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深海魚

カテゴリー:生物

著者 尼岡 邦夫、 出版 ブックマン社
 深海にすむ魚たちの、グロテスクとしか言いようのない姿と形を、しっかり堪能できる大判の写真集です。暗黒街のモンスターたち、というサブタイトルがぴったりです。
 深海魚の多くは発光器を身に着けている。なかには、肝門から発光液を出す魚もいる。これを塗って餌で魚を釣る漁法がポルトガルやインドネシアにあるそうです。面白いものですね。
 体内に発光器をもっている魚は、発光細胞内でのルシフェリンとルシフェラーゼの化学反応で発光する。ヒレの先端が光ったり、ヒゲが光ったりと、発光する場所はいろいろあります。しっぽの先が光ったりもするのです。
 長い柄の先に目が付いていたり、長い長い腸を体外にぶら下げていたり(消化と吸収の効率を高めるためとのこと)、なんとも奇妙な形の深海魚たちのオンパレードです。
 でも、もっとも悲しいのは、メス魚に寄生して一生を終わる哀れなオス魚です。大きなメスにくっついた小さな付属物としてしか存在しえないのです。ここまでくると、哀れというより、悲惨としか言いようがありません。
 スイスでは、今回は高級料理店はやめて、町なかのレストランに入ってスパゲッティやピザを食べるのがほとんどでした。町の広場に張り出したテラスで、道行く人たちを眺めながら(眺められながら)、ゆっくり赤ワインを味わいました。私はビールはやめました。シシリー島産の赤ワインの渋みのある重厚な味が一番印象深く残っています。
 
(2009年6月刊。3619円+税)

なぜ年を取ると時間の経つのが速くなるのか

カテゴリー:人間

著者 ダウェ・ドラーイスマ、 出版 講談社
 人間の一番古い記憶は、反復と決まった型が背景になければならないが、これは3歳より前には起こらない。幼児期健忘は、ハードウェアの欠陥が原因なのではなく、プログラム、つまりソフトウェアの問題なのである。 一番古い記憶は、その人のアイデンティティの獲得と関係している。
子どもは、実年齢に関係なく、18か月の精神レベルに達すると、「私」としての自分自身を理解するようになる。
 匂いほど、突然に自分の思考の流れを止める刺激はない。
 感情が高ぶると、通常より短時間のうちにより多くの詳細を貯蔵せよという命令が脳に下される。
 既視感(デジャヴュ)について、左右2つの脳半球の存在から証明されています。
 2つの映像の時差は、ほんの一瞬。既視感において2度目だと感じるのも無理はない。2つの脳半球は交替で活動する。一方の脳半球が活動しはじめていても、他方の脳半球がまだ休止していないと、一種の「2重像」が現れる。現在の像のなかで、休止状態に入りつつある他方の脳半球の像が明滅し続けるので、まるで同じことを2度経験しているように見えるのだ。
 既視感は3つの錯覚をともなう。一つは、思い出のように感じるが、実際はそうではないというもの。二つは、これから何か起きるのか知っているような気がすること。三つには、漠然とした不安をかきたてられるというもの。これらの錯覚が心に混乱を招く。
 ほとんどの自分史に共通する特徴がある。つまり、語り手は、自分史をできるだけ筋の通ったものにしようとする。
 高齢者に思い出を語ってもらったところ、50歳から80歳までを全部あわせた期間の出来事よりも、10歳から20歳までのあいだの出来事のほうがずっと多く語られた。自伝的記憶と自叙伝に共通しているのは、そのなかにある思い出がテーマ・動機・話の筋に適合していること。それらは一つの発展の要素として、少しずつ現れる。自分や他人に向けて話す想い出話は、「公」に向けられているので、もはや出来事そのものではない。
 老人は若いころの思い出に自分自身を書き込んでいくのだ。
 人生が変化に富んでいるときには、記憶の標識の数が多い。年齢の高い人の方が、20代のころの出来事を比較的楽に思い出せるのは、利用できる時間標識がその期間に非常に多いことの結果である。
 時間標識は、期間や日付を記すだけでなく、老年期に夢想をも生じさせる。
 たくさんの思い出の詰まった期間は、振り返ってみたときに伸びるだろうし、思い出がほとんどない同じ長さの期間より長く続いていたように感じられる。逆にいうと、中年以降には時間標識の数が少なくなるので、そうした空白時期では、時間は主観的に速く過ぎるのだろう。
 時間を測る能力は、年齢とともに上昇し、20歳でピークに達し、その後は下降していく。高齢者の能力は幼児のレベルにまで低下する。
 何かをしていて忙しいときには、時間がかなり速く過ぎる。
 老齢とともに、人間はだんだん、ゆっくりと時を刻む昔の旅行用携帯時計になっていく。体内のメトロノームが減速していくために、外界のほうが加速しているように思えてくる。
 客観的な原則が主観的な加速を生み出す。体内時計の速度が一定の役割を果たす。体内時計のほうは、老人よりも若者の体内の方が速く動く。だから、子どものころの日々はとても長かったのに、年をとると時間は驚くほど速く過ぎていくことになる。
 また一つの解を得ました。でも、ということは、日々の生活を充実させるしかないということなんですね。
 
