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FBI式、人の心を操る技術

カテゴリー:未分類

著者 ジャニーン・ドライヴァー、  出版 メディアファクトリー新書
 人間の何気ない仕草に、実はその人の心の動きがあらわれている。なるほど、そうなのかなあと思う指摘がいくつもありました。
嘘の得意な人間は、たいてい相手の目を見続けることも得意だ。嘘つきは目を見ないというのは誤解だ。そうなんですね。まったく油断も隙もありません。
 それより大事なことは、相手がいつもとは違った動きをした瞬間を見逃さないこと。
恐怖に飲み込まれそうなときでも、自分のホンネ以上の自信をかもし出す訓練をする。これが利益をもたらす。本物の自信が身につくまでは、自信のあるふりをしている。これが大切だ。なるほど、そういうことですか・・・。
 友好関係を築くのにもっとも大切な感情は、共感だ。求められるのは、他者の言葉に真摯に耳を傾け、その価値観を理解し同じ感情を持つことのできる能力。これがあると、やがて相手も自分を尊敬するようになり、さらに大切な信頼関係が生まれる。うむむ、これって大切な指摘ですよね。私もそうだと思います。
 会って最初の7秒で第一印象は決まる。自己紹介は必ず強く。名前を皆に覚えてもらえるように、はっきり言う。それも1回だけでなく。
 相づちを打つのは、ほどよく、心を込めて。へその向きが、その人物の意志を読みとくときの最も重要な要素である。
人は不快感や不安を感じたとき、本能的に局部を隠す「イチジクの葉」のポーズをとる。身体のどこかとどこかを触れあわせる行為は精神的なストレスが高い場面で自分を落ち着かせようとして、無意識に行っているケースがほとんどだ。自分を触る仕草は、緊張、自信の欠如、あるいは退屈を示すシグナルだ。自分自身をなだめたり、落ち着かせるためにとる行動なのだ。 自分を触る仕草をしないように心がけること、それだけでも集中力が高まり、鋭敏になる。
相手が度を超した怒りを見せ始めたとき、言葉や肉体による暴力を受ける危険を感じたら、目をそらすこと。腹部やノドや局部を隠し、体を小さく見せる。自分からは話しかけない。そして、ゆっくりと出口へ向かう。どうしてそこまで怒り狂っているのかを尋ねてはいけない。怒るのは間違ったことだと理路整然と諭してもいけない。その時点で、相手は理性的に考えるのが不可能な状態にあるのだから。
他人の理不尽な怒りに出会ったら、何より自分の安全を優先しなくてはいけない。
ふむふむ、なるほどなるほど。いろいろ参考になる指摘がありました。FBIというんだから、うさん臭い。そう思わないで読んでみました。とても実践的で大切な指摘が満載の本でした。
(2010年7月刊。740円+税)

