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大飢饉、室町社会を襲う

カテゴリー:日本史(戦国)

著者 清水 克行、 出版 吉川弘文館
 室町時代の日本人として現代の私たちにもっともポピュラーなのは一休さん(一休宗純)だろう。一休は実在の人物であり、ドクロの杖を持って正月の京の町をねり歩いたり、森侍者という女性との赤裸々な情交を詩によんだり、破天荒な逸話にこと欠かない人物である。そうなんですか、そこまでは知りませんでした。トンチ話だけかと思っていました。
 一休が大きく悟ったのは応永27年(1420年)のこと。このとき応永の大飢饉が起きていた。室町幕府は4代将軍足利義持の時代である。
 応永の大飢饉は、日本中世史において希有な相対的安定期にいた人々を一気に恐怖のドン底に陥れた衝撃的な大災害だった。餓死者が相次ぎ、田畠は荒廃し、都は難民であふれかえって、行き倒れた人々の死臭が市街に充満していた。
 このころ、「風姿花伝」を書いた世阿弥元清(ぜあみもときよ)も活躍した。
 ムクリコクリ。私も子どものころ聞いた○きす。蒙古(ムクリ)と高句麗(コクリ)のことを指す言葉です。得体の知れない恐ろしいもの、という意味で古くから伝わっていました。鎌倉時代の蒙古襲来の恐ろしさは、室町時代になっても人々の記憶に生々しく生きていました。現に、対馬の倭寇を退治するため朝鮮半島から侵攻があったのでした。
 室町時代、京都の米商人たちは、米価を意図的につり上げるため、道路を封鎖し、お米が京都に入らないようにしていた。そのことを、察知した室町幕府は米商人を逮捕し、その主犯格6人を斬首した。
 いつの世の中にも我が身のことしか考えない悪徳商人というのは存在するものなのですね。
 祈雨奉幣(きうほうへい)、止雨奉幣(しうほうへい)。雨乞い、また、晴天祈願のこと。室町時代の70年間、雨乞いの祈雨奉幣は10件、晴天を祈願する止雨奉幣は11件。
 首陽に赴く、とは餓死すること。京都に向かうという意味ではない。中国の首陽山の故事に由来する言葉である。これも知らないものです。いやはや、世の中には知らないことだらけですね。だからこそ、本を読む楽しみがあります。
 中世の人々は、春に多く死んでいた。秋の稲穂を十分に得られなかった中世の人々は、その後、蓄えを食いつぶしながら何とか翌年まで生き続けるものの、初夏の麦の収穫を待ちきれないで、春になると次々に死んでいった。中世は慢性的飢餓状態にあった。うへーっ、そ、そういうことだったのですか…。
 応永という元号は延々35年にも及んだ。それは、改元する権限を握っていたはずの天皇の地位がかつてないほどまでに低下し、かわりに室町殿が朝廷の政務にテコ入れをするという事態になっていた。そして、どこからも改元が提案されないまま、応永の元号が放置されていた。むむむ、なーるほど、ですね。
 室町幕府は、守護や国人(こくじん)、地元の有力武士といった武家の前では何らの利益の代弁者の顔をしながら、同時に公家や寺社の前では天皇にかわって何らの利益の擁護者として振る舞わなければならないという二面性を持っていた。このジレンマは室町幕府がずっと抱えていた矛盾である。
 室町時代の本質的問題がよく分かる本でした。
  (2008年7月刊。700円+税)

