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母(オモニ)

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:姜 尚中、出版社:集英社
 戦後日本の実情が描かれています。著者は団塊世代の私より2つ年下ですので、そこで紹介されている在日朝鮮人の生活は私にとっても、身近な存在でした。
 舞台は熊本市内ですが、私も福岡県南部で生まれ育ったので、よく分かるのです。
 熊本と朝鮮人労務者との関係は、韓国併合よりも早い、1908年(明治41年)にまでさかのぼる。人吉─吉松間の鉄道ループ工事に数百人の朝鮮人労務者が使役された。三井系の三池炭鉱や阿蘇鉱山、三井三池染料、三菱熊本航空機製作所などで強制労働に従事していた。
 そして、朝鮮人の集落があり、そこではドブロクの密造もされていた。
 私の住む町にも、近くに朝鮮人の集落があり、豚が飼われ、ドブロクがつくられていました。たまに、警官隊が踏み込んで密造酒づくりを摘発したという話を、私も幼い子どものころに聞いていました。
 オモニは文字の読み書きが出来ない。ところが、不思議なことに、その口調にはナマリがなかった。朝鮮人を思わせるイントネーションはまったくなかった。
 総連と民団という言葉も、今となってはなつかしい言葉です。もちろん、今もこの二つの団体は存在しているのですが、30年前には、お互いに張り合っていました。どちらかというと、今と違って総連のほうが活動家に勢いがありました。同胞の面倒みの良さも上回っていたと思います。
 戦前の日本で憲兵となった著者の叔父は単身、韓国に帰った。そして、苦労して弁護士になり、大出世します。反発していた著者も韓国に渡って、祖国を見直すのでした。ただ、成功した叔父も、晩年は人に騙されて哀れだったとのことです。栄枯盛衰は世の常ですね。
 この本は母(オモニ)を主人公とした小説の体裁をとっていますから、すっと感情移入して読みすすめることができ、大変読みやすい本になっています。そのなかで在日朝鮮人の家族の歴史を理解できる本です。ますますのご活躍を祈念します。
 ちなみに、私も母の生きざまを描いてみました。やや中途半端で終わっていますので、この本のように、もう少し小説仕立てにしたほうが読みやすいのかなと思ったことでした。
 一読をおすすめします。
(2010年6月刊。1200円+税)

