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鉄砲を手放さなかった百姓たち

カテゴリー:日本史(江戸)

著者 武井 弘一、   出版 朝日新聞出版 
 
 江戸時代の百姓は、意外にもたくさんの鉄砲を持っていたようです。害獣退治に鉄砲は欠かせなかったのでした。そして、百姓一揆には鉄砲を使わないという不文律があったといいます。これって、日本社会の不思議ですよね。
 百姓一揆のとき、鉄砲がヒトに向けて発射された例はない。武器ではなく、音をたてる鳴物として使用された。領主の側でも鉄砲は使わなかった。百姓へ向けて発砲してしまえば、たちまち支配の正当性を失ってしまうからだ。領主と百姓のあいだには、鉄砲不使用の原則があった。うむむ、本当でしょうか、なんだか信じられない、そんな原則ですよね。
下野(しもつけ)国壬生(みぶ)藩は軍役で鉄砲80挺を出すのが決まりだったが、藩内の村から104挺もの隠し鉄砲が摘発された。軍役規定の1.3倍も鉄砲を百姓たちが不法所持していた。このように刀狩りによって日本人は丸腰になったという考えは間違っている。実際には、村々には、なお大量の武器がそのまま残されていた。刀狩の真の狙いは、百姓の帯刀を原則として禁じて身分を明確にすることにあった。そうなんですか・・・。
 鷹を数えるときは、「羽」ではなく「居」(もと)を使う。むひゃあ、ちっとも知りませんでした。こんな単位の呼び方があったんですね・・・・。
 鉄砲改めとは、幕府が村に広まっている鉄砲そのものを登録することを言う。つまり、鉄砲所持を禁止するのではない。鉄砲改めの狙いは、盗賊人が持つような、治安の悪化にもつながるような鉄砲を没収することだった。
 島原の乱のあと200年ほどは弓も鉄砲も不要になっていたと、水戸藩主の徳川斉昭が幕末のころに書いている。幕末になると、アウトローたちは、長脇差とヤリ・鉄砲をもって徘徊していた。
人宿(ひとやど)に、まだ死人でないヒトが捨てられていた。重病人を遺棄することがあたり前になっていた社会に徳川綱吉は、ヒトもふくめた生き物すべての生命を大切にすることを教諭しようとした。これが生類憐みの令なのである。また、野犬をどうするのかが、社会的な課題となっていた時代でもあった。うむむ、そういう見方もあるのですか。
 関東の耕地面積は、(20万町20万ヘクタール)から、江戸中期に70万町まで3.5倍も飛躍的に増えた。そして、鳥獣害に百姓は悩まされていた。
 享保2年から、幕府はあらゆる鳥を独占するため、鉄砲を取り締まっている。鳥が激減していた。幕府が鉄砲改めをおこなったのは、鷹場を維持・管理するため、不足していた鳥を確保することに狙いがあった。
 日本人にとっての鉄砲の意味を考え直させる本です。
(2010年6月刊。1300円+税)

僧兵=祈りと暴力の力

カテゴリー:日本史(中世)

