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新参者

カテゴリー:司法

著者 東野 圭吾、 出版 講談社
 いやあ、うまいです。読ませます。無理なくストーリーに引き込まれていきます。いつもながらすごいワザです。感心、感嘆、感激です。
 この著者の本では、『手紙』が印象に残っています。かつて私の担当した、死刑判決を受けた被告人から、遺族への謝罪文を書くときに参考になる本を紹介してほしいと頼まれたとき、ためらうことなく『手紙』を挙げ、被告人に差し入れたことがあります。
 この本を読んで、つい、短編読み切り小説の連作かと思ってしまいました。そうではないのです。たしかに、巻末の初出一覧を見ると、『小説現代』に2004年から2009年までの5年間にわたって連載されていた9編をまとめたもののようですが、なんとなんと、結局のところ、一つの殺人事件をめぐって多角的にとらえているのでした。
 ありふれた日常生活を通して、推理を組み立てていく手法には無理がないどころか、うへーっ、こういうように見るべきなんだと、ついつい居住まいを正されたほどでした。
 たとえば、こんなくだりがあります。
 よく見ていてごらん。右から左に、つまり人形町から浜町に向かって歩いていくサラリーマンには、上着を脱いでいる人が多い。逆に、左から右に歩いて行く人は、きちんと上着を着ている。
 今まで会社の外にいた人、いわゆる外回りの仕事をしている人たち。営業とかサービスをしていた人たちは、ワイシャツ姿で歩いている。反対に、左から右に歩いて行くのは、今まで会社にいた人たち。冷房の利いた部屋にいたから、外回りの人たちみたいに汗だくになっておらず、むしろ身体が少し冷えすぎているくらいだ。それで、上着をきちんときている。比較的年輩の人が多い。もう外回りしなくていい、会社での地位の高い人たちだ。
 推理小説ですから、これ以上のなぞ解きは禁物です。2009年の最後を飾るにふさわしいミステリー本だったことは間違いありません。
 この本を読んで、2009年に読んだ単行本は570冊を超えました。こんなにたくさんの本を読めて、私は幸せです。その一端を分かち合いたくて、書いています。
(2009年12月刊。1600円+税)

1968年に日本と世界で起こったこと

カテゴリー:社会

著者 毎日新聞社、 出版 毎日新聞社
 1969年1月19日の東大安田講堂の攻防戦は、視聴率72%に達した。世帯平均視聴時間は、1時間54分に達し、ほぼ全世帯が注視していた。
 このテレビ観戦で全共闘への共感が高まった形跡はない。
 機動隊による実力排除についての世論調査は、「むしろ遅すぎた」15%、「当然だ」26%、「やむをえない」35%、合わせると8割。「やるべきではなかった」は6%に満たない。
 冷戦下のアメリカは、日本で自民党政権がつぶれ、社会党と共産党の政権になるのをもっとも恐れていた。新左翼は反スターリン主義を掲げてソ連の影響力を排除し、社会党や共産党から独立して暴れまわった。しかし、彼らは議席を得るはずもないし、機動隊とぶつかる程度だったから、体制にとっては大きな影響はない。だから、アメリカからすると、実は日本の新左翼はさして困った存在ではなかった。
 道理で、さんざん暴れさせていたはずです。
 東大の入試中止を決めたのは、安田講堂「落城」の直後。これについて、学者グループが発案して佐藤栄作首相に上申したと書かれています。
 大学紛争の収拾のために、何人かの学者たちがホテルの一室にこもって対策を練った。そのとき、知恵をしぼったのは、どうすれば大学紛争に無関心な一般社会の耳目を集め、事態を収められるかということ。東大入試を中止すれば一番困るのは大企業だから……。
 山上会議所に文学部のノンセクト学生が集まり、安田講堂占拠について議論していたとき、アナーキストの学生が、「いや、面白いからやるんだよ」と言って、一気に結論が出て
占拠することになった。この、面白いからやる、が、大学紛争の意義のほぼすべて、である。
 全共闘運動には、論理的一貫性が欠けていた。
 もっともらしく理論付けする学者が少なくありませんが、当時、反対側の渦中にいたものとして、この指摘はかなり同感と言わざるを得ません。
 三島由紀夫は全共闘の味方だった。また週刊誌『サンデー毎日』の編集部も全員が全共闘の味方だった。『アサヒ・ジャーナル』もそうでしたね。
 総じて、マスコミは全共闘びいきでした。ちょっぴり批判はするのですが、結局のところ、彼らにも言い分があると書き立てるのです。そして、全共闘はすべてのマスコミは敵だと決めつけていたのでした。まことに不可思議な共依存関係でした。
 
