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46年目の光

カテゴリー:人間

著者 ロバート・カーソン、 出版 NTT出版
 3歳のとき、家庭内の爆発事故によって失明した男性が、46歳になって手術を受けて見えるようになったとき、何が起きたのか……。いったい、人間の眼とは何なのか、なぜ外界を見ることができるのか、見えることと認識とに違いはあるのか。とても興味深い本です。
 人類の歴史が始まってから1999年までのあいだに、長期間にわたって失明していた人が視力を取り戻したケースは60件に満たない。3歳未満に失明した患者は20人もいない。
 視力を取り戻した人たちは、深刻なうつ症状に落ち込んだ。自分が別の人間だったころにあこがれていたほど、この世界が素晴らしい場所ではなかったことに失望した。
 患者は、手術後、すぐに動くものと色を正確に認識できた。しかし、それ以外はうまくいかなかった。人間の顔が良く分からなかった。高さや距離、空間を正確に認識することにも苦労した。視覚以外の手掛かりを頼らずに、眼の前にある物体の正体を言い当てるのも難しかった。
 ものの大きさや遠近感、影には、多くの患者が悩まされた。世界は意味不明のカラフルなモザイクにしか見えなかった。眼に映像が流れ込んでくるのを押しとどめるために眼を閉じてしまう人もいた。
 眼の見える人の世界は、天国のような場所だと思っていた。しかし、今ではそこが天国なんかじゃないと知ってしまった。夜になっても部屋の電気をつけず、暗闇でひげをそり、映画やテレビもあまり見ようとしなかった。
 手術後、視力そのものがどんなに回復しても、他の人たちと同じようにものを見られるようになった患者は一人もいない。
 人間がものを見るプロセスは角膜で始まる。眼球に入ってきた光が最初に通過するのが角膜だ。角膜は、黒目を覆う0.5ミリの厚さの球面上の透明な膜だ。眼に光を取り込み、その光を屈折させる重要な役割を担う。この任務を果たすために不可欠なのは、角膜が透明なこと。角膜の透明さは、幹細胞が生み出す娘細胞による。娘細胞の保護膜は、ほこりや傷、細菌や感染症に対する角膜の防御機能の中核を担うだけでなく、結膜の細胞が血管が角膜に入り込むのも防いでいる。この保護膜が汚れても、娘細胞は数日ごとにはがれおちて、新しい細胞と入れ替わるので、常に新鮮で透明な状態が維持できる。角膜上皮幹細胞は、その人が死ぬまで娘細胞を作り続ける。
 ドナーの幹細胞を移植して、視力を回復させる手術が1989年に始まった。ドナーの角膜とその周辺の幹細胞のある部分を切り取って保管する。移植手術はドナーの死後5日以内。ドナーは50歳未満。
 2回の手術が必要であり、1回目は、ドナーの幹細胞を移植する。患者に全身麻酔をかけ、患者の角膜にのせる。このとき、ドナーの角膜にあるドーナツ状の幹細胞が分厚すぎるので、顕微鏡をつかってドーナツの下部を削って薄くする。厚さ1ミリのものを0.3ミリにまで削って薄くする。このとき、幹細胞を傷つけてはいけない。
 移植した幹細胞の生み出す娘細胞が、角膜に到達するためのルートが切り開かられなければならない。それに4カ月はかかる。ここまでうまくいって、古い角膜を取り除いて、ドナーの角膜を移植する。
 分かったようで分からない手術ですが、いかにも難しいということだけは何となくわかります。どうやってこんな難しい手術を開発したのか、不思議でなりません。
 1995年時点で、この手術を経験した医師は20人。手術例も400件。実は、この手術は成功率50%。しかも、使われる薬の副作用として、発がん性があるというのです。ですから、手術を受けるかどうか真剣に悩まざるをえません。
 みえるようになったら、どうなるか?白い光の洪水が、目に、肌に、血液に、神経に、細胞に、どっと流れ込んできた。光はいたるところにある。光は自分のまわりにも、自分の内側にもある。嘘みたいに明るい。そうだ。この強烈な感覚は明るさに違いない。とてつもなく明るい。でも、痛みはかんじないし、不愉快でもない。明るさがこっちに押し寄せてくる。
 ローソクを何百本も灯したみたいに強烈な光が、部屋の中のほかのどのものとも違う光が、目に飛び込んでくる。
 眼が見えるようになって、たった5秒で色は見えた。たった1日で、ボールをランニングキャッチできるようになった。でも、まだ字は読めない。人の顔の区別もつかない。
 人間は、ものを見るうえで知識に大きく依存している。知識の助けがないと、眼の網膜に映る像は単なるぼんやりとした亡霊でしかない。どうやってものを見るために欠かせない知識を蓄えていくのか。方法は一つしかない。その唯一の方法とは、目で見るものと接触することである。眼で見た物体であれこれ試し、それをつかって遊び、手で触り、味わい、においをかぎ、音を聞く。あらゆるものに手を伸ばし、手でいじってみる。これは赤ちゃんがやっていることのすべてだ。
 視覚が機能するためには、世界とのかかわりが欠かせないのだ。人間の顔と表情を読み取るには、長い年月にわたる徹底した訓練と学習が欠かせない。
 人間の視力と認識について、大変勉強になる本でした。
 