(2009年5月刊。2400円+税)

憎悪の世紀(上巻)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ニーアル・ファーガン、 出版 早川書房
 1925年ころのドイツでは、人口はドイツの100に対してユダヤ人は1にも満たなかったが、医師の9人に1人、弁護士の6人に1人がユダヤ人だった。富裕層の31%もユダヤ人だ。ユダヤ人が少ないのは、軍の将校団のみ。
 ロシアの革命運動においてユダヤ人は存在感があった。ボルシェヴィキの11%、メンシェヴィキの23%をユダヤ人が占めていた。ロシアの総人口に占めるユダヤ人の割合は4%だったが、国会議員の29%がユダヤ人だった。そして、ロシア社会主義者のうち、9割近くはユダヤ人だった。ただし、ボルシェヴィキ指導者のうち、トロツキーとジェルジンスキーの2人だけがユダヤ人だった。
 1900年から1913年にかけて、ヨーロッパでは40人もの国家元首、政治家、外交官が殺された。国王4人、首相6人、大統領3人。うへーっ、そうだったんですか……。
 19世紀、ヨーロッパの王室は、みな互いに親戚関係にあった。ヨーロッパの王室は、すべて純粋のヨーロッパ人である。新しい血が時折入らなければ、一族の血統は、身体的にも道徳的にも変質してしまう。現に血友病が発生した。しかし、ナショナリズムに対抗するため、大陸の支配層は意図的に近親結婚を繰り返していた。
 王室外交は、まぎれもなく親族の集まりであり、拡散したメンバーは、互いに愛情をこめてニックネームで呼び合った。このシステムは、各王朝のメンバーが互いに結婚し続けることによってのみ存続できる。結婚は、同族である王室メンバーとのものであることが原則であり、その例外は非常に限られていた。
 スターリンの統治下で、あわせて1800万人もの老若男女が収容所に送り込まれた。流刑になった600~700万人のソ連市民をふくめると、労働の使役に駆り出された国民は全体の15%にも上った。この収容所の本来の目的は、囚人を始末することではなかった。ソ連の収容所は、囚人を労働力として利用するためのものであって、殺すことが目的ではなかった。その意味でナチスの収容所のような絶滅収容所ではなかった。
 1935年1月から1941年6月までに、2000万人が逮捕され、少なくとも700万人が処刑された。1936年1月の時点で、コミンテルンの執行委員は394人いた。うち223人が1938年4月までにスターリンの大粛清の犠牲になった。
 ヒトラーは、チャップリンが演じた人物より、ずっと複雑怪奇な人物だった。ヒトラーは憎しみのかたまりで、愛を知らなかった。
 ヒトラーは救世主の生まれ変わりであり、マレーネ・ディートリッヒと同類だとドイツの民衆に印象付けられた。
 ナチスはドイツのあらゆる地域で広範な支持を集めた。地方の共産党のなかには、資本主義と社会民主党を打倒するためと称して、公然とナチスと手を結ぶグループさえあった。
 ナチスは弁護士や医師などの知識人たちも入党した。ヒトラーはビスマルクの後継者にうつったからである。
 ヒトラーが首相になったころ、ドイツに600万人もの失業者がいた。ところが、1935年6月には失業者は200万人弱になり、1937年4月には100万人を割り、1939年8月にはわずか3万人ほどになってしまった。1935年から39年にかけては、強制収容所より休暇を楽しむ施設のほうがずっと多く、ドイツは好景気にわいていた。
 1939年の時点で16万4000人のユダヤ人がドイツにいたが、うち1万5000人は異民族の相手と結婚していた。ドイツ系ユダヤ人はドイツ社会に同化していたのである。
 世界史を理解するために知っておくべき基本的な知識が次々に語られています。
 上巻だけで500頁近い大作で、いかにも読み応えがありました。
 スイスのサンモリッツからポストバスに乗ってイタリアのルガーノまで行きました。バスで4時間の旅です。途中の休憩は1回だけです。急峻な山道を九十九折で降りて行くのは怖いほどでした。山の中の小さい村の中をいくつも通過します。狭い路地を走りました。湖が見えます。阿蘇の外輪山のように屹立した山々を横目で見ながら走ります。湖畔の狭い道を離合するときには、車体をこすり合うほどでした。4時間以上たっぷりバスに乗って、自信をつけることもできました。
 
