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夜中にチョコレートを食べる女性たち

カテゴリー:社会

著者 幕内 秀夫、 出版 講談社
 20代、30代の若い女性に乳癌、子宮癌、卵巣癌、子宮筋腫、子宮内膜症、卵巣のう腫などの病気が増えている。それらの女性は決して肥満体ではなく、見た目の言いスマートな女性に多い。やはり、その原因は食生活にある。もっとも多いのは、きちんとした食事をしないで甘い菓子類で胃袋を満たしているケースだ。
 乳ガンは、食生活の影響が大きい。食生活80%、遺伝20%。アメリカで生活している日系アメリカ人女性が乳ガンになる確率はアメリカ人と比べてほとんど変わらない。
 チョコレートは、もともとドラッグそのものだった。気分を高めたり、高揚感をもたらす、興奮剤としての役割がある。戦争に際して、士気を高めるために兵士に飲ませていた。
 チョコレートの魅力の一つは、テオブロミンという成分にある。これが中枢神経に働くと幸福感をもたらしてくれる。最近、目立つようになったのが夜中にチョコレートを食べる女性たちの一群である。
 生物であることを押し殺すとまではいかないとしても、それを抑えて生きている。その息苦しさを、売春やショッピングではなく、もっと安全で安価な快楽「食べる」という行為に走らせている。乳ガンは結婚している女性よりも、結婚していない修道女に多い。
 女性の高脂肪型食生活の最大の原因はパンの常食にある。食パンはお菓子である。そして、朝食は1日中、体に影響する。
 そこで、著者は一日に2回は白いご飯を食べようと提唱しています。
朝食は、ぜひ、ご飯を食べる習慣をつけてほしい。昼食は、そばやうどんの「ひらがな主食」をすすめる。パン、パスタ、ラーメンなどの「カタカナ主食」は、脂肪過多になりやすいので、すすめない。
 ついでにサラダを買うのもやめる。マヨケソ(マヨネーズ、ケチャップ、ソース)はなるべく使わない。夕食と呼べるのは夜8時までで、そのあとは夜食となる。そのときは、できる限り軽くするしかない。夕食のおかずは野菜を中心とする。
 どうしてもチョコレートを食べるなら、なるべく高級なものにする。少し食べて幸福感を味わうのである。なるほどですね。実はうちの娘も忙しさの余りきちんとした食生活ができず、お菓子で空腹感を紛らわせているといっていました。なるべく町の定食屋さんに行くように言っているのですが…。
 うちの庭には、今、リコリスともいうのでしょうか、淡いクリーム色の曼珠沙華の花が咲いています。色気たっぷりのピンク色の芙蓉の花も元気いっぱいです。
 ナツメの木があまりに高く伸びていましたので、枝の途中から切りました。ついでに、隣のスモークツリー(かすみの木)も切って、天空がすっきりした感じになりました。
 夜が早くなりましたね。6時すぎると暮色が濃くなります。虫の音とともに秋の深まりを感じます。
   (2009年6月刊。1400円+税)