(2009年8月刊。1900円+税)

生きものたちの奇妙な生活

カテゴリー:生物

著者 マーティ・クランプ、 出版 青土社
 オーストラリアのニワシドリが紹介されています。
メスは見回って、あたりにある全部のあずまやを点検する。
メスは幸運なオスを一匹選んで、そのオスのあずまやの戸口に行く。オスは歌い、飛び跳ね、突飛なダンスを踊り、骨や貝殻その他のものをくちばしで拾い上げ、頭を上下させて物体を振る。そして、それを放り出して別のものを拾い上げ、同じことをする。その間、メスはオスの様子を眺めて吟味する。それが気に入れば交尾する。そのあと、メスは飛び去っていく。オスは冷静さを取り戻し、あたりを片づけ、散らばったものを正しい場所にきちんと戻す。そして、別のメスを迎え入れる準備を整える。
 NHKの映像でも見ることができましたが、オスの涙ぐましい努力には笑うどころか、身につまされてしまいました。男って、本当に辛いのですよ。決して寅さんばかりじゃありません。
 オーストラリアのカエルは胃の中で子育てをする。
 メスは21~26個の受精卵からおたまじゃくしを飲みこみ、胃の中で6~8週間のあいだ、食道が拡張して小さな子ガエルを吐き出すまで、そこで育てる。母親の胃の中で発育する間、オタマジャクシは体に貯蔵した卵黄だけを栄養源にしている。母親がなぜ子どもたちを消化してしまわないのか。子どもたちは、母親の胃酸の分泌を阻害する物質を分泌している。子どもたちが外界に出ると、母ガエルの胃は正常な消化機能を回復する。
 うへーっ、す、すごいですね、この仕組みって。自然界は驚異に満ちていますね。
 ウサギは2種類の糞をつくる。昼間の糞と夜の糞だ。夜の糞には細菌がぎっしり詰まっている。ウサギは夜の糞を食べて細菌をリサイクルするとともに、その過程で養分を吸収している。うむむ、糞なんて汚いだけという思いを捨てなくてはいけません。生きる糧でもあるのですね。
 インドでは、スカラベが人間の排泄物を毎日4~5万トンも埋めている。アフリカでは、ゾウの新鮮な糞の山には、15分以内に4000匹のスカラベが集まる。
 中国、オーストラリア、南米の人はゴキブリを食べる。アフリカの熱帯では蚊を食べている。いやはや、とんだことです。こんなものも食べる人がいるのですか……。
 この世は、不思議な生き物でいっぱいなんですね。
(2009年5月刊。2400円+税)

