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ラオス、豊かさと「貧しさ」のあいだ

カテゴリー:アジア

 著者 新井 綾香、 コモンズ 出版 
 
 20代の女性が日本での農業経験もないのに、ラオスの農村で米づくりにも関わった奮闘記です。たいした勇気と、その頑張りに敬服・感嘆しました。やっぱり若さというのはすごいものですね。
 ラオスは人口630万人、面積24万平方キロ。面積は日本の本州と、人口は北海道と同じくらい。ラオ族が全体の6割を占めるが、モン族やアカ族など49の少数民族がいる。
 国民一人あたりの国内総生産は859ドル(8万円)、102ドル以下で暮らす国民が7割を占める。しかし、ラオスの森は「お金のいらないマーケット」。村人の食卓にのぼるものは、森のキノコ、野生動物、昆虫、自生の野菜など。田んぼでは、米のほか、カエル、イナゴ、ウナギ、ナマズ、ドジョウ、タニシ、香味野菜など20種もの食材がとれ、村人の食生活を支えている。農村に住む世帯は、自然から手に入れるものを現金に換算すると年間280ドルに達し、世帯収入の55%を占める。
しかし、ラオスの地方で生活するのは大変厳しい現実もある。著者は、寄生虫やデング熱に何度もかかり、ストレスから、蕁麻疹や不整脈にもなった。うひゃあ、やっぱり大変なんですね・・・・。
 ラオスで米というと、もち米を指す。雨季の稲作では、化学肥料は投入されていない。ラオスの成人男性は1ヶ月に20キロの米を食べる。日本人の4倍にあたる。そして、村には、貧困層が竹の子やキノコなどの村産物を持って米と交換しに来た場合には断ってはいけないという暗黙の了解がある。なーるほど、ですね。
 村人は、一つの種類の稲だけに頼らず、生育期間の異なる複数の苗を植えている。不安定な天水依存のもとで稲作を営んできたリスク分散の知恵である。
近年になって起きた貧困をつくり出している変化の多くは、「貧困削減」の名のもとで進められている開発事業による。
 うむむ、なんということでしょう。大いなる矛盾です。巨大開発事業や投資事業から村人が得られるプラス面は限定的である。ラオスの村人は、いま、さまざまな大規模開発事業に振り回されている。
世界銀行などによる大型ダムの建設支援、中国企業によるセメント工場の建設、日本やベトナム、タイの企業による植林など、さまざまな開発事業が「貧困削減」という名目で行われている。これらの大型開発事業は、村人が長年築いてきたセーフティーネットを奪い、マイナスの影響を与える危険性が高い。うむむ、考えさせられますね。
 ラオスの農村に入り込んで、生活した体験にもとづく指摘なので、重みがあります。いろいろ考えさせてくれる、そして元気の出る本でもありました。この若さと元気を分けてもらいたいものです。
 
(2010年6月刊。1700円+税)
 庭の手入れをしようとしていると、目の前を長いものがするすると通り抜けていきます。どきっとしました。そうなんです。長さ1mほどの若々しい蛇でした。犬走りをバツが悪そうに身をよじりながら、やがてシャガの茂みに入って行きました。蛇とは長く共存関係にありますが、何度見ても身震いさせられます。もっとも、先方は先祖代々棲みついてきた場所に入り込んできた迷惑な新参者だと思っていることでしょう。
 庭にアスパラガスの株を3つ植えつけました。10年ほど収穫出来ていた株が枯れたので、新しいものを植えたのです。来春が楽しみです。

手記・反戦への道

カテゴリー:日本史(戦後)

 著者 品川 正治、 出版 新日本出版社  
 
 松山への出張の帰りに読みはじめ、飛行機のなかでも涙を流しながら一心不乱に読みふけってしまいましたので、雨雲のなかでのひどい揺れを気にすることもなく福岡空港に無事着陸したのでした。
著者の講演は直接きいたことがありますし、別に書かれている本も読んでいましたが、戦前の学校生活そして中国大陸での生死紙一重の戦争体験記を読んでいると、身体中が震えてしまいます。
著者が擲弾筒を発射して敵の中国軍に命中させたとき、国を侵略軍(日本軍のことです)から守るために起ち上がった中国人を何人も殺したわけです。そして、ついに、著者は中国軍の砲撃を受け、直撃こそ免れたものの、血だらけとなり、部隊全滅と日本へ伝達される憂き目にあったのでした。しかし、砲の破片が身体に入ったままではあっても、なんとか生命だけは助かり、終戦を迎えることができました。この終戦時に、反戦思想の故に前線をたらいまわしにされていた隊長と一緒に行動するなかで、捕虜となって飢え死に寸前に日本へ無事に帰りついたのです。ところが、日本で著者の帰りを待ちわびていたはずの恋人は戦災で亡くなっていました。その嘆きは深いものがありますが、その日は著者が生死をさまよっていたのと同じ日だったというのも偶然とは言えない一致でした。
 著者が学征出陣するきっかけとなった京都の三高での生活も興味深いものがあります。18歳ころというのは、何も考えていないようで、深く人生を考えるものだということを、我が身を振り返っても言えることだと思いました。
 それにしても、西田哲学をはじめとして、いつ兵隊にとられて死ぬかもしれないという状況の下で、必死になって学問を深めようとするものなんだと痛感しました。私自身は19歳から20歳にかけて大学二年生として東大闘争を経験しています。そのころから、セツルメント活動をふまえて、それなりに人生をいろいろ考えていました。著者のように、いつ兵隊にとられて戦場で死ぬかもしれないという切迫感こそありませんでしたが、真剣に生き方を模索する学生は多かったものです。
 この本は、著者の青春そして多感な恋愛記でもあります。そちらのほうも大変興味深く読みすすめていきました。なかなか思い切った決断をしたものだと感嘆させられたことです。 一読に価する本としておすすめします。 
(2009年2月刊。1600円+税)

