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ゲバラの夢、熱き中南米

カテゴリー:アメリカ

著者 伊藤 千尋、 出版 シネ・フロント社
 『君の夢は輝いているか』のパート2です。著者は私と同じ団塊世代です。朝日新聞の記者でしたが、ついに定年退職したようです。こればかりは、どうしようもありませんよね。
 学生時代にキューバに行き、記者として中南米で特派員として活躍しました。
 中南米の変わりようは、驚くべきものがあります。かつてのアメリカ言いなりの軍部独裁政権が次々に倒れ、庶民が大統領にのぼりつめました。ブラジルのルラ大統領がその典型です。今どき、真面目に社会主義を目ざすと言っているベネズエラのチャベス大統領もいます。今や南米大陸は「反米大陸」となったのです。それほど、民衆のなかにアメリカの反発は強いわけです。やはり、武力で抑えつけるだけの政治は長続きしないのですよね。
 チェ・ゲバラがアルゼンチンに生まれたのは、1928年6月14日。ということは、私より20歳だけ年長です。日本にも来たことがあるそうです。が、そのときには、こっそり広島に来たということです。1959年7月でした。
 ゲバラはボリビアの山中でつかまり、1967年10月9日に銃殺されました。これは、私が大学1年生の秋のことです。そのころ、私はセツルメント活動に励んでいる、18歳でした。ゲバラは享年39歳です。
 ゲバラはボリビアの山中でゲリラ戦を展開しようとしたが、ボリビアの農民はゲリラを支持しなかった。農地改革で農地を得ていたからだ。そして、ラテン系のキューバ人と違って、アジア系の先住民が主体のボリビア人は性格が暗い。
 ええっ、そう言われると……困ってしまいますよね。
 ゲバラの人気は、今や世界的なものがある。アメリカでも、ゲバラはファッションにさえなっている。
 ゲバラは理想を抱き、理想に生き、理想に死んだ。次の言葉は、ゲバラの言葉です。
 もし我々が空想家のようだと言われるなら、救い難い理想主義者だと言われるなら、できもしないことを考えているといわれるなら、何千回でも答えよう。そのとおりだ、と。
 いやあ、こんなことはなかなか言えませんよね。すごい言葉です。初心忘れるべからずといいますが、まさしくそのことを文字どおり実践したのですね。
 最近、ゲバラを描いた映画2本が上映されましたが、本当にいい映画でした。見ていない人はDVDを探し出してぜひ見てください。ゲバラの生きざまを通して、我が身を振り返ることができます。
 革命後、キューバは中南米一の教育・福祉先進国になった。革命前は国民の3分の2が文盲だったのに、今や字が読めない人は1.5%しかいない。授業料は幼稚園から大学まで完全に無料。病院で治療費を支払う必要もない。
 平均寿命は革命前の50歳から74歳にまでなった。
 キューバは平等で、スラムがない。治安の良さと清潔さは中南米一。アメリカの映画『シッコ』を見ると、いかにアメリカの医療制度が貧乏人に冷たく、キューバが優れているか、一目瞭然です。
 アメリカという国は、国民を切り捨てて、ひらすら「自己責任」を押し付ける国である。
 まったく同感ですね。機会の平等を奪っておいて、その結果に甘んじろというのが「自己責任論」です。そして、機会を奪われたという自覚のない大勢の人が「自己責任」論に共鳴しているという悲しい現実が今の日本にあります。
 北九州で全国クレサラ交流集会があり、参加してきました。参加費5000円(懇親会つき。弁護士・司法書士だと1万円)と高いのに、全国から1500人も集まり、大盛況でした。
 このとき二宮厚美教授の話を聞きました。東京には裕福な階層が140万人もいて、彼らは1杯1万円のコーヒーを飲み、一泊150万円のホテルに泊まったりするそうです。
 ワーキングプアが増えている一方で、スーパーリッチも増えているのですね。格差の増大は健全な日本社会を壊してしまいます。セーフティネットを構築し、福祉と人間にもっとお金をつぎこみ、大切にしようとの呼びかけがありました。まったく同感です。
 
(2009年10月刊。1500円+税)