属国

カテゴリー:社会

 著者 ガバン・マコーマック、 凱風社 出版 
 
 米国の抱擁とアジアでの孤立。こんなサブタイトルのついた本です。オーストラリアの大学教授の書いた日本論です。
 日本はアメリカの属国なのか? のっけから、挑戦的な問いかけがなされています。とんでもない。そうキッパリと答えたいところです。しかしながら、そう答えたいのはやまやまなれど、たくさんの事実がそれを憚らせます。
 日本経済は確実に下降し続けている。一人あたりのGDPは2006年には、OECD中の18位という、ぱっとしない地位にいる。持てる者と持たざる者、勝者と敗者の格差は拡大した。先進国の中で日本より深刻な貧困問題を抱えているのはアメリカだけである。
 生活保護の受給家庭は100万世帯にのぼるが、生活保護を受ける資格があるのに行政から拒否されているケースは、さらに多い。安定した仕事は激減し、労働者の3人に1人は、ディケンズやマルクスが描写したような資本主義初期の暗黒時代に労働者が終験した貧困や搾取とあまり変わらない状態にある。
 国民健康保険の保険料が支払えずに実質的に無保険状態になっているひとが1000万人もいる。社会の高齢化が加速し、少子化と相まって国力は衰退化しつつある。東アジアでも、世界でも日本の存在感は薄くなった。
 小泉、安倍両政権の特徴は対米依存と責任回避である。日米関係の核心にあるのは、冷戦期を通してアメリカが日本を教化した結果としての対米従属構造だが、小泉と安倍という二人の首相の「改革」は、これまで長年継続してきた対米依存の半独立国家・日本の従属をさらに深め強化した結果、日本は質的に「属国」といってもいい状態にまで変容した。日本独自の「価値観・伝統・行動様式」を追求するどころか、そうした日本的価値を投げ捨ててアメリカの指示に従い、積極的にアメリカの戦争とネオリベラリズム型市場開放に奔走した。
 世界中でアメリカの覇権とネオリベラリズムの信用度が急落しているなか、小泉、安倍両政権は献身的にブッシュのグローバル体制を支えた。後藤田正晴元官房長官は亡くなる前年(2003年)、日本はアメリカの属国になってしまったと発言した。
 日本占領期のマッカーサー元帥は憲法や行政機構にまで細かい指示を出した。それから60年にたっても、ブッシュ政権の高官は、今もって小泉や安倍を配下のように見ている。それにしても、日本が、憲法を改定しろとか、日本の基本法を改めろというような、内政干渉もはなはだしいアメリカ高官を「親日家」としてありがたがり、ちやほやするのは、一体どういうわけなのか。
 そのような自立心の放擲こそ、属国的思考の何ものでもない。
日本に公務員が多すぎるとはいえない。人口1000人あたりの公務員数は、イギリス73人、アメリカ80人、フランス96人であるのに対して、日本はわずか35人にすぎない。
 福祉予算のほうも、OECDのなかで、もっとも少ない国に入っている。郵政民営化、なかでも簡保の民営化ほど、アメリカが日本に執拗かつ熱心に迫った施策はない。日本政府が運営する120兆ドルの保険ビジネスは、アメリカの保険ビジネスに次いで、世界第二位の規模であり、カナダのGDPに匹敵する。そこで、アメリカの保険業界は日本市場への参入を要望し、アメリカ政府の日本政府への要求となった。
北朝鮮は110万人の軍隊を擁している。この数字だけからみると、超大国レベルである。しかし、多くの部隊が生きるために狩猟や農業に時間を費やし、装備の多くは1950年代のものだ。燃料不足は深刻で、パイロットは毎年、数時間しか飛行訓練ができない。
 小泉元首相は、北朝鮮への恐怖をあおることで利益をあおった張本人である。
 日本の原子力発電への依存度は発電量でも消費電力量でも、フランスと肩を並べて世界で一位、二位を争う。そして、日本は既に45トンに及ぶプルトニウムを貯蔵する世界有数のプルトニウム超大国だ。これは世界の民間貯蔵量230トンの5分の1であり、長崎型核弾頭に換算すると5000発に相当する。日本は「兵器転用可能なプルトニウムの世界最大の保有国なのである。
 イランや北朝鮮が同じことをしたら、絶対に阻止しなければならない、ということになるだろう。これって、おかしくないか・・・・?
 日本の国とは、どんな国であるかを改めて考えさせられる大切な本です。慣らされてしまうと、大事なことが見えなくなるものなんですよね・・・・。
(2008年8月刊。2500円+税)

