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負けない議論術

カテゴリー:司法

著者 大橋 弘昌、 出版 ダイヤモンド社
 アメリカ(ニューヨーク州)の弁護士が、アメリカで鍛えた議論術を紹介しています。
 アメリカと日本はまるで違うかと思うと、そうでもなく、意外なことに似たところ、共通するところが多いようです。
 相手を説得したいときは、自分と相手の共通点を探してみる。出身地、学校、職業、家族構成、趣味など、何かひとつくらいは共通点があるはず。相手にその共通点を示し、同類の人だと思われるように議論を進める。そうすると、相手は賛同しやすくなる。
 自分の誇らしい話をしたいときには、自分の失敗談や弱点をまじえて話すのが良い。
 大きな目的を達成するためには、小さなことには目をつぶることも必要。すべてが自分の思い通りに動くとは考えないことである。
 陪審員のいる法廷では、法律理論をふりかざしたからといって裁判に勝てるわけではない。むしろ優れた弁護士は、クライアントを有利に導く証拠をストーリー仕立てにして、陪審員の心の中に植え付けていく。陪審員の心に染みいる話を聞かせるのだ。
 人間の判断は感情によって大きく左右される。合理的かつ論理的に判断しなくてはいけないときでも、実は感情にしたがって判断している。感情に訴えることは、議論に負けないための大きな力となる。
 アメリカには、ルール・オブ・スリーという言葉がある。物事を説明するときに三つの要素で構成すると説得力が増し、受け手に覚えられやすくなり、スムーズに受け入れられる。
 私は、いつも「2つあります」といって、指を2本たてて、「一つは……」、「もう一つは……」と話すようにしています。そして、これをたいてい2回は繰り返します。このとき、相手の顔つき、表情を見て、本当に分かってもらえたか、測りながら話をすすめるのです。
日本の弁護士にとっても、大変役に立つことが、たくさん書かれている本でした。
 
(2009年11月刊。1429円+税)

江戸府内・絵本風俗往来

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 菊池貴一郎、 出版 青蛙房
江戸時代の人々の生活をビジュアルに知ることのできる貴重な本です。
明治38年に出版された和本を昭和40年に復刻したものを、2003年5月に新装版として刊行されました。こういう企画の本は貴重ですね。これも大いに期待します。
 明治38年本は、古書店で2万円ほどするそうですが、この本は4300円です。  
 江戸時代の人々の生活というと、士農工商、切り捨て御免、男尊女卑、大飢饉、身売り、一揆など、否定的かつ暗黒のイメージばかりが強いのですが、実は案外、町民たちはおおらかに生きていたという実態があったようです。
 それは、この本に描かれている絵をみると、よくわかります。
 この本を読んで、私が一番驚いたのは、私の趣味と一致するからかもしれませんが、江戸市中で、植木や花売りがとても多かったということです。虫かごに入れたキリギリス売りも歩いていました。朝顔売りは、毎朝、未明のころから売り歩き、昼前には売り切っていた。
牡丹は珍しく、牡丹屋敷と呼ばれるところがあった。かきつばた(杜若)は、名所が江戸のいくつかにあった。
ホタルの名所もある。町には、金魚売も通ります。
子供たちは学校(寺子屋)で勉強し、別の町内の子たちと勇ましくケンカもしていました。
4月になると、行商の魚屋は初ガツオを売ります。江戸の人たちは厚切りのさしみで食べるのを好んでいたようです。現代人と同じです。
夏には花火も楽しみ、春の花見など、江戸の人々が四季折々の風流を味わっていたことがよく分かります。
江戸時代に人々がどんな生活を送っていたのか、具体的ん飽イメージを掴むためには、この本のように目で見てみるのも不可欠だと思います。
(2003年5月刊、4300円+税)