戦場の街、南京

カテゴリー:日本史

著者  松岡 環、  出版  社会評論社
 1937年に日本軍が南京で大虐殺事件を引き起こしたのは歴史的な事実です。それがあたかもなかったかのように主張する日本人が今なおいるのは残念でなりません。虐殺された人が正確に30万人なのかどうか、私にはよく分かりませんが、いずれにしても何万、何十万人という罪なき人々を日本軍が次々に殺戮していったことは、多くの日本軍兵士がつけていた日誌によっても裏付けられています。
 この本は、そのような日誌のいくつかを掘り起こし、中国側の記録と照合しています。
 著者は、12年間に日本軍の元兵士250人以上を訪ねて歩いて証言を聞取っていったとのことです。大変な苦労があったと思います。加害者が生の事実をありのまま素直に語るとは思えないからです。
 多くの日本兵士が日記をつけていました。これは学校教育の成果であると同時に、日本帝国の天皇の赤子(せきし)としての自覚を高めるための軍隊教育の成果でもあった。
 家族への情愛にあふれた手紙を書く一方で、日本軍兵はいったん中国に向かうと残酷な行為を平気で行った。中国の部落に宿営するたびに食料を徴発した。徴発とは泥棒することである。
 日本軍は、兵站基地を十分に計画して設置せず、戦争に直接関係のない民衆から野蛮な略奪によって膨大な軍隊を養おうとした。日本軍は村落を直過するたびに、穀物や家畜を奪い、家屋に容赦なく火を放った。
 無錫に侵攻した第16師団寺兵第33連隊は許巷の村民223人を村の広場に集めて機関銃で撃ち殺し、まだ死に切れない人をふくめて死体を焼いた。1937年11月24日のことである。 日本軍の兵士たちは、中国人を殺すことに後ろめたさはなく、「考えている間もなく、とにかく殺した」と述懐する。
 第16師団の中島今朝吾師団長は、「捕虜はとらぬ方針」なので、部隊の兵士たちは片っ端から元兵士や中国人を殺していった。 7、8百という数の捕虜を「処分」するのには相当に大きな壕が必要で、そんなものはなかなか見つからない。そこで、百、二百に分割して搬送し、適当な場所に連れて行って処分することにした。
「一日に第一分隊で殺した数55名。小隊で250名」
 このように書かれた元兵士の日記があり、書いた本人がそれを見ながら捕虜250人は機関銃で殺したんやろうなと語っています。
さらに日本軍は、南京に残った中国人の女性に対する性暴力を働いています。その被害にあった人は7万人とみられているのです。日本軍は国際安全区のエリアにまで乱入しました。
 日本軍の将接や軍幹部は下級兵士の性暴力を容認したばかりか、自らも性暴力に積極的に加担した。
「南京に入る前から、南京に入ったら女はやりたい放題、ものは取り放題じゃ、といわれておった」と元兵士は語る。
 強姦、強殺が多発した原因は、決して軍紀の弛緩というものではなく、不作為の作為ともいえる日本軍全体の暗黙の容認があったということ。
 このような掘り起こし作業も元兵士の高齢化によって次第に困難になっています。その意味からも貴重な本です。そのころ生きていなかったから関係ないということは許されないと思います。だって、祖父や父たちのしたことなんですから・・・。
(2009年8月刊。2200円+税)
 先日開かれた法曹協議会で、刑務所内でも収容者の高齢化がすすんでいること、不況を反映して窃盗や詐欺などの財産犯が増えていることが報告されました。60歳以上の収容者の比率は平成13年に8.2%だったのが平成21年には14.3%となった。また、万引や無銭飲食などの財産犯が36%から40.5%に増えた。覚せい剤の33.6%とあわせて4分の3を財産犯と薬物犯とで占めている。
 全国の刑務所の収容者は平成18年に3万3千人でピークとなって、その後は減少している。平成21年は2万8千人となり過剰収容の問題はなくなった。
 私は、いまもホームレスの若者の自転車盗の担当しています。3日も食べていなかったので、自ら110番して捕まえてもらったというのです。

江の生涯

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  福田 千鶴 、 出版 中公新書
NHKの大河ドラマが始まり、今もっとも注目されている女性です。
戦国時代に生まれた女性のなかで、もっともしたたかな生涯をまっとうしたなかに浅井江(あさいごう)は間違いなく入る。戦国一の美女と称された小谷(おだに)の方(織田信長の妹である市。おだいち)を母に、浅井三姉妹の末娘として生まれ、三度目の結婚で徳川秀忠の妻となり、三代将軍の家光の母として崇敬され、江戸城の大奥で過ごした。54歳で亡くなり、従一位を贈られ、当時の女性として最高の単誉に浴した。
 浅井三姉妹とは、豊臣秀吉の妻となった長女茶々、高極高次の妻となった次女の初(はつ)、徳川秀忠の妻となった三女江(ごう)のこと。近江の名門浅井長政を父に、天下人織田信長の妹の市(いち)を母にもつ由緒正しき出身の姫君たちである。
 浅井江は、天正・文禄・慶長・元和(げんな)・寛永という時代を生き抜いた。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の時代である。そして後半は、徳川秀忠の正妻、将軍家御台所(みだいどころ)として安定した生活を送り、徳川250年の基盤づくりに貢献した。
戦国時代、日本の武家社会では夫婦別姓を基本としていた。つまり、姓は結婚によって変わらなかった。
 徳川秀忠にとって、江との結婚は形式的には再婚となる。もっとも、初婚の相手の「小姫」は7歳で死亡している。江が秀忠と結婚したのは文禄4年のこと。江は数えの23歳、秀忠は同じく17歳。6つ年上の妻であった。そして、長女千(せん)が生まれたとき、江は25歳、秀忠は19歳。
子に乳母が必要とされたのは、生母だけでは乳が足りないという現実的な理由もあったが、長男の場合はとくに生母が育てると母子の情愛が深くなることを避けていたことも理由の一つである。というのも、情愛が深いと母は子を戦陣に送り出せなくなるし、子も母のことを想って戦陣で死する覚悟が鈍るから、武士の子(男)は、母の情愛を知らずに育てさせるのが基本であった。つまり将来、戦闘集団の長として戦陣に赴かねばならない惣領が、生母に愛されないことをもって自殺を図るようでは、すでに武家の棟梁たる資格を失っている。うむむ、なるほど、さすがは絶えず死に直面していた戦国の世に近接していた時代ならではの考えですね。
 江は家光の生母ではない。だから、家光の正嫡としての立場は揺れ動いていた。しかし、江が家光の誕生日を極秘にしたという強い意向からはたとえ表向きであっても、母として家光を守り、御台所として徳川将軍家を守らねばならないという強い信念が読みとれる。江は家光の表向きの母としての役職を十分に演じていた。
 うひょう、江は家光の生母ではなかったというのですか・・・?そして、実子である忠長は、それを知っていたからこそ、なぜ自分が将軍になれないのか、自暴自棄になっていたというのですね・・・。これって、歴史学者の一致した見解なんでしょうか。
 江と秀忠との間に生まれたのは、干、初の二女と忠長の一男である。うむむ、そうなんですか・・・。
 徳川将軍家の御台所のなかで、唯一人、将軍の生母として崇敬され、死後においても歴代将軍の正室・側室のなかで33回忌が行われたのは江だけであった。しかも、50回忌法会まで営まれているのである。うへーっ、たいしたものですね。
 当主の子を生んだ女性がすべて御部家様(側室)になるわけではなく、侍妾は子を生んでも奥女中(使用人)としての立場は基本的に変わらず、出産後も奥女中の仕事を続ける。
 正室である江が統括する江戸城大奥で侍妾から生まれた娘は、すべて正室所生として扱われ、育てられた。むひょう、なるほどなるほど、大奥のしきたりというのは、そうなっているのですね。とても興味深い本でした。
 