信長が見た戦国京都

カテゴリー:日本史(戦国)

 著者 河内 将芳、 出版 洋泉社歴史新書  
 
 この本を読んで最大の収穫があったと思ったのは、本能寺の変についての見方です。著者は次のように述べています。
 信長は光秀に殺されたというよりもむしろ、京都に殺されたといったほうがよいのではないかと思われる。御座所の本能寺に信長が6月3日まで滞在していることが明らかなうえ、その御座所の警固もほとんどなきに等しい状態であったならば、光秀でなかったとしても、信長を討ち果たすこと自体は、それほど困難ではなかったと考えられる。信長の無防備さについては、当時から「御油断」とか「御用心なし」と指摘されていた。信長にとって、京都はそれだけ安全な場所と認識されていたことを意味する。しかし、それは、あくまで信長の認識であって、実際に京都が信長にとって安全だったのかどうかとは別問題であろう。
 信長には元亀争乱以降に身につけていった自らの武力への自信と、その武力を後ろ盾とした支配に対する過信というものがあった。信長が予期もしないほどに「御油断」していたところにこそ、このとき信長が京都で死ななければならなかった最大の原因があったように思われる。
 本能寺の変のあと、京都の人々は光秀のことを主君を殺した謀判人とはとらえていなかった。しかし、ふたたび戦乱の世になることを恐れ、当時、洛中でもっとも安全だった「禁中」(内裏)の中へ逃げ込み、避難小屋を建てて日々を過ごしていた。
 戦国時代の京都は、今と違って天皇の住まいである内裏のすぐそばまで麦畑が迫っていた。かつての市街地には麦畑などの農地の中に上京と下京という二つの市街地が浮かんでいた。左京を洛陽、右京を長安といった。洛陽の中だから、洛中という。
 信長は本能寺をずっと利用・宿泊していたのではない。むしろ、もっと多くは、日蓮宗寺院である妙覚寺を利用していた。信長は洛中に拠点を構えるという意思が薄かった。信長は、延暦寺焼き打ちなどによって京都の人々から恐れられる存在となった。しかし、恐れられる存在となったことは、信長とその軍勢にとって、また京都の人々にとっても決してプラスに働くことはなかった。
 暴力への反動、そして過信した「独裁者」への哀れな末路を思い起こさせる貴重な指摘です。これだから、本を読むのは止められません。
(2009年2月刊。1600円+税)
 秋は春咲きの球根を植え付ける季節です。せっせと庭を掘り返して、チューリップなどを飢えています。これまで畳3枚分ほど、250本は植えたと思います。目標は500本ですので、まだまだです。チューリップ以外にも、ラナンキュラスやフリージア、クロッカスなども植えつけます。周囲にビオラを植えました。パンジーよりも小さな花で、可憐さに惹かれる花です。
 初夏に植えていたピーマンが実をつけていました。すごく固かったのですが、ゆでると美味しくいただけました。日本の食糧自給率はもっと高めるべきですよね。

