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記憶に出会う

カテゴリー:中国

著者 大野 のり子、 出版 未来社
 中国黄土高原、紅棗(なつめ)が実る村から。こんなサブタイトルのついた写真集です。中国の辺地を紹介する写真集かなと思って手に取ると、そこはなんと、あの日本軍が三光作戦を展開した地域だったのでした。そこに、私と同じ団塊世代の女性が、単身、現地にでかけて生活しながら、地元の人々の生活と顔写真を撮り続けていたのです。いやはや、すごい勇気です。
 この村にも民兵がいた。民兵は10代後半から20歳くらいの青年で組織され、八路軍を支援した。民兵は武器をもたなかったので、日本軍が来ると隠れるしかなかった。民兵の主な任務は、村人の逃げ道を確保し、八路軍を支援すること。
 女性も婦女隊を結成した。主な仕事は、糸を紡ぎ布を織ること。八路軍が身に着けていたものは、すべて婦女隊が織った粗布だった。
 日本軍と戦って犠牲になった一人の農民兵士の生命の値段は、180元、わずか2700円でしかなかった。
 中国は公式には一人っ子政策をとっているが、農村ではだいたい2人か3人、多いと子どもが5人もいる。罰金を払ってでも子供をつくる。
 中国では子どもが2歳か3歳になって、言葉をしゃべるようになってから名前をつける(起名)のが普通。それまではドンドンとかバンバンとか適当な名前で呼ぶ。
 子どもが12歳になる前に死んだときには、棺にも入れず、服も着せず、裸のまま川に流すか、山や河原に放置して自然のままに任せる。これは、お金のあるなしとは関係ない。
 うむむ、果たして、本当にそうなんでしょうか……?
 日本軍がやってきていたとき、この村では7年間、まるまる7年間、隠れて住み続けた。
 日本人は2、3日に1回、この村にやってきた。その目的は、焼き、殺し、奪い、破壊することだった。
 日本軍は中国軍(八路軍)の倍以上いた。村を包囲し、機関銃で攻撃してきた。ある村人は、日本人と刀による白兵戦となって腕を斬り落とされた。足もやられた。日本軍は強く、八路軍の300人いた部隊は7,8人をのぞいて全滅してしまった。
 1945年夏、日本軍が投降したあと、閻鍚山はひそかに1000人の日本兵を残留させ、八路軍との戦いに参加させた。この中国軍に参加させられた日本兵が「自発的に」中国軍に参加したという不当な扱いを日本政府から受けていることは前に紹介しました。このときの八路軍兵士だった人からの貴重な聞き取りもあります。
 中国のお葬式は、にぎやかにすすめられる。お墓には墓碑というものはなく、土盛りは風雨にさらされて、やがて大地と一体化する。
 私も、敦煌の近くの砂漠地帯で、そのような墓地を見ました。人は土から生まれ、また土に還っていく存在なのですね。
 この村は、中国山西省中部にあります。北京から高速バスで7時間、そして乗り換えたあともバスに乗って、合計14時間ほどの行程のところです。
 焼き尽くし、奪いつくし、殺しつくす。残虐な三光作戦を繰り返した地に、日本人女性が一人で現れたわけですから、地元の拒絶反応はすごいものがありました。それも当然ですよね。自分の身内が殺されているのですからね。それでも次第に村の生活に溶け込んでいくのがすごいです。村の人々の生活と、おだやかな顔写真がよく撮れていました。
(2009年5月刊。1500円+税)

