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三池炭鉱遺産

カテゴリー:社会

 著者 高木 尚雄、 弦書房 出版 
 
 三池炭鉱にあって、今もわずかに遺跡の残る万田坑(荒尾市)と宮原坑(大牟田市)の古い写真と今の写真が解説つきで紹介されています。
 私自身は、ここにうつっている炭住街のおかげで大学まで進学できたようなものですので、単になつかしいというより、ありがたい存在だったという感謝の念が先に立ちます。
 私の実家は、私が小学1年生のときに当時47歳の父が脱サラを図って、炭鉱で働く人々などを対象とする小売り酒屋を始めたのでした。
 私自身の記憶にはないのですが、メーデーの日などは、店の前をゾロゾロゾロと会場まで歩いていく参加者が切れ目なく続くので、母はびっくり仰天してしまったといいます。当時、大牟田市は人口22万人になろうとしていました。
 私も一度だけ炭鉱に入ったことがあります。坑道は有明海の海底深い地底にあり、真っ暗闇です。マンベルトというむき出しのベルトコンベアーに乗って真っ暗く、不気味な坑道を一時間ほどかけて採炭現場にたどり着きました。
いろんな職業がありますが、採炭現場ほど危険な職場はないのではないでしょうか。ともかく危険きわまりありません。いつガスが噴出してくるか分からない。いつ岩盤がおちてくるか、坑道の底がふくれ上がってくるか、まるで予測のつかない危険と毎日背中あわせの仕事です。ともかく、すべてが真っ暗闇の世界です。そして粉じんがたちこめているという最悪の職場環境でした。
 まだ、有明海の海底には大量の石炭が眠っているということです。でも、そこで働く人間の生命、健康の安全を考えたら、正直なところ、とても炭鉱を再開すべきだという気にはなれません。
なつかしい炭鉱社宅は、映画『フラ・ガール』にもCGで再現されていました。大牟田にせめて一画くらいも残してほしかったと思います。貴重な写真集です。
(2010年4月刊。1900円+税)

新・雨月(下)

カテゴリー:日本史(江戸)

 著者 船戸 与一、 徳間書店 出版 
 
 ときは幕末。戊辰戦後の実相を小説でもって生々しく語り尽くそうという壮大な小説です。明治維新を目前にして、人々がそれぞれの思いで生命をかけて戦い続けます。ここでは維新の生みの苦しみと怨念がしっかり語られている気がします。
 明治1年9月、ようやく会津藩が降伏。2日後に庄内藩が降伏した。だが、戊辰戦役はこれで、終わったわけではない。翌明治2年の箱館戦争へ引き継がれる。榎本釜次郎(武揚)が五稜郭を出て降伏したのは5月。鳥羽伏見の戦いから1年半が経過していた。
 榎本と行動をともにしていたフランス士官ブリュネがフランス本国に宛てた報告書のなかで、北海道に建設される国家は共和制になるだろうと記したうえで、その共和国をフランスは植民地化すればいいとしていた。うむむ、なんということでしょうか・・・・。
会津藩は、敗戦によって明治新政府から下北半島と三戸・五戸地方へ減知転封され、斗南藩と命名された。それは、挙藩流罪とも呼ぶべき処置であり、藩士たちは、誰もが咎人(とがにん)のような仕打ちを受け、すさまじい飢餓にさらされた。
 いずれにせよ、鳥羽伏見から箱館五稜郭まで戊辰戦役の死者数は1万5千人と推計されている。ただし、これには、戦地で徴発された陣夫や戦火の巻きぞえとなった反姓たちの死は含まれていない。そして、この死者数は、後の日清戦争に匹敵する。すごい数ですよね。日本が生まれ変わる苦しみであったことを意味します。
 会津藩の二本松攻撃の戦闘指揮をとった薩摩六番隊長・野津七次(のづしちじ)は、箱館戦争後に、野津道貫(みつら)と改名した。明治7年、大佐となって佐賀の乱に出征。西南の役では、第二旅団参謀長。日清戦争には第五師団長として出征。明治26年、大将となり、近衛師団長、東部都督などを歴任。日露戦争では第四軍司令官。後年、戊辰戦役について、次のように述懐した。
 余は数えきれないほどの戦場を駆け抜けてきたが、二本松の霞ヶ城攻撃のときほど恐怖に駆られたことはない。なにしろ十三か十四の子どもが切先をこっちに向けて次々と飛び込んでくる。剣術は突きしか教わっていない子どもが命を捨てに来る。あの二本松少年隊ほど余の心胆を寒からしめたものはない。霞ヶ城の、あの光景は絶対に脳裏から消えはせんよ。
よくぞここまで調べあげたものだと、ほとほと感嘆した歴史小説です。
(2010年3月刊。1900円+税)

