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パリが沈んだ日

カテゴリー:ヨーロッパ

 著者 佐川 美加、 白水社 出版 
 
 今からちょうど100年前、パリは大洪水にあって、花の都パリが巨大な湖と化したのでした。その当時の写真が豊富に紹介されていますので、その大洪水のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
 セーヌ側のセーヌとは、ケルト語のゆっくりとした、緩やかなという意味に由来する。
 パリ低地には、セーヌ川のほかにもう1本、ピエーヴル川が流れていた。ヴェルサイユ宮殿の所在地の近くに水源をもつ川で、水質も良く、流量は豊富だったので、パリの一部に生活水を供給していた。しかし、セーヌ川左岸の都市化が進むなかで、下水道の一部として組み込まれていって、1912年には、完全に暗渠となってしまった。
パリ市内を流れるセーヌ川には37本の橋がかかっている。昔は橋の上にも建物がたっていた。その常識を打ち破ったのは、いまもあるポン・ヌフ橋。1607年に完成した、この橋には橋上家屋は一軒もなかった。
パリに氷点下9度以下の気温が何日か続くと、セーヌ川は結氷し、セーヌ川がそのままアイススケート場になって、大人も子どももスケートを楽しんだ。うへーっ、セーヌ川でアイススケートをしていた時代があったのですか・・・・。信じられませんね。
パリ2000年の歴史には三大洪水がある。最高水位の第一位は1658年2月の34.86メートル。第二位は1910年1月の34.54メートル。第三位は1740年12月の33.95メートルである。
 1658年の大洪水は、ルイ14世・太陽玉の治世のとき。当時のパリの町の半分が水に浸かった。1910年1月の大洪水のとき、被災した建物は2万、被害を受けたパリ市民は20万人に及んだ。ところが、この世紀の大洪水の死者は、わずか1人だけ。電報配達中に濁流にのみこまれた伍長一人だけだった。
 いま、パリの大洪水を防ぐため、セーヌ川系の最上流に4ヶ所の貯水池がもうけられている。そして、大洪水になったときに備えて、たとえば、ルーブル美術館では収蔵品の大移動計画が立てられている。
花の都パリを、少し違ったしてんからとらえることのできる本です。
 
(2009年12月刊。1400円+税)

名もなき受刑者たちへ

カテゴリー:司法

 著者 本間 龍、 宝島文庫 出版 
 
 日本の刑務所人口が高齢化し、福祉行政の一部と化している実情が哀愁ただようタッチで描かれている佳作です。著者は、栃木県の黒羽刑務所に収監されていました。
黒羽刑務所には関東圏最大の初犯刑務所で1700人の受刑者がいる。
 日本には77の刑務所があり、7万5千人の受刑者がいる。初犯で刑期が8年以下だと初犯刑務所、強盗などの重罪犯、再犯者、暴力団関係者は累犯刑務所に入れられる。毎年3万人の入出所がある。
 刑務所には年齢制限がないので、相当な高齢者も入ってくる。近年は、高齢者の犯罪が激増し、60歳以上の高齢受刑者は2割に近い。
刑務所に働く1万7千人の刑務官のうちキャリア以外はほとんど高卒である。
 独居房は3畳。雑居房だと15畳ほどの部屋に9人以上が詰め込まれる。狭いし、プライバシーもない。医療も十分な水準にない。刑務所生活は決して楽なものではない。
 刑務所内で一番怖いのは同囚といざこざをおこして懲罰を食らうこと。過密状態の雑居にいたら、その危険性は高まる。ここでのケンカは、両成敗が原則なので、一方的に売られたケンカであっても、自分にも懲罰される可能性は高い。1回でも懲罰になると、等級が下がり、仮釈放も遠ざかる。
 刑務所にいる受刑者には、生まれてこのかた他人(ひと)に褒められたことがないという人が非常に多い。いろんな事情で子どものときから、いつも馬鹿にされ、叱られ、けなされているうちに粗野で凶暴になり、いつしか道を誤ってしまう。
 1960年代にアメリカの刑務所では暴動が頻発した。その原因の多くが食事のひどさにあった。そこで刑務所では食事だけは継続的に最重要改善項目になっている。3食合計で1日のカロリーは、主食が1600キロカロリー、副食が1000キロカロリーの合計2600カロリーと定められている。副食の予算は一日500円。だから、けっこう美味しくて栄養効果のある食事になっている。
 刑務所での医療は健康保険が効かないが、すべて無料。医療予算は年36億円、年々増加している。2007年度の新受刑者3万450人のうち、いわゆる正常な人とのボーダーラインIQ69以下の人が6720人、さらに知能の低いテスト不能者も1605人いた。
 つまり、刑務所に入る3割に知的障害の可能性がある。
年間3万人の出所の半分1万5千人は満期出所である。
 福祉から切り捨てられた触法障害者や認知症高齢者などの人々を、刑務所が塀の中で守ってやっているのが今の日本社会の実態である。うむむ、なんとなんと、そういうことでしたか・・・・。  
 一人の受刑者にかかる予算は年間300万円。これに、逮捕から裁判、それに至るまでの勾留費用をふくめると、一人あたり年1000万円ほどかかっている計算である。
 うへーっ、そ、そうなんですよね。刑務所のなかは、外の実社会の本質をうつし出す社会的な鏡をなしているという印象を受けました。
 こんな刑務所のなかで著者は精一杯、高齢受刑者の面倒をみていました。頭の下がる努力です。刑務所のなかの実情はもっと広く世間に知られるべきですね。
 同じような体験記である山本譲司元衆議院議員による『獄窓記』(ポプラ社)にも感銘を受けましたが、本書も一読をおすすめします。 
(2010年11月刊。457円+税)