(2009年6月刊。2400円+税)

「共犯」の同盟史

カテゴリー:社会

著者 豊田 祐基子、 出版 岩波書店
 アメリカと日本の密約が最近、次々に明るみに出ています。日本がいつまでもアメリカのいいなりになっていていいのか、根本的な疑問があります。
 普天間基地にしたって、アメリカがどこに移転しようと勝手だし、ともかく日本国内にアメリカ軍基地があること自体おかしいのです。移転先が決まらなければ普天間基地は動かせないなんていうのは、アメリカの勝手な論理でしかありません。日本政府は、ただ、普天間基地は置いておけないから、どこでもいいから持って行ってくれと言えばいいのです。アメリカにおべんちゃらする必要はまったくありません。
だいいち、アメリカの海兵隊が日本人を守ってくれるなんて幻想そのものでしょう。アメリカの海兵隊は、沖縄から出撃してイラクに飛んで、ファルージャでイラクの民衆大殺戮をやったではありませんか。そして、日本の少女を殺し続けているのですよ。日本人を守ってくれてるなんて、とんでもありません。
 今こそ、ヤンキーゴーホームという叫び声をあげていい。私はそう思います。ちなみに、ヤンキーとは、アメリカ軍のことであって、アメリカ人一般をさしているわけでは決してありません。誤解されないないよう、念のため申し添えます。
 1944年7月、サイパン守備隊が全滅した段階で、岸信介は東条首相に早期終戦を進言して怒りを買った。その岸は、商工大臣在任中、少なくとも数千万円受け取っていると噂されていた。
 1955年2月の総選挙で、日本民主党は鳩山ブームに乗って第一党に躍り出た。通算7年2カ月にわたる吉田政権にうみ飽きた国民は、庶民的で明るいイメージの鳩山一郎の登場に熱狂した。
 うへーっ、これって何だか今の日本にそっくりの構図ですね……。
 1959年4月、アメリカと日本は秘密のうちに合意した。アメリカは、核兵器を搭載するアメリカの艦船が日本領海を通過・寄港し、核兵器を積んだアメリカ軍の飛行機が日本領空に飛来できる。このような核搭載は、何かの拍子に公にならない限り、事前協議の対象にはならない。そして、日本側が、あくまでもこだわったのは、日本とアメリカが対等であるという体裁だった。
 つまり、日本とアメリカの相違点は内容ではなく、「体裁」をめぐるものであった。
 アメリカにとって、そこには根本的利益が守られる限り、岸のような親米派であれば、指導者がだれであってもいいというドライな対日観があった。
 小笠原諸島の父島には、海上発射核ミサイルが1965年まで、硫黄島にも1956年から3年間、核爆弾があった。沖縄には、1954年12月に核爆弾が配備された。その後、対潜水艦核爆弾、地対地ミサイルなどが運び込まれ、ベトナム戦争が激化した1967年には、アジア太平洋に配備された3200発のうち1200発もの核爆弾・弾頭があった。
 日本政府は沖縄返還と引き換えにアメリカに対して3億9500万ドルの財政取引に合意した。これは協定上の3億2000万ドルのほか、協定にはないアメリカ軍施設改善費や、基地移転費などの7500万ドルである。おもいやり予算の原型となった。
 金丸信は、防衛庁の部下に対して「アメリカ軍を傭兵として使うんだから、駐留費くらい出せばいいんだ」と言っていた。1979年度のおもいやり予算は、280億円だった。
 それが今も生きていて、ますます増大しているのです。許せません。
 日本にあるアメリカの基地が日本を守るためのものという幻想を、日本人は一刻も早く捨て去るべきだと思います。フィリピンでやれたことが、日本でできないはずはありません。
 
(2009年6月刊。2800円+税)