若者と貧困

カテゴリー:社会

著者 湯浅 誠・富樫 匡孝ほか、 出版 明石書店
 年末年始の日比谷公園での「年越し派遣村」は、今の日本に貧困が誰の目にも見える形で存在することを強く印象づけました。
 ところが、このとき、派遣切りにあった若者だけでなく、前からいるホームレスまで対象としたことについて文句を言った人がいたのだそうです。なんと了見の狭い人でしょうか。ホームレスは自己責任の問題であって、単に努力の足りない連中が好きでやっているのだという、冷めた見方をする人が意外に多いような気がします。
 後期高齢者医療制度も同じです。
ターゲットになった75歳以上の人たちは、早めに死ねというのかと反発し、政府の意図を敏感に感じ取る。しかし、対象以外の人々は、他人事(ひとごと)としか思わず、かえって、対象者層が反発するのを見て、被害妄想・わがまま・身勝手とうつる。誰でも、結局は後期高齢者になるわけですが、そこまで思いが至らないのですよね。
 高いリスクを背負った若者を大量に生産し続けると、いずれはそうした感覚を持つ30代、40代を増やしつづけることになる。結局、それは社会統合、国民統合の基盤を掘り崩すことにほかならない。いや、実は、すでにかなり掘り崩してしまっている。いやはや、実にそうですね、としか言いようがありません。
 一人息子が親からの自立を図るときに母親に言ったコトバを紹介します。
「ぼくとあなたは、今後は他人だ。たとえぼくが野たれ死んでも、関知しなくて良い。たとえあなたが死んでも、ぼくに知らせてくれる必要はない。いままで、ありがとう」
 むむむ、これって、実に悲しい、寒々としたコトバですよね。
 親にできうる最大のことは、求められない限りはできるだけ、手も口も出さずに、肯定的に見守ることではないか。
 干渉を受け、守られる状態から、見守られながら自分で挑戦をし、段階的に自分のやり方、信念、アイデンティティを見つけていく。それが大人になるということではないか。
 いまは「もやい」にお世話になっている若者が、ホームレスになるまでの過程を紹介しています。それを読むと、家庭がよりどころとならず、学校からも社会からも受け入れてもらえないとき、ホームレスへの道しかないということが実感として伝わってきます。
 日本の社会ってそれほど冷たいものなんですね……。
 派遣切りにあったとき、不正受給を防止するという大義名分から、失業保険をすぐに受給できないことが問題とされています。なるほど、そうですよね。失業したときに備えて掛け金を支払っていても、いざ本当に失業してもすぐにはもらえない失業保険制度って、仕組みそのものが間違っている気がしてなりません。ヨーロッパでは、失業保険を1年も2年ももらえ、その間にきちんとした職業訓練をじっくり受けられるといいます。日本も、本当に若者を大切にするのなら、そのように改めるべきです。
 ゼロゼロ物件、貧困ビジネスのしくみをやっと理解しました。ここでは、通常の賃貸借契約ではないのですね。施設付き鍵利用契約というのだそうです。貸借権はないから、居住権や営業権は発生しないと契約書に明記されているとのこと。鍵を貸しているということは、ホテルみたいなもので、家賃を一日でも遅れると、部屋はロックアウトされる。鍵が変えられているから入れない。入るためには、再契約料3万円を別に支払わなければいけない。
 うへーっ、すごいことですね。
 その後、1年間の定期借家契約に切り替えられたとのこと。「頭の良い人」はいるものです。でも、貧困者を食い物にするビジネスって、暴力団と同じですよね。
 東京で、首都圏青年ユニオンががんばっています。ユニオンって何かというと、要するに労働組合のことです。でも、ネーミングから変えないと若者が近寄らないわけです。そして、会議や集会のときにはまずみんな食事することからはじめるというのです。
 一人暮らしをしている組合員も少なくなく、みんなで料理をし、食事をすることが喜びになる。若者に居場所を提供することからユニオンは始めるわけです。
 若者とは、不安や戸惑いに翻弄されながらも、これから始まる人生をいかようにも形造ることができる希望にみちた存在である。
 これが、これまで長い間の若者のイメージだった。しかし、今は違う。仕事が切られるとともに住む場所を奪われて、路上に放り出される存在が今の若者の現実である。
 うひょー、そ、そうなんですね……。
 しっかり、現実の若者と向き合って考えて行くしかありません。
 「派遣村」の村長だった湯浅誠さんが、このたび内閣府参与として政府のなかに入って活動されています。大いに期待しています。皮肉ではありません。本心です。
 庭仕事に精を出しています。庭がすっきりするのが楽しみです。球根から芽がぐんぐん伸びています。いつものことながら、水仙が一番伸びが早いですね。
(2009年2月刊。1600円+税)

