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まじめに動物の言語を考えてみた

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 アリク・カーシェンバウム 、 出版 柏書房
 軽井沢の林に籠って鳥(シジュウカラ)の鳴き声に意味があることを解明した本を読みましたので、その関連で読んでみた本です。
 人間だけが唯一無二の存在で、動物たちは、ただ無意味な雑音を立てているだけなのか…。深く研究していくと、決してそうではないことが分かってきます。先ほどのシジュウカラの鳴き声がそうです。ヘビが来た、危ない、逃げろと言っているのです。
 今では動物たちの鳴き声をただ耳で聴いているだけではありません。スペクトログラムという、音を視覚的に表現したものを駆使します。音を時間と音高に分解して表示します。つまりは楽譜のようなものです。
まずは、オオカミの遠吠え。ヒトは、これに本能的に反応する。昔、オオカミから襲われていたからでしょうね、きっと…。
 オオカミは警戒心の塊。その生活は常に、生きのびるか餓死するかの瀬戸際にある。
 オオカミは、社会関係の調整のため、懇原、おだて、脅しなど、さまざまな手管を用いる。
オオカミの狩りは4頭もいれば十分に成功する。しかし、成功したあと、近づいてくる邪魔者を遠ざけるには数の力が不可欠。そのため、オオカミの群れ(パック)は10頭ほどいることが多い。
 オオカミの遠吠えは、10キロ離れていても聞こえる。長距離コミュニケーションの手段だ。
 イルカは、口を開けることなく、噴気孔の奥深くで音を出す。イルカは、やたらと遊んでばかりいる。イルカは何でも調べつくさないと気がすまない。
 イルカは音声を主要なコミュニティの手段としている。イルカは人間と違って口で呼吸しない。イルカの音声は、すべて噴気孔、つまり鼻から発せられる。
 イルカは、自分自身の名前を表わす、ひとつの特別なホイッスルを発している。
 ヨウムは中型で寿命の長いインコだ。飼育下では60歳、野生でも25歳まで生きる。
 ヨウムはずいぶんのんびりしたコミュニティで過ごす。ヨウムの日常は、リラックスしている。
 ヨウム同士は、声で勝負して、上下関係を確立する。
 中東と東アフリカにいるハイラックスの外見はモルモットとウサギの雑種のようだ。
 ハイラックスの歌が興味深いのは、そこに統語があるらしいこと。優位オスは、1日のうち、過剰なほど長い時間を歌っている。それによって群れのメスを守っている。複雑な歌で他のオスに差をつける。
すべてのテナガザルは歌う。それはつがいのオスとメスの絆を強めるためのもの。テナガザルの歌が複雑なのは、歌い手が健康であり、ペアの絆が強いことを知らせている。
 テナガザルの母親は、積極的に歌を変化させて娘の学習を手助けする。娘が正確に復唱できるように、ピッチとテンポを調整する。
 テナガザルと人間は歌う。でも、チンパンジーもゴリラもボノボもオランウータンも歌わない。なぜなのか…。
チンパンジーは集団で生きている。しかし、チンパンジーは安心しきって平和な眠りにつくことはない。いつだって片目を開けてトラブルを警戒している。チンパンジーは、音声によって複雑な情報を伝達しているのだろう。チンパンジーは、適切な発生装置を身体に備えていない。チンパンジーは嘘をつける。
 サハラ以南のアフリカに広く分布するミツオシエは人間を利用し、人間もミツオシエを利用している。蜂蜜を探し当てる。人間は蜂蜜を、ミツオシエは、幼虫と蜜蝋を保つ。人間は、ミツオシエを呼ぶため、トリルとグラントを組み合わせた特別な音声を出す。
 そのうち、AIを使って翻訳機を通して動物たちの叫びをストレートに理解できるようになるのでしょうね、きっと…。でも、それは少し怖い気もします。
(2025年5月刊。2860円)

土佐湾のカツオクジラ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 中西 和夫 、 出版 大空出版
 高知には何回も行きました。高知城の下の露天市で食べたカツオのたたきの美味しかったことは忘れられません。部厚いニンニク片と一緒に食べますので、それだからこそ美味しいのですが、他人(ひと)様には口害(公害)の源(もと)になってしまうのが難点です。あるとき、高知からの帰りに満員バスに乗って、周囲の乗客に迷惑をかけてしまいました。露骨に顔をしかめ、鼻をつまんでいました。申し訳ないと思っても、今さらどうすることも出来ません。途中下車するわけにもいかず、ただ黙ってひたすら下を向いていました。
 カツオクジラという存在を初めて知りました。ナガスクジラ科のヒゲクジラ類の一種です。イワシを好んで食べるようです。体長は4メートルにもなる、細長い体型のクジラです。
 土佐湾には昔からたくさんのカツオクジラがいて、そのそばにカツオがついて泳いでいます。どちらもイワシが好物なのです。
 イワシがカツオに追われて丸く固まりを逃げまどうのを見て、カツオクジラは突進し、丸ごとイワシ集団をひとのみします。豪快な狩りです。
人間はカツオクジラを見つけると、餌のイワシを海に投げ込み、集まってくるカツオを釣り上げます。神社に奉納した絵馬は、その状況を描いていて、翌年もカツオ漁が豊漁であることを願うのです。
 カツオクジラは私たち人間と同じ哺乳類で、肺呼吸する。10分くらい海中に潜ると、息継ぎのため浮かんできて、大きく開いた2つの噴気孔から空気を思いきり吸い込み、再び海中に潜っていく。
 母クジラは2年に1度、体長4メートルほどの赤ちゃんを産み、母乳で半年ほど育てる。
 体長4メートルもある赤ちゃんて、信じられない大きさです。いくら親の体長が14メートルあるといっても、大きすぎませんかね。よほど細いのでしょうね。子クジラは母クジラと半年ほど一緒に暮らすなかで、餌(えさ。イワシ)の獲(と)り方、そして漁師(漁船)とのつきあい方などを学ぶ。なーるほど、ですね。
 見事な写真集です。カツオのたたきを高知で食べたくなりました。
(2024年9月刊。1320円)