著者 衣川 仁 、  講談社選書メチエ 
 
この本を読むと、中世のお寺というのは、そこで僧侶が静かに修行していただけというものではなく、社会的な権力体であり、ときに集団的な暴力沙汰も辞さない物騒な存在であったことが分ります。何ごとも固定観念で、とらえてはいけないものなのですね。
比叡山延暦寺など、寺院は社会的な権力体として、最大級の権力基盤をそなえていた。その勢力は、寺領荘園という経済的基盤と、俗人も含みこんだかたちで拡大していた寺僧の集団によって支えられていた。
大衆は、だいしゅと読む。寺院の勢力を担う僧侶集団をさす。ときに何千人もの規模を誇っていた。
世俗的な要素を色濃くもつ中世の寺院では、ときに熾烈な内部抗争があり、延暦寺の根本中堂でも大きな騒乱が発生したことがある。
平安時代。八世紀、千人をこえる大衆が京都へ入浴し、強訴を敢行した。このうち6百人が大般若経を、2百人が仁王教を1巻ずつ持参し、残る2百人は武装していた。
大衆が行う僉議(せんぎ)では、聴衆を魅了する弁舌をそなえたリーダーシップが必要だった。 中世の寺院の意思は、座主でも僧綱でもなく、大衆の名のもとに形成されていた。
近年、僧侶になる者は、1年に2,3百人おり、その半数以上は、「邪濫の輩」(じゃらんのともがら)である。諸国の百姓(ひゃくせい。一般の人民)が、税負担を逃れようと自ら剃髪し、勝手に法服を着ている。それが年々増加し、今では人民の3分の2が僧の姿をしている。彼らの家には妻子がいて、平気で肉を食べている。うむむ、なんとなく分かりますね。
戒牒(かいちょう。受戒したことを証明する文書)を、税逃れの根拠としている。
天皇が「現神」(あきつかみ)であることのみで権威を保ち得た時代は過ぎ去り、諸神との相互関係のうちに権威を高める新たな段階にいたった。
中世寺院は、10世紀公判以降、寺院の意思として集団的に武力を行使するようになった。中世において、仏法は、他の時代に対して、恐るべき力をもっていた。
神人(じにん)、寄人(よりうど)とは、国司への負担を免除されるかわりに寺院・神社に従属した民のこと。中世の寺院や神社は、荘園住民を神人・寄人として組織することにより、その経済基盤と支配領域を拡大していった。
神人がその宗教的脅威を利用したのは、借金の取り立てだけではなかった。彼らは、都や在地社会において、大衆の手先となって神威をふるっていた。ときに都において神人がみせた神威のもっとも先鋭的なかたちが神輿(しんよ)動座である。そして、それは大衆の強訴(ごうそ)として採用された。神輿動座をともなった強訴は、11世紀末以降、頻発した。この強訴には暴力性をともなっていた。強訴では、視覚・聴覚に訴える要素が重要であった。
こうやってみてくると、平安時代って、琴の音とともに静かな時代というイメージなんか吹っ飛んでしまいますよね。それどころか、むき出しの暴力までもが横行する、荒々しい社会だったのではないかという気がしてきます。
古い寺院も、その視点で改めてのぞんでみてみましょう。
                   (2010年11月刊。1500円+税)