事実の治癒力

カテゴリー:司法

著者 神谷 信行、 出版 金剛出版
 大変勉強になりました。こんないい本に出会うと、心も清められる気がします。もう一度、初心に返って真面目に事件に取り組んでみようという気になりました。いえ、今でもそれなりに真面目に真剣にはやっているつもりなんです……。誤解されないようにお願いします。
 この本には弁護士会館の地下書店で出会いました。私は弁護士の書いた本はつとめて読むようにしています。といっても、法律注釈書でしたら全文通読することなんて絶対にありません。必要なところを拾い読みするだけです。でも、この手の本や随想、弁護士の体験記などは全文通して読みます。すると、いつも大いに得るものがあるのです。
 私が本を探すのは、基本は新聞の書評です。しかし、つとめて書店の店頭にも足を運びます。そうすると、本のタイトルが光っていることがあるのです。私の本を読んで、読まないと損するよ、読んだらきっといいことがあるよ、そんなメッセージが伝わって来ます。そこで手に取ってパラパラとページをめくってみるのです。すると、たいていは当たります。この本が、まさにあたりの本でした。
 離婚や子の親権が争われる事案において、弁護士が依頼者と「共依存」し、互いの「影」(ユングのいう、生きてこなかった半面の自分。日頃は隠している自分の否定的部分)を共有し、その影を相手方当事者や代理人に「投影」させて攻撃しているとみられるケースが少なくない。
その弁護士は闘争的な態度をとったが、その中に、その弁護士自身の「影」があらわれている。弁護士の数が幾何級数的に増加しているなかで、依頼者と「影の共有」に陥る弁護士が多く生まれることを私はひそかに恐れている。
 カウンセラーには「スーパーバイズ」のシステムがあり、自分の担当しているケースをスーパーバイザーに語るなかで、自分とクライアントとの関係を客観視するプロセスがある。クライアントとの「影の共有」に陥っていると、そのことをスーパーバイザーが指摘する。
 なーるほどなるほど、なんだか思い当たる節のある若手弁護士にあたったことがあります。むやみに戦闘的にくってかかってきて、私の証人尋問について「異議」を乱発するのです。どちらにも言い分のある一般事件でしたので、私は面喰ってしまいました。
 多動な子は「身体」の面だけでなく、「観念の多動」といって、物事を考えるときにも同じことを何度も繰り返し考えたり、考えも目まぐるしく動くことがある。教示を受けて、拘置所で脅迫的とも言えるような深刻な反省の弁を繰り返し口にしたり、手紙に書いてきたりするのは、「観念の多動」のあらわれてあり、内省の変化を示すものではない。
 ふむふむ、そういうことなんですか……。
 日常生活の中で傷を負った子どもたちは、やっぱり暮らしの中で少しずついやしていくのが一番無理がなくていい。
 一緒に暮らすなかで、子ども自身が見失いかけている自尊心、棄てかけている自尊心にノックしつづけることでもある。
 厳罰主義を唱える人は、一見すると被害者に同情する正義の人とみられがちだ。しかし、その内実は、次の被害者の再生産に無意識に加担している。
 被害者の保護は充実させていかなければならない。しかし、社会に戻った元加害者が立ち直る道もまた確保されなければならない。被害者保護と元加害者の更生は、二律背反のものではなく、双方同時に実現されなければならない。
 なるほどですね。でも、これって口で言うほど簡単なことではないでしょうね。
 虐待被害を受けた子どもは、自分の体験を他人事(ひとごと)のように淡々と話すことが多い。その感情をともなわない語り口に接すると、「本当に虐待を受けたのだろうか」という疑問を抱くことさえある。しかしこれは虐待被害の痛みを解離させ、自分を守っていることによるもので、淡々とした口調の奥にあるものを聞きとらなくてはならない。
 少年Aの治療にかかわった医療少年院のスタッフの話も紹介されています。なるほどなるほどと思いました。人間の罪の深さと同時に、人間は変わることができること、しかしそのためには並々ならぬ努力の積み重ねが必要であることがひしひしと伝わって来ます。
 治療教育の目標は、信じることの回復にある。この作業に携わる人は次の3つの心得を無条件で受け入れられる人でなければならない。それを納得できない人は、矯正の仕事に関わってはならない。
 第一、人は誰でも学んで変わる可能性を持っている。
 第二、人はその信頼するものからのみ学ぶことができる。
 第三、人は誰かに気にかけてもらっており、期待されており、大切に思われているという実感がないと安定していられないものである。
 ふむふむ確かに、そのとおりだろうというものばかりです。
 私も山本周五郎の本は本当に読みふけったものです。著者は、その山本周五郎の本には読むべき順序があるといいます。『さぶ』『樅の木は残った』『虚空遍歴』『小説日本婦道記』『青べか物語』『季節のない街』『赤ひげ診療譚』です。この順番には意味があるそうです。そう言われると、もう一度、私も読んでみましょう。
 人間の洞察力に富む、とてもいい本だと感嘆しました。
 木曜日の東京はよく晴れていました。日比谷公園に足を踏み入れると、なんとまだコスモス畑がありました。ほんわかした気分になります。ただ、官庁街に近い通路を歩いて行くと、立ち入り禁止のロープのはられていない空き地にダンボールハウスを2つ発見してしまいました。今年は日比谷公園での「年越し派遣村」の再現はないようにしようと政府は考え、ハローワークで受け付けるようです。でも、これだけ不況が深刻化し、大企業がどんどんリストラ・派遣切りをしている状況では、本当に心配です。
 弁護士会館に近い出入口のあたりに、噴水が勢いよく吹き上げる池があります。モミジが見事です。銀杏の黄色とすっきりした青空とによく映えていました。
 夕方、会議を抜け出すと、もう空高く半月が見えました。まだ4時40分です。福岡より30分以上は暗くなるのが早いですね。
 