ユダヤ人を救った動物園

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ダイアン・アッカーマン、 出版 亜紀書房
 ポーランドの話です。ユダヤ人を絶滅しようとしたナチスに抗して、ユダヤ人を助けていたポーランド人は多かったのでした。
 1944年の時点で、まだ1万5千人から2万人のユダヤ人が隠れ住んでいた。最高時は2万8千人いた。2万8千人のユダヤ人と、それを助ける7~9万人の市民、3~4千人の恐喝屋その他の悪党がいた。
 潜伏しているユダヤ人は「猫」、その隠れ場は「メリナ」(泥棒の巣)と呼ばれた。メリナが暴かれるのは、「焼かれる」と言った。
 1942年、ゲットーに残された3万5千人のユダヤ人は、商店街のそばの居住区に移され、警備員に見張られて工場へ行き来した。ゲットーのなかには、まだ2~3万人の野生の」(ワイルド)ユダヤ人が隠れ住んでいた。畑を避け、迷路のようなトンネルをくぐって建物から建物へ移動しながら、迷宮のように入り組んだ地下経済を生きていた。
 ポーランドのレジスタンスは、勇気と知恵を奮ってドイツの設備に破壊工作を仕掛け、列車を脱線させ、橋を爆破し、千百種類もの定期刊行物を刷り、ラジオ放送を流し、秘密の高校・大学を開き、10万人の生徒が授業を受けた。ユダヤ人が隠れるのを助け、武器を供給し、爆弾をつくり、ゲシュタポの諜報部員を暗殺し、囚人を救出し、地下演劇を上演し、本を出版し、市民の巧みな抵抗運動を率い、独自の法廷を開き、ロンドンを拠点とする亡命政府との間で伝令をやりとりした。レジスタンスの軍事部門は国内軍と呼ばれ、最多38万人いた。国土は分断され、ポーランドの地下政府は国民生活と同様、混乱してはいたけれども、6年間、立ち止まることなく闘い続けた。
 ポーランドの地下組織の強みは、下意上達しない運営方針と、徹底して仮名・匿名を貫く点にあった。上官の名前を誰も知らなければ、たとえ部下が捕まっても中枢までは危険が及ばない。伝令部隊と非合法の印刷所が皆に情報を流しつづけた。1日に50枚から100枚の偽造文書をつくっていた。出生証明、死亡証明、ナチ親衛隊の下級将校やゲシュタポ士官の証明書まで作った。結局、身分証明書の15%、労働証明書の25%は偽造と思われていた。
 ナチス・ドイツは、ポーランド語を公の場で話すことを禁止した。
 シルクロード探検で名高く、ナチの擁護者でもあったスウェーデン人のスヴェン・ヘデインは、1936年のベルリン・オリンピックではヒトラーと並んで演台に立つほど気に入られていたが、実は曾祖父はユダヤ教のラビだった。これはヒトラーの側近たちも知っていたが、不問に付されている。うひゃあ、ちっとも知りませんでした。
 ワルシャワ市内外の孤児院では、尼僧がユダヤ人の子どもたちを匿っていた。いかにもユダヤ人らしい顔つきの男の子専門の場所もあり、そんな子は頭と顔を包帯でぐるぐる巻きにして、けがをしているように装わせた。
 すごいですね。動物園もユダヤ人を救う地下組織の一つとして機能していたのです。
 
(2009年7月刊。2500円+税)

同期

カテゴリー:警察

著者 今野 敏、 出版 講談社
 同期というのは、有り難いものです。一緒に弁護士になり、2年間の司法研修所生活で苦楽をともにした仲間は、10年経ち、20年経って、30年経っても、会えば、やあやあやあと、顔中の笑顔が湧き出てきます。そんな弁護士もロースクール(法科大学院)になると、かなり様変わりしてしまいました。なにしろ人数が違います。私たちの頃は50人のクラスが10組あって、全部で500人足らず。今や2000人というのですから、同期といっても顔見知りである方が少ないでしょうね。せいぜい実務研修地が同じでないと相互交流も一体感もないと思います。
 この本は、警察官にも強烈な同期意識があることを前提としています。
 私立大学を卒業して警察官になり、初任地研修で同期だった2人のその後をめぐって話は展開していきます。一人は犯罪捜査の第一線にある刑事部に所属した。もう一人は本庁公安部に引っ張られていった。そして、刑事になった主人公がある日、内偵中に公安部に配属された同期生から内定対象者に襲われて危ないところを危機一髪、助けられるのです。
 日本の情報機関の中で一番の力を持っているのは国の組織ではなく、警視庁の公安部だと言われている。つまり、日本のCIAは、公安調査庁でも内閣情報調査室でもなく、警視庁公安部なのだ。警察の中にゼロという組織がある。ゼロは、かつてサクラやチヨダと呼ばれたことがある。警察庁警備局警備企画課にある情報分析室のことだ。日本中の公安情報がここに集約される。
 プロは口を割らないと一般的には考えられているが、それは逆だ。取り調べで黙秘や否認を続けるのは政治的な信念や宗教的な信念を持つ犯罪者だけだ。ヤクザなどは、一番口を割りやすい。
 警察がさまざまな思惑のもとで動いていることを実感させる小説でした。
 この先、どういう展開になるのか期待しながら頁をめくる手がもどかしいほどでした。良くできています。
 これ以上詳しいことは紹介できませんので、最後にオビの言葉です。
 刑事、公安、組対…。それぞれの思惑が交錯する。大きな事案を追いつつ、願いは、ただ同期を救うことだけ。
(2009年7月刊。1600円+税)

