を特定できないがんが25%となっている。だから、遺伝との因果関係に悩む必要はない。なるほど、ですね。
 日本人のがん患者の3割が、生きる希望を失って、うつ的症状を呈す。うつ病ではない。そこで、著者は、内村鑑三の次の言葉をがん患者に贈ります。
 勇ましい、高尚な生涯。つまり、善のために戦う、真面目な生涯そのものが、もっとも尊く価値のあるもの。あなたには、死ぬという大切な仕事が残っている。どんな人にも、死は最後の大舞台なのである。がんは最期まで頭が働き続ける病なのだから、自らの手で「大切な仕事」を成就して終えてもらわなければならないのだ。
 いやあ、そう言われると、そういうものなんでしょうが……。まだ、もう一つ、そこまでの悟りはとても開けませんね。
 できれば、天寿と思われる年齢に達したころ、がんで死ぬ。これが理想だ。なるほど、この点はよく分かりました。がん哲学外来という、耳慣れないものをはじめた著者の話は、傾聴に値するものと思います。
(2009年1月刊。1700円+税)

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