吉原手引草

カテゴリー:日本史(江戸)

 著者 松井 今朝子、 幻冬社文庫 出版 
 
 うまいですね、すごいです。見事なものです。よしはらてびきぐさ、と読みます。江戸の吉原で名高い花魁(おいらん)が、ある晩を境として忽然と姿を消したのです。それを尋ねてまわる男がいました。吉原に生きる人々の語りを通して、吉原とはどういうところなのかが、少しずつ明らかにされていきます。その語りが、また絶妙です。ぐいぐいと引きずりこまれていきます。
 同じ見世(店のこと)で別の妓(女性)に会うのは、廓の堅い御法度(ごはっと)でござります(禁止されているということ)。
花魁が見世から頂戴してるのは朝夕のおまんまと、行灯の油だけ。部屋の調度はもとより、畳の表替え、障子や襖の張り替え、ろうそく代や火鉢の炭代に至るまで、これすべて自らの稼ぎでまかなう。紙、煙草、むろん髪の油に紅脂(べに)白粉(おしろい)はけちらず、毎月、同じ衣裳も着ていられない。
櫛簎(こうがい)の髪飾りは値の張る鼈甲(べっこう)ばかりだ。遣手(やりて)の婆さんやわっちらばかりが、引手牢屋や船宿の若い衆にも心づけは欠かせないときてる。禿(かむろ)がいれば、子持ちも同然で、一本立ちの女郎に仕立てるまでの費用(かかり)は半端なものじゃない。それでもって慶弔とりまぜての物入りがまた馬鹿にならない。花魁は皆いくら稼ぎがあっても年から年中ぴいぴいしておりやす。ちょっと病気をしたり、親元から催促されたら、たちまち借金が嵩んで・・・・。うむむ、いや、なるほど、そうなんですか。
 男は女の涙に弱いから、女郎が泣けば客もたいがいは許してくれる。だが。そうやすやすとは泣けないから、女郎は着物の襟に明礬(みょうばん)の粉を仕込んでおく。それを眼のなかにいれたら涙が出てくる。
女郎は、客の煙草の水や印籠もしっかり見ている。廓に来る客はたいてい衣裳には張り込むが、持ち物にまでは手が回らないから、本当にお金をもっているかどうかをそれで見分ける。女郎だって、客をお金で値踏みする。
昔から、女郎の誠と卵の四角はないという文句があるのを、ご存知ねえんですかい。
 最後に二つの文章を紹介します。まず、著者の言葉です。
 小説を書く何よりの醍醐味は、妄想の海にどっぷりと浸って、自身の現実にわりあい無関心でいられること。
もう一つは、書評する側の人物の言葉です。
書評をした人間の良心がどこにあるかと問われたら、それは自分の書いたことばに責任を持てるか否かにかかっている。
 なるほど、いずれも、なーるほど、そうだよね・・・・と、つい思ったことでした。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

アマゾン文明の研究

カテゴリー:アメリカ

 著者 実松 克義、現代書館 出版 
 南アフリカのアマゾンに実は高度な文明社会があったという驚くべきレポートです。2段組350ページの大部な本ですが、信じられないような事実が満載でした。
 アマゾンには世界最大の熱帯雨林がある。アマゾンは世界最大の河川である。そこに存在する水量を世界中の淡水の20%に達する。川が作り出す流域面積はアメリカ合衆国に匹敵する。
 アマゾン川の特徴の一つは、水源の多さである。無数といってようほど、多くの水源があるので、最奥の源流を特定するのは困難である。
 アマゾン川の河口は350キロを越える。河口に九州ほどの島、マラジョ島が存在する。世界中の生命種の3分の1以上がアマゾン熱帯雨林にいると言われるほど、生命種の多様性が存在する。
 このまま行けば、アマゾンの熱帯雨林は数十年のうちに消失すると予想される。この破壊は肉牛のための牧草地の確保と大豆などの農業地の確保による。
このアマゾンは、人間とは無縁の未開の処女地と思われてきた。しかし、最近になって、実は、この地域にかつて大規模な人間の営みがあったことが分かりつつある。アマゾンの各地で古代人が建設した大規模な居住地、道路網、運河網、堤防システム、農耕地あるいは養魚場が発見されている。
アマゾン上流には、紀元前2000年ころからモホス文明が存在した。ただし、規模が大きくなるのはキリスト誕生ころから500年までのこと。
 その過酷な自然環境を人間が居住しやすいように造りかえるという大土木工事を実施した。運河網をつくり、農業システム、魚の養殖システムを構築した。そのためにはリーダーを頂点とする強力な政治組織、統治形態が存在した。ここには、大量の土器類が存在した。アマゾン各地に非常に大規模な古代文明が存在した。これらの社会は規模の大きさからして、巨大な人口を擁していたと考えられる。
 当時のアマゾンの人口密度は非常に高かった可能性がある。各地で大規模な居住地が建設され、また食料生産のための農業技術、あるいは農耕地の開発が行われた。
 その結果、現在550万平方キロもある熱帯雨林の大半は開墾された農耕地であった可能性がある。しかし、アマゾン全域を統一するような超国家的社会は存在しなかったと考えられる。
 アマゾン地域には、コロンブス到来時には1000万人もの人口があったと言われるが、実はこれは控え目ではないか・・・・。
 うへーっ、し、しんじられませんよね。こんなことって、本当なんでしょうか・・・・。
 まあ、事実は小説より奇なり、と言いますからね、どうなんでしょう。
(2010年3月刊。3800円+税)