日米密約・裁かれない米兵犯罪

カテゴリー:司法

 著者 布施 祐仁、 岩波書店 出版 
 
 この本を読むと、今の日本が本当に主権を有する独立国家と言えるのか、改めて疑問に思えてなりません。かつて大いに叫ばれていたアメリカ帝国主義からの独立というスローガンを思い出してしまいました。だって、アメリカ兵が日本人を勝手に傷つけても、日本の警察は手出しできず、アメリカ当局によってさっさと日本国外へ逃亡できるというのですからね。とんでもないことです。
 2004年8月に普天間基地のある宜野湾市で発生したアメリカ軍ヘリコプターの墜落事故のときにも、日本の警察は現場への立ち入り自体が禁止され、捜査を行うことも出来ませんでした。もちろん、この事故についての責任追及なんて、何も出来ませんでした。そして、日本政府はアメリカ政府に抗議ひとつしなかったのです。なんと情のない話でしょうか。読んで改めて腹が立ってなりませんでした。
 アメリカ兵が日本人の命を奪い、女性を強姦し、人権を踏みにじる事件を起こしても、いったん犯人が基地へ逃げ込んでしまうと、日本の警察は逮捕することができない。これは、アメリカ軍側にある、被疑者の身柄は起訴されるまでアメリカ軍の当局が拘束するという、日米地位協定が根拠となっている。
 アメリカ兵が車で日本人をはねても、それが「公務中」であれば、日本の警察がたとえ現行犯逮捕していても、アメリカ軍に犯人を引き渡さなければならないし、日本側は裁判にかけることも出来ない。「公務中」の犯罪については、アメリカ軍側に裁判権があると日本地位協定に定められているから。
 日本政府は密約の存在を完全否定する。しかし、1953年10月28日、密約が結ばれている。そして、在日米軍の国際法主席法務官は、日本が密約を忠実に実行してきたことを評価している。
 アメリカ兵の犯罪のうち、強姦、傷害致死、強盗詐欺、横領はすべて不起訴とされ、住居侵入、窃盗の大半も大半が不起訴となっていた。刑法犯のうちの起訴率は、わずか13.4%にすぎない(2007年)。日本政府の説明によると、日本がアメリカ兵の犯罪の多くを不起訴としているのは、裁判権の「放棄」ではなく、あくまでも自主的な「不行使」だというわけである。本来なら、捜査の結果、「公務中」とはっきりするまで、必要であれば犯人の身柄を日本側で確保するのが筋である。しかし、現実には、公務の執行中になされたか否か疑問であるときまで、身柄がアメリカ軍に引き渡されている。
そして、何より肝心なことは、日本政府はこの密約の存在を完全否定し、情報公開していないが、アメリカのほうは、とっくに公開ずみだということである。いやはや、なんということでしょうか・・・・。そこまで、日本はアメリカのしもべとして「忠実」なんですか・・・。あいた口がふさがりません。泣けてきます。
法務省刑事局は内部通達において、憲法で「国権の最高機関」と規定されている国会が立法した刑事特別法よりも、日米両当局間の内部的な運用準則にすぎない「合意事項」を優先するように命じている。
こんなひどい「密約」、それと一体のものである日本地位協定は当然に見直されるべきものです。そして、それは、本当に今なお日米安保条約が必要なのかを考えさせますし、軍事同盟ではかえって世界と日本の平和は守られないということに帰着するのだろうと思います。とてもタイムリーな本として一読をおすすめします。
 
(2010年4月刊。1500円+税)
 ボーヌを午後2時に観光タクシーで出発します。今日は、コート・ド・ニュイのコースです。まずはアロース・コルトン、次いで、ニュイ・サン・ジョルジュです。ブドウ畑はまだみずみずしい緑葉に覆われています。背丈は50センチほど、延々と緑のブドウ畑が広がっています。多少の起伏があるくらいで、なだらかな平地なので、はるか彼方まで見通すことができます。いよいよヴォーヌ・ロマネ村に入ります。その中心部に、かの有名なロマネ・コンティのブドウ畑があるのです。看板もなく、本当に狭い一区画ですので、案内されなければ見落としてしまうでしょう。小休止して写真をとります。ガイド女性が車のトランクから冷えた白ワインを取り出し、いっぱい飲んで喉をしめらせます。年間数千本しか作らないので、希少価値のある超高級ワインです(もちろん、飲んだことはありません)。
 クロ・ド・ヴィージョを過ぎて、ジヴリー・シャンベルタンに着きました。ここでカーブに入り、出てきて赤ワインを試飲します。飲み比べると、さすがに高いワインは舌触りも良く、味が豊かです。すっかりいい気持ちになりました。