ヒトラーとシュタウフェンベルク家

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ペーター・ホフマン、出版社:原書房
 映画「ワルキューレ」は残念ながら見逃してしまいました。なるべく話題作の映画はみたいと思っているのですが、それなりに仕事をかかえていますので、なかなか思うようにはいきません。
 この本を読むと、ドイツ国防軍のなかはナチス・ヒトラー一辺倒ではなかったことがよく分かります。少なくともヒトラーへの幻想がさめてからは、反ヒトラーの気分が横溢していたようです。それは、対ソ連戦で予想外に大敗してしまったこと、ユダヤ人の大量虐殺現場を見てしまった(知った)ことによるようです。
 ヒトラー暗殺に失敗してしまったけれど、あと一歩で成功するところではあったシュタウフェンベルクは、ドイツの由緒正しい貴族出身でした。ヨーロッパでは現在なお貴族の家柄が生きているそうです。そのときの条件は背の高いことだそうですので、私などは、それだけでなれないというわけです。ずんぐりむっくりの貴族というのはいないのです。
 ダンケルクからイギリス軍の逃走を許してしまったことについて、シュタウンフェンベルクは、マンシュタイン将軍の功績と考え、ダンケルク戦についてヒトラーを非難した。ヒトラーの誤った命令のせいで、敗走するイギリス軍を逃した。軽蔑をこめてヒトラーを非難した。ヒトラーについて、決して軍事専門家とは認めなかった。ただ、その軍事的才能は認めていた。
 1942年5月、シュタウンフェンベルクは、ユダヤ人の大量虐殺を知り、ヒトラーを排除しなければならないと考えた。上級将校には、それを実行に移す義務があると信じていた。
 1942年8月、シュタウンフェンベルクは親友のヨアヒム・クーン少佐に、ユダヤ人などへの扱いを見ると、ヒトラーの戦争が醜悪であること、ヒトラーが戦争の原因について嘘をついていたこと、したがってヒトラーは排除されるべきだと語った。
 ただし、1942年にはドイツで1000人をこえる将兵が軍法会議で死刑に処せられていた。ヒトラー反対を唱えるのは、とても危険なことだった。
 1943年4月、シュタウンフェンベルクはアフリカのロンメル軍団のなかにいて、イギリス軍の爆撃で倒れた。右手の手首から上を切断し、左手の小指と薬指、そして左目も切除しなければならなかった。
 この年、1943年2月、ミュンヘン大学で「白バラ」グループの反戦活動が発覚し、首謀者たちは死刑(斬首)に処せられていた。
 ヒトラーを打倒するには、精力的な中心組織と強力なリーダーシップが必要だが、それに欠けていた。
 ヒトラーは、グデーリアン大将、クルーゲ元帥などを大金で買収した。
 ヒトラーを暗殺したとの暫定的な元首・軍の最高司令官は、ベック大将が引き受けることになっていた。
 ヒットラー暗殺を志願する若手の将校はたくさんいた。しかし、彼らはヒトラーに近づくことが出来ない。
 シュタウンフェンベルクは、ヒトラー暗殺に成功したら、生きてベルリンに戻ってクーデターの指揮をとる必要があった。
 ヒトラー暗殺計画はよく練りあげられていました。しかし、結局のところ、制度を運営する人間が肝心です。シュタウンフェンベルクは、すさまじいほどの緊張の下で生きていたようです。よくぞそれに耐えて実行したものです。
 ヒトラー暗殺計画について、さらに少しばかり戦場感覚をつかんだ気がします。
(2010年8月刊、3200円+税)