メディア激震

カテゴリー:社会

著者 古賀 純一郎、 出版 NTT出版
 長く共同通信にいて、今は大学教授をしている著者がメディアのあり方について警鐘を乱打している本です。
 マスコミが権力を監視する番犬に徹し、ジャーナリズムが円滑に機能することが民主主義にとって不可欠である。日本のため、世界のため、メディアが本来の任務を忘れずにいてほしい。そしてマスコミがその役割を十二分に果たしているかどうかを監視する番犬に今後はなりたい。
 著者は「あとがき」にこのように書いています。
 フランスのサルコジ大統領は2009年1月、新聞業界への支援策として7000万ユーロを支出することを表明した。18歳になったフランス国民に自分の読みたい新聞を1年間タダで宅配するというもの。該当者はフランス全土に80万人いる。この提案には、フランスのメディア業界がこぞって賛同した。
 日本でも新聞離れがいわれて久しい。若者の新聞購読率の低下は目を覆うばかり。ただし、ブログについては日本は世界一。ケータイでのメール送信は中高生などで日常化している。新聞ではなく、インターネットでのニュース閲覧に推移している。
 ネットの読者は既報記事に触手を動かさない。ネットで読まれているのは「詳報」のページである。
 2008年広告費の実績は、新聞が前年比12.5%減の8276億だったのに対して、ネット広告費は16.3%増の6983億円だった。ちなみに雑誌の広告費は4078億円である。ネット広告は急速にふくらんでいる。広告収入がこのようにネットへのシフトが著しいことから、日本テレビ、テレビ東京、テレビ朝日が軒並み赤字になっている。
 オーストラリア出身のメディア王、ルバート・マードックはイギリスの高級紙「タイムズ」を買収したあと、イギリス最強といわれていた労働組合を木っ端みじんにした。交渉に応じない組合員は全員解雇された。
 その結果、読者・視聴者不在で日本の政権におもねる姿勢で記事・番組が作られるようになった。
 いやあ、これって怖いことですね。先日(8月28日)、福岡で「表現の自由」をテーマとしたシンポジウムが開かれました。東大の高橋哲哉教授はNHKに絶望したと報告されていました。『女性戦犯法廷』について、自民党の圧力に屈したことを反省していないということです。ジャーナリストの原寿雄氏の、ジャーナリズム再生を訴える声に感動しました。マスコミ人には、あきらめることなく頑張ってほしいものです。
 コモに戻って駅から歩いてホテルに向かう途中に、遊覧船乗り場があり、人が群がっています。1時間で戻ってこれる遊覧船があることを窓口に確認してチケットを買いました。
 コモ湖遊覧船には、いくつものタイプがあるようです。なにしろコモ湖は広いのですから、それも当然でしょう。私の乗った遊覧船より大型の船もありましたし、もっと小さい船も出ていました。コモ湖の水面は静かです。岸辺には小さなホテルがいくつもあり、庭のテラスにテーブルが並べてありました。まだ食事の時間には早いので、気持よさそうにお茶を飲んでいる人を見かけるばかりです。
 ボートに乗って、のんびり魚釣りをしている男性、モーターボートに引っ張られながら水上スキーを楽しむ若者がいます。スキーの方は途中でこけてしまいましたが、なんとか這い上がってきました。
 いくつかの波止場で止まると、そのたびに乗客の一部が船を降り、また乗り込んできます。乗ったところに戻るという客だけではないようです。
 出発したときには曇り空だったのが、やがて薄日が射してきて、暑くなりました。風はそれほど強くありません。帽子が欲しいところです。甲板の戦闘の椅子に座って、移り変わる景色に見とれながら風に吹かれた1時間はあっという間に過ぎ、出発地点に戻りました。止まっているホテルは目の前にあります。
(2009年7月刊。2200円+税)

