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アシカ日和

カテゴリー:生物

著者   鍵井 靖章 、 出版   マガジンハウス
 かわいい、かわいいアシカの写真集です。
 好奇心旺盛、自由きまま、そして基本的にはぐうたらな生活。そんなアシカたちの住むアメリカにあるアシカ島にまで出かけて撮った、心いやされる写真集です。眺めているだけで、心が和みます。ストレスがスーッと発散していきます。なにをそんなにアクセクしているの?つぶらなアシカの瞳が問いを投げかけてきます。そうなんです。流れにまかせて目をつぶっていればいいのです。そのうち、きっといいことがあるでしょう。
 アシカ科の特徴は前あしと後ろあしで身体を支えて歩くこと。アザラシ科は、あしを使っては歩けない。
 アシカには耳があるが、オットセイにはない。とは必ずしも言えないようです。
 アシカは頭が良くて、ひとなつっこい性格。生まれたてのアシカは体長75センチ、体重は6~10キロほど。9歳以上のオスのなかには体長3メートル、体重は500キロになるものもいる。
 子どもアシカは、とりわけ好奇心が旺盛で、とても遊び好き。ヒトデを口にくわえておもちゃにしたり、仲間に見せびらかしたり。つぶらな大きな目で近寄ってきます。
 手を差し出すと、あまかみしたり、髪の毛を引っぱってみたり。ところが、メスや子どもにあまりに接近しすぎると、ブルと呼ばれるコロニーのボス(オス)がやってきて威嚇する。これは本当に怖い。
 子どもは安全な岩場に隠れ集まる。大人は海底で仲間同士、集まって楽しむ。
 アシカは泳ぎながらも眠る。海中で、うつらうつら、ユラリユラリと漂います。ときに家族を枕に眠る。波の音を聞きながら気持ちよさそうに眠る。
 アシカ島には400頭ものアシカがいる。アシカは100メートルは潜ることができる。母アシカが子どもにお乳を与えるのは1年から3年に及ぶ。アシカは、最大時速40キロで泳げる。
 いやあ、よく撮れたアシカの写真集です。そのほのぼの、おとぼけ顔には心が洗われます。価値のある1500円でした。
(2011年6月刊。1500円+税)
 上京した折、久しぶりに上野の西洋美術館に入りました。古代ギリシャの彫刻を鑑賞したのですが、ビデオ解説によって、次第に動きのある像へ進歩していったことが分かり、現物を見て実感しました。実に生き生きとした躍動感あふれるアフロディテ像など、見ていると心まで洗われる思いでした。
 隣のギャラリーで水彩画展があっていたのでこちらものぞいてみました。心の静まりを感じる落ち着いたタッチの風景画です。私も画が描けたたらいいなと思いました。小学生のときにスケッチ大会で銅賞をもらったのは今でもうれしい思い出として残っているのですが・・・。

ひろしま

カテゴリー:日本史

著者   石内 都 、 出版   集英社
 1945年夏に広島に生きていた女性たちがそのとき着ていた衣類が鮮明な写真でとられています。
 柳田邦男の解説を紹介します。
 写真家・石内都は徹底的に現物にこだわるが、そのこだわり方が特異だ。
 撮影の対象に選ばれた資料の大部分は、女性のワンピース、ブラウス、スカート、上着、肌着など、一人ひとりの「生と死」の物語を静かに語るもので占められている。石内が伝えようとしているのは、それらのものを受用していた人間の実在と心模様だ。
 衣類の一枚一枚のデザインから、花柄や水玉などの模様、布地に至るまですべてに1945年夏という時代性が投影されている。そして、より注意深く見ると、多くは若い女の子自身の好みで、あるいは母親の娘に対する愛しさをこめて、手作りでこしらえたものであることが分かる。焼け焦げてボロボロになったところや、黒い雨に打たれて全体が黒くなっているものもある。
 写真の一点一点をじっくり見ていくと、広島の原爆被災は「死者約20数万人」などという表現では表面的でしかなく、一人ひとり様々な悲劇が20数万件も起きた事件なんだというとらえ方をしないと、真実に迫ることはできないのだと分かってくる。
 大量殺戮の原爆は、着るものひとつも手繕いして大事にしつつ生きていく心豊かな生活文化のあり方までをもこの地球上から抹殺しようとしたものだったのだ。
 なるほど、この指摘はあたっていることが、写真でよみがえっている衣類のひとつひとつを眺めていると実感として分かります。
 一見の価値ある、貴重な写真集です。
(2008年4月刊。1800円+税)