誰かボクに、食べものちょうだい

カテゴリー:社会

 著者:赤旗社会部、 出版:新日本出版社 
 
 このタイトル、信じられませんよね。これが飽食日本の現実だというのですから・・・・。
 10月に盛岡で開かれた日弁連の人権擁護大会のテーマのひとつが「子どもの貧困」でした。その会場で売られていた本です。
 日本の子どもの貧困率は14.2%。子どもの虐待の根っこには貧困がある。4人家族で年間所得が254万円以下が貧困ライン。貧困ライン以下の所得で暮らす子どもが
14.2%を占める。子ども7人に1人、30人の学級なら4.5人の子どもが貧困のなかに生活している。
 この本は、困難な状態にある人たちに、あなたが大変な状況にあるのは、あなたのせいではない。どうしたら、この状況を変えられるのか、ゆっくりでもいいから一緒に考えようと呼びかけています。助け合いのできる社会をつくっていこうという呼びかけです。
 乳児保育のための国からの補助金は、10年前と比べて年間630万円も減っている。
 保育料を滞納する家庭が増え、行政の取り立てが厳しくなっている。広島市では、2007年度から滞納している家庭は、市役所の窓口で滞納解消計画を立てないと通園が設けられなくなった。
2008年の夏休み、都内で小学校の男児が買い物袋をさげた通りすがりの人に「食べ物をちょうだい」とねだっていた。この男児の母親は障害をかかえ、自分ひとりの生活もままならない。同居していた祖母が前年春に亡くなってから、男児は給食を食べに学校に来ているような状況だった。夏休みに入って給食がなくなった。プールのために登校してきたときには教職員などがおにぎりをやっていた。カップラーメンを持たせると、「お母さんに持って帰っていい?」と訊く男児。しかし、お盆はプールも休み。ついに通りで食べ物をねだるしかなかった・・・・。
 なんということでしょう。これが、今の日本の現実なんですね・・・・。2学期の始まる前、男児は自分から教師に「ぼく、児童相談所に行く」と言い、そのまま施設に入ることになった。    
ご飯が食べられない。風呂に入っていない。水道やガスが止められている。夏は臭いがするので、教師が生徒の頭をシャワーで洗ってやることもある。その母親は朝8時から深夜まで働いていて、ローンの支払いに追われ、まったく生活に余裕はない。
 まじめな貧困は共感されるが、ふまじめな貧困は共感されず、むしろ攻撃される。 
 そうなんですよね。生活保護を受けているひとがパチンコしていると、目の仇にされ、廃止しろと市民が文句をつけるという現実があります。お互い心の余裕を喪っているのです。女子の若年出産と性産業とのかかわりの背景に、貧困の問題がある。
OECDの30カ国のうち、高校の授業料が無償化されていないのは、日本のほかは3カ国のみ(イタリア、ポルトガル、韓国)。保育園も、1、2歳児は多くの国で無償としている。
フランスは、所得の再分配によって子どもの貧困率を24%から7%に減らした。日本は逆に増やしている。学校で、1クラスの人数は20人でも多いというのが世界の流れである。ええーっ、日本って、そう考えると、本当に子どもを大切にしない国なんですね・・・・。
 子どもが自分に見切りをつける時期が早くなっている。うちは貧乏だから勉強なんかできないよと子どもがいう。貧困と格差の広がりが、今、確実に子どもたちの健やかな成長を脅かしている。
未来は青年のもの。これは、私がまだ青年のころに聞いたなかで一番気に入っていたキャッチフレーズです。子どもは、その青年の卵。まさに国の宝です。その子どもたちを大切にせずして、日本の未来はありません。子どもを飢えさせる政治なんて根本的に間違ってますよ・・・・。プンプンプン、怒りのうちに、この本をおすすめします。
(2010年11月刊。1500円+税)