(2007年12月刊。2800円+税)

デンマークの高齢者が世界一幸せなわけ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 澤渡夏代ブラント、 出版 大月書店
 日本の団塊世代は700万人。デンマークの総人口はそれより少なくて545万人。デンマークの面積は九州と同じくらい。
 デンマークは、65歳から公的年金を受け取れるが、その前の60~64歳を対象とした準給与制度があるため、早目に退職する人が少なくない。毎年、15万人もの人が65歳を待たずに60~62歳で退職している。
 デンマークでは同じ屋根の下に複数の世代が同居することはまずない。お互いに独立して生活するのが自然だという考えが定着している。
 デンマークには、退職金という制度はない。老後は、それまでの生活レベルを維持できるだけの年金が支払われる。医療費もタダ。
 デンマークの女性の就労率は72%と高い。女性も1983年に納税する義務と権利を得て、経済的自立意識がさらに強まった。
 小学校から大学まで、すべての教育費は公費でまかなわれている。18歳以上で教育を受けている者には、返済義務のない学生援助金という生活費が支給される。デンマークの若者は、自立できる条件がどの国よりも整備されている。
 デンマークの若者は、向学心と適応力さえあれば、親の収入に関係なく、教育を受けることができる。
 デンマークでは、医療は公的医療が支えてくれるので、国民は病気になったときのことを心配して貯蓄しておく必要がない。介護も、ヘルパーや訪問看護が無料で支えてくれる。
 収入源が国民年金だけの高齢者は、自治体に対して暖房費の援助、メガネ、補聴器、薬品への援助ないし無料支給を申し込むことができる。
 デンマークでは、大型老人ホームは禁止されている。1988年の高齢者住宅法は、施設主義を排除した。1人1室、賃貸契約で完全な個人の住居に住む。室内にはトイレ・シャワーが完備されており、共同リビングのドアを開ければ、ケアスタッフがいる。入居のための待機期間は、平均して2か月。デンマークの元首相が、86歳になってプライエム(介護付き住宅)に入ったことが、デンマークの新聞で報道された。それほど、定着している。
 デンマークでは、生活が豊かならばいい仕事につながり、経済もよくなる。日本は、経済が良くなれば人々の生活も豊かになる。
 どちらを選ぶべきでしょうか。政権交代で民主党が政権をとっても、やっぱり経済優先でしょうね。だって民主党も日本経団連にすり寄るばかりで、まともに文句の一つも言えない体質ですから。小選挙区制になった弊害は、日本でも深刻です。やはり、考え方の多様性は国会にも反映すべきです。比例代表制、せめて昔のような中選挙区制にすべきだと私は考えています。
 昨日(10日)午前中にパリから帰ってきました。スイス(サンモリッツ)とイタリア(コモ)で夏休みをとったのです。スイスの森や山は大変よく整備されていて、遊歩道を大勢の人が家族連れで歩いていました。サンモリッツは高地にあり、大きな湖に面した静かな町でとても涼しく気持ちよく過ごすことができました。
 
