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雅子さまと「新型うつ」

カテゴリー:人間

 著者 香山 リカ、 朝日新書 出版 
 
私は、これまでにも何回も申し上げましたが、最近の雅子さんバッシングを苦々しく思っています。天皇制とか皇族については否定的な考えをもっている私ですが、かといって、今の週刊誌と右翼による皇族とりわけ雅子さんバッシングのえげつなさには呆れてしまいます。右翼って、皇室を無条件で尊崇するというわけではないこと、自分たちの言いなりにならなかったら皇族といえども容赦なく叩くということを如実に示しています。いかにも政治的ですし、皇族なんて利用できるだけ利用するという姿勢があまりに露骨すぎて嫌になります。皇室の制度が現代の日本においていかなる意味を持っているのか、天皇の後継者は男系に限るのか、もっと私たちは冷静に議論すべきではないでしょうか。
その意味で、今の天皇が折りにふれて日本国憲法を遵守する姿勢を表明していることに、私は敬意を表すると同時に心から共鳴します。ところが、右翼の人たちは、そのことが、どうやら気にくわないようです。ここらあたりについて、国民的な議論を深めたいものです。
この本は、週刊誌から叩かれ続けている雅子さんの病状について、精神科医が解説していますので、よく問題点が理解できます。
雅子さんは、ストレスから不安や抑うつ、不眠、全身倦怠感などの症状が起きる「適応障害」という病名が公表された(2004年7月30日)。そして、6年がたつ・・・・。
精神科医は、何よりも患者自身の立場を無視し、その利益を優先することになっている。たとえ相手の話がどんなに荒唐無稽であっても、非倫理的であり反社会的であっても、ひとまずは「そうですか」と受け入れる。それが鉄則だ。ところが、精神科医として口にしてはいけないはずの「甘えている」などのという言葉をつい口走りたくなってしまうのが、この新型うつという新しい病態だ。雅子さんは、周囲の否定的な反応や感情を引き出してしまうというという意味でも、まさに、この新型うつにあてはまる。
新型うつで休職中の若い世代の多くは、自分の挫折のひきがねになったのは、「やりがいのない仕事」だったと語る。そして、自分がうつから回復するためには、自己実現につながる部署・業務が必要だと言う。
 新型うつの人たちの主張の根本にあるのは、仕事は自己実現のためにあるという仕事に対する考え方の変化だ。
ところが、「私にしかやれない仕事」を実際にまかせたとき、本当にその人はその仕事をこなすことが出来るのか・・・・?そこには、こうありたい自分はあっても、決して実際の自分の姿はなかった。このように、仕事で自己実現したいと望んでいる人は、しばしばこの問題で落とし穴にはまる。個性的な仕事、オリジナリティにあふれる仕事は、それだけハードルが高い。知識、忍耐力、持続力、柔軟な心に体力など、要求される能力は数限りない。
精神科医とくに精神療法が必要なケースなどでは、それはいつも同じ場所、限られた条件で行われることが重要だ。生活空間を離れ、診察室という特別な場所で、それが10分であっても30分であっても、時間も限定された中で治療者と向きあう。できたら、「何曜日の何時ごろ」と、曜日や時間も、いつも決まっているほうがよい。こうやって治療の条件を限定し、一定の枠にあてはめることを「治療を構造化する」と呼ぶ。そうすることで、患者にも治療者にも、そこでの話が「ただのおしゃべり」ではないという意識が生まれ、限られた時間で大切なことを話そう、聞こうという状況になる。
1回あたりの時間はきちんと決めることによって、患者はそれ以外の日には過去を振り返ったり、次回の面接に向けて気持ちを整理したり、と自分なりのやり方で、過ごせるようになる。患者が治療者に「いつでも会える」と依存的になると、自己治癒力が発揮されにくくなってしまう。なーるほど、そんな工夫も必要なのですね・・・・。
新型うつの場合には、これまで、うつ病にはタブーと言われてきた「がんばれ」という言葉も、ときには有効になることもある。もちろん、まだ落ち込みがひどいときに「他の人もがんばっているんだから、あなたもがんばるべきだ」というプレッシャーをかけるような言い方は望ましくない。そうではなくて、夢から覚めるように急速に回復したときに、「さあ、そろそろ動き出しましょうよ」「ずっと休んでいるなんて、あなたらしくない」と背中を押すことも必要なのだ・・・・。ふむふむ、そういうことなんですね。
雅子さんの立ち直りを支えきれるのかどうかは、日本社会が温かさ、おおらかさをもっているかどうかの試金石のような気がします。もっと、温かい目で見て、みんなでしっかり立ち直りを支えようという社会的雰囲気をつくりあげたいものだとつくづく思います。
(2009年3月刊。700円+税)