通訳ダニエル・シュタイン(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 リュドミラ・ウリツカヤ、 出版 新潮クレスト・ブック
 ユダヤ人であることを隠して、ゲシュタポに勤め、秘書として働いていたという実在の人物について書かれた本です。
 人間の心理にはびっくりするほどの不可解な側面がある。ユダヤの老人たちは、一生のあいだに数多くのポグロムや広場での集団銃殺を経験してきたのに、ナチスがユダヤ人絶滅作戦を計画的に組織していることを信じようとはしなかった。彼らは、あくまで一縷の望みにすがりつき続けた。
 ゲシュタポで仕事をするとき、ヒトラー総統への忠誠を誓った。そして、著者はゲットー絶滅作戦の決行日を知って、ゲットーに漏らしたのです。ところが、それを通報したユダヤ人がいました。その裏切りによって著者はナチスの少佐の前にひっぱり出されます。
 「なぜこんなことをしたのか。きっとポーランドの愛国主義者としてしたのだろう?」
著者は答えました。
 「私は本当のことを申し上げます。私はユダヤ人なのです」
少佐は頭を抱えてしまいます。
「署員たちの言っていたことは、本当だったのか。なんということだ…」ところが、この少佐は、続けてこうも言ったのです。
「君は勇敢で頭の良い青年だ。二度も死の危険を免れることが出来たじゃないか。もしかすると、今回も運に恵まれるかもしれない」
そして、著者を拘束した憲兵たちは、一緒に食事までしたのでした。そのあと、警察署内から見て見ぬふりをしてもらっているうちに逃走したのでした。ええーっ、本当なのかしらん…。びっくりするような話です。でも、恐らく本当のことでしょう。その上司はナチス党員でしたが、一番まともで、仕事ぶりも誠実だった。この少佐は、ユダヤ人を自らは一人も殺さなかったし、そのことを自慢げに著者に話していたのです。ナチス党員といっても、人間性を喪ってない人もいたのですね。ゲットーにいたユダヤ人500人が広場で銃殺されたとき、いったい神はどこにいたのか?
神は苦しむ人々と共にあった。決して殺人者たちと一緒にいることはなかった。
しかし、神が本当にいるのなら、そもそも、人間がそんなにひどいことをするのを許すはずはない。それ以来、シナゴーグへ一度たりとも足を踏み入れたことはない、というユダヤ人もいます。
ユダヤ人アイデンティティーの核心とは、脳の練磨を生きる意味とし、常に思考を発展させようと努力することである。それこそが、マルクス、フロイト、アインシュタインのような人々を生み出す原動力となった。こうした頭脳たちは、宗教的土壌から離れたほうが、もっと集中して良質な仕事をすることができた。
ユダヤ人自身が自分たちのことをどう定義しようと、実際には、彼らは外から定義される。ユダヤ人とは、非ユダヤ人が、「あれはユダヤ人だ」と考える者のことである。だから、キリスト教の洗礼を受けたユダヤ人も大目には見てはもらえない。彼らもまた虐殺の犠牲者となった。
そして、奇跡的に生き延びた著者は戦後、イスラエルの地でなんとなんとカトリック神父として活動したのです。いかにも不可解なことが連続して展開していきます。やや読みにくいのですが、書かれている内容に強くひかれて読み通しました。
日曜日の午後からチューリップ畑づくりに精を出しました。畳2枚分を掘り下げ、そこに枯草を入れ、EMボカシで処理した生ゴミをかぶせて、その上を土で覆います。
これまで晴天続きで地面がコチコチに固まっていてできなかったのですが、先週やっと恵みの雨が降ってくれました。来週チューリップの球根を植えます。
(2009年8月刊。2000円+税)