市民輝く狛江(こまえ)へ

カテゴリー:社会

著者 矢野 ゆたか、 出版 新日本出版社
 東京都にある人口8万足らずの小さな市で13年間にわたって市長を務めている著者による体験レポートです。大変面白く、うんうんと共感しながら読み進めました。読み終わってさっぱりした爽快感があります。
市長としての気苦労は大変なものがあると思いますが、著者はかなりの楽天家のようです。表紙にある顔写真の屈託のない笑顔がとても素晴らしく惹きつけられます。
 この本を読んで感銘を受けたところは多いのですが、なかでも挨拶についてのこだわりというところはさすがだと思いました。
 政治家として言葉を大切にしてきた。言葉や活字にどれだけ自分の思いを込められるか、言論を通してどれだけ市民に伝えられるか、政治家はここで勝負すべきだと思っている。
 職員の書いた挨拶原稿を棒読みにするのでは市民と市政との溝は埋まらない。挨拶を大事にするため、担当課に下原稿を書いてもらう。これは、その事業の正しい実態をつかみ、職員の見方も念頭に置いて話すためだ。そのうえで自分の言葉に直し、話しやすい流れに書き換え、持ち時間に字数を合わせる。したがって、挨拶原稿は職員との合作で完成する。そして、前の晩に原稿内容を頭に入れ、当日は原稿なしで話す。
 すごいですね。たいしたものです。実は私もなるべくこの矢野方式を実践しています。原稿を書いたうえで、当日は目の前の聴衆の顔を見ながら、即興を交えて話すようにします。もちろん予定時間は厳守します。
 裁判員制度が始まりました。福岡の第一号裁判でも、弁護人は原稿を見ずに、メモを手にすることなく、裁判員に語りかけるように話していったそうです。簡単なようで、とても難しいことです。
 著者は、市長になる前、日本共産党公認の市会議員として6期目に入っていました。ところが、現職市長が突然、賭博で莫大な借金を作ったことを告白し、失踪してしまったのでした。バカラ賭博で40億円もの借金を抱えたというのです。そんな状況で、市民からの要請を受け、投票日の1ヶ月前に出馬表明して、ついに当選したのでした。
 大型公共事業を減らし、生活道路など中小零細業者ができるレベルの事業を増やしたため、市内業者の受注率は上がった。
 狛江は犯罪の発生件数が東京でも一番と言っていいほど少なくなっているそうです。市民による防犯パトロールの成果だということです。しかも、これが市の予算措置はなく、ボランティア活動として続いています。
 多数野党の横暴に抗しつつ初心と政策を貫いていった著者のたくましさには感嘆するばかりでした。同じ団塊世代ですが、私より少しだけ年長です。ぜひ、これからも元気にご活躍ください。
 連休中、久しぶりに近くの山に登りました。しばらくは森のなかを歩きます。薄暗く、ひんやりした空気のなかを歩いていきます。やがて、胸突き八丁の昇り口にさしかかります。急な崖を一気にのぼります。ツクツク法師が鳴いていました。この山はクマこそ出ませんが、イノシシはいます。急に遭遇しないことを願いながら、一歩一歩歩きます。久しぶりに登山靴をはいたので、踵がこすれて痛みがあります。ようやく尾根に出ました。珍しく誰にも会いません。尾根の両側は見晴らしがいいはずなのですが、夏草が高く生い茂っているため、外界を見下ろすことができません。向こうから中年の女性が一人でおりてきました。「絶景を先ほどまで一人占めしていました」とのこと。そうなんです。388メートルの頂上の少し先が、開けた草原になっていて、そこから360度、四方八方が眺められるのです。リュックをおろして、上半身裸になって汗を拭きます。裸のままおにぎりをほおばりました。山上の草原を吹き渡る風の爽快さがなんとも言えません。梅干しのたっぷりはいったおにぎりをかみしめ、紅茶で喉をしめらします。至福のひとときです。
(2009年6月刊。1500円+税)

