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戦死とアメリカ

カテゴリー:アメリカ

著者 ドルー・ギルピン・ファウスト、 彩流社   出版 
 
アメリカにとって南北戦争の重大さを改めて認識させられた本です。南北戦争の続いた1861年から65年までの戦死者は62万人。これは、アメリカ独戦争、1812年戦争、メキシコ戦争、半西戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦、朝鮮戦争の戦死者数の合計に匹敵する。
 現在のアメリカの人口にあてはめると、全人口の2%、600万人が戦死したに等しい。南軍の戦死者は北軍の3倍。戦える年齢に達した南部白人男性の5人に1人が戦死した。そして、市民も5万人が犠牲になった。南北両陣営とも、この戦争が数年に及び、これほどの規模と犠牲者をだすとは想像もしていなかった。どちらも長く続くものではないと考えていた。北部人210万人と88万人の南部人が武器をもって戦った。
細菌や抗生物質はまだ知られておらず、伝染病や赤痢などが両陣営を襲った。連邦軍兵士の4分の3が深刻な腸障害にかかった。
 南軍の従軍牧師は兵士を前にして「兵隊である皆さんの務めは死ぬことなのです」と説教した。うむむ、なんという説教でしょうか・・・・。
ほとんどの兵士にとって、人を殺すことは克服すべき課題だった。仲間が殺される場面を目撃した兵士は、復讐心に燃えて理性を捨て、恐怖も道徳心もなくした。
 北軍、南軍にかかわらず、兵士たちはすくなくとも初めのうち殺すことに葛藤があった。しかし、やがて男たちは殺すことを楽しむようにさえなっていった。
 射撃能力と射程距離が高度に進化する一方、ほとんど訓練を受けていない志願兵と大規模な軍隊構成が戦闘をますます無秩序化し、士官が部隊を直接コントロールするのを難しくした。
ゲティスバーグの戦場で、弾が込められたまま放置された2万4戦丁の銃が発見された。これは兵士たちが撃てなかったかが、ためらったがために敵に撃たれて死亡し、負傷し、あるいは敗走したことを物語っている。
ほとんどの戦いは91メートル圏内で、お互いの顔が見える範囲で対峙したものだった。黒人の戦死者数はとび抜けて多かった。戦争に行った18万の黒人のうち5分の1は生きて戻れなかった。といっても戦闘そのものより、病気で死んだ数のほうがずっと多かった。
殺すことは戦争の本質である。しかし、それは人間のもっとも根源的な前提、自分自身と他の人間の命の神聖さに挑戦するものであった。殺すことは変化を生み出し、それは容易に元に戻ることはなかった。自分たちと同じ人間が殺され、死体となった。戦場を見てしまったら、かつての自分にはどうしても戻れなかった。
これを読んで、私は、すでに亡くなられましたが元アメリカ海兵隊員だったネルソンさんの話を思い出してしましました。べトナムで人を殺したことのある彼は、そのことがずっと悪夢のようにつきまとっていると語っていました。
南北戦争の舞台となったところは、葬儀屋にとっておおきなビジネスチャンスになった事実も紹介されています。高額のエンバーミングが流行したのです。
南北戦争によって、20万人ちかい北軍兵が、そして21万人をこえる南軍兵が捕虜になった。3万人の北軍兵、2万6千人の南軍兵が捕虜収容所で死亡した。捕虜生活は、「地上でもっとも地獄に近い状態」だった。病院は危険な場所だった。飲料水は汚染され、伝染病が広がった。
著者はハーバード大学の現学長です。アメリカでベストセラーになったそうですが、それだけ南北戦争は現代アメリカ人にとって依然として大いなる関心の対象なのですね。今でもアメリカの各地で、大勢が参加して当時の服装のまま再現した模擬戦を演じているというのにも驚かされます。それにしても62万人という大量の戦死者を出した戦争について、博愛を旨とするはずのキリスト教が無力だった事実は残念としか言いようがありません。アメリカは本当に宗教の国なのでしょうか・・・・。
(2011年2月刊。1600円+税)