秘境に学ぶ幸せのかたち

カテゴリー:アジア

 著者 田淵 俊彦、 講談社 出版 
 
 テレビ東京の「世界秘境全集」ディレクターによる秘境体験記です。テレビ東京は開局45周年記念番組として「封印された三蔵法師の謎」を放映しましたが、その番組制作にも著者は関わっています。
すごい人です。初めて秘境を訪れたとき、著者は26歳でした。それから20年間、世界各地の秘境をめぐったのです。なんと79ヶ国ですよ。すご過ぎますよね・・・・。
 南米のアマゾン。ジャングルの民は、食べるだけ作るから保有はしない。その日に、食べる量のマンジョーカだけを畑から抜いて、ファリーニャを作る。ため置きをするという発想は彼らにはない。
 ワニは尻尾(しっぽ)の部分を食べる。分厚いウロコの下から現れたのは、雪のように真っ白な肉である。他の部位は骨と筋だけで、とても食べられたものではない。肉をざっくりと塊に切り分け、塩と黒ゴショー、酢そして最後にパプリカという唐辛子で味付けをする。それから、高温の油で一気に揚げる。鶏肉に似た弾力があって美味しい。アマゾンの貴重な贈り物である。
むひょう、ワニって、本当に美味しいのでしょうか・・・・。信じられません。
秘境の人々は、食に対する知識が驚くほど豊富である。森にいる動物や植物の生態をすべて知り尽くしている。
 チチカカ湖周辺の人々は、ツンタを土につけて食べる。ツンタとは、チチカカ湖の水にジャガイモを1ヶ月間つけて発酵させたもの。水で煮込んで戻したツンタを土につけて食べる。といっても、どの土でも食べられるというものではない。いやあ、そうでしょうよ。土を食べるなんて、ぞっとしますね。美味しいものとは、とても思えません・・・・。
 カナダのイヌイットはアザラシ狩りに関して、いろいろの決まりがある。子どもとメスは狙わない。一発で仕留めなければならない。仕留めたばかりのアザラシの口には、末期の水を注いでやる。すぐに解体してやらなければならない。これらは自分たちの命を支えてくれる動物を敬う気持ちからなる。
 アザラシの解体を始めると、初めに肝臓を取り出して食べる。生の肝臓には、ビタミンが豊富に含まれている。野菜の不足する北極圏では、ビタミン欠乏症になりやすいから、それを防ぐためだ。むかし、本多勝一の本に同じような描写がありましたね。
 中国の雲南省の山深い村には、背負い婚が残っている。略奪婚、そこから発展した背負い婚。男女が出会う機会の少ない場所ならではの結婚のかたちである。略奪婚は、式をあげる費用がないほど貧しい地域で多く行われていた。ふむふむ、なるほど、ですね。
 ブータンで修行中の少年僧は裸に毛布一枚だけをまとって眠る。どんなに寒い日であっても、袈裟を着たまま眠るのは許されない。これも修行なのである。うへーっ、ぞっとしてきます。私は寒さに弱いので、これではたまりません。
 チベットには鳥葬がある。死んだ者の家族は、死体から手足を切り離し、服を裂いて内臓を取り出し、頭蓋骨を砕く。これは、鳥が食べやすいようにということだけではない。鳥が空に舞い上がるのと同時に、死んだものの魂も天に昇ることのできるようにとの願いが込められている。外国人には見せられない儀式だが、子どもは必ず現場に立ち会わせる。人間は死と無縁では生きられない。死はいつやってくるか分からないが、やってくるのは確かだ。だから、死を恐れるべきではない。このような死に関する太古からの教えを子孫に伝授するのだ。うーん、なりほど、でも、そう言ってもですね・・・・。その情景を想像して、またそれを思い出して、夜、眠れなくなりました。といっても、実は、すぐに深い眠りに入ったのですが・・・・。
 すごい本です。秘境に生きる人々から私たち日本人はたくさん学ぶところがあると思いました。そうはいうものの、私は、こんな体験記を読むだけで十分です。とても自分自身が秘境に出かけるなんていう勇気はありません。ワニに食べられたくもありませんし・・・・。
(2010年8月刊。1700円+税)
 庭の一角にシュウメイギク(秋明菊)のクリーム色と言うよりほとんど純白の花が咲き誇っています。その隣には鹿の子斑のホトトギスの花がひっそりと咲いています。不如帰の花が咲くと秋の深まりを感じます。急に寒くなりました。この冬は寒気が例年より強くなるそうです。お互い、風邪などひかないようにしましょう。

はまゆう

カテゴリー:警察

 著者 小坪 哲成、 海鳥社 出版 
 
 タイトルも何のことやら見当がつかず、冴えないセピア色の昔の街頭風景写真をつかった表紙で、手にとって読みはじめたとき、正直言って期待していませんでした。ところが、案に相違して、この本はとても面白いのです。
 私より少し若い著者は、今年、60歳で警察を定年退職しました。福岡県警で40年あまりを勤めあげた、その経験がこの小説に見事に結実しています。
 暴走族特別捜査班長時代には、「鬼班長」として暴走族から恐れられていたといいますが、その文体はきめ細かく、読み者の心をつかむ秀逸な文章になっています。私も職業柄、警察小説を多読していますし、元警察官の書いた本もたくさん読んでいますが、この本は、ピカイチの部類に入ると私は思います。なんといっても、捜査の現場にいたことのある体験を生かした描写には圧倒的な迫真力があります。オビに、「実際の捜査現場を、リアルに再現した“本当の”警察小説。容疑者との根くらべ。ひたすら脚を使った地道な捜査。わずかな手がかりを頼りに、倦むことなく犯人を追う―」とあります。
 実際の捜査現場は、こんなものなんだろうな、大変だなと思いつつ読みすすめていきました。殺人事件が起きます。その犯人が迷宮入りするなかで警察官を志望する二人の青年。警察のなかで鍛えられ、やがてひょんなことから、犯人の目星がつきます。しかし、どうやって口を割らせるか・・・・。思案のしどころです。そこは足を使うしかない。聞き込みにまわります。
 捜査とは、そ・う・さ、である。「そ」とは犯罪現場では、掃除をするように、小さなごみ一つでも見逃さない。なぜ、それがそこにあるのか、自分で納得できるまで追及する。「う」とは、嘘をつかないこと。「さ」とは、最後まであきらめないこと。
 これって、弁護士の仕事にも通じる大切なことです。
(2010年8月刊。1300円+税)

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