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みんなが知りたいペンギンの秘密

カテゴリー:生物

著者:細川博昭、出版社:サイエンス・アイ新書
 日本人は、世界でいちばんペンギン好きな国民として知られている。
 そうですね。私も、ペンギン大好き人間の一人です。旭山動物園のペンギンにもご対面してきました。もっとも、有名な冬のお散歩を見たわけではありません。
 それに南極大陸での皇帝ペンギンたちの冬の子育ての模様を映画で見て、そのすさまじさに感嘆・感動してしまいました。子育てというのは、これほど生命(いのち)がけの営みなんだと、つくづく自分のしたことを反省させられました。いえいえ、子育てに手を抜いたつもりはありません。ただ、もっともっと真剣に関わるべきだったと思ったということです。
 ペンギンが、ほかのどんな鳥よりもまっすぐ身を起こした体型になったのは、海の生活に適応した結果である。陸上で生活するために、あの印象的なスタイルになったわけではない。
 ペンギンは足の位置を移動させた。尾に近いからだの後方へと足が移動したことで、ペンギンはより水の抵抗の少ない、効率的な泳ぎができるようになった。
空を飛ぶ必要のなくなったペンギンは、軽い骨である必要がなくなった。逆に、海に潜るためには重いからだのほうが有利である。そのため、ペンギンの骨は、密度が高く、重たいものになった。
 ペンギンは、消化を助ける目的のほか、効率の良い潜水ができるように体重を増やす意図から、小石を飲み込んでいる。
 ペンギンは南半球にしかいない。赤道をこえて北半球に行こうとすると、30度をこえる海水の中を長時間、泳ぎ続けなければならなくなる。それは、ペンギンにとって致命的なこと。冷たい海につかって熱を逃がすことでペンギンは体温管理をしている。それが出来なくなってしまう。
 ペンギンは一夫一婦制。オスは、前の年にカップルになり、うまく子育てが出来たメスの帰りを待つ。しかし、オスが待つのは1日だけ。丸一日たっても意中のメスが戻ってこないときには、別の身近なメスを選んで繁殖行為に入る。そうしないと、ヒナをうまく育て巣立たせることができなくなるから。ところが、遅れていた前年のつがいのメスが到着したとたん、オスは、そのメスに駆け戻って、なにごともなかったように交尾を始めるのだ。うむむ、なんということでしょう・・・。
 ペンギンでは、結婚相手を決めるのはオス。メスが協力しないと交尾は成功しない。すべてはメスにゆだねられている。だから、オスは自己PRにつとめる。それを見たメスが、このオスは自分にふさわしいと思ったら、カップルは成立する。2羽はお互いの存在を認めあうかのように向きあってディスプレイを始める。互いのおじぎから始まり、ともに空を見上げて鳴き交わしたり、クチバシを触れあわせたりしながら、それぞれの種ごとに一定の動きを繰り返す。これを相互ディスプレイと呼ぶ。
 事前のディスプレイに熱が入る反面、交尾自体はきわめて短時間に終わる。
 ペンギンは海中で20分以上も息を止めることができるし、最深潜水記録は564メートルである。
 ペンギンは2~5週間も絶食できる。最長はエンペラーペンギンのオスで、3~4ヶ月も絶食し、体重は30~40%も減ってしまう。
 ペンギンは親子、夫婦を音声、顔つき、クチバシのプレートの色や様子、斑紋やからだをおおう羽毛の微妙な違い、挙動にあらわれる個性などもふくめて、さまざまな条件を統合して認知・識別している可能性がある。
 ペンギンのことを深く知ることのできる、面白い本でした。
(2009年11月刊。952円+税)
 久しぶりに日比谷公園を歩きました。新緑のみずみずしさが目に映えて、まばゆいほどです。銀杏の大木はすっかり裸になっていて、梅の実が葉の影にたくさんなっていました。池の周りにはキショウブが花盛りです。
 澄み切った青空なのですが、風が冷たいのです。3月の肌寒さを感じるほどで、良く見ると薄でのコートを着て歩いている人すらいました。
 皇居前広場には今日もホームレスらしき人々があちこち点在して、寝転がっています。日比谷公園の出入り口には、徳之島にアメリカ軍基地不要、と書いたゼッケン、黄色シャツの人々が集まっています。
 私がよく利用する喫茶店に政府(厚労省)参与に再び就任した湯浅誠さんが、いつもの軽装で一人あらわれて食事をとっています。政治の大激動を見れる幸運な時期を生きていると実感します。