(2010年11月刊。800円+税)

生物の進化大図鑑

カテゴリー:生物

著者  マイケル・J・ベントン、 河出書房新社  出版 
 
 文字どおりの大図鑑です。地球上に生物が誕生し、恐竜が反映するようになって、隠れすむようにして生息していた哺乳類がやがて大きな顔をしはじめ、人類がアフリカに生まれ全世界へ旅だっていく。その全過程が写真と図版で克明に解説されています。私は正月休みに、じっくり眺めて楽しみました。1万円もする高価な本ですが、正月3日間どこにも出かけませんでしたので、それを思えば安いものです。
 アメリカの恐竜発掘現場の写真があります。二人の男性が骨にしがみついて発掘作業中なのですが、人間は足の骨の一本分ほどでしかありません。恐竜の巨大さを如実に示す写真です。
 カンブリア紀には、奇妙奇天烈な生物のオンパレードです。突き出た5つの眼を頭に持ち、口のあたりからにょろっとヘビのようなものが出たオパビニアという生物(節足動物)が海中にいました。失礼ながら、とても笑える姿です。
 ペルム紀には史上最大の大量絶滅があった。火山の噴火による海洋と大気の有毒化の結果、海洋種の95%、陸生種の70%が死滅した。ええっ、これって恐竜絶滅のことかしらんと思ったところ、まだ恐竜が本格的に出現する前のことでした。
 ペルム紀前期にいたディメトロドンは、恐竜そのものではないようですが、背中に大型の帆を持ったワニのような形をしています。赤く塗られていますので、いかにも恐ろしげです。この赤い色には根拠があるのでしょうか。化石に色素は残らないように思いますが・・・・。
 恐竜が出現したのは、三畳紀後期の2億3000万年前のこと。ペルム紀末の有毒な大気が平常に戻って生態系が安定化するなかで、恐竜のような大型のグループがあらわれてきた。
 今ではよく知られているように、とりは恐竜の一部の末裔です。でも、可愛い鳥を見ていて、あれが巨大恐竜の仲間だとは、ちょっと想像できませんよね。
カバに似たディキノドン類であるプラケリアは2000キログラムもありました。なんと2トンです。
 それに対して哺乳類の生まれはじめは、なんと全身9センチ足らずのネズミによく似た動物でした。私たち人間の違い祖先がネズミだったなんて・・・・。ちなみに私はネズミ年の生まれです。それで、いつもチョロチョロ動いていると、小さいころから言われ続けてきました。
 ジュラ紀はまさしく恐竜の世紀です。アロサウルスは身長にして1メートル、体重1800キログラム、恐ろしい捕食動物でした。こんなのに追いかけられたら、それだけで命が縮まりそうです。
始祖鳥はジュラ紀後期。体長30センチ。翼の風切羽なども化石に跡が残っている。
 グラキオサウルスは、高さ23メートル。その重さの大部分は、巨大前肢で支えられていた。アフリカ・タンザニアで発見されたケントロサウルスは、剣竜類にふさわしく、背中に光ったとげを9本も持っていた。
 白亜紀は恐竜の進化の頂点だった。そして、恐竜は絶滅した。6500万年前、大きな小惑星がメキシコのユカタン半島を直撃した。この衝撃が津波や酸性雨のような環境の混乱の連鎖反応を呼びおこして、恐竜の終わりを推進した。
 大小さまざまの恐竜の化石が写真で紹介され、また恐竜の雄姿の想像図があり、ここらの頁を眺めているだけでも楽しく時間を過ごせます。映画『ジュラシックパーク』を思い出します。でも、その隣で一緒になんか生活したくありませんよね。
 頭にコブがあるので有名なパキケファロサウルスは、このコブを利用して、オス同士が戦ったのだと思っていましたが、この本によると、その首はケンカを支えるだけの強さはないので、それはありあないことだとされています。
そして、人類の起源です。アフリカが人類発祥の地であることは定説です。そこから、ヨーロッパにも、アジアにも放散していったというわけです。しかも不思議なことに、ネアンデルタール人も、クロマニョン人も、同じようにアフリカ起源だというのです。ネアンデルタール人がクロマニョン人に進化していったわけではないというのが、なんだか不思議でなりません。
 あなたもぜひ一度この大図鑑を手にとって眺めてみて下さい。この世は面白い生物にみちていたのです。いえ、過去形ではなく、現在進行形です。
(2010年10月刊。9500円+税)

