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剣岳・点の記

カテゴリー:日本史(明治)

著者 新田 次郎、 出版 文春文庫
 映画を観ました。感動の大作というのは、こういう映画をいうのかと実感しました。すごい映画でした。ともかく、全篇を実地で撮影したというのですからね。大したものです。監督もすごいですけど、役者もすさまじいですね。
 人夫たちの食糧は自弁。米やミソ、副食物は自分で用意する。測量部の食糧は、米、ミソ、干鱈、わかめなどは共同購入する。缶詰は測量官が自費で購入した。
 測量隊は、酒を山の中に持ち込むことはなかった。
 特別なことがあって隊員を慰労するときには、氷砂糖の特配か多食に肉の缶詰を開けて振る舞った。
 陸地測量部につとめるのは、例外なく農家の出身であり、次・三男だった。つまり、測量官も、それを補佐する測夫も、はじめから天幕生活して歩いても文句を言わず、それに耐えられるような環境に育った者ばかりだった。
 陸地測量部が山岳会に勝って剣岳の頂上に立ってみたら、なんのことはない、初登頂ではなかった。修験者が頂上をきわめていて、その証拠を残していた。
 剣岳の初登頂は、明治40年のこと。観測は、技術ではなく、忍耐だった。忍耐の結果、ようやく晴れ間に巡り合って手早く観測して次の観測所に移動すると、山々は再び雲の中にあることが多かった。
 この本の著者である新田次郎は、64歳にして剣岳に初登頂したそうです。すごい勇気です。そして、体力もあったのですね。
 映画を観ていましたので、その興奮さめやらぬうちに一気に読破してしまいました。といっても、山の頂上を征服しようという気にはなりませんでした。私は寒さに弱いのです。ぬくぬく布団にくるまって、湯たんぽを抱いて寝ていたいです。
(2008年3月刊。686円+税)

ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘

カテゴリー:社会

著者:水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子、出版社:文藝春秋
 タイトルを見ただけで何の本か、誰のことか分かった人は偉いですよ。私も、これらの娘さんのお父さんたちのマンガには子どものころ(大学生まで)大変お世話になりました。 ゲゲゲの鬼太郎って、初めのうちはすごく不気味なマンガでしたね。だって、墓場を舞台として、妖怪たちがゾロゾロ出てくるのですから・・・。天才バカボンにはまいりました。イヤミがシェーッと言って飛び上がるのは、大学生のとき、みんなでよく真似をしました。大学の寮で、みんなで回し読みしていたのです。『ガロ』なんかも人気でした。白土三平の「カムイ伝」も良かったです。百姓一揆が初めて具体的にイメージできました。そして、「火の鳥」など、手塚治虫には弁護士になってからも「ブラック・ジャック」など愛読しました。
 娘たちにかかると、偉大なマンガ家も顔色なし、です。案外、娘たちは父親のマンガは読まずに、他人のマンガを読みふけっていて、オヤジたちは、それを気にしていたというのも面白い事実です。
 赤塚不二夫の娘は、高校2年生のとき、パパの彼女と一緒に海外旅行に行ったことがあるといいます。さすがに、それを母親には隠していました。あるとき、それをバラしたら、母親は猛烈に怒って、「不二夫さん!」と電話で怒鳴った。赤塚不二夫は、このときちょうど、NHKの取材を受けていた・・・。あらあら、なんとしたことでしょう。かなりハチャメチャな生活だったようですね。
 「ブラック・ジャック」にでてくるピノコは、手塚の娘がモデル。ちょうど、小学生のときだった。
 水木は、人見知りだし、友だちも多くないし、お酒は飲めず、付きあいはよくない。会社でも家庭でも安心できないとダメ。
 父の偉大さは子どもにはなかなか見えてこないものなんだ。改めてそう思ったことでした。そして、久しぶりにマンガを心いくまで味わいました。それぞれのマンガも挿入されていて、とても楽しい本です。笑いながら、共感しながら、感嘆しつつ車中で一心に読みふけりました。なつかしくも楽しいひとときを過ごせました。ありがとうございます。
(2010年3月刊。1429円+税)