カデナ

カテゴリー:アメリカ

著者:池澤夏樹、出版社:新潮社
 私が物心ついたころ、既にベトナム戦争は始まっていました。大学生のころは、その絶頂期でした。あとで知ったのですが、私とまったく同世代のアメリカ人青年がベトナムのジャングルに送られ、「ベトコン」と戦い、殺し、殺されていたのです。50万人ものアメリカ兵がベトナムに送られていたなんて、とても信じられません。いま、イラクにも50万人ものアメリカ兵はいないでしょう。そして、ベトナムに送られたアメリカ人の1割にあたる5万5千人の青年が戦死しました。もちろん、ベトナム人の死者は桁が2つも違います。
 今も当時も、私には、アメリカのベトナム戦争に大義があったなんて考えられません。まさに大義なき侵略戦争でした。アメリカ帝国主義の威信をかけた侵略戦争です。超大国アメリカが最新兵器を続々と送り続けて、ついにベトナムの人々から惨めに叩き出されてしまったのです。サイゴンのアメリカ大使館からヘリコプターにぶら下がって逃げ出していくアメリカ人の醜い姿を見て、みんなで手を叩いて喜んだものでした。侵略者の哀れな末路です。
 この本は、まだアメリカがベトナムに北爆していたころ、沖縄でのささやかな反戦運動をテーマとしています。
 アメリカ空軍のB52がベトナムの上空に入りこんで、大々的に爆弾を落としていきます。ひどいものです。許されることではありません。そのルート、目的地、日時を探り出し、ベトナムに伝達する。それを使命とした人が沖縄にいたのでしょう。沖縄から飛び立つB52の操縦士たちに近づいて情報を得て、ベトナムに知らせるのです。それをフツーの市民がやっていたのでした。そして、アメリカの脱走兵を逃がす仕事もありました。
 B52機が沖縄の基地で、大爆発するという事故も起きました。
 ベトナム人を虐殺するのに関わって罪の意識にさいなまれ、悩むアメリカ兵も登場します。そうでしょうね。人間として当然の反応です。
 日常生活の淡々とした情景描写のように見せて、沖縄におけるベトナム反戦の取り組みの一コマを垣間見せてくれる貴重な本だと思いました。
 私にとっても、この小説の舞台となった1968年は忘れられない年です。大学2年生のとき、東大闘争が始まったのでした。
(2009年10月刊。1900円+税)

もうひとつのスーダン

カテゴリー:アフリカ

川原 尚行・内藤 順司 著者 、主婦の友社 出版 
 福岡の出身で九大医学部を卒業した医師がアフリカの地、それも内戦まっただなかのスーダンでがんばっています。アフガニスタンでがんばっているペシャワール会の中村 哲医師と年齢こそ違いますが、あまりに共通点があるのに驚かされます。
 大判の写真集なのですが、スーダンの実情が表情豊かによく撮られています。どことなく物悲しさの感じられる少女の顔がアップでうつっています。この子たちの将来を奪ってはいけないと思わせます。
 川原医師は、初め日本外務省の職員として大使館勤めの医師でした。ところが、外務省を辞めて、スーダンでボランティアの医師として働いているのです。そして、日本に支援組織をたち上げました。まるでペシャワール会と同じです。川原医師を支える会はNPO法人ロシナンテスと言います。そうです、あのドン・キホーテの乗っていたロバの名前からとったものです。
 川原医師たちは、劣悪な水事情が下痢を招き、子どもたちの生命・健康を願っていることを憂えて老朽化がすすみ、水漏れがひどかった給水設備をリニューアルしました。良質な地下水が利用できるようになって、病気抑制の基となる水が確保されたのです。少女たちの喜ぶ笑顔が素晴らしい。村に学校をつくります。女の子が通える学校もつくりました。そして、母子保健に取り組みます。
 さらに、サッカーボールを日本から持ち込み、子どもたちにサッカーを教えます。日本人コーチを引っ張ってもきました。なんと、女子サッカーチームまでつくったのです。子どもたちに夢と希望を与えるって素晴らしいことですよね。
 子どもたちのはじける笑顔は、写真を眺めているほうの心まで幸せにしてくれます。子どもの笑顔は世界遺産に匹敵するほどの宝です。
 私もロシナンテスを応援します。この本を買って読むだけでも応援になるのです。あなたも、ぜひ買って読んで、眺めてみて下さい。
 
(2010年4月刊。2857円+税)

