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アメリカのスパイ・CIAの犯罪

カテゴリー:社会

著者  山田 善二郎 、 出版  学習の友社  
著者は日本国民救援会の元会長です。24歳のころ、CIAに雇われて働き、拉致・監禁されていた鹿地亘(かじわたる)を救出することに一役買ったのでした。
 拉致したのはGHQの秘密諜報機関であるキャノン機関とCIA。海岸を散歩中の鹿地を拉致して都内に監禁していた。これって、まったく北朝鮮がやったことと同じですね。
 著者はキャノン機関でコックとして働いていた。鹿地の状況を同情して救出に動いたのであって、そこには思想的な背景はなかった。左派社会党の猪俣浩三代議士が国会で追及したおかげで、鹿地は無事に解放された。
 キャノン機関の本拠地は東京・湯島の岩崎邸にあった。私が40年ほど前に通った司法研究所も、その一角にありました。
キャノン機関は朝鮮戦争で捕虜となった中国人をスパイとして教育し、中国本土へ送り込む仕事もしていた。その数は200人をこえる。しかし、これはことごとく失敗したとみられている。
 キャノン機関は日本の警察幹部を招いてのパーティーをよく開いていた。
著者がCIAやキャノン機関の力を恐れつつ、鹿地救出に奔走する実情が生々しく紹介されています。まさに手に汗にぎる場面の連続でした。
 アメリカも、日本の国会で追及された以上は、鹿地を手放さざるをえなかった。
 それにしても不甲斐ないのは日本の警察です。明らかに日本の主権を侵害しているのに、アメリカに対して抗議の声をあげようとはしませんでした。昔も今も、日本の当局がアメリカべったりなのは変わりませんね。残念です。
 60年も前の事件ですけれど、今も同じようなことはきっと起きているのでしょうね。
(2011年6月刊。1333円+税)

指導者は、こうして育つ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  板倉 康夫 、 出版  吉田書店
 フランスの高等教育、グランゼコールを紹介した本です。
 グランゼコールの一つ、シアンスポはパリの中心部、カルチェラタンにあります。実は、今、私の娘がそのすぐ近くに下宿しているのです。この夏、パリに行ったときに娘の住所を探しているうちにシアンスポを発見したのでした。シアンスポは、ニコラ・サルコジ大統領の出身校でもあります。シアンスポとは、パリ政治学院のことです。
グランゼコールとは、大学とは別のエリートを選抜するための高校教育機関である。そこに入るには猛烈に勉強しなければいけない。
フランスで大学に進学するにはバカロレアに合格しなければいけない。いま同世代の66%ほどがバカロレアに合格し、その82%が大学に進学する。それとは別に存在するグランゼコールは、300校、全国で12万4000人の学生が在学する。フランス全土の大学生132万人の1割以下である。
 グランゼコールの卒業生がフランスの支配層を形づくっていると言われています。官庁も企業も、彼らによって占められているのです。
 私の好きなポール・ニザンもグランゼコール(パリの名門のひとつであるアンリ四世校)の卒業生でした。ここでサルトルと知り合い、激しい首席争いをしたのです。
 そして、ポール・ニザンは共産党に入り、教員となったあと徴兵され、ダンケルクから撤退する途中で戦死したのでした。
 20歳がひとの人生で一番美しい年齢だなどとは言わせない。これは「アデン・アラビア」の一節ですが、私も大学一年生のとき(まだ20歳になる前のことです)に読み、感銘を受けました。
 フランスのようなエリート・システムを日本も真似してよいのかどうかは疑問がありますが、フランスという国を知るには、このグランゼコールを知らなければいけないと私も思います。それにしても、バカロレアの試験問題があまりに哲学問答なのに驚かされます。この点については日本も真似てよいと思います。
(2011年9月刊。1900円+税)

不屈、瀬長亀次郎日記

カテゴリー:日本史

著者  瀬長 亀次郎  、 出版  琉球新報社   
 すごい人物だと思います。日本の誇れる政治家の一人です。不屈というタイトルのとおり、不屈の一生を貫きとおしました。カメさんの背中に乗って祖国へ復帰しよう、こんなスローガンがあったと聞きます。まさに頼れるカメさんです。
 この本は、瀬長亀次郎の手書きの日記を判読して活字にすると同時に、歴史校証をする解説がついていますので、その日記の意味しているところがよく理解できます。そして、さらに面白いことにアメリカの内部の文書が日記の記述を裏付けています。
瀬長への最善の対処法は、彼がまるでこの世に存在しないかのように振る舞うこと。アメリカの弁務官が彼らの存在を認めることは、彼を実際よりも重要な人物のように見せてしまうことになる。
 人民党を共産党主義政党に指定し、合衆国にとって災いであると宣言しようという考えは別に目新しいものではなかった。しかし、そのような宣言にもとづいた身辺調査プログラムは、人民党に利するだけで、終わりのない、劇場型の訴訟への道を開くことになる。それは、アメリカに不満を持つ沖縄人にとって、人民党が唯一の望みとなることにつながる。人民党の幹部の誰かが離反し、党の陰謀や内部活動を暴露するまで待つべきだ。
 共産主義政党である沖縄人民党は、強いし指導力と組織力により、党員わずか300人、シンパ1200人という規模にもかかわらず、それにつりあわない強力なイメージを作りあげることに成功している。
 人民党の強みは、才能あふれる指導部である。瀬長は沖縄における極左のリーダーであり、拘禁されたり、那覇市長から追放されるなどという波乱にみちた政治人生を生き抜いてきた。
 瀬長亀次郎の勝利(1968年)は、軍事占領に対する抵抗のシンボルとなった男の勝利と言える。アメリカが殉教者をつくり出してしまったことの証だ。瀬長は、庶民性を兼ね備えていて、有権者に話しかけるときは方言を使い、内容はアメリカへの敵意にみちているものの、とても機知に富み、退屈で陳腐な表現をつかわない。
 アメリカから、これほどほめられた政治家がいたなんて、まったく驚きというほかありません。私が大学2年生のとき(1968年)、沖縄に革新政府(屋良朝苗主席)が誕生しました。
 そして、カメジローもそのあと国会に当選したのでした。当時の熱気がムンムンと伝わってくる日記です。丹念な掘り起し、お疲れさまでした。この労作が多くの人に読まれることを私も願います。なんといっても、沖縄は日本の一部なのですからね。今もアメリカ軍基地がある沖縄は特別なんだ、このようなという意識を持ってしまいがちですが、それは私たちの頭の中からきっぱり捨て去るべきだと思います。
 500頁近い本ですが、すらすらと読める本でもありました。
(2011年8月刊。2362円+税)