清水次郎長

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 高橋 敏、 出版 岩波新書
 幕末維新における博打の世界の実態を十分に堪能することのできる本です。
 次郎長親分も悠々と生きていたわけでは決してなく、殺し殺されの世界で幸運にも生き延びたこと、維新のとき政治に深入りしなかったことが延命につながったことなど、面白い記述にあふれています。
 清水次郎長は幕末から明治維新、近代国家の誕生まで変転止まない、血で血を洗う苛酷な大動乱の時代を生き抜き、74年の生涯を畳の上で大往生して閉じた、きわめて稀な博徒であった。若き日、博打と喧嘩の罪で人別から除かれ、無宿者となって以来、博徒の世界に入り、敵を殺しては売り出し、一家を形成、一大勢力を築いてしぶとく生き残った、いわば博徒・侠客の典型の一人である。
 徳川幕府発祥の地である三河国には、小藩が乱立し、網の目のように入り組み錯綜したため、警察力が弱体化し、模範となるべきところ、皮肉にも博徒の金城湯池になってしまった。
 博徒間の相関関係は、任侠の強い絆で結ばれているように見えるが、仁義の紐帯はもろく、常に対立抗争しては手打ちで休戦、棲み分けを繰り返す、実に油断も隙もない世界であった。
 博徒の実力の根底は、喧嘩・出入りに勝つ武力プラス財力にある。
 この点も今の暴力団にもあてはまるようですね。
 次郎長が並みいる博徒のなかで抜きんでていったのは、結果論になるが、立ちはだかる宿敵を次々に葬るか、抑えるか、時には妥協しても自派の勢力を拡大したからである。
 次郎長一家は、親分が一方的に子分を支配統制する集団ではない。個性的子分を巧みに次郎長が操縦している感がある。
 幕末、次郎長に食録20石を与えて家臣とするとの誘いがかかった。博徒が武士になれるという夢のような話である。しかし、これを次郎長は迷わずきっぱり拒絶した。
 このころ、次郎長は、かつての三河への逃げ隠れをパターンとする移動型から、清水港に根をおろし、東海地方ににらみを利かす定着型博徒に変容していた。
 次郎長の宿敵であった黒駒勝蔵は、尊王攘夷運動に加担していたにもかかわらず、明治4年になって、7年前の博徒殺害を理由として斬首されてしまった。
 次郎長は、明治維新を機に、無宿・無頼の博徒渡世から足を洗い、正業で暮らしを立てようとした。
 とびきり面白い、明治維新の裏面史になっています。 
 
(2010年1月刊。800円+税)

収容所に生まれた僕は愛を知らない

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者:申東赫、出版社:KKベストセラーズ
 北朝鮮にある14号政治犯収容所完全統制区域出身の若者を見たとき、別の完全統制区域で警備隊員をしていた人(同じ脱北者です)が次のように述べています。
 幼いころからの苛酷な強制労働の結果、右側の肩は曲がってしまっている。腕と手は、厳しい力仕事のせいでサルの腕のように非常に長くなり、内側に湾曲している。その体は、物を運ぶのに便利なように変形してしまった。こんな外形状の身体の特徴は、収容所の中で幼齢から強制労働をしなければ出来あがらない。
 北朝鮮の強制収容所には、2つの種類がある。一つは、ある程度の期間収容されたあと、一般社会に復帰できる「革命化区域」。もう一つは、一度入ると一生そこから出られない完全統制区域。革命化区域は、15号管理所のみで、残りは、すべて完全統制区域である。だから、完全統制区域の情報が外部にもれることは絶対になく、その中で何が起きているか誰も知ることができない。ヒトラーのユダヤ人絶滅収容所のようなものなのでしょう。
 収容者の7割は、なぜここに入れられたか、その理由すら知らないだろう。管理所に入れられた瞬間から、身内の消息であっても知らされず、身分証も全財産も没収されてしまう。独身者は寄宿舎で生活する。結婚しても、男は寄宿舎生活を続け、女だけに家が与えられ、子どもと生活する。
 仕事は1ヶ月に1度、毎月1日が休み。土曜とか日曜に休むことはない。
 食料は配給。その日のうちにすべて消化しなければならず、食糧を貯めておくことはいけない。食糧難なので、ヘビやネズミも食べる。ネズミは焼いて食べる。頭まで、骨をかじって食べ尽くす。ヘビより栄養価は高い。
 この14号収容所に5万人は生活している。収容所内では、メガネをかけることもできない。塩を除いて、すべて自給自足である。
規則に反したとき、たとえば、脱走したとき、盗んだとき、男女間の承認なき身体接触があったときには、即時に銃殺される。公開処刑場があり、収容所から逃亡を図った母と兄が処刑されるのを少年であった著者も一番前で見せつけられたのでした・・・。
収容所内での結婚は、当局の指示による表彰結婚のみ。いやと言えば結婚は許されない。収容所内に学校はあるが、教えられるのは国語と算数と体育だけ。学校に本はない。歴史を教えられることもない。
ここでは、金日成、金正日を賛美する教育もなかったようです。不思議ですね・・・。
高等中学校に進んでも本はなく、生活総括のノートがあるだけ。カエルを捕ったり、ヘビをつかまえて食べたりしていた。
強制収容所の囚人が集団的な抵抗ができないのは、何よりも統制が厳しいこと、収容者が自分は罪を犯してここにいると思っていることにある。
罪を犯した自分は、ここの規則に従うのが当然で、一生、命令されるままにおとなしく暮らすものと考えている。そもそも抵抗意識などない。収容所では、基本的に、人々を食べ物で統制する。
巻末に著者が知らなかった言葉の一覧表があります。驚くべきリストです。
可愛らしい、友好的、善良、純粋、楽観的、心が広い、素朴、平和、楽しい、うっとりする、明朗、快活、幸せ、十分・・・・。
今の日本の若者にも実感のともなわない言葉になってはいないのかと、おじさんは少しばかり心配なんですが・・・。
5万人も暮らしていたという収容所生活の、あまりに苛酷な日常生活が紹介されています。目をそむけたくなる現実です。よくぞ、こんなところから脱出できたものです。
(2008年3月刊。1600円+税)