最高裁判所は変わったか

カテゴリー:司法

著者 滝井 繁男、 出版 岩波書店
 2002年から2006年までの4年間、最高裁判所の判事だった著者が体験をふまえて最高裁の現状を報告しています。弁護士界の中に「過払いバブル」というべき現象が起きていますが、著者は貸金業者の超高金利は支払った債務者へ返すべきだという最高裁判決をリードしました。
 体験記なので語り尽くすというわけにはいかないのでしょうが、それなりに最高裁の内情が伝わってきて一気に面白く読めました。
 最高裁判事になるには、4人の弁護士枠の場合、弁護士会内の推薦手続を経なければなりません。今のところ、一人の例外を除いて東京と大阪で独占しているという問題点があります。
 アメリカみたいに50代で斬新な考えを持った人が最高裁判事になっても良さそうですが、みんな60歳すぎの人ばかりです。それでも、弁護士枠はそれなりに内部手続がありますが、行政や学者の枠となると、まさに当局側による一本釣りでしかありません。
 いま、行政出身の最高裁判事の一人(女性)は大牟田出身です。少しは庶民感覚を持っていることに期待したいものですが…。
 最高裁が国会の定めた法令を違憲としたのは、過去に8件のみ。ただそのうち3件までは2001年以降に出ている。
 最高裁に持ち込まれる民事・上告事件は、年間7000件近い。そのため、一つの小法廷で扱うのも2000件をこえる。このほかに抗告事件もある。
 最高裁には調査官がいて、報告書が作られる。最高裁判事はまず調査官報告書を読む。そのうえで上告理由書を読み検討し必要なときには記録にあたる。
 最高裁の判事が審議するのは、週に1回か2回。小法廷ごとに異なる定例日に開かれる。調査官も同席するが、求められたときのみ発言する。
 主任裁判官は事件ごとに機械的に決まっている。審議室で取り扱うのは、1回3~5件。
 最高裁の法廷で弁論があるのは原判決が変更されるときだという慣例が確立しています。しかし、それは昭和40年代まではなかったということです。
 私も、一般民事事件で2度、最高裁の法廷に立ちました。通行権と交通事故でした。この2件ともなぜ負かされるのか納得できませんでしたので、当日、口頭弁論してみました。書いたものを読み上げるだけの弁護士が多いそうですが、そんなことはしませんでした。とはいっても、話した内容に自信があったわけでもありません。私は法廷で話しながら判事たちの反応をうかがいましたが、悲しいかな何の手応えもありませんでした。ああ、単なるセレモニーなんだなと実感して、悲しくなりました。そのとき大学生として東京にいた息子と娘を傍聴させていましたので、親としては良かったのですが……。
 著者は何回か印象に残る弁論を耳にしたそうです。ともかく、法廷で書いたものを読み上げるだけなんて、最低です。やっぱり聞かせる工夫は必要だと思います。
 刑事事件について、下級審の記録を読んで次のような印象を持ったそうです。
 裁判所には、罪を犯した者は逃してはならないという気持ちが根底に強いのではないか。果たして疑わしきは被告人の利益にという鉄則を考慮していたのか疑わせるものがある…。うむむ、なるほど、これは私の日頃の実感でもあります。
 裁判員裁判に反対する意見の多くは市民を入れることに反対するというものです。しかし、先ほどのような意識の裁判官に全部任せていいものでしょうか。それよりよほど裁判とは無縁だったフツーの市民を交えて議論した方がいいと私は思います。
 このところ、最高裁は利息制限法に絡むものばかりでなく、いろいろ画期的な判決を出して世間の耳目を集めています。かえって、下級審の方が旧態依然の判決を出して失望させることも多いのです。
 司法改革論議に個々の最高裁判事はまったく関与していないというのは、気になりました。
 4年間お疲れ様でした。ぜひ今後ともお元気にご活躍下さい。
(2009年7月刊。2800円+税

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