山本周五郎、最後の日

カテゴリー:社会

著者 大河原 英與、 出版 マルジュ社
 山本周五郎は、直木賞はもとより、毎日出版文化賞、文芸春秋読者賞など、すべての受賞を辞退した。
 八百屋や魚屋が、野菜や魚が売れたからと言って、客以外の人間から褒美をもらういわれはない。それと同じじゃないか。
 うーん、ちょっと違う気がするんですけどね……。やっぱり文化って、野菜とか魚とは少し違うんじゃありませんかね。
 周五郎は、戦前のうち、戯曲、少女小説、童話、時代小説、現代小説、推理小説など、広いレパートリーを書いていた。年に平均30編もの長編や中編の作品を書きまくった。仕事が早いし、小説はうまかった。
 山本周五郎は、人が生きる喜びを書くと同時に、その苦しみ、はかなさ、むなしさを描きうる作家だった。周五郎は小説を書くために生まれ、小説を書き尽くせぬままに、その生涯を終えてしまった。
 周五郎にとって、原稿料は、出してくれる雑誌社・新聞社の、自分の仕事に対する信用状みたいなもの。自分はそれを決して裏切らない。だから相手にも、その誠意を要求する。考えているだけの報酬を出さない会社なら、いつでも縁を切る。
前借りの効用は、自分で自分をしばること。貸してくれた会社に対する義務間で自分自身をギリギリまで追い込む、それによって必ず良い作品ができあがる。
 周五郎は、作品は担当編集者との共同作業と考えていた。常に担当者にあらすじを話し、その応答を見ながら作品を作り上げていく。一見すると関係のないような会話でも、担当者の応答は周五郎の中では確実に作品の滋養となっていった。
 周五郎は、担当編集者にこれから書く作品のプロットを話し、それが面白いかつまらないか、担当者の率直な意見を聞こうとするのが常だった。もちろん、担当者としては、そんな小説はつまらないなどとは、口が裂けても言えない。周五郎が本当に面白くなりそうな話ぶりで語るので、つい釣り込まれるようにして「よろしくお願いします」と答えてしまう。
 周五郎は先刻承知のうえ、本当に担当者が興味を持って答えているかどうか、鋭い透視力を駆使して観察していた。
 自分の小説は、ジャーナリズムの条件にしたがって書くのではなく、自分の条件で仕事をする。
 山本周五郎の本は、司法修習生のとき、修習生仲間の庄司さん(現在、石巻市で弁護士)にすすめられて読みはじめ、たちまちトリコになって次々に読みふけりました。あの、なんとも言えない、しっとりした情感がたまりませんでした。心の渇きを大いに癒してくれる本でした。それは、藤沢周平と似ていますが、また少し違うのです。
 スイスに行ったとき、これまではスイス・パスといって、1週間通用するパスを事前に購入していました。初日のスイスの駅で、駅員さんに日付を記入してもらって、その日から1週間使えます。これは駅の窓口でそのつど並ぶ必要がありませんので、その都度、切符を求めて並ぶ必要がありませんので、時間を惜しみたい旅行客には欠かせないものになります。
 ところが、今回は最大1週間の旅行でしたので、手配してくれた旅行代理店が、気を利かせて3日間有効のフレキシーパスを用意していました。これは、連続して3日ではなく、たとえば1週間のうちの3日間だけ使えるというものです。
 スイスでは、フランスでも同じですが、日付の刻印をする機械はあるものの、必ず車掌が検札に来るとは限りません。ですから、検札にあわないと1日もうかることになります。あいにく今回、私は毎回車掌の検札を受けました。すると、ポストバスに乗る前に3日間のフレキシーパスを使い終わってしまったのです。さあ、どうしましょう。ディアヴォレッツァ展望台に行くときに、スイスパスの3日間を使ったわけでした。そこで、サンモリッツの駅に行き、追加料金を支払いたいと申し出たのです。ところが、窓口に座った若い女性は、大丈夫だ、このパスでまだ行けると太鼓判を押してくれました。そんなはずはありません。私が、つたない英語で(フランス語は使うなとその女性から申し渡されていました)繰り返すと、「じゃあ、明日また来てね」というのです。私も、彼女ではダメだと思って、出直すことにしました。
 翌朝、きのうの女性に再びあたったら困るなと思っていると、別の中年男性に当たりました。今度はフランス語でなんとか通じました。彼は、いろいろ調べたあげく、やはり追加料金が必要だということで、料金を提示してくれましたので、言われた金額を支払い、チケットを受け取りました。
 ポストバスに乗るときに1人スイスフランを支払う必要があると日本語で言われていましたが、駅の窓口で支払っていたおかげで、バスに乗るときには支払不要でした。
 フレキシーパスというのは、効率が良すぎて困ることがあるということです。やはり、少々のアソビは必要だと痛感したことでした。
 それにしても、駅員の対応にも質の違いがあるのですね。
 
(2009年6月刊。1800円+税)