弁護士・布施辰治

カテゴリー:司法

著者:大石 進、出版社:西田書店
 布施辰治弁護士の孫であり、日本評論社の社長・会長であった著者が等身大の布施辰治の姿を明らかにした力作です。
 布施辰治は2004年12月、大韓民国から建国勲章を授与され、孫である著者が代わって受けとった。なぜか?
布施辰治は明治13年(1880年)に現在の石巻市で生まれた。布施は一般に「社会派」の弁護士と理解されている。しかし、はじめから「社会派」弁護士だったはずはない。   1920年の「自己革命の告白」以前の布施は、熟達の刑事弁護士として花形的存在だったし、「告白」以後も、布施の意識は、生涯を通じて刑事弁護士だった。
 すべての人間は、逮捕された瞬間に社会的弱者になるというのが布施の認識だった。
 「人生まれて刑事被告となるなかれ」というのは布施の警句である。
 刑事弁護人というのは、ボランティアとしては成り立っても、職業としては成り立たない。それを布施辰治は可能ならしめた。他の弁護士の3倍、いや5倍もの仕事をした。そして、その3分の1、5分の1のエネルギーを自分の良心に反しない限りでの民事事件にあてた。つまり、布施辰治はエネルギーの3分の1は、5分の1は食べるために、残りは世のため、人のために使った。
 被告人は判決が心配で、よほど親切な弁護をされても不満を感じる。そういう被告をも満足させるのが本当の弁論だ。弁論が情理を尽くして被告の立場を理解したものであれば、被告は有罪で服役しても、その弁論に心を支えられ、自暴自棄にならずにすむ。
 これは、布施が刑事弁護人として歩み始めたころに訓育を受けた刑務所長の言葉である。
 うむむ、なるほど、そうなんです・・・。
 布施辰治は政府からにらまれ、逮捕・起訴されて2度も下獄しています。
1回目は、1933年に3ヶ月の実刑。新聞紙法違反、郵便法違反。なんと、獄中の依頼人へ手紙を渡したことが郵便法に違反するというのです。信じられません。
 2度目は1939年です。3.15事件の弁護にあたった日本労農弁護士団が一網打尽にされてしまいました。
 治安維持法というのは、弁護人が被告人を弁護しただけで犯罪になり、実刑を科されるというのですから、つくづく恐ろしい法律です。
 布施辰治は、1926年に朴烈・金子文子大逆事件の法廷に立って弁論した。同年、朝鮮に渡り、各地で演説会を開き、また、たたかう朝鮮の人々と交流した。
 治安維持法では、日本人には一人も死刑判決が出ていないが、朝鮮人の処刑者は50人をこえている。この法律の重罰化は、もっぱら植民地対策だった。
 布施辰治は、虎狼の職とされる判事・検事・警官にも、同じ人間としての惻隠の情、あるいは良心というものがあって、それを呼び起こすことができると信じていた。判事や検事の人間性を信じ得ぬものが、どうして被告人の人間性を信じ得ようか。
 そのような性善説なしでは、弁護士の職は、あまりにもむなしい。判事・検事説得の可能性を信じること、この思いが彼の活動を、長い力のこもった弁論を支えたのだ。
 うむむ、なるほど、なるほど、よく分かります。見習いたい、身につけたい指摘です。
(2010年3月刊。2300円+税)