心脳コントロール社会

カテゴリー:社会

 著者 小森 陽一 、ちくま新書 出版 
 
 テレビを視聴することは、思考を停止させ、白昼夢を視ていることと同じだ。
 私も本当にそう思います。かつて「政治改革」に浮かれて小選挙区制を強引に成立させて少数政党を閉め出し、「郵政民営化」に熱狂して自民党独裁を生み出し、今また、「消費税の値上げしか国家財政の危機は救えない」と思わされている国民のなんと多い
ことでしょう。どれもこれも、為政者による、誤解の多いキャンペーンに乗せられ、踊らされているだけではないのでしょうか・・・・。
アメリカ国民全体を、言語習得の以前、人間ではなく動物の段階におとしめて、戦争に動員するためのキャッチ・コピーが、「テロとの戦争」というスローガンだった。なるほど、
9.11のあとのイラク、アフガニスタンへの侵攻を許したのは、このスローガンでしたね・・・・。
 アメリカによるアフガニスタン攻撃は、個別的自衛権の行使という名の戦争であった。
 アメリカによる多くの軍事行動は、ほとんど自衛の名の下に遂行されてきた。
 リメンバー・パールハーバーとヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の正当化とは、多くの
アメリカ国民にとって大衆化された社会的集合記憶のなかで対になっている。
 9.11で崩壊したワールド・トレードセンター跡地が「グラウンド・ゼロ」と命令されたが、
この「グラウンド・ゼロ」とは、原爆投下の爆心地のことである。
 すべての人間は、女の子であれ男の子であれ、おしなべ人人生最大の「不快」である「生まれ出づる苦しみ」を体験している。その「生まれ出づる苦しみ」の初体験のパニック状態のなかで、初めて肺に吸いこんだ一気圧の大気を吐き出すときの声が「オギャー」という産声である。つまり、「オギャー」という産声は、人類すべての赤ちゃんにとって、人生最大の「不快」から救済してもらいたいという、自分に対する他者のケアを要求する表現なのである。
 「オギャー」という産声を発した赤ちゃんに対して、周囲の大人は、新しい生命が生まれた喜びとともに、「アー、ヨシヨシ」など、慈愛にみちた声をかけながら、自分の腕と胸で赤ちゃんを抱きかかえる。そして、あるリズムで赤ちゃんを抱きゆすりながら、「不快」の頂点に達し、極度の緊張のためのパニック状態から抜け出せるようにする。その行為は、赤ちゃんに、体内にいたときの「快」の記憶を蘇らせる。
 ふむふむ、なるほど、そうなんですね。
夜、眠りにつく前、子どもたちが「お話」をせがむのは、夜の闇と眠りにつくことに対する大きな不安を抱えているからである。子どもは、何度も聞いたことのある、同じ「お話」をせがむ。なぜなのかと思うほど、繰り返し、同じ「お話」を聞きたがる。このとき、子どもたちは、新しい情報が欲しいのではない。新しい、もっと面白い「お話」が聞きたいのでもない。言葉で構築された「お話」の世界が、決して変わらないことを確認して安心したいのだ。子どもにとって、「お話」は言葉による精神安定剤なのである。
 そうなんですか・・・・。私は、子どもが小さいとき、絵本の読み聞かせとは別に、私の創作「お話」を聞かせることがありましたが、そのとき、私は一生懸命に少しずつ話を変えていました。同じ話だと聞いていて飽きるだろうと思ったからです。ところが、いま思うと、まったく無駄なことだったのですね・・・・。ちなみに、私の得意とした創作「お話」は、ペローの「長靴をはいた猫」のもじりでした。 
 
(2006年7月刊。680円+税)

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