「痛み」とは何か

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 牛田 享宏 、 出版 ハヤカワ新書
 突然、腰が痛くなりました。自覚的には何の出来事もなく、何の予兆もありません。ギックリ腰のようです。長い時間、椅子に座ってパソコンを眺めたり、書きものをしていて、立ち上がろうとすると、腰に嫌な痛みが走ります。そばに何かあると、それを手でつかんで、よっこらしょという掛け声とともになんとか立ち上がるのです。歩くのは何ともありません。トイレも便座に腰かけたあと立ち上がろうとすると傷みます。
そこで、私は、こんなときはハリだと思って出かけたのです。わずか40分間ほどでしたが、終って鍼灸院を出るとき、何事もなかったようにスッキリしていました。いやあ、すごいものです。ハリがこんなにも速効性があるとは、とても信じられませんでした。
脊髄は、首から腰までつながっている、大きな神経のパイプラインのようなもの。脳からの信号を手足に伝えて動かしたり、逆に手足の感覚を脳に伝えたりする役割を果たしている。なので、脊髄を損傷すると、下半身が動かなくなり、ずっと車イス生活になる人がいる。
先天性無痛無汗症という珍しい病気がある。まず、温度の感覚や発刊障害が起こる。なので体温調節がうまくいかない。そのうえ、全身の痛みを経験できない。すると、痛みを感じないので、知らず知らずのうちに、自分の身体を傷つけてしまう。したがって、逆に言うと、痛みを感じることは、ヒトの生体防御機構にとって大切なこと。体の異常をいち早く検知し、健全な身体を保つために不可欠のものだということ。
 痛みとは何なのか…?痛みの定義は、実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する。あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験というもの。
 このとき、感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することは出来ない。
日本人の人口の15%ほどが中等度以上の身体の痛みを半年以上もっているとされる。
痛みのメカニズムには3つある。その1は、実際にケガが生じて引き起こされるもの、その2は、痛みを伝える神経系が傷ついて痛くなるもの、その3は脳が過敏になって痛みを感じやすくなるもの。
 「熱い」と「痛い」は、神経メカニズム的には同義。
 痛みは、手足の末梢から脊髄へ、それから脳へと伝言ゲームのように情報が伝達されて経験するもの。乳幼児は、母親の反応によって、「痛み」のもつ意味を初めて学習する。
 過度に安静にする傾向のある人のほうが、概して痛みを強く訴えているケースが多い。
関節リウマチには、適切な治療薬(メソトレキセート)があり、今では不治の病ではなくなった。
五十肩など、関節を動かすと痛がるような患者には睡眠障害が必ず起きる。そして、眠れないと、痛みが増してしまう。
 抗うつ薬は、痛みに対して効果がある。うつ状態が改善されると、患者の痛みに対する耐性も向上する。
1日に少しずつでもがんばって運動を続けていくと、必ず体力は強化される。
 痛みというものは客観的に定まったものと思っていましたが、案外つかみどころのないものだということがよく分かる新書です。
(2025年4月刊。1320円)

昭和20年生まれからキミたちへ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 落合 恵子 ・ 松島 トモ子ほか 、 出版 世界書院
 今、80歳の人たちが語っています。大学生のころは、80歳なんて「カビの生えたような、モーロク爺さん、しわくちゃ婆さん」というイメージでしたが、どうしてどうして、そんなものじゃありません。この本には登場しませんが、新聞連載のときは、同じ世代の吉永小百合も登場しています。どうですか、あの元気ハツラツとした、輝く美しさ。80歳だから「しわくちゃ婆さん」なんて、とんでもありませんよね。
 でも、1945年生まれは、日本敗戦前後の生まれですから、生死に関わる大変過酷な状況を生き抜いたのです。松島トモ子は、満州の奉天(現瀋陽)で生まれた。
 日本へ引き揚げる前、現地の中国人から赤ちゃん(松島トモ子)を売ってほしいと懇願されたそうです。帰国するまでに死んでしまうから、生きてるうちに売って、生きのびさせたほうがよいだろうと言われたそうです。実際、幼い子どもたちが次々に死んでいったのでした。
 岡田尚さん(神奈川で弁護士)は両親が教員として赴任していた中清南道生まれた。生後10ヶ月のとき、母親が闇船を探しまわって見つけて日本に戻ることができた。それでも栄養失調気味のため、母親は生きて連れ帰れないと心配したとのこと。
日本敗戦の年(1945年)は、出生数が167万人でしかない。戦前の1943年が225万人、戦後の1947年が268万人と比べると、はるかに少ない。明らかに戦争のせいだ。
 落合恵子の母は、未婚の母として、生まれた娘を必死で育てた。しかし、物心ついた娘は、母が清掃の仕事をしているのが恥ずかしくて、「辞めて」と頼んだ。すると、母は清掃の仕事場に娘を連れていって、「なぜ辞めてほしいのか、ちゃんと理由を説明しなさい」と問いただした。いやあ、これはたいしたものですね。母親の必死の思いがよく伝わってきます。
 元外交官の東郷和彦の話も胸を打ちます。その祖父は、戦犯にもなった外交官の東郷茂徳で、獄中死しています。
 時の政府の言いなり、拡声器の