ファー・アウト

カテゴリー:宇宙

著者  マイケル・ベンソン、    出版  新潮社
 
 3月11日の東日本大震災のあと、いつもはテレビを見ない私ですが、さすがに「原発」の危機もあってテレビを見続けました。津波のために人と家がみるみるうちに呑み込まれていく映像は心の奥底深く突きささりました。私自身はもちろん肉体的な被害こそありませんが、すっかり精神的なダメージを受け、危うく「出社拒否」症状に陥るところでした。毎晩、気分が悪くなり、毎朝、重たい気分のまま身支度するのです。被災者の皆さんには本当に申し訳ありませんが、たとえ実害こそ体験せずとも、遠くにいても被災した気分だけはしっかり味わわされてしまいました。
 この本は、そんな地上のこせこせした状況を吹き飛ばすつもりで、このところ毎晩、眺めた宇宙の写真集です。すごいんです。ええーっ、宇宙ってこんなにも美しく輝いているのかと驚きつつ、頁をめくっていきました。
 人間が望遠鏡や写真を通じて観察し、把握しているのは、宇宙のわずか4%にすぎない。銀河系のような比較的過密状態にあるところでも、物質は1立方センチメートルあたり原子1個という密度でしか存在しない。
 これって、とんでもなく薄い状態だと思うのですが、それを過密状態と言うだなんて、いったい宇宙ってどういう構造なんでしょうか。
オリオン大星雲は1270光年の彼方にあって、肉眼でも見える。
 赤い星、青い星、さまざまな形と色をした星と星雲が地上にみちみちています。まさに、夜空は星だらけです。昼間と同じ明るさがあってもよいはずなのに、やっぱり夜は暗いのです。なぜでしょうか・・・。
 太陽と太陽系は、銀河系の中心部から2万5000光年も外側にある。宇宙の中心を自負していた人間の地位は、ここ数百年のうちに急降下してしまった。
 銀河系は、それまではるかに大きいと考えられていたアンドロメダ銀河と同じ重量級の銀河なことが最近判明した。ただし、質量が増えてもサイズは変わらなかった。アンドロメダ銀河の直径は銀河系の2倍で、銀河系にある恒星の数が2000~4000億個であるのに対して、1兆個と算定されている。
 地球は、少なくとも500万年のあいだ、時速90万キロメートルで、泡の中を移動してきた。銀河系のなかで最古の恒星が形成されたのは1365億年前らしい。つまり、ビックバンのわずか1億年後ということになる。
 ここで「1億年後」というのを「わずか」というのは、まったくもってピンとこない表現です。でも、宇宙を論じるときには、あたり前のことなんですね・・・。
 太陽系が銀河系を公転するのに要する時間は2億2500万年から2億5000万年ほど。つまり、地球は、誕生から今日まで、銀河系の中心核を20回から25回しか回っていない。太陽は、その光の恩恵にあずかる人類が誕生してから銀河系の周回軌道をまだ1250分の1周しか回っていない。
 コペルニクスに先立つ2000年前、アリスタルコスは天体観測を重ねた結果、世界の中心は地球でないと結論づけた。そして、恒星がきわめて遠くにあるとした。これってすごいですよね。裸眼でずっと夜空を見て、天体の法則をつかんだわけですからね。
恒星の一生の大半は、主成分の水素を核融合反応でヘリウムに変化させながら輝き続けることに費やされている。
 数十億年後に水素が底をつきはじめると、燃料不足で核融合に支障が生じ、星の構造は錆びついた橋のように崩れ出す。中心核は落下する質量に圧縮され、温度が6倍以上も上昇する。高温によって拡張した外層の表面温度が低下すると、赤色巨星期が始める。星全体の直径は太陽の10倍から100倍になるが、中心核は収縮をつづけ、温度も再び上昇に転じる。やがて核融合が再開されるが、今度の燃料はヘリウムだ。
キャッツアイ星雲が紹介されています。太陽の1万倍もの明るさをもっています。丸い輪がいくつも重なったような形状をしています。
 バラ星雲は、見事なまでにバラの花の形をしています。
 太陽のような星は80億年も輝き続けるが、質量が大きすぎて300万年ほどしか生きられない星が大爆発を起こすと、後に超新星残骸を残す。
 クラゲ星雲は、まさに、海に漂うクラゲのような形状をしています。銀河系のなかでもアンドロメダは広大だ。その大きさは銀河系の2倍で、直径10万光年の銀河系に対し、アンドロメダは20万光年以上に及ぶ。そして、このアンドロメダは、銀河系に近づきつつある。ふたつの銀河系は秒速100~160キロメートルで接近しているので、いずれは衝突する。ええーっ、2つの銀河が衝突するのですか・・・?でも、ご安心ください。それは、なんと25億年後のことなのです。なんとなんと気の遠くなるほど先のことでしょう。
宇宙では、こうした銀河の衝突はよくあること。しかも、銀河が衝突したからといって、そこにある恒星や惑星が互いに衝突することはほとんどない。というのも、銀河のなかは空っぽに近い状態なので、銀河の衝突とは、雲が混ざりあったり、水の流れが合流するのに近いのだ。
 銀河団の大きさは多様で、直径が600万から3000万光年のあいだ、擁する銀河の数は50から数万、数十万におよぶ。
 銀河団は、重力結合という見えない接着剤の力でまとまっているが、それぞれの銀河は超高速なので、ダークマターがなければ、とても一緒にとどまってはいられない。
 夜空は星でいっぱい。昼間のように明るくなくても、どこもかしこも大小強弱さまざまな光にみちあふれているはずの夜空が暗いなんて、なんだか不思議な気にさせてくれる本でもあります。
 星を眺めて、しばし地上の憂き世を忘れたいものです。それにしても、東京電力は許せませんね。おっと、つい地上のことを思い出して、怒りに震えてしまいました。高価な本ですが、それだけの価値はある写真集です。
(2010年11月刊。6000円+税)
金曜日に、事務所内で恒例の花見をしました。依頼者の方々と弁護士・職員をまじえての楽しい会合です。東日本大震災があって自粛ムードが漂っているなかで、どうしようかとも考えましたが決行しました。恐らく参加者は例年より少ないだろうと心配していましたが、予想に反して、例年以上の集まり、しかも、たくさんの手づくり料理を持ち込んでいただいて、テーブルの上に乗りきれないほどでした。
来賓として地方選挙の候補者に挨拶してもらったのですが、福島原発の深刻な事態を受けて、日本の今後のエネルギー政策をどうするかが地方選挙であっても重大な争点にすべきだという指摘があって、なるほど、と思いました。「オール電化」「クリーン原発」の怖さが身にしみましたから、みんなで考えなおすときですよね。