フジツボ

カテゴリー:生物

著者 倉谷 うらら、 出版 岩波科学ライブラリー
 海岸にいけば、どこにでもいるフジツボ。岩にしがみつき、へばりついている貝の仲間。そう思っていると、なんとエビ・カニの仲間の甲殻類だというのです。そして、エビのように脱皮しながら成長するというから、驚きです。
 フジツボは、いったん付着面から取れると、貝と違ってくっつき直すことはなく、やがて死んでしまう。フジツボは、自前の殻を作っている。海水中のカルシウムを利用して成長する。フジツボの仲間は、恐竜が現れるはるか前の古生代カンブリア紀中期(5億3000万年前)から存在する。
 フジツボの分布範囲は地球規模。
 フジツボにも、こだわりがある。クジラに付くフジツボは、クジラ以外には断固として付かない。フジツボのペニスは、なんと自分の体長の8倍にまで伸びる。陰茎(ペニス)の先で卵が成熟した他の個体を探知し、ニューッと伸ばす。これによって移動せずとも離れた場所に付着している仲間との交尾が可能になる。
 卵からかえった後、しばらくは海の中を泳ぎまわる。そして、フジツボは、後悔しないよう、くっついてしまう前に、念入りに下調べする。
 フジツボの寿命は、種によってまちまちであるが、1年から長いもので50年にもなる。
 あのダーウィンも、1万ものフジツボの標本を調べて研究し、4巻1200ページの著書を書いた。
 フジツボは、環境汚染を調べる指標生物に、きわめて適している。
 フジツボの生態がたくさんの絵と写真でとても分かりやすく紹介されています。フジツボのたくましい生命力を知ることができました。
 サンモリッツには、セガティーニ美術館があります。ご多分にもれず、ここも昼休みは2時間あります。ですから、夕方は6時まで開いています。
 私は、サンモリッツの町なかからぶらぶらと歩いていきました。ちょっとした森のなかに遊歩道が出来ています。いい気持ちで歩いていると、いつのまにか美術館に到着します。町の中心部から歩いて20分もかかったでしょうか。とても小さな美術館で、暗くて狭い入口でしたので、もう閉館しているのかと心配したほどです。
 ここには画家セガンティーニの作品50点あまりが展示されています。2階の大きな部屋には、3枚の大作があります。自然の採光を取り入れた案内は、ちょっと薄暗いのですが、スイスの景色が、生、死、自然という3部作となっています。生と自然は夕方の景色で、死は総長の光の中で描かれているという対照が、意表をつきます。
 私はフランス語のオーディオ・ガイドに聞き入りました。もちろん、全部を理解することはできません。それでも、何回も同じ解説を聞き直して、なんとか理解できました。やはり習うより慣れろ、です。
 この美術館にいたのは1時間ほどですが、客の多くは日本人でした。すごいですね。日本人って。
 
(2009年6月刊。1500円+税)

ガザの八百屋は今日もからっぽ

カテゴリー:アジア

著者 小林 和香子、 出版 JVCブックレット
 2008年12月27日、イスラエルはガザへ大規模な軍事進攻作戦「鋳られた鉛作戦」を開始した。60機もの爆撃機、軍用ヘリコプター、無人航空機が100発以上の爆弾を50以上の標的に投下した。そして1月3日、地上部隊が侵攻した。
 23日間に及んだ軍事進攻によって、1440人の死者、5380人の負傷者が出た。民間人の死傷者の半数は、女性と子どもたち。国際法で禁止されている白リン弾の使用も、民間人の被害を広げた。3554軒の家屋が被害にあった。避難民2万人以上。難民を支援する国連機関の本部ビルも被害にあった。
 日本国際ボランティアセンター(JVC)は、2002年から、ガザで子どもの栄養改善を中心に活動をすすめてきた。著者は2003年からガザで活動に従事している日本人女性です。すごい勇気です。敬服します。今後とも安全と健康に気をつけてがんばってください。
 ガザの人口は1948年に8万人。その後、20万人の難民が押し寄せ、現在は150万人。その多くは難民キャンプに住んでいる。
 度重なるイスラエルによる軍事侵攻と、厳しい封鎖政策は、ガザに住む人々を援助に依存せざるを得ない状況に追いやった。ガザは、屋根のない「巨大な刑務所」と化した。JVCは、他の国際NGO団体と共同して子どもたちの栄養改善に向けたプロジェクトに取り組んでいる。25の幼稚園の園児2500人に対して、1日1パックの牛乳と1パックの栄養ビスケットを配りはじめ、今では160の幼稚園、2万人の園児を対象としている。
 イスラエルとアラブが平和的に共存できることを私は願っています。どちらにも過激派がいて、相手を軍事的に制圧しようと考えているようですが、やはり武力ではなく、話し合いによって平和的共存の道を採るべきではないでしょうか。
 もちろん、これって、口で言うほど簡単ではないと私も思います。しかし、それしかないと言わざるをえません。 
 
(2009年6月刊。840円+税)

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