(2008年3月刊。2800円+税)

捜査官

カテゴリー:警察

著者 本浦 広海、 出版 講談社
 退職した警察官が再就職する先として、警備保障業界はその代表である。警備保障業の所轄官庁が警察庁なのだから、これは腐れ縁としか言いようがない。どこの省庁でも裏事情は変わらず、自分たちが所管する企業に天下っていく。
警備保障業界と警察組織の間では、現場の警察官が再就職しやすい仕組みも作られている。その例が「指導教育責任者資格」だ。警備業法により、警備保障会社の各事業所内には、その資格を持つ者を置くことが義務付けられている。
 この資格を獲得するには、現場での経験年数が決められており、警察官経験者ならそれを簡単にクリアできる。
 なーるほど、よくできた仕組みですね。さすがに知恵者がいるものです。
 原子力発電所をめぐる紛争を舞台にした警察小説です。ええっ、こんなことあり、かな・・・・・・と思うところもあります。推理小説の類なので、これ以上の筋の紹介は控えておきます。
 原発を推進する側の企業(福岡で言うと九電のような立場にある企業です)が、反対運動のなかにスパイを潜りこませているというのは、まさしく現実のものだろうと思いました。大企業は手段を選ばないのですから……。
 そして、暴力団は地元住民の反対運動を暴力的に圧殺しようとします。もちろん、簡単にうまくいくわけではありません。
 それにしても、かつての過激派活動家が、今や原発推進の側にいて立派な接待を受けているとは……。団塊世代の悪しき変身ぶりを反映したストーリーになっています。同じ世代としては残念でなりません。
(2009年9月刊。1500円+税)

建具職人の干太郎

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:岩崎京子、出版社:くもん出版
 江戸時代、子どもたちは幼いころから家を出されて見習い丁稚(でっち)として奉公させられていました。
 主人公の干太郎は、わずか7歳で建具屋に奉公に出されたのです。友だちと遊んでいたいさかりなのに、学校(寺子屋)に行くこともなく、親の勝手から泣く泣く建具職人への道を歩みはじめるのです。
 干太郎は先に奉公にきている姉に叱咤激励され、家に帰ることもかなわないまま、建具屋での奉公を続けざるをえません。帰るべき実家に親はいても、そこでは満足にメシを食べさせてもらいないのですから、仕方ないのです。
 丁稚小僧(でっちこぞう)というのは今ではまったく聞きませんが、私の幼いころ(小学生のころ)、親が脱サラして小売酒店を始めたとき、住み込みの姉さんがいました(長続きはしませんでしたが・・・)。また、定時制高校に通う人が住み込みではありませんでしたが、丁稚のようにして店で働いていました。配達・集金など、よく働いていて、私たち子どもの面倒も見てくれていました。昔は住み込みで働くということが、どこでもあたりまえのようにありました。そこで難しい人間関係を乗り切りつつ、腕(技術)を身につけていくわけです。なかなか大変なことだと思いますが、丁稚小僧というのはすごく身近な存在でした。今ではあまり見かけないように思いますが、どうなのでしょうか。たとえば、海苔作業のため、そのシーズンになると長崎の五島列島から大勢の男女が出稼ぎに来て、泊まり込んでいたと聞きます。一台何千万もする全自動の海苔機械が出来てからはみかけなくなった光景です。
 この本は児童文学書として、その7歳で丁稚小僧になった干太郎の身になって物語が展開していきますので、職人の大変さもよく分かります。
 こんな職業教育も必要なのでしょうね、きっと・・・。
 そして、あとがきに、小説ではあるけれど、19世紀はじめころに実在した建具職人の記録をもとにしたと書かれています。作家の想像力と取材とは大したものです。
(2009年6月刊。1300円+税)

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