民主主義がアフリカ経済を殺す

カテゴリー:アフリカ

著者 ポール・コリアー、 出版 日経BP社
 アフリカの現実は今もってなかなか厳しいようです。どうして光明が見えてこないのか、不思議でなりません。一刻も早く、南アメリカのような大きなうなりのなかで、人々の安定した生活が平和のうちに確立されることを願います。
 この本は、アメリカの国々のかかえる現実を冷静に分析し、その対処法について考えています。
 1945年以降、全世界で成功したクーデターは、357件。その陰には、多くのクーデター未遂がある。アフリカでは、成功したクーデターは826件。未遂は109件。未然防止が145件もあった。アフリカでは一つの国で7件の「外科手術」が試みられたことになる。
 民主主義は貧しくない社会では安全を強化するが、貧しい社会をいっそう危険に陥れる。その分かれ目は、一人当たり年2700ドル、1日7ドルの所得ラインだ。最底辺の10億人の住む国の所得は、すべてこれを下回っている。民主主義は、これらの国では暴力の危険性を高める。
 これらの国では、有権者は自分たちの目の前にある選択肢について、ほとんど情報を持っていない。得られる情報が杜撰なうえ、有権者は民族的アイデンティティーによって支持するかどうかを決める。有権者は、民族的忠誠の殻に閉じこもり、候補者がたとえ犯罪者でも支持する。このとき、犯罪者だけが腐敗という機会を活用する。
 シエラレオネは安定している。これは、常駐するイギリス軍兵士はわずか80人にすぎないが、何か問題が発生したらイギリス本土から一夜にして部隊が飛来するという10年協定が結ばれていることによる。
 国際的な援助のうち11%が軍事費に流れている。そして、軍事費は暴力の抑止力になっていない。むしろ、紛争後の政府による高額の軍事費は逆に暴力を誘発している。
 正規軍が使用するために購入された銃が、反政府勢力に流れている。
 政府軍の兵士の給料が低いので、兵士たちは武器庫から盗んで売ろうとする。安価に手に入る銃が内戦リスクを高めている。
 最底辺の10億人の国々の全体の軍事費は、合計90億ドルだが、そのうち最高40%が援助金によって賄われている。そして、越境が容易な地域では、一国の政府が購入した大量の銃が徐々に近隣諸国の闇市場に漏出している。闇市場で取引される安価な銃が内戦リスクを高めている。紛争後の国はたいてい軍事費大国になるか、軍は逆効果をもたらしており、抑止力になるどころか、まさにリスクを誘発している。軍事費は過剰であるばかりか、援助費がそれを支えている。
 若い男性は非常に危険だ。全人口に対する若い男性の割合が倍増すると、内戦リスクは5年間で5%から20%まで増える。ただし、エリトリア人民解放戦線の3分の1は女性だった。
 最底辺の10億人の国々の大半では、公共監視システムはその最上階から解体されている。その結果である巨大な腐敗は、公的資金を浪費したばかりか、政治的詐欺師たちに力を与えた。こうした国では、横領によって資金を調達する利権政治が権力維持の標準的な手法だった。
 いやはや、アフリカの再生にはまだまだかなりの時間を必要としているようです。残念です。暴力によらない再生を目指す人々の集団がうまれ、その集団がうねりを起こしていってほしいものです。
 
(2010年3月刊。2200円+税)

美しい家

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 孫 錫春、 出版 東方出版
 戦前から戦後の朝鮮戦争を経て、金日成と金正日政権下を生き延びてきた北朝鮮の活動家の日記です。北朝鮮の「労働新聞」の記者として、晩年は活躍していました。
 日記は戦前、1938年4月に始まります。朝鮮が日本の植民地として支配されていたころの状況が描かれています。このころ、金三龍、朴憲永という著名な活動家とも親交を持っていました。著者は日本に渡り、東京で中央大学哲学科に編入します。
 1940年8月22日、メキシコで、スターリンの放った刺客によってトロツキーがピッケルで刺殺されたことが書かれています。私は、これを読んで、このころこんなに詳しく背景事情から何まで判明していたというのはおかしいと感じました。あまりにも出来すぎています。もちろん、今となっては真実のことですが、スターリン崇拝の熱が今では想像できないほど強かった戦前に、スターリンをこれほど客観的にとらえることのできた日本人や、朝鮮人の活動家がいたなんて、とても信じられません。私は、ここで、この「日記」の信ぴょう性を疑ってしまいました。
 日本の敗戦後の朝鮮半島で、金日成が朴憲永を追い落としていく過程が批判的に記述されています。
 常識を逸脱したとんでもない話だ。金日成同志に少々失望した。あまたの共産主義運動の先輩を押しのけ、弱冠33歳の金日成が革命の最高指導者になろうとしている野心を露骨にさらけ出している。
 どうでしょうか。こんな金日成批判を書いた手帳を、北朝鮮のなかで後生大事に隠し持っていたなどと考えることは、とてもできません。朝鮮戦争がはじまり、やがてアメリカ軍が仁川に上陸して、反転攻勢が開始します。
 目の前で愛する妻と子が爆死してしまうのです……。
 停戦後の北朝鮮の日々です。
 個人英雄主義として朴憲永同志が批判されている。しかし、それなら金日成首相のほうこそ……。
 ええーっ、たとえ日記であっても、ここまで書いて大丈夫なのかしらん……!
 今日の我が党の現実は、人民大衆中心の党ではない。党の中心には、人民大衆ではなく、首領がいる。首領中心の党である。うむむ、本当なんですか……
 朝鮮戦争は全面戦争への転換が不適切な時期に冒険的に起きてしまった。
 金日成同志は、朴憲永同志が南労党同志たちの決起が必ずあると誇張し騒ぎたてたとし、失敗の責任の矢を南労党の同志たちに向けている。しかし、もっとも重大な判断ミスは、老獪な米帝を相手に戦わなければならない事態になりうることを、まったく想定していなかったところにあるのではないか……。
 「日記」の最後の日付は1998年10月10日になっています。60年間にわたって北朝鮮内で活動家として生き抜いた人の日記が残っていたというわけです、私には、まったくのフィクション(小説)としか思えません。ただし、はじめから小説として読むと、朝鮮半島を取り巻く情勢、そのなかで生きていた人々の息吹を身近に感じることのできるものにはなっています。
 