犬として育てられた少年

カテゴリー:司法

著者:ブルース・D・ペリー、出版社:紀伊國屋書店
 アメリカの子どもの40%は18歳までにトラウマになりうる経験を一度はする。
 2004年、アメリカ政府の児童保護機関に児童虐待あるいはネグレクトが300万件報告された。そのうち90万件近くが事実だと確認されている。17歳未満の子どもの8人に1人が過去1年内に大人からなんらかの深刻な虐待を受けていて、27%の女性、 16%の男性が子ども時代に大人から性的虐待を受けている。
 アメリカでは、1000万人の子どもが家庭内暴力のある環境にいて、毎年15歳未満の子どもの4%が親を亡くしている。毎年80万人の子どもが里親のもとで暮らしている。虐待を受けた子どもの3分の1は、それが原因で明らかな精神的な問題を抱えている。
 人間は学ばなければ人間的にはなれない。すべての人間が人間的な心を持っているわけではない。
 彼女は、とても幼い時期に性的虐待を受けたせいで、脳のシナプスが非常に不幸な形につながりを作ってしまった。彼女のごく幼いときに関わった男性たちと、加害者の少年が、男性とはどういうものかという概念と、異性への対処法を決めてしまった。幼いころ周囲にいた人々によって、人間の世界観は形づくられてしまう。
 男が自宅に入ってきて母親を強姦殺人し、そばにいた3歳の女の子まで殺そうとしたが、奇跡的に子どもは助かった。その子はいったいどうなるのか・・・。
 ノドを切り裂かれた3歳の子どもは、泣きながら手足をしばられ冷たくなっている血まみれの母親の死体を元気づけようとし、自分も慰めを得ようとしていた。どれほど心細く混乱し、恐ろしかったことだろう。だから、医師の質問を無視したり、隠れたり、特定のものを怖がったりするという症状は、トラウマを寄せつけないために彼女の脳が築き上げた防衛手段なのである。このような子どもを治療するには、この防衛手段を理解することがとても重要だ。
 呼び鈴、そう呼び鈴からすべてが始まった。呼び鈴の音が殺人者の到着を告げたのだ。日常的にありふれたものが、彼女を終わることのない恐怖に陥れる記憶を呼び起こす合図に変わってしまった・・・。
 脳は、おびただしい量の情報を処理するため、世の中がどういうものかを予期するため、パターンに頼らざるを得ないのだ。
 脳は、いつも、現在はいってくるパターンを、過去に貯蔵されたひな型やつながりと比較している。この比較のプロセスは、最初、脳の最下部のもっとも単純な部分、危険に反応する神経系の始まりの部分で行われる。情報が処理の最初の段階から上がっていくとき、脳は、このデータをもう一度見直し、より複合的に検討と統合を行う。けれど、最初に脳が知りたいのは、今入ってきているこのデータには危険の可能性があるのか、ということだけだ。その経験が安全だと分かっているなじみのあるものだったら、脳のストレスシステムは活性化しない。しかし、入ってきた情報がとりあえずなじみがなく、初めてあるいはよく知らない体験だったとき、脳はすぐにストレス反応を始める。このストレスシステムがどこまで活性化するかは、その状況がどれだけ危険に見えるかによる。重要なことは、何もない状態では受け入れるのではなく、疑うのが基本だということだ。少なくとも、新しい、未知のパターンの活性に直面したときには、さらに警戒する。この時点での脳の目的は、より多くの情報を得て、状況を検討し、どれだけ危険かを判断することだけ。人間が出会う、もっとも危険な動物は常に人間なので、声や表情や身ぶりなど言葉以外の部分に悪意が感じられないかをじっと観察する。
 落ち着いた状態なら、人は脳の皮質部分だけで楽々と生きていける。脳の最高の能力をつかって、抽象的なことを考えたり、計画を立てたり、将来の夢を考えたり、読書したりできる。しかし、何かに注意をひかれ、思考を破られたとき、人間は警戒し、現実的になり、脳の活動の中心を大脳皮質より下の領域に移し、危険を察知するために知覚を鋭敏にしようとする。刺激に反応しつづけ、やがて恐怖を感じるようになると、脳の下部のもっとすばやい反応をする領域に頼らざるを得なくなる。たとえば、完全なパニック状態になっているときに起こる反応は反射的なものであり、事実上、意識ではコントロールできない。恐怖は、文字どおり、人間の頭を鈍らせる。これは、短いあいだ、すばやく反応し、その場を生きのびるための性質だ。
 幼い脳には適応力があり、愛情や言葉をすばやく学ぶことができるが、不幸なことに、そのせいでネガティブな経験の影響も受けやすい。3歳児までの、脳の重要な社会的回路が発達する時期にネグレクトされていたので、誰かを喜ばせたり、ほめられたりすることの喜びが本当には理解できない。教師や友だちを怒らせて、拒否されても、それが辛いという気持ちにならなかった。正常な発達をしておらず、人間関係を喜びに感じることができないので、他人の思いどおりにしなければならないという必要性を感じなかったし、人々を喜ばせてもうれしくなかったし、他人が傷つこうと傷つくまいと気にならなかった。
 社会病質者が他人に共感できないのは、他者の感情を感じとれないのと同時に、他者への同情心がない。つまり、他人の気持ちがまったく分からないというだけでなく、他人を傷つけても気にしない、あるいは、積極的に傷つけたいと思うのだ。
 虐待やネグレクトでトラウマを受けた子どもに対して何かを強制したり、威圧したりするのは逆効果で、さらにトラウマを与えるだけ。
 いやはや、とんでもないケースが世の中にはあるものですよね。子どもたちの心の闇が、大きくなって手のつけられないほど肥大化して社会に対して復讐する。そんなことにならないよう、温かい目で子どもたちをしっかり受けとめ、抱きしめてやりたいものだと、つくづく思いました。とても勉強になる本なのですが、こんな残酷な現実があるなんて信じられない、信じたくないという気になったのも事実です。でも、とりわけ弁護士にとって必読の本だと思います。
(2010年2月刊。1800円+税)

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