生き残る判断、生き残れない行動

カテゴリー:アメリカ

著者 アマンダ・リプリー、 出版 光文社
 9.11のとき、ワールド・トレード・センタービル(WTC)にいた人々がどんな行動をとったのか。助かった人と助からなかった人に違いはあったのか、究明されています。たしかに違いはあったようです。
 生存者900人に聞くと、平均して6分間は、廊下に出て行動するまで待っていた。沈黙、笑いは、立ち遅れと同じく、典型的な否認の徴候である。
 危機に直面すると、人々は、一様にのろい反応を示す。無関心な態度をとり、知らないふりをしたり、なかなか反応しなかったりする。
 この否認の段階では、不信の念を抱いている。我が身の不運を受け入れるのには、しばらく時間がかかる。
 人間の脳は、パターンを確認することによって働く。現在、何が起こっているかを理解するために、未来を予測するために、過去からの情報を利用する。この戦略は、大抵の場合、うまくいく。しかし、脳に存在していないパターンに出くわす場合も避けられない。つまり、例外を認識するのは遅くなる。
 WTCから脱出したと推定される1万5千人あまりの人々が各階を降りるのに平均して1分かかっている。これは標準的な工学基準にもとづく予測の2倍の時間がかかっている。
 災害に直面すると、群集は概して、とてももの静かで従順になる。災害時の人間の反応のなかで、逃げることと同じくらい「凍りつくこと」という現象がみられる。
 危機に直面した群集に対しては、大きな声ではっきりした指示をすることが大切だ。
 年輩の人は避難するのが好きではない。年老いた人は変化を好まないからだ。そして、人はしばしば自分の能力を過大評価する。
 車を運転中にケータイで話すと、視野は著しく狭くなる。ところが、よく見かけますよね。夢中で会話している人を……。とても危険なんですから、止めてほしいですよね。
脳は、一生を通じて人間の行動次第で構造も機能も文字どおり変化する。点字を読んでいる目の見えない人々は、触覚を処理する脳の部位が大きくなる。
 回復力のある人には、三つの潜在的な長所も備わっている傾向がある。人生で起きることに自らが影響を及ぼす事ができるという信念。人生に波乱が起きても、そこに意義深い目的を見出す傾向。いい経験からも嫌な経験からも学ぶことができるという確信。このような信念は、一種の緩衝材として、いかなる災害の打撃をも和らげてくれる。こういう人々にとって、危険は御しやすいものに思え、結果として、よりよい行動をとることになる。
 強い自尊心を持っている人たちは、比較的たやすく元気を回復した。IQ値の高い人のほうが、心的外傷を受けた後もうまくやっていく傾向がある。しかし、IQに関係なく、誰もが訓練と経験で自尊心を生み出せる。
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)の罹患者は、ただ変わった振舞いをするだけでなく、脳そのものが実際に変わっている。脳の奥深く扁桃体の近くにある海馬が、PTSDの罹患者のものは少し小さくなっていた。
 危機に直面し、パニックになったときに、どうしたら助かるのか、実例をふまえて分かりやすい教訓を導き出している本です。大変参考になりました。
(2009年12月刊。2200円+税)
 連休初日、午後から庭の手入れをしました。よく晴れて気持ち良く作業していると、頭上の樹でウグイスが景気よく大きな声でホーケキョと鳴いてくれました。私が下に居るのに気付かなかったようです。私がびっくりして見上げていると、見つめられたのに気がついて飛んで行ってしまいました。地味な色の小鳥です。
 ジャーマンアイリスの青紫色の花の第一号が咲きました。華麗な花弁に見とれます。アイリスの最後は真っ黄色の花です。いくつか咲いてアイリス軍団フィナーレを飾ります。
 今年はサクランボの赤い実を全く見かけません。天候不順のため、例年だとヒヨドリが見向きもしないのに、食べつくしてしまったのでした。野菜が高値となっていますが、小鳥たちには生存がストレートにかかっているのですね。それにしても、サクランボの実がまったくないというのは異変です。

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