人材の複雑方程式

カテゴリー:社会

 著者 守島 基博、日経プレミアシリーズ  出版 
 
 日本の企業における人材育成のあり方について問いかけている本です。
いま、企業のなかで職場が衰退し、そのなかで職場が果たしてきた基本機能が弱体化しはじめているのではないか。これまで、日本企業、とりわけ製造業の強みは、すりあわせの機能にあった。そして、このすりあわせを可能にしてきたのは職場集団の存在であった。それがしっかりしてきたからこそ、このすりあわせ能が培われ、維持されてきた。
職場は、少なくともこれまでは、メンバーがお互いに見える距離で働いていたために、そのなかにライバルを見つけるのは容易だった。職場は、協働の場であると同時に、競争の場でもあった。また、育成の場であると同時に評価・選別の場でもあった。能力のある人材は、職場のなかで評価され、チャレンジのある仕事を与えられてテストされ、勝敗が決まって、選別されていった。こうした丁寧な評価を可能にしたのも職場であった。
こうした職場の機能が、今、ゆらいでいる。しかし、職場こそ、日本企業のきわめて重要な財産なのである。職場の働きが、日本企業の強みをつくってきた。
ところが、今では、組織全体や職場が、これまでのような同質性の高い人たちの集まりではなく、もっと多様な意識と価値観や生き方を背負ってきた人たちの集まりになってしまった。多様性の高い集団のもたらす帰結のひとつは、深層での考え方や意識の違いによる不満の多様化である。
日本の組織は、過去20年間、人のつながりとしての側面を失ってきた。逆に、仕事をする場所であるという本来の機能が強くなった。いま、組織は、多様化と脱コミュニティ化が同時にすすむ場面となっている。
コンプライアンス、つまり法令遵守、そして、内部統制が重視されている。そのなかでは、従業員を信頼しない経営者が増えている。企業が、コンプライアンスの名の下に、働く人を信用しない施策を導入したとき、従業員は経営者の長期的意図を信頼せず、その仕組みのなかで期待されたとおりの短期利益志向型の行動をとる可能性が高い。つまり、従業員はルールに従うこと自体を目的をし、自律的に考えることをやめてしまう。
リーダーシップは、本来のリーダーになりたいという意欲に依存する部分が大きい。能力や資質がどんなに備わっていても、リーダーになりたくない人は、リーダーには向かない。
職場が変容し、共同体としての人と人のつながりがなくなることで、メンバー間のコミュニケーションが少なくなった。
現在、日本の企業がとりいれている成果主義には、導入プロセスに問題があるだけでなく、もっと構造的な欠陥があり、そのために多くの企業で成果主義は働く人から反発されている。人材育成、それも選抜された人材だけに限定されない人材育成が重要なのである。働く人の「夢」を維持するためにこそ人材育成は重要なのである。
多くの人にとって、自分の能力を高めて成果を出し、それが評価されることがやる気につながる。人材育成は、単に能力を高めるための施策としてだけではなく、働く人の「夢」の源泉となる経営機能なのである。
変化する日本の職場の現実をふまえて、人材育成のあり方を考えた貴重な指摘だと思いました。
 
(2010年5月刊。850円+税)
  ボーヌからワイン街道を行く観光タクシーに乗りました。前日、観光案内所で予約しておいたのです、幸いにも私たちだけで、他に客はいません。運転手兼ガイドの女性が、ブドウ畑についていろいろ解説してくれます。英語は分かりませんので、フランス語でお願いしました。よく晴れた青空の下、緑滴る広大なブドウ畑のなか、車を走らせます。本当に気持ちのいいものです。ポマール、ヴォルネー、ムルソー、シャッサーニュ・モンラッシェというワインの銘柄としても有名な村々を通っていきます。バカンス中なのか、ほとんど人の気配はありません。たまにブドウ畑でトラクターのよな機械が動いているのを見かけるくらいです。サントネー村でカーブ(ワインを寝かせている地下の穴蔵)に入り、出てきたところで、赤と白のワイン3種類ずつを試飲させてもらいます。違いが分かるというのではありませんが、飲み比べると、たしかに値段の高いほうが、舌あたりも良くて美味しく感じられます。
 コート・ド・ボーヌのワイン街道をたっぷり堪能できました。