クジラ・イルカ生態写真図鑑

カテゴリー:生物

著者  水口 博也、    出版 講談社ブルーバックス
 
 クジラとイルカの楽しい生態写真集です。天草のイルカ・ウォッチングにはまだ行っていませんので、この写真集を見て、ぜひ近いうちに行ってみたいと思いました。
 哺乳類のクジラは陸上生活から海に生活場所を戻した。海で暮らすようになって、クジラは早い時期に後肢が退化し、前肢は胸びれに形を変えた。体全体が流線形になり、最後部に水を蹴って泳ぐための力強い尾びれを発達させた。
 クジラは浅海だけではなく、中心層(水深200~1000メートル)にいるエサを求めて潜る。マッコウクジラは1時間近くも潜れる。
 クジラは血液中だけでなく、全身の筋肉にふくまれるタンパク質ミオグロビンにたっぷり酸素をためられるので、こんな長時間の潜水が可能になった。
 水中は空気に比べて、はるかに音をよく伝える。そして、水中は視界が悪い。そのため、クジラは多彩な鳴音を利用してコミュニケーションをとる。それで聴覚を発達させた。
 ザトウクジラは海面に尾びれを出すので、それで個体を識別する。クジラの観察も科学的になされているのですね。
 そして、クジラやイルカは遊ぶ動物である。イルカはサーフィンを楽しむ行動を見せる。波乗りをして遊んでいる。
 クジラとも遊ぶし、人間とも遊ぶ。自分の吐き出す息で白い泡の渦を楽しんだり、なかなかに芸術家である。海中で泡を吐き出してオキアミを集めるクジラもいる。
 人間だけが遊ぶことを楽しむ動物ではないこともよく分かる写真集・図鑑でもあります。
(2010年12月刊。1280円+税)

認知症と長寿社会

カテゴリー:人間

著者 信濃毎日新聞取材班、  出版  講談社現代新書
 
 世界で類のない速さで、日本の高齢化は進んでいる。65歳以上の高齢者は2872万人、人口の22.8%。この10年間で750万人、6.1ポイントも増えた。私たち団塊世代もやがて、その仲間に入ります。そのなかで静かに増えているのが認知症。200万人の患者がいる。いずれ、日本人の3人に1人は高齢者で、その9人に1人が認知症だという。
最近、政変というか革命の起きたエジプトでは25歳以下の人が全人口の過半数を占めるということです。恐らく、人々は長生きできないということなのでしょうね。なぜ、なのでしょうか・・・・?
 養護老人ホームが「特養化」している。2000年に介護保険制度が導入されて、様相が一変した。特養への入所が、行政の介入する「措置」から、施設と個人の「契約」が基本となったので、入所希望が急増した。特養は満杯になって、移れなくなった。
 厚生省(当時)は1999年、省令で、介護施設での身体拘束は「緊急やむを得ぬ場合」を除いて、原則禁止とした。ところが精神保健福祉法は、精神病床での必要な場合の拘束や隔離を認めている。法的にも拘束の認められた精神病床は、今、症状の激しい認知症患者の受け皿になりつつある。
 アメリカでは、65歳以上の12%、85歳以上の半数が認知症で、このうち80%がアルツハイマー病とされている。アメリカのアルツハイマー病患者は53万人で、死亡原因の
7位。2000年から2006年までに死者は46%も増加した。
 認知症ほど、さみしい病気はない。人買うも顔つきも変わってしまう。
認知症を社会全体で考えようという地方紙の77回にわたった連載ルポルタージュです。とても考えられた力作でした。癌より認知症の方が怖いのかもしれませんね・・・・。
(2010年11月刊。760円+税)

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