政治とカネ

カテゴリー:社会

著者   海部 俊樹、   新潮新書 出版 
 
 日本の政治がいかにカネまみれであるか、この本を読むと、その一端が首相にもなった当事者自身が吐露していて、嫌になってしまいます。
 表向きはキレイゴトを言っていても、裏ではお金にモノを言わせて何事も進んでいたのが自民党の政治でした。そして、今、それを批判して誕生したはずの民主党の政治が、まったく同じ道を歩んでいます。その典型例が、月に1億円を自由気ままに使って、その使途をまったく明らかにしなくていい内閣官房機密費です。民主党はその廃止が公約だったと思うのですが、政権をとった今は月1億円をこれまでと同じように使って、その使途を公表しようとはしません。自民党政権とまるで同じです。そして、マスコミは、そのおこぼれにあずかっているからなのでしょうね。深く追求することもしません。月1億円を内閣官房長官の主宰で自由に使ってよくて、その使途も明らかにする必要がないというシステムは、どう考えても民主主義に反すると思います。
首相にもなった村山富市について、著者は許し難い人物だと厳しく批判しています。
 村山富市は長いあいだ社会党の国対委員長をつとめていたが、約束は破る、八百長はする、本会議はめちゃくちゃにするといった許し難い人物であった。
そして、小沢一郎も厳しく批判します。物事がまとまりかけると、自分の存在価値が低くなるから、つぶす。つぶすためには、横車でもなんでもゴリゴリ押して、荒れるなら荒れるでよろしい。小沢一郎はそれを繰り返した。何かがちょっと育ってくるとゴツン、すこし芽が出はじめるとゴツンと叩いてしまう性癖がある。だから、「壊し屋」という異名がついた。
 小沢一郎が幹事長で、著者が党首という新進党をつくったが、このとき、小沢一郎と腹の底から信頼しあう関係を築こうとは思わなかった。小沢一郎の問答無用なやり方、会議に出ない、密室政治、人を呼び出す傲慢さ、反対派への報復人事など・・・・。小沢一郎ほど、側近の出入りが激しい政治家はいない、小沢一郎は、誰にとっても心の通い道をつくれない相手である。
 こんな政党に税金で助成金をだすなんて間違いだと思います。企業献金も禁止して、個人献金のみにすべきです。民主党政権は、この点でも公約違反です。
 政党助成金の主要なつかい道は選挙公報です。大手PR会社である電通やら博報堂が私たちの税金でキレイゴトのPR作戦をして国民を欺いているようなものです。郵政改革を最大の焦点とした小泉選挙の負の遺産に今、私たちは苦しめられているように思うのです・・・・。
それにしても、著者の近影は痛々しさを感じました。政治家というのは、心労がひどい職業なんですね。まともな人にはとてもできない職業です。だから差別発言を繰り返す石原慎太郎がのさばる世界なんでしょうね。残念です。
(2010年12月刊。680円+税)

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