希望を持もって生きる

カテゴリー:社会

 著者 釧路市生活福祉事務所、 筒井書房 出版 
 
 驚きの本です。サブ・タイトルに「生活保護の常識を覆すチャレンジ」とあります。ええっどういうことなの・・・・?
 釧路市の人口は19万人弱。水産、石炭、そして紙パルプの町として栄えてきた。水産は水揚げ日本一を誇っていたのが、いまや最盛時130万トンのわずか1割10数万トンでしかない。石炭は最後まで残った太平洋炭鉱が閉山してしまった。紙パルプ産業も縮小し、失業と人口減に悩む町になった。
 生活保護世帯は5581世帯。保護率は46.1パミール。平成20年度の保護申請は
888件、保護開始が777件、廃止が485件。母子世帯が16.3%いて、これは全国平均8%の2倍。受給世帯の子どもの割は母子世帯の子ども。
 これまではよくある話です。ここからが違います。釧路市の生活福祉事務所はコペルニクス的転回を遂げるのです。
第一に、福祉事務所になじみのある「就労阻害要因」は何かという切り口から受給者の「自立」をとらえるのではなく、「社会資源・社会参加」という切り口から受給する母子世帯の問題を見る。
 第二に、「点検管理」という伝統的なアプローチではなく、「自尊意識の回復と醸減」という当事者のエンパワメントを意図してアプローチする。
 第三に、「就労一筋」に対して、「中間的就労」という造語表現をつかって、ステップをもうけることに意識付けをする。
 第四に子ども支援に取り組む。具体的には、母子受給世帯のなかの子どもたちに呼びかけて「高校行こう会」をスタートさせた。教える側の一員として保護受給中の人にも参加してもらう。
 このほか、病院ボランティア、公園管理ボランティア、廃材分別作業ボランティアなど、いろいろあります。
 受給者には、確かに認められ大切にされていると感じる経験、人に感謝され誰かの役に立っているとい感じる経験が必要だ。そのことから、人間に備わっている自己回復力のようなものが働き、ゆっくりでも着実に、行動するための活力が湧いてきて、自分から「社会に出てみるのも悪くない」「もう一度社会とのかかわりをもってみよう」と徐々に思えるようになっていく。
 参加を迷っている人に対しては、「ためしに参加してみてはどうですか。参加してみて、良かったらずっと参加していくし、合わなかったら、ほかも紹介できますし・・・・」と話す。すると、たいてい「ためしなら・・・・」と言って参加してくれる。「絶対」という言葉で萎縮して一歩踏み出せないよりは、心も軽く外に出てみることのほうが大切なのだ。
無償のボランティアが受け取る対価は「人の役に立っている」という意識と「ありがとう」という言葉だ。「ボランティアができるなら、すぐに働けるだろう」という声があがることもあるが、結果をあせらず、十分な助走が大切である。
 受給者のなかには、人と話す機会もすくなく、ひきこもりがちになっていた人も少なくない。人は決まった時間に出かける場所や仕事、楽しいイベントなどがあると、前もって準備し、身づくろいもする。誰かに「生活をきちんとしなさい」と言われても気乗りしないが、自分の内側から出る意思で行動するぶん、生活リズムが整い、それが習慣となって身についていく。働くということは、「生活のためにお金を稼ぐ」ことだけでなく、自分を生かし、あてにされ、しゃかいとのつながりを通して自分自身を確認することでもある。
 このように釧路市では、いわば市役所が地域に出て行っているのです。驚きましたね、この発想と行動力には・・・・。
 その中心にあるのは、受給者の自尊感情の回復。就職に必要な資格取得であれ、就労体験的なボランティア活動であれ、受給者の自尊感情の回復を抜きにしては前に進むことはできないのだ。
 まさしく、そのとおりですね。「毎日つらかったけれど、今は人間に戻った気がする」というボランティア体験者の声は本当にすばらしいです。
人を支える生活保護。これが地域に生きる福祉事務所の役割なんだ。なんと素晴らしい言葉でしょうか。
今は世迷言と言われそうなフレーズを口にしながら、そのような釧路をつくる道程にこそ私たちの希望が宿るという信念を貫いていきたい。
 これがこの本の結びの言葉です。心から大きな拍手を送ります。多くの人にこの本が読まれることを願います。岐阜で開かれた第30回全国クレサラ被害者交流集会の相談員分科会の会場で、釧路はまなす会の方の紹介で知って、すぐに買い求めた本です。本当に買って良かったと思いました。ご紹介、ありがとうございました。
(2009年10月刊。1600円+税)

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