鷹匠は女子高生!

カテゴリー:生物

著者   佐和 みずえ 、 出版  汐文社
鷹匠は、たかじょうと読みます。カを飼いならして、仮に使う人のことです。
その鷹匠に、なんと17歳の女子高校生がなっているというのです。しかも、佐賀県は武雄市の女子高生なんです。私は、てっきり東北地方の話と思っていました。
 飼っているタカは、正しくはモモアカノスリ。名前はモモタロー、6歳です。
 ブリーダーから、生後2週間のヒナ鳥を買って、小さいときから親がわりで育てたのでした。
問題はエサですよね。何だと思いますか?肉食の鳥ですからバナナなんかじゃありません。肉ダンゴでもありません。なんとなんと、ヒヨコなんですよ。ええーっ・・・?もちろん、生きているヒヨコです。ヒヨコって、高タンパク質で、低カロリー食だそうです。そうなんですか・・・。
 タカに狩りをさせるときには、一週間も前からエサを調整して、おなかをすかせておく必要がある。そうやって狩りの本能をかきたてておくのだ。なるほど、そうなんでしょうね。
 写真がありますので、タカがすっかり安心しきって鷹匠である女子高生の腕にとまっている可愛らしい姿を見ることができます。
 それにしても、タカを毎日世話するって大変でしょうね。がんばってくださいな。
(2011年11月刊。1400円+税)

原発崩壊

カテゴリー:社会

著者   明石 昇二郎 、 出版   金曜日
 この本を読んで、既に10年前にフクシマと同じような事態がハマオカで起きたと想定して、どのような事態になるか週刊誌がシミュレーションしていたことを初めて知りました。
 2001年3月の「サンデー毎日」です。4週にわたって、「シミュレーション・ノンフィクション、『原発震災』」という連載記事です。東海大地震が起きて、中部電力浜岡原発で大事故が発生したら、日本がどうなるかをシミュレーションしました。ハマオカをフクシマに置き換えると、今回の3.11震災事故の実況中継になってしまいます。
 浜岡原発の事故は、殺人レベルの放射線を放ちながら移動する「放射能雲」を生み出した。折から吹いていた南西の風に乗り、時速14キロという自転車くらいの速度で、ゆっくり首都・東京を目ざす。放射能雲が上空を通過したからといって、バタバタ死んでいくわけではない。やみくもに動き回るほうが、かえって危険だ。
 通過予想地域とされた地区の住民は、危険が刻々と迫り来るなか、今すぐ逃げるべきかどうか、それともここにとどまるべきかの判断に迷う。せめて子どもにだけでも甲状腺被害を防ぐためのヨウ素剤を服用させるべきだが、とても足りない。
 昼夜動きを止めないはずの1200万都市・東京から人影が突如として消え、沈黙の時が流れる。その結果、交通機関をはじめとする都市機能や企業などの経済活動が完全に麻痺してしまった。原発事故発生から半日以上が経過し、「雲」は消失して放射性ガス群へと変わっていた。しかし、肉眼で見ることができないだけで、そこには確実に大量の放射能が漂っていた。
 見えない「雲」が太平洋上に去ったとき、静寂に包まれていた東京は一転して、大パニックに陥った。これ以上の被曝を恐れた人々が、東京からの脱出を一斉に開始したのだ。
 東京の汚染レベルは、7日後に都民全員が避難したとしても、210万人全員がガンで死亡するほどのものであり、東京に住むすべての人が避難対象となった。その場にとどまり続ければその分だけ、発ガンのリスクは増していく。
東名高速で西に逃げる人は一人としていない。事故を起こした浜岡原発に自ら近づいていくことになるからだ。
 政府の原子力災害被害本部は原発震災発生の翌日、東京から大阪に移された。
 震災発生後、1週間たって、東京は完全なゴーストタウンと化し、人の住めない東京の不動産物価はゼロとなった。原発震災による損害額は1週間で天文学的な数字に達し、世界恐慌すら懸念され始めた。
 浜岡原発の放射能を封じこめるため、決死隊が募られた。人海戦術しかない。第一陣の決死隊は5000人。最終的には数万人規模と予測される。ソ連のチェルノブイリ原発事故のときには86万人が作業に従事し、5万5000人が死亡したと伝えられている。
 今回の3.11フクシマ原発事故による放射能雲が東京に飛来したことは間違いありません。東京に人が住めなくなったら日本経済の中枢が破壊されたことになります。こんな狭い日本に50あまりも危険な原発をつくるなんて狂っていますよね。電力不足なんて問題じゃありません。すぐにも脱原発に切り換えましょう。
(2011年5月刊。1500円+税)

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