アルバニア・インターナショナル

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 井浦 伊知郎、 出版 社会評論社
 アルバニアって変な国だという印象があります。ソ連にたてつき、毛沢東主義に心酔した孤高を守る国だったのではないでしょうか。その実体はどんなものなのか知りたいと思って、この本を手に取りました。写真付きですから、イメージが持てます。
 人口は350万人。住民のほとんどはアルバニア人。言語はアルバニア語。
 ホヂャ独裁が40年近くも続いた。ホヂャというのは、聖職者とか教師を意味する姓であり、アルバニアではありふれた名前である。長く独自路線を取ってきたアルバニアも、今では左右を問わず「親米」路線をとる。9.11後はさらに対米協調路線を深め、イラクとアフガニスタンへアルバニア軍を派遣した。2007年にブッシュ大統領が訪問したとき、アルバニアだけは与野党を問わず国民的に大歓迎した。
アルバニアは2009年春、悲願のNATO加盟も実現した。
イタリア共産党の創設者であり、理論家として有名なアントニオ・グラシムは父親がアルバニア人である。
 一般にアルバニア社会では日常生活において宗教の相違が表に出ることはほとんど無い。見た目や言動だけでは、ムリスリかクリスチャンかすら、よく分からない。ムリスムが人口の6~7割を占めているが、人々は酒を普通に飲んでいる。また、レストランでも豚肉料理が普通に出ている。
 アルバニアは1992年に民主党政権が誕生して、急激な市場経済の導入によって首都ティラナの国景は一変した。自動車は急増し、カオス的状況となった。男性の多くはヒゲがなく、女性はスカーフもベールも身につけず肌を露出して歩いている。
  アルバニアと日本とのつながりと言えば、日本共産党から出て行った毛沢東主義派の人々がアルバニアと一時的に友好関係にあったようです。もちろん、親米路線をとるようになったアルバニアとは絶縁したわけですが…。
 アルバニア人が、世界中に結構ちらばって活躍していることも知ることが出来ました。
 それにしても、アルバニア語を専攻する学者が日本にはいるんですね。もっとも、大学ではドイツ語を教えているそうですが…。
 アルバニアを知る貴重な本だと思いました。
 北九州では、皿倉山へケーブルカーで登りました。上にあがると風も強くて寒いほどでした。ちょうどハングライダーの大会があっていて、大空を5人ほど気持よさそうに飛んでいました。
 ところが、ハングライダーって、着地するのが大変なんですね。風に流されてなかなか戻ってこれないのです。ずっと眺めていたら、2人が戻って来ました。ずしんと着地するのを見ました。
 命がけの滑空だなと思って眺めていると、よそでハングライダーの人が死んだり、空中で衝突してケガをしたという記事が出ていました。うひゃ、やっぱり怖い、と思いました。
(2009年8月刊。2200円+税)

ラブホテル経営戦略

カテゴリー:社会

著者 山内 和美、 出版 週刊住宅新報社
 ラブホテルは不況に強い投資物件だ。そうかなあ、いや、そうだろうな・・・。ラブホテルのプロデューサーが若い女性だというのにも驚きました。そして今や、ラブホテルには、美味しい料理があり、リピーターで持っているのだというのです。世の中、変わりましたよね。
 ラブホテルとは法律上、風俗営業法の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)の届け出をして営業しているホテルのこと。
 ラブホテルには昼間からたくさん客が来る。宿泊より昼の休憩の利用客が多い。昼は不倫が多い。不倫の客はラブホテルにとって大切なお客様である。
 もう一つの大切なお客様はデリヘルなどの玄人。1部屋が3回転、1回転あたりの客単価は平均7000円。1日あたりの1部屋の売り上げが2万1000円。月にして63万円。つまり、1部屋あたりの平均売り上げは50~60万円。これが20室で、月1000~1200万円。これが並より少し上のランク。
 一般的にラブホテルとしてもっとも効率が良いのは、20~30室。
 20室で月1200万円の売り上げだと、経費は半分なので利益は月600万円。3億6000万円でホテルを買収して、2~3年で投資金額は回収できる。
 仕入れも在庫もない。そして現金商売である。これが儲かる仕組みだ。
ラブホテルのお客のメインは、20歳代~30歳、40歳代。若い世代。安い部屋を多く利用する若い層をどれだけ固定客にするかでホテル経営の成否を分ける。
 ラブホテルのお客様はリピーターが7~8割。ラブホテルは、リピーターがつきやすい商売である。ラブホテル代を割り勘にするカップルや、女性が支払うケースは普通にみられる。ラブホテルは野立看板で誘導する。
 全国のラブホテルで稼働しているのは2万軒。そのうち、コンピュータシステムは半分。残り半分はまだアナログ系。ラブホテルの備え付けのアメニティとして化粧品やシャンプーを置いているが、不倫が勘づかれないよう匂いのあるものは置いていない。
 なーるほど、そうでしょうね…。
コンピュータシステムを入れていないホテルでは、従業員の不正に頭を悩ませることになる。不正を防止するため、オーナーは、24時間、365日営業のラブホテルでいつも監視していなければならなくなる。疲れて病気になってしまう。
 実際、私も同じ話を聞いたことがあります。
ラブホテルのことが少し分かりました。それにしても、ラブホテルを経営して儲かるためには大変な苦労が必要のようです。
北九州へ行ってきました。スペースワールドのすぐ前のホテルに泊まったのですが、土曜日の昼というのに、スペースワールド駅から降りる人はほとんどいません。そして、日曜日も快晴でしたが、駅に人はパラパラとしかいません。大きな観覧車に乗っている人もごく少なく、これでは動力代のほうが高くつくでしょう。
北九州市が鳴り物入りで始めたスペースワールドがこんな悲惨な状況にあるのを実感しました。
 そもそも、地方自治体がテーマパークに大金を投入すること自体が間違いだと思います。大牟田のネイブルランドは30億円も大牟田市が借金返済していますが、当時の市長も誰も、責任をとっていません。こんな税金のムダづかいは許せません。
(2009年8月刊。1700円+税)