後悔と真実の色

カテゴリー:警察

著者 貫井 徳郎、 出版 幻冬舎
 タイトルからはさっぱり見当つきませんが、警察小説です。
 挑発する犯人と刑事の執念がぶつかりあうリアルな警察小説にして、衝撃の本格ミステリ。このように帯に書かれていますが、確かにそうです。
 推理小説でもありますから、犯人のなぞ解きはしません。意外な結末だったというにとどめておきます。
 警視庁のもつデータベースを閻魔帳という。警視庁がこれまで入手したあらゆるデータがすべて収められている。一度でも逮捕されたことのある者の個人データは当然のこととして、単なる職務質問で得た情報までデータベースには登録されている。
 都内で事件が発生したときには、このデータベースに地名を打ち込む。すると、逮捕歴のある人について、本籍地や現住所、過去の住所、家族や親せきの住所、愛人の住所のいずれかが引っ掛かったものがすぐさまリストアップされる。洗われるデータは住所だけではない。過去に犯罪を起こした場所も検索されるし、職務質問を受けた場所も事件現場に近いかどうか見逃されない。
 この検索で浮かびあがった人物は、土地勘のある素行不良者として捜査対象になる。
 インターネットが一般に広く流布しはじめてから、犯人検挙率は大きく下がった。警察にとって、インターネットは諸悪の根源でしかない。
 警視庁捜査一課には、殺人犯捜査1係から14係、そして特殊犯捜査1係から3係まで、計17の殺人班がある。そのうち、事件をかかえていない係がローテーションを組み、新しい事件が発生した時にそれを担当するシステムになっている。ローテーションのトップにある係は、表在庁と呼ばれ、朝9時から夕方5時まで庁舎に待機する。2番目の係が裏在庁で、刑事たちは各自自宅待機する。3番目以降も自宅待機には違いないが、実質は非番である。ただし、最近では、事件を担当していない係が3つ以上もあることはまずない。今も警視庁は15の捜査本部を立ち上げている状態だ。
 警察内部の動き、そして、捜査官同士の反目がことこまかく具体的に描かれていますので、妙にリアリティがあります。一度、現職の人に感想を聞いてみたいものです。
 やや心理描写に冗長さを感じなかったわけではありませんが、最後まで犯人は誰なのか、目を離せない展開でしたから、息つく暇がありませんでした。
 
(2009年10月刊。1800円+税)

だから人は本を読む

カテゴリー:社会

著者 福原 義春、 出版 東洋経済新報社
 同じ活字ではあるけれども、インターネットから得る細切れの情報と、まとまった考え方や視点が書かれている本や文章とは、明らかに違う。
 私も、この点はまったく同感です。負け惜しみのようですが、メールやホームページを見ることはあっても、自分から入力することは全くありません。その理由は、入力スピードがまるで遅くて、自分でも嫌になるからです。
 私は、やっぱり手書きです。そして、次々に文章を挿入していくやり方が性に合っています。
 忙しい時こそ1日20分でも本を読んで、吸収した栄養をその時からの人生、そして仕事に役立てるべきだ。本にも旬があり、人が本を読むのにも旬が大切だ。
 年間500冊以上の本を読む私にも、積読(つんどく)の本は何百冊とあります。そのうち読もうという本より、今すぐ読みたい、面白い本を先に読むようにしているので、どうしても次順位の本はあとまわしになり、未読の本がたまっていくのです。
 本は数多く読めばいいというものではない。自分の体質に合った本を見つけて、そこに書かれた思想や出来事を少しでも吸収しておけば、やがてそれが自分自身になって、ひとりでに発信できるようになる。
 しょせん一人がやることはわずかな領域だ。そうであるならば、祖先の人々が経験し、考えたことが本になって、膨大な「知」となって残っているのだから、それを読んでいくことによって、私たちの人生は厚くなり、深くなっていくだろう。
 インターネットに蓄積されている記憶だけを頼って、本を読まない人の頭は空っぽで、与えられるものを享受するだけの存在になってしまう。彼らに情報を与える側は必ず本を読んでいるから、頭の中にはしっかりとしたネットワークが出来上がっている。この二分化がさらに進むと、本を読まない圧倒的多数は、本を読む少数によって、知らない間にコントロールされてしまう。
 著者は資生堂の名誉会長です。経済界随一の読書家として有名のようです。同じ趣味を持つ私も共感するところが大でした。
 夜、寝るときに湯たんぽが欠かせません。雨戸を閉めず、暖房のない部屋で寝ていますので、方のところに寒気が侵入してきます。そこで、寝るときには両肩のところに湯たんぽを1つずつ置いています。すると方が冷えることはありません。
 寝る前にふとんの中に湯たんぽを入れておくと、ふとんがほかほかになっています。ぬくぬくとした布団に入るのは幸せな瞬間です。
 ホームレスの人たちが野外で寒気にさらされながら寝ているのを見聞きすると、申し訳ないなと思ってしまいます。
 官制の派遣村を鳩山首相が視察したのを石原都知事が批判しましたが、とんでもないことです。ホームレスを無くすのは、まさに政治ではありませんか。
(2009年9月刊。1500円+税)

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