諫早湾、調整池の真実

カテゴリー:社会

著者:高橋徹・堤弘昭・羽生洋三、出版社:かもがわ出版
 1997年4月、諫早湾の奥にある3550ヘクタールの海面が有明海から切り離された。これは、東京の山手線内側の半分以上の面積にあたる。堤防閉め切り後、湾口部の内外では潮流速が大幅に遅くなり、1998年以降は秋期の赤潮が大規模化しはじめ、  2000年には広汎なケイソウ赤潮によってノリの大規模な色落ちが発生した。その被害額は、単年度の市場価格だけで200億円に達した。
 潮流速が遅くなった海底では、それまで沖合に流れていた細かい粒子の有機物をふくむ泥が沈澱し、それを分解するバクテリアが酸素を消費することで貧酸素水塊が発生するようになった。その頻度と範囲が年々拡大している。そして、高級貝のタイラギ漁は壊滅状態となった。
 有明海の干満差は国内最大の6メートルにも達するため、数キロにわたって潮が引く、大規模な干潟が各所にできる。諫早干潟も、その一つで、2900ヘクタールという国内最大の面積を誇った。ここには、シギやチドリなど、渡り鳥の飛来数がとりわけ多い場所として、全国的に有名であった。
 有明海では、毎年10月から3月にかけて、沿岸のいたるところでノリの養殖漁業が盛んとなる。その生産量は40億枚で、全国の養殖ノリの4割を占める。有明海はノリ養殖漁業の発祥の地でもある。
 水温の高い有明海でとれる養殖ノリは柔らかく、香りが強く、高級ノリとしてのブランドをもっている。ところが、赤潮が秋に発生すると、このノリ養殖漁業を直撃する。本来、黒紫色の濃さを競うべき養殖ノリが色を失い無惨な姿となる。これは、増殖した植物プランクトンと、海水中の栄養塩(無機態のチッソとリン)をめぐる競争に、養殖ノリが負けてしまった結果である。
 有明海は、1日の潮汐によって海面が5~6メートルも変動し、そのことによって速い潮流が発生するため、海水がよく攪拌される海であった。
 日本の食糧自給率は4割いかになっていますから、それを解消するため、農業を保護、育成する必要があるというのは大いに共鳴します。しかし、それだったら、今の大々的な減反政策は、まっ先に見直されるべきでしょう。なにはともあれ、農家がいそいそとお米づくりに没頭できるようにするべきでしょう。
 ですから、諫早湾を干拓する前に、国は今やるべきことがあるのです。
 公共事業は、どこでもゼネコンと、それにたかる利権構造が問題となります。今回の諫早湾埋立にしても、ゼネコン側からの反対なのではないかと思われる節が多々あります。
 もちろん、土木工事も大切です。でも、それが、私たちの日常生活をより苦しくしてしまうのであれば、思い切って中止するというのも、一つの決断ではないでしょうか・・・。
(2010年7月刊。1600円+税)