(2009年3月刊。1700円+税)

御者

カテゴリー:アメリカ

著者 ホルヘ・ブカイ、マルコス・アギニス、 出版 新曜社
 面白い対話集です。アルゼンチンの作家二人が、各地で開いた討論会を編集しています。聴衆参加の対談ライブです。変わった形式ですが、日本ではこんな本はちょっと思いつきません。
 英知とユーモアあふれる対話集とオビに書かれていますが、まさしくそのとおりです。人生とは、いったい何であるのか、さまざまな角度から例証があげられていますが、その大半が爆笑ものです。といっても、笑ってすませるものではありません。腹を抱えて笑いながらも、よくよく考えさせる内容ばかりです。その例証をあげたいところですが、ぜひこの本を読んでみてください。
 ヒトは人間として生まれるのではない。さまざまなプロセスを経て人間になっていくものだ。
 メキシコでは、女性は男性が変わってくれると信じて結婚し、男性は女性が決して変わらないと信じて結婚するといわれている。その、どちらも間違いだ。
 離婚した親を持つ子どもは傷つく。しかし、離婚しないけれど家族という枠の中で不自然な演技をして暮らす両親の下で育った子どもは、神経をすり減らし、不安な気持ちにさせられ、ひどく悪影響を受ける。強い恐怖心、不安、罪悪感、自分に対する怒り、自己信頼の低さ、決断に際する自信の欠如などが生まれる。
 成功者を目ざす人は、フラストレーションに陥らないよう、難易度の低い目標からはじめ、成功体験を積み重ねていくべきだ。
 ヒトを人間にしたのは言語である。言語はたった一つの目的のために出現した。それは他者とのコミュニケーションである。そして、人は何のためにコミュニケーションをとり合うのか。その唯一の理由は愛である。幸せは、人が自分の望んでいる一つひとつのものごとに対して、最善を尽くしていると実感しているときに現れる。人生において何かを試みるとき、極端に常識はずれではない夢を持ち、欲深さからではなく、野心からでもなく、自分の資質の発揮を妨げず、他人と分かち合う可能性を出し惜しみせず、夢を達成しようと、できる限りのことをするような状況に直面している、そんなときに幸せは現れるものである。
 幸せとは歌ではなく、むしろ自分は歌がうたえるという事実を認識することにある。
 探究者の幸せは、道を歩き続けること、日々の暮らしの中で何かを見出そうと試みること、活気溢れる人生を歩き、人生に触れ、そして悩むべきときには悩むことだ。
 油のシミを油で消そう、インクの染みをインクで消そうと考える者は誰もいない。しかし、血の汚れだけは、さらに多くの血によって消し去ろうとする。
 人間は、人間にとっての狼である。人間と比較したら、狼など可愛いもの。なぜなら、狼は敵に傷を負わせたら、そこで戦いを止める。それに引き換え、人間は敵に傷を負わせたとき、相手を殺し、さらし者にするまで戦いを続け、その後、相手の過去さえも中傷する。人間の残酷さは狼を優にしのいでいる。うむむ、なるほど、そうなんですよね。実に鋭い指摘です。
男性も女性も、同じように暴力的であり、また情愛に満ちている。すでに女性の大統領や首相、国務長官も出ている。かといって、それによって世界が目立ってよくなったというわけではない。
 麻薬の依存症に陥ってしまう人には、愛情が不足している。だから、何かに依存することによって、悲しい心の隙間を埋めようとしているのだ。
 大変示唆に富む本でした。『マラーノの武勲』(作品社)の著者のおすすめによって読みましたが、実に示唆に富む良い本に出会うことができました。ありがとうございます。この書評を書き続けている楽しみの一つです。
(2009年6月刊。2800円+税)

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