多読術

カテゴリー:社会

著者 松岡 正剛、 出版 ちくまプリマー新書
 鳩山首相が著者に案内されて本屋に行ったというニュースを読みました。私をはるかに上回る多読・多作の人物です。
 読書は二度するほうがいい。
 私は書評をかくために、たいていざっとですが、読んだ本を振り返ります。といっても、赤エンピツで傍線を引いたところだけなんですが……。
 読書も出会いである。
 私は、新聞の書評、そして、本屋に出かけて背表紙をみて、面白そうだなと思って手にとります。本は買って読むものです。読んだ本で引用されている本も買うことが多いです。
 読書は鳥瞰(ちょうかん)力と微視力が交互に試される。
 なーるほど、そういうようにも言えるんですね。
 読書の頂点は全集読書である。
 私は全集は買いません。なんだか義務づけされるようで、いやなのです。あくまで自由に好きな本を読んでいたいんです。
 読書の楽しみとは、未知のパンドラの箱が開くことにある。無知から未知へ、これが読書の醍醐味だ。読書には、つねに未知の箱を開ける楽しみがある。
 この点は、私もまったく同感です。
 本は、理解できているかどうか分からなくても、どんどん読むもの。
 読むという行為は、かなり重大な認知行為である。しかも複合認知。
 読んだ本が「当たり」とは限らないし、かなり「はずれ」もある。しかし、何か得をするためだけに読もうと思ったって、それはダメだ。
 たしかに「あたった」という本に出会ったときの観劇は大きいですよ。必ず誰かに紹介したくなります。
 読みながらマーキングする。このマーキングが読書行為のカギを握っている。
 そうなんです。ですから、私はポケットに赤エンピツを欠かしたことがありません。私の読んだ本には赤エンピツで傍線が引かれていますので、古本屋は引き取ってくれないでしょうね。そのうえ、私のサインと読了年月日まで書き込んであります。本こそ、私の財産だからです。こうやって、他人の書いたものを自分の本にしてしまうのです。楽しい作業です。お金儲けとは違った喜びが、そこにはあります。
 書くのも読むのも、コミュニケーションのひとつだと考える。
 まったくそのとおりです。ですから、私は読んだら書いて、発信しています。
 電車のなかで揺れながら本を読むと、けっこう集中できる。喫茶店でも本は読める。
 ほんとうにそうです。私は基本的に車中読書派です。不思議なことに眼が悪くなりません。好きなことをやっているからだと考えています。車中読書時間を確保するためには、布団のなかできちんと睡眠時間を確保しておく必要があります。車中睡眠派では、本は読めません。人生、何を大切にするか、選択を迫られます。私は断然、読書の楽しみをとります。
 2009年に読んだ本は、583冊でした。
(2009年5月刊。800円+税)