未来ちゃん

カテゴリー:人間

著者  川島 小鳥  、 出版  ナナロク社 
 何、なに、この写真集って何なの・・・・。
 3歳か4歳か、そこらによくいるこまっしゃくれたフツーの女の子のスナップ写真のオンパレードです。
 ところが、この女の子、実に伸びのびとしています。いかにも屈託のない表情です。見るものの心をぐぐっと惹きつけてしまいます。
 鼻水たらしてないている顔なんて、今どきこんな強情そうな女の子がいるのかと驚かされます。単に可愛いというのではありません。もちろん憎たらしいわけでもありません。実に、生きているという、豊かな感性が写真の外まであふれ出しているのです。すごいショットをうつし撮っていると思いました。カメラを構えた人をまったく意識している気配がありません。
 表紙の写真は、ケーキでしょうか、フォークで何かを食べている様子がとらえられています。かみつくようにして食べています。おいらは生きているんだぞと叫んでいる気のする写真です。
お花畑を駆けまわる様子、道路で走っているさま、そして真白の雪世界で寝ころがっている状況。どれもこれも生命の躍動感にあふれています。
 それでも、やっぱり惹きつけられるのは泣いている写真です。しくしくと、そしてワンワンと大泣きしている女の子の顔は、小さい女の子だって世の中に主張したいことがたくさんあるんだ。それを感じさせる感動的スナップです。すごい写真集があるものだと驚嘆してしまいました。
(2011年7月刊。2000円+税)

ゲーリー家の人々

カテゴリー:アメリカ

著者   フランク・J・ウェブ   、 出版  彩流社  
 アメリカ奴隷制下の自由黒人というサブタイトルがついています。1857年にイギリスは、ロンドンで出版されていた本です。著者はアメリカ・フィラデルフィア生まれの自由黒人。
 自由黒人とは、奴隷ではないが、アメリカ市民でもなかった。自由黒人は、アフリカから奴隷として連れてこられた人々やその子孫のうち、主人からの解放によったり、自らを買い上げたり、または法律の施行などにより、奴隷の身から開放されたアフリカ系の人々をさす。1790年に実施された初の国税調査によると、黒人の総人口は76万人ほど、うち自由黒人は6万人だった。70年後の1860年には49万人になっていた。
 自由黒人の多くは、白人と黒人との婚外婚による混血だった。白人たちは一滴主義を説き、かなりの量の白人の血が流れていても、一滴でもアフリカ系の血が流れていれば、黒人扱いをし、自分たちの同胞とは認めなかった。また。また母が奴隷である場合は、その子どもは父の人種にかかわらず奴隷とし、黒人と呼んだ。一滴でもアフリカ系の血が混じった兄弟は、白人社会の市民として受け入れられなかった。
 だから、見かけはまったく白人であり、話していても白人そのものであっても、黒人という人たちがいたわけです。この本は、そのことにともなう悲劇も描かれています。
 自由黒人に対する憎悪は、やがて彼らを擁護する奴隷制度廃止論者である白人への迫害としてもあらわれた。1834年8月、白人暴徒たちがフィラデルフィアの黒人地区に行進し、さまざまな暴力をはたらいた。この本は、この暴動事件を背景にして展開していきます。
1852年、ストウ夫人が『アンクルトムの小屋』を出版し、大ベストセラーになった。
この『ゲーリー家の人びと』は、アメリカ社会が見て見ぬふりをしてきた自由黒人の日常を初めて描いている。この本はアメリカではなくイギリスで出版され、イギリス国内ではなかなかの評判をとったが、アメリカでは何の反響もなかった。
人間を奴隷として使って何ら恥と思わないアメリカ市民がついこのあいだまでいたのですよね。そして、不当な差別がまかり通ってきました。その意味では、オバマ大統領の誕生は画期的です。しかし、オバマさんも次期再選へ向けては苦戦しているようですね。イラク、アフガニスタンへの侵略戦争は許し難いものですが、国内経済の立て直しに四苦八苦しているようです。
『リンカン』伝を読んだばかりなので、アメリカにおける黒人差別歴史の深刻さを再認識させられました。
(2011年1月刊。3500円+税)