(2009年7月刊。2500円+税)
 チューリップはほとんど全開となりました。横にアイリスが咲き始めてくれています。茎の高い、黄色と白色の気品のある貴婦人のように素敵な花です。毎年ほれぼれと見とれます。私のブログでちかく紹介します。

阿片王

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 佐野 眞一、 出版 新潮社
 満州そして中国で日本が何をしたのか。そこでうごめき甘い汁を吸っていた人間が戦後の日本で素知らぬ顔で政財界などでのさばっていた、なんていうことを知ると、背筋に虫酸が走ります。つくづく日本って嫌な国だなと思います。そんな史実には目をつぶったらいいんだよというのが、例の自虐史観です……。でも、そんなわけにはいきませんよね。
 生アヘンには、平均8~12%のモルヒネがふくまれ、これが人間の神経を麻痺させて、肉体的苦痛を鎮静させる。アヘン煙膏を吸引すると、モルヒネの麻薬作用で、あたかも桃源郷に遊んでいるかのような幻覚に襲われる。
 ペインは、無色の結晶状のモルヒネを加工し、純度を上げたもの。
 アヘン中毒者は共通して、果物が猛烈に欲しくなる。
アヘンが厄介なのは、性欲という人間の本能と分ちがたく結びついていること。アヘン常用者の性交時間の調査によると、最高17時間も陶酔感にひたっていた。その結果、男は精力を使い果たして腹上死する例が多かった。
 日本は幕末以来、アヘンを国家の厳重な管理下に置いた。日本がアヘンを禁制品としたのは、亡国に直結する隣の中国のアヘン禍に衝撃を受け、これを反面教師としたから。
 そして、それを承知の上で日本は、アヘンを中国に売り込んでいった。中国の奥地に日の丸の旗が翻っていたが、それはアヘンの商標だった。関東軍が中国の熱河に侵攻したのは、実はアヘン獲得作戦だった。
 日本軍は満州から金塊数十個、時価にして数百億円を上海に運び込み、これでペルシャ阿片を輸入した。
 ペルシャ産アヘンの海上輸送には危険がともなったため、日本の外務省と軍の保証がなければ不可能だった。上海には、常に阿片を必要とした人間が人口の3%、実数にして十万人いた。
 里見甫はアヘン取引で莫大な利益を上げ、軍の情報工作に欠くべからざるものとなった。アヘン売買による利益は日本の興亜院が管理し、3分の1が南京政府の財務省に、3分の1がアヘン改善局に、残りの3分の1が安済善堂に分配された。
 アヘン王の里見がGHQから起訴されなかったのは、当時の国際状況の生み出したパワーポリティクス力学が複雑に絡んでいる。里見が極東国際軍事裁判で裁かれることになれば、その過程で「戦勝国」中国の阿片との深いかかわりが必然的に明るみに出てくる。そうなると蒋介石政権も無傷では済まなくなる。蒋介石の率いる国民党軍の資金の少なからぬ部分がアヘンによってまかなわれていたことは、いわば公然の秘密だった。
 アヘン売買は割のいい商売だった。アヘン1両が内蒙古で20円、天津で40円、上海で80円、それがシンガポールでは160円に跳ね上がった。
 日本軍は南京攻略後、南京市財政の立て直しのためにアヘン売買を利用した。そのおかげで、たちまち南京市の財政は好転した。
 里見の前では、東条英機も岸信介も頭が上がらなかった。佐藤栄作も同じで、頭が上がらなかった。うひゃあ、恐ろしいことですね。戦時日本の首相を務めた兄弟が、中国で飽く逆の限りを尽くしたアヘンのおかげを蒙っていたとは……。アヘンは中国の人々をダメにしただけでなく、その経済もめちゃくちゃにしたのですから、責任は極めて重大です。こんな事実を覆い隠そうと言うのは、間違っています。やっぱり、悪いことはきちんと糺されなければいけません。青臭いと言われるかもしれませんが、私は本心からそう思います。皆さんは、どう思いますか?
 440頁もの労作なので、いくらか、冗長すぎる気はしました……。すみません。でも、労作です。
 
(2005年9月刊。1800円+税)

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