シェイクスピア伝

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 ピーター・アクロイド、 出版 白水社
 訳者あとがきによると、本書はシェイクスピア研究者からは酷評されているそうです。というのも、シェイクスピア学者なら犯さないような誤りがあまりにも多いためです。たとえば、エリザベス朝演劇の全体像を理解しないままシェイクスピアを語っていることです。
 注は孫引きばかりとのこと。たまたま読んだ研究書を引用するなど、決して許されない。
 そんな欠点はあるものの、一般読者には、かなり面白い読み物になっています。
 たとえば、当時はエリザベス女王は1603年3月に死んだ。年齢と権力に疲れきって死んだ。人生の最後には、横になって休むことを拒否し、何日もたち続けていた。
 多くの人々が、エリザベス女王は権力の座に長くつきすぎた暴君だと考えていた。エリザベス女王が死んだとき、シェイクスピアは女王を称賛する文章を書いていない。
 エリザベス女王が死んで、スコットランドから新しい王であるジェイムズがやってきたことから、シェイクスピアたちは国王に認められた。国王一座となり、社会的地位は著しく上昇した。
シェイクスピアは、腸チフスのため53歳で亡くなった。その葬式はとても寂しいものだった。学者も批評家も、シェイクスピアのことを友人か誰かと語ろうとすらしなかった。シェイクスピアは表現力豊かな台詞で登場人物を描くことができ、行動のさまざまな原因を意味深い細部をつかってまとめ、記憶に残る筋書きを創作することができた。しかし、シェイクスピアが人に先駆けて発揮した最大の才能とは、おそらく悲劇的・暴力的なアクションの中休みとして喜劇を取り入れたことだろう。シェイクスピアは、大衆の好みに従った。
 シェイクスピアの想像力には、本から生まれたところがあった。種本をすぐ横において、ほぼ一字一句そのままに文章を移しとることもあった。しかし、どういうわけかシェイクスピアの想像力という錬金術を経ると、何もかも変って見えてくる。互いに相いれないような題材からの要素を組み合わせて新しい調を作り出すのが、シェイクスピアの常套手段だった。
  シェイクスピアをまた読んでみたくなる本でした。
 注釈を入れて、上下2段で600頁近い大部の本です。
 毎日曜日の昼下がり、近所の喫茶店でランチをいただきながら、少しずつ読み進めていきました。至福のときでした。
(2008年10月刊。1600円+税)

乱造される心の病

カテゴリー:アメリカ

著者 クリストファー・レーン、 出版 河出書房新社
 「社会恐怖」が報道で大きく取り上げられるようになったのは、製薬業界が私たちの持つ恐怖心を巧みに操った結果であった。製薬会社に雇われているワシントンのロビイストは、国会議員よりも多く、2005年に製薬会社が抗うつ剤で得た収入は、アメリカ国内の販売だけでも125億ドルにのぼる。
 薬を売るなら、まず病気を売り込まないといけない。社会不安障害ほど、この言葉があてはまる疾患はない。社会不安障害は、1990年代には、内気、公衆トイレで排尿することに対する恐怖、おかしなことを言ってしまわないかという懸念などをすべて包含する疾患となった。パキシルはアメリカの抗うつ剤のベストセラーとなり、年間収益が20億ドルを上回った。
 毎年、5000人以上のアメリカ人がパキシルを使った治療を始めた。日本でも、パキシルの売り上げは2001年に120億円となり、以後、毎年、増加の一途をたどっている。今日、パキシルは全世界で年間270億ドルの売り上げを得ている。
 1996年に製薬会社は6億ドルを広告に使った。2000年には25億ドルに跳ね上がった。薬品関連のマーケティング費用の総額は250億ドルで、DTC広告費だけでも年間30億ドル。1日当たり1000万ドルの計算になる。
 パキシル・プロザック・ゾロフトなどは、プラセボ(偽薬)と比べて実はほんのわずかな効果しかない。研究者は、こうした薬をうつ病や不安の治療薬として承認すべきではないとしている。
 パキシルを服用する患者の25%は離脱時に深刻な問題に見舞われる。その70%が性欲の喪失などの副作用がある。しかし、それ以上に、腎不全、脳卒中、血栓、自傷、自殺のリスク増大などの深刻な問題がある。
 単なる内気を病気にしてしまったため、それを薬で治療しようとして、大変な問題を引き起こしているアメリカ社会の実情が描かれています。そして、そこで製薬会社だけはボロ儲けしています。
 社交的であることをあまりにも重んじたために、社交的でない人は薬で治療すべきだなんて、とんでもないことです。日本人もまきこまれているようです。
 私は基本的に薬は飲みません。風邪をひくことは滅多にありません(1年に1回あるかないかです)。寒気がしたら、卵酒を3日ほど夜寝る前に飲みます。すると、治ってしまいます。身体の自然治癒力を信じていますし、そのためには規則正しい生活と笑いのある生活、ストレス発散を心がけています。
 
(2009年8月刊。2000円+税)

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