漢文法基礎

カテゴリー:社会

著者   二畳庵主人、加地 伸行 、 出版   講談社学術文庫
 この本はZ会(増進会)の機関誌に連載されていたものがもととなっているそうです。私も、昔々、Z会には大変お世話になったという思いがありましたので、ちょっくら読んでみようかなと思ったのです。昔に戻って漢詩や漢文の世界に少しばかり浸ってみるのもいいかなという気分もありました。読んでみると、知らないこと、忘れたことがこんなにも多いのかと驚くばかりです。
 高校時代、もう塾には行かなくなりましたが、Z会の通信添削だけはせっせと書いて送ったものです。返送されてくる答案の赤ペン添削が楽しみでしたし、毎号の成績優秀者欄をみて、私もぜひ載りたいと思っていました。
日本人が西洋話を学ぶとき、話すことより読むことを長じていく一つの理由は、訓読の伝統があるから。奈良朝以来、鍛えに鍛えて練り上げられた訓読の技術が知らず識らずのうちに伝承されている。奈良時代、漢文は音読していた。音博士(おんはかせ)という官職があり、この漢字はどう発音するか、ということを担当していた。
 日本語を使って、外国語をそのまま直接に読みとっていくという、世界でも珍しい「訓読」という傑作が完成した。
閑語休題は「さて」と読む。
 一任は「さもあらばあれ」と読む。
 聞説は「きくならく」と読む。
 就使は「たとひ」と読む。
 漢文では、主語は必ずしも置いておく必要はなく、格や動詞の変化がなく、単複の区別もほとんどない。だから、英語には似ていない。
 日本語では、第一にテ・ニ・ヲ・ハ・すなわち助詞が十分に使いこなせなければならない。その次に大切なのが助動詞である。日本語の微妙な表現は、この助動詞の用法にある。
 漢文には、この日本語における助詞・助動詞・活用の三点が欠けている。したがって、漢文を日本語として読むことの真相は、実はこの三者をつけながら読むということなのである。そして、三者をつけたものを送りがなという。
 なーるほど、そういうことなのですね・・・。
 自は、「みずから」と読んだり、「おのずから」と読んだりする。このとき、積極的とか消極的という区別はつける必要がない。
 日本語は、外国のことばをどんどん吸収できることばである。というよりも、外国のものを吸収する必要に迫られていたからこそ、そういうことのできる言語体系となってきた。
 朱唇皓歯(しゅしんこうし)とは、朱(あか)い唇、皓(しろ)い歯、すなわち美人のこと。
 処女とは、処家女、すなわち「まだ家にいる女」ということ。もちろん、女は「むすめ」と読む。まだ家に居る娘のことである。
庶幾(しょき)は「こひねがはくは」とも「ちかし」とも読む。
 「・・・するところの」調の文章は、明治以前にはそう多くなかった。関係代名詞の訳語として採用されてから百年、重要な文章語となった。
世の中には受験勉強をケナしたり、バカにするバカがいるが、彼らは近視眼的に批判しているにすぎない。受験勉強のなかで、日本語がどれだけ練り上げられてきたかを忘れている。
 ふむふむ、そういう見方もできるのですか・・・。なーるほど、ですね。この本を読むと、そうかもしれないと思えます。
 平成になってから漢文を古典の素養として勉強しようという雰囲気の受験生が激減した。なるほど、そうかもしれませんね。でも、漢文っていいですよね。いい調子で漢詩を朗じてみると、気分まで良くなりますよ。受験漢文を久しぶりに再読して漢詩の良さを再発見した気分です。
(2010年12月刊。1650円+税)

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