山宣譚

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 小田切 明徳、 出版 つむぎ出版
 やません・ものがたり、と読みます。戦前、労農党の代議士として活躍中、右翼に暗殺されてしまいました。惜しい人物です
 この本は、山本宣治が代議士になる前の青春編ですが、会話も多くて読みやすく、期待以上の出来栄えです。なるほど、山宣も若い頃は苦労したんだなと実感することもできます。
 山宣の両親は親から反対されて駆け落ちのようにして結婚しました。それこそ、夫婦そろって当時は珍しいキリスト教の信者でした。後年、山宣も両親の反対を押し切って結婚します。親に反対する資格なんてありませんよね…。
 山宣は体が弱くて、せっかく入った中学(今の高校でしょうか)を中退してしまいます。そして、東京で園芸見習いに入ります。ところが、ひどい親方で、まるっきり冷遇されてしまいます。
 いったん親元に戻ると、今度はカナダへ旅立ちます。園芸の勉強です。ところが、そこでも大変な苦難が待ち受けています。住み込みで家事手伝いをしたり、造園業に従事したり、果ては鮭をとりに漁船に乗り込んだり、苦労の連続です。やがて英語をきちんと身につけるべく学校に入ります。なんとか英語を身につけると、ラテン語なども会得し、一転して成績優秀な生徒になるのです。
 山宣は、カナダでもずっとキリスト教の信者として活動していました。しかし、教会でもいろいろ軋轢を起こします。真面目というか、生一本というか、思ったことを即、実行に移す人だったようです。
 山宣は苦労し、何回となく挫折を体験したため、しぶとくなりました。
 ハイスクールでは、英文学92点、ラテン語91点、代数99点、トータル856点でトップの成績となりました。いやあ、すごいものです。
 両親が山宣を日本に呼び戻そうとして、「チチキトク」のニセ電報を打ちます。親思いの山宣は、ついに5年ぶりに日本に帰国します。
 山宣は同志社に入り、三高に入り、東大の動物学科に入学します。生物学教室の改革に努め、新人会とも接触します。
 山宣ひとり、独壘(どくるい)を守る。だが淋しくない。背後には大衆が支持しているから。
 これは、私の好きな言葉でもあります。
 よく調べてあると思った、山宣の伝記でした。
(2009年5月刊。1524円+税)

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