捕食者なき世界

カテゴリー:生物

著者 ウィリアム・ソウルゼンバーグ、    出版 文芸春秋
 シャチはいるかの仲間で飛びぬけて巨大で破壊力がある。体長9メートル、牙を持つクジラだ。6トンの巨体を時速50キロで進む。ときにはホッキョクグマも食べる。体長15センチのニシンから18メートルあるシロナガスクジラまで海で泳ぐものは何でも襲う。平均して、1日に自分の体重の5%の量を食べる。あるシャチの胃には14頭のアザラシと13頭のネズミイルカの残骸が入っていた。
 捕食者を締め出すと、高くつく。森林野生動物も犠牲になる。オオカミを追い出すと、鳥や植物など多くのものを失うことになる。なぜなら、オオカミが自然を管理しているから。
 肉食動物がいなくなり、ハンターが締め出され、草食動物にとって唯一の危険因子が自動車だけになった森は、どこも深刻なダメージを受けた。 上位の捕獲者が消えた環境では、それより小さな下位の捕食者の国が勢力を伸ばし、10倍にも数を増やして好き勝手をするようになる。
サハラ以南のアフリカではヒヒが大量に増殖し、目にあまる略奪を繰り広げている。ライオンやヒョウがいなくなった広い地球を、化け物じみたヒヒの集団が占領しはじめた。いつでもどこへでも行けるようになったヒヒたちは、アフリカの作物泥棒兼殺し屋となり、人間の女や子どもを襲って食料を奪い、家を壊して侵入し、膨大な数の家畜や野生動物を殺している。うへーっ、これって怖いですね。
オオカミが多いほどヘラジカは少なくなり、年輪の幅は広くなる。オオカミの個体数が多い年には、森林が育つ。オオカミは森林の力になる。そうなんですね。
鳥獣保護区域に設定され、シカの狩猟は禁じられ、シカを捕食する動物はことごとく殺された。25年間で、6000頭もの肉食動物が殺された。800頭のピューマと、オオカミ30頭もふくまれていた。その結果、シカは4000頭が10万頭にふくれあがった。そうなるとシカは全部を食い尽くし、飢えて死ぬか、病気で死ぬしかない。シカを増やすために捕食動物を皆殺しにすることは、いかに愚かかということである。大型の捕食者が消えるということは、生物世界が不毛になるということを意味する。
うふーっ、人間ってこんなにも考えの足りない、身勝手な存在だったんですね。森には、トラがいて、ライオンがいて、またオオカミがいてこそ安定した生態系が保全されるということを改めて認識させられました。シカやきつねがいるだけでは、かえって森も滅びてしまうことになるなんて、私の考えつかないことでした。だって、熊のいる森の中なんて恐ろしくて入っていけませんからからね。でも、これこそが人間の身勝手さなのですね。森は人間のためにだけにあるわけではないということをすっかり忘れていました。私のボンクラ頭をガツーンと殴られた気がする本でした。
(2010年9月刊。1900円+税)

大祖国戦争のソ連戦車

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 古是 三春 、   カマド 出版 
 
 1941年、ナチス・ドイツ軍がソ連に電撃的に侵攻していったとき、モスクワ攻防戦で大活躍したソ連赤軍のT-34戦車というのはどんなものなのか前から関心がありました。この本は、このT-34戦車の生いたちと活躍の状況を紹介しています。
 スターリンの重大な誤りによって大損害を蒙っていたソ連ですが、T―34戦車の必死の大増産によってなんとか挽回することが出来たのでした。
 ドイツ軍のグデーリアン将軍はT-34戦車の威力に脅威を感じたといいます。
ソ連は、ドイツ軍の侵攻を受けて、レニングラードやハリコフなどの西欧地区の工業都市にあった軍需企業をウラル山脈以東へ疎開させた。1500以上の工場を解体して東部へ移動させたが、その規模は鉄道貨車に換算して150万輌にもなる。T-34戦車の大増産が始まり、1942年には1万2千両を戦場へ送り出した。
 T-34戦車の製造工場では、全設備の70%が流れ作業方式でつくられた。スターリングラードも後に1942年9月には戦場になったが、同年8月まではT-34戦車の生産を続けていた。しかし、1943年7月のクルスク大戦車戦では、T-34戦車を主力とするソ連軍はドイツ軍のティーガー重戦車などの前に大損害を蒙ってしまった。このとき、T-34戦車の8割以上が喪われてしまった。
 それでも、T-34戦車はドイツ側からすると、「洪水のようにあふれる戦車の波」がソ連側の戦場に出現したわけです。
T-34戦車の優れた点は、量産を考えて信頼性を重視し、極力単純に設計されていること。ロシアのぬかるみの大地や豪雪地帯でも行動できた。ディーゼルエンジンは燃費に優れ、耐久性に富む。最大速度は時速51.5キロ。ドイツ軍の対戦車砲もはね返す車体となっていた。
ソ連の大祖国戦争の実際を知るうえでは、前に紹介しました『戦争は女の顔をしていない』(群像社)をぜひ読んでみてくださいね。
(2010年2月刊。1600円+税)