アテネ民主政

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 澤田 典子、 講談社選書メチエ 出版 
 
 紀元前に栄えたアテネの民主政の実情を知ることのできる本です。今にも生きる教訓があります。
紀元前318年、アテネのアゴラ(広場)の一角にある牢獄で83歳のフォキオンは従容として毒杯を仰いだ。フォキオンは実に45回も将軍(ストラテゴス)をつとめ、志操の高潔なリーダーとして名を馳せた重鎮であった。フォキオンこそ、アテネ民主政の最後の政治家だった。フォキオンの辞世の言葉は、何も予期せぬことではない。数多くの名高いアテネ人がこのような最期を遂げたのだから・・・・。
 なるほど、アテネ民主政180年の歴史のなかで活躍した政治家のうち、非業の死を遂げた者は数えきれない。
完成したアテネ民主政においては、成年男子市民の全員が平等に参政権に与り、ポリスの重要な決定は市民の多数決によって決められた。民主政のなかで、重要な役割を果たした機関は、民会、評議会(500人評議会)、そして民衆法廷である。
民会は、アテネ市民の総会であり、文字どおりアテネの最高議決機関だった。成年男子市民の誰もが出席して発言する権利をもち、平等な重さの一票を投じることができた。まさに直接民主政をもっとも直裁に具現する場だった。
数千から数万の市民が集まる民会での審議と決定を円滑にするため、民会の審議事項をあらかじめ先議したのが、30歳以上の市民から抽選で選ばれた500人の評議員によって構成される評議会である。
 そして、アテネの司法権の中枢に一般市民からなる民衆法廷がある。抽選で選出された30歳以上の市民6000人が任期1年の審議員として登録され、そのなかから裁判の性格や規模に応じて201人や501人といった所定数の審議員が選ばれて、個々の法廷を構成した。
さらに、国政の運営に直接携わる数多くの役人も全市民から抽選で選出されていた。ほとんどすべての役職が抽選で選ばれていた。その任期は1年で、重任や再任は原則として認められず、ひとつの役職は、複数(通常10人)から成る同僚団によって運営されていた。
 数多くの市民が直接政治に携わること、特定の個人に権力が長く集中するのを極力避けること、このような直接民主政の理念がアテネでは実践されていた。公的な職務に就く者は、就任の前に厳しい資格審査を受け、任期中には、毎月の主要民会ごとに選挙採決で信任を問われた。任期中に怠慢や不正があれば、罷免されるだけでなく、裁判にかけられることもあった。さらに厳しいのが任期終了時の執務審査であり、この審査手続のときに告発されることも多く、その結果、有罪となれば、罰金や市民権喪失だけでなく、ときには死刑という過酷な処罰も待っていた。
政治家に対しては、市民の誰もが、いつでも政治家を民主制の転覆・売国・収賄などの疑いで裁きの庭に引き出すことができた。有罪になると、ほとんど死刑とされた。ストラテゴス(将軍)は、当然、戦場での戦死というリスクも高い。しかし、戦場より怖いのが裁判だった。弾劾裁判130件のうち、3割近い34件がストラテゴスに対するものであった。
 アテネの政治家にとって、政界を勇退して悠々自適の老後を過ごすなど、望むべくもなかった。常に生命の危険と隣り合わせの真剣勝負だった。アテネの政治家たちは、老いを知らない名誉心に突き動かされ、不滅の名誉を求め、ありとあらゆる危険を冒すこともいとわず、命がけでたたかっていた。 
ところが、民主政アテネにおいて、政治家としての活動は給与をともなう「職業」ではなかった。貴族たちは、給与ともなわない政治家としての活動に専念していたのである。
 ところで、アテネには陶片追放という奇妙なシステムがありましたね。
アテネ市民は、追放しようという人物を陶片に刻んで投票する。追放されるのは得票総数が6000票をこえた者。ところが、追放された者は、10年のあいだアテネの国外に追放されるが、家族や親族は処罰されず、市民権も財産も奪われず、10年後には帰国して、それ以前と同じように暮らすことが認められた。そして、追放されるのは、1年に1人のみ。 この陶片追放の目的は、貴族同士の激しい抗争を平和的に解決するための手段であった。
 アテネの直接民主政の基本的理念は、アマチュアリズムである。成年男子市民が3万人から4万人という小社会であればこそ実現できた。
ギリシャには残念ながら行ったことはありませんが、2000年前の直接民主制からくみとるべき教訓を考えてみました。
 
(2010年4月刊。1700円+税)

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