吉原花魁日記

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:森 光子、出版社:朝日文庫
 オビに欠かれている著者略歴を紹介します。
 1905年、群馬県高崎市に生まれる。貧しい家庭に育ち、1924年、19歳のとき、吉原の「長金花楼」に売られる。2年後、雑誌で知った柳原白蓮を頼りに妓楼から脱出。1926年、本書、1927年『春駒日記』を出版。その後、自由廃業し、結婚した。晩年の消息は不明。
 売春街、吉原で春をひさいでいた女性は自由恋愛を楽しんでいたのではないかという声が今も一部にありますが、決してそんなものではなかったことが、当事者の日記によって明らかにされています。
 19歳で吉原に売られてから、嘆きというより復讐のために日記を書きはじめたというのですから、まれにみる芯の強い女性だったのでしょうね。
 ちなみに、女優の森光子とはまったく無関係です。同姓同名の異人です。
 うしろの解説にはつぎのように書かれています。
 「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから・・・」
 そんな周旋屋の甘言を真に受けて、どんな仕事をさせられるかも知らぬまま、借金と引き換えに吉原に赴き、遊女の「春駒」となった光子。彼女の身分こそ、まさに公娼制度の中にある娼妓であった。
 周旋屋に欺されたことを知ったとき、彼女は、日記にこう書いています。
 自分の仕事をなしうるのは、自分を殺すところより生まれる。わたしは再生した。
 花魁(おいらん)春駒として、楼主と、婆と、男に接しよう。何年後において、春駒が、どんな形によって、それらの人に復讐を企てるか。復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう。それは、今の慰めの唯一であるとともに、また彼らへの復讐の宣言である。
 わたしの友の、師の、神の、日記よ、わたしは、あなたと清く高く生きよう。
 客よりの収入が10円あれば、7割5分が楼主の収入になり、2割5分が娼妓のものとなる。その2割5分のうち、1割5分が借金返済に充てられ、あとの1割が娼妓の日常の暮らし金になる。
 一晩で、客を10人とか12人も相手にする。
 客は8人。3円1人、2円2人、5円2人、6円1人、10円2人。
 客をとらないと罰金が取られる。花魁は、おばさん、下新(したしん)、書記などに借りて罰金を払う。指輪や着物を質に入れて払う花魁もいる。
 朝食は、朝、客を帰してから食べる。味噌汁に漬け物。昼食、午後4時に起きて食べる。おかずは、たいてい煮しめ。たまに煮魚とか海苔。夕食はないといってよいほど。夜11時ころ、おかずなしの飯、それも昼間の残りもの。蒸かしもしないで、出してある。味の悪いたくあんすらないときが多い。
 花魁なんて、出られないのは牢屋とちっとも変わりはない。鎖がついていないだけ。本も隠れて読む。親兄弟の命日でも休むことも出来ない。立派な着物を着たって、ちっともうれしくなんかない・・・。
 みな同じ人間に生まれながら、こんな生活を続けるよりは、死んだほうがどれくらい幸福だか。ほんとに世の中の敗残者。死ぬよりほかに道はないのか・・・。いったい私は、どうなっていくのか、どうすればよいのだ。
 花魁13人のうち、両親ある者4人、両親ない者7人、片親のみ2人。両親あっても、1人は大酒飲み、1人は盲目。
 原因は、家のため10人、男のため2人、前身は料理店奉公6人、女工3人、・・・。 吉原にいた女性の当事者の体験記が、こうやって活字になるというのも珍しいことだと思いました。貴重な本です。
(2010年3月刊。640円+税)

クレジットカウンセリングの新潮流

カテゴリー:社会

著者:大森泰人・伊藤眞一・永尾廣久ほか、出版社:金融財政事情研究会
 本年6月、改正貸金業法が完全施行され、これまでのような野放図な貸し方が規制されました。それでも多重債務者はいます。しかも、たくさんの人が困っているはずです。
 そこで、クレジットカウンセリングの出番です。ところが、なぜか、総合的な体系書が見あたりません。1998年以降、10年以上も空白になっています。本書はその意味で待望の新刊です。うれしいことに、福岡から二人の著者が出ています。永尾廣久弁護士(福岡県弁護士会)と行岡みち子さん(グリーンコープ生協ふくおか顧問)です。9人の著者は、行政官、学者、弁護士、NPO法人理事長、生協幹部、金融界関係者、市長と多彩な顔ぶれです。それぞれに経験をふまえてクレジットカウンセリングを論じ、自分の実践と体験を紹介しています。
 たとえば、テレビで大々的に広告・宣伝してパラリーガルを活用した大規模でシステマティックな債務整理については、債務者の実情に即した親身な対応が行われにくいとして懐疑的です。
 最近の相談者の実情は、貧困の問題に端を発するケースが増え、福祉的な観点からの生活再生が重大なテーマとなっている。
 国や自治体による助成、法曹界など関係諸機関との連携の重要性も強調されています。金融機関が多重債務問題に主体的に関与する必要性にも言及されています。
 永尾弁護士のクレジットカウンセリング論の特徴は、全国各地にあるクレジット・サラ金被害者の会のすすめている相談および生活立て直し活動を具体的に紹介しているところにあります。
 裁判所は、破産手続について、教育的要素など期待してもらっても困るという態度です。迅速・公正な処理さえしていれば足りるのであって、そこに教育的見地をいれる必要はないというわけです。だったら、裁判所に欠けている面を誰かがカバーする必要があることは自明でしょう。それを被害者の会が補っているのです。
 グリーンコープ生協ふくおかは、なぜか多重債務問題に取り組んでいるユニークな生協です。組合員に家計破綻した人が少なくなく発生したことが契機になっているようです。組合員の相談に乗り、弁護士を紹介し、生活再生貸付事業を展開しています。
 宮城県に栗原市というところがあるそうです。残念ながら、行ったことはありません。いいところのようです。岩手県・秋田県との県境にある山のなかの市です。そこの市長さんが、自殺防止対策について寄稿しています。なんと自殺率が県下最悪だっというのです。
 クレジット・サラ金の被害を本当に根絶したいと考えている人には絶好の手引書です。日本って、まだまだカウンセリングが根付いていませんよね。でも、必要な手法です。あなたに一読を強くおすすめします。
(2010年6月刊。3600円+税)
 6月に受けたフランス語検定試験(一級)の結果を知らせるハガキが届きました。もちろん不合格なのですが、なんと自己採点では63点だったのに、現実には51点でした。この12点の差はフランス語の書きとりと作文について私の自己評価がいかに甘かったかを意味します。大いに反省させられました。自己に厳しくとはいかないものですね。
 ちなみに合格点は85点ですから、34点も不足していました(150点満点)。

先生、カエルが脱皮して、その皮を食べています

カテゴリー:生物

 著者 小林 朋道、 築地書館 出版 
 絶好調、先生シリーズの第4弾です。ますます生き物たち観察と文章力にみがきがかかっていて、一気に読ませます。まずは、タイトルになった話です。これって、本当の話なんですね。
 ヒキガエルは、脱皮した自分の皮を自分で食べていた。著者は、これを目撃したのでした。
 ヒキガエルは、分厚い皮膚をシャツを裏返しに脱ぐように脱皮しながら、その古くなって脱皮した皮を食べた。そして、皮を脱いであらわれた新しい皮膚には、パンパンに張りつめたイボと、それからしたたり落ちる毒液が見えたのだった・・・・。脱皮に長時間かかるため、そのあいだに身を守るため毒液の詰まったイボを備えていたというわけなのです。
 ヘビに出会ったヒキガエルは、体(とくに腹部)を、ぷくっとふくらまし、四股を伸ばし、相撲の立会い前のような姿勢を見せる。ところが、そのヘビは、単にヘビそっくりのオモチャであってはならない。あくまで、先がかぎづめのように曲がったタテ棒の格好をしていなければ、ヒキガエルは対ヘビ防衛姿勢はとらない。この「かぎづめのように曲がったタテ棒」とは、ヘビがかま首を持ち上げて捕食しようとする姿勢を示すものと考えられる。なーるほど、ですね・・・・。
 動けない植物は、草食動物がある程度の葉や枝や実を食べたら体調に異常をきたすような物質を体内(の細胞内)で生産している。だから、ミズナラのドングリばかり食べているネズミは死んでしまう。そこで、草食動物は、野生では、同じ種類の植物を食べ続けるのではなく、種類を変えながら採食している。
 うへーっ、そういうことなんですか・・・・。食べる方も、食べられるほうも、相互に自らの身体の防衛を工夫しているのですね。
 生命・生き物たちの神秘を身近に感じさせてくれる良書シリーズです。コバヤシ先生、引き続き、がんばってください。続刊を楽しみにしています。
 
(2010年4月刊。1600円+税)
 いよいよセミが鳴き出しましたね。10日に天神で、11日に自宅でまだ頼りなさげな鳴き声ではありましたが……。梅雨は明けませんが、本格的な夏到来ですね。
 庭のキュウリが何日かおきに見事に太くなってくれます。ミソと一緒に食べると美味しくいただけますが、ミソの代わりに五木村の山うに豆腐をのっけて食べています。ちょっと甘味がありますが、モロキュウの食感で、初夏を食べている幸せ感が味わえます。
 私のハゼマケは皮膚科で貰った軟膏をつけたらひどくなることもなくあっという間に直ってしまいました。ちょこさん、ご心配ありがとうございました。

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