世界一空が美しい大陸・南極の図鑑

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 武田 康男、    出版 草思社
 楽しい、不思議な気持ちにさせる写真集です。南極大陸なんて、行こうと思っても簡単に行けるところではありませんが、そこで撮られた美しい写真を眺めていると、なんだか心が落ち着いてきます。なぜでしょうか・・・?
 オーロラは本当は昼間にも起きているが、人間は暗い夜しか見られない。南極の夏は白夜なので、オーロラは見られない。オーロラは太陽活動が激しいときに多く見られる。オーロラの緑色も赤色も、空気中の酸素原子が出す色である。
 オーロラは、太陽圏のプラズマ粒子(空気を帯びた粒子)が地球磁気圏のなかに入り込むことで起きる現象だ。高さ100キロメートルの空気分子にぶつかって発光している。
さまざまな色と形のオーロラが紹介されています。
 オーロラは空気が光っているので透き通り、オーロラのうしろにも星が見える。
 南極の夕焼け、そして朝焼けも素晴らしい。絶景です。
 南極の夜にダイヤモンドダストが漂う。ダイヤモンドダストの正体は、六角形の柱状の形をした雪の結晶である。表面で光を反射したり、内部で屈折したりして、さまざまな光の現象をつくる。
一度はぜひ見てみたい、夢幻的な現象です。
南極の夜空には、たくさんの人工衛星が見える。衛星の集合場所のようになっているからだ。しかも、南極では高い空に太陽光が当たりやすいために、よく見える。
 南極には、地球上の淡水の7割、氷の9割が存在している。南極大陸の氷が全部溶けて海に流れ出したら、世界の海水面は60メートルも上昇する。
うひょーっ、そうなれば、東京なんて、ほとんどが海面下ですね。まさに「日本沈没」です。といっても、すぐのことでありません。
 南極大陸に生活する人々の大変さはともかくとして、そこで撮られた写真の美しさ、不思議さに驚嘆してしまいました。ありがとうございます。著者に心よりお礼を申し上げます。
 
(2010年8月刊。1600円+税)

さすらいの舞姫

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  西木  正明、   光文社 出版 
 
 戦前の日本で世界的なバレリーナとして有名だった崔承喜が、戦後、北朝鮮の闇のなかで静粛され消えていくまでを明らかにした長編小説です。900頁もの大作ですので、じっくり崔承喜がどんなに素晴らしいモダンバレエを踊っていたのか、なんとなく想像できます。でも、やっぱり映像で彼女の雄姿を見てみたいものだと思いました。
 美貌と抜群のプロポーションで、道行く人がハッと振り返るほどだったそうです。そのうえ、あふれんばかりの芸術的才能を持っていたというのですから、まさに鬼に金棒ですね。生前、あの川端康成が絶賛していたといいます。
 崔承喜は韓国の両班の家に生まれ育ちましたが、ある日、バレエを志し、日本人の舞踏家である石井獏に押しかけ弟子入りをします。日本へ渡って、東京は自由が丘に住み込みでモダンの・バレエの練習に励むのでした。そうこうするうちに、朝鮮古来の踊りも取り入れ、披露するようになります。やがて、崔承喜のバレエは日本で大評判となり、ついにはアメリカに招かれて公演することになりました。崔承喜は、同じ韓国人でマルキストの安承弼と結婚します。売れない作家の夫は崔承喜のマネージャー役を買ってでるのでした。
 アメリカの公演が大成功し、次にはフランスに渡って、そこでも公演して好評を博します。すごいものですね。練習だけではなく、やはり天賦の才能があったのでしょうね。
やがて第二次大戦が始まります。崔承喜は日本軍の最前線まで慰問に出かけるのでした。そして、終戦。夫とともに崔承喜は北朝鮮に入ります。その選択が、結局は命取りになるのでした。ここらあたりからは著者が当時の北朝鮮内部の権力闘争を要領よく解き明かして、金日成がライバルたちを蹴落としていく状況を描いています。
金日成が自信たっぷりに朝鮮戦争を始め、緒戦の勝ち戦が一変して敗北の泥沼に陥り、中国軍の介入でやっと権力を維持するのですが、その権力闘争の渦のなかで、崔承喜は夫ともども闇のなかに消されてしまったのです。まことに金日成とは罪な権力者でした。
 この本の最後は、崔承喜が北朝鮮の治安当局によって連行される場面となっています。娘と息子の運命はどうなったのでしょうか・・・・。いずれにしても、小説という手法で崔承喜という不世出のバレリーナのたどったみちが克明に紹介されていて、とても勉強にもなりました。同じ著者の『夢顔さんによろしく』も大変面白く読みましたが、著者の綿密な調査に裏付けられた筆力には感嘆するばかりです。
(2010年7月刊。2300円+税)
火曜日の午前中皇居前の広場を通りました。広々とした芝生のあちこちに青いビニールシートを敷いた芝生のあちこちに青いビニールシートを敷いたホームレスの人たちが眠っていました。ざっと見渡すと50人ほどが点在していたように思います。朝は厳しい冷え込みでしたが、私が通ったころには天気が良く3月の陽気を思わせるほどでした。大勢の観光客が皇居を目指して歩いていましたが、相変わらずホームレスの人が多いことを象徴していました。年越し派遣村が出来て大騒ぎしたのが嘘のようにマスコミは取り上げなくなりましたが、もっと真剣に貧困格差の拡大の防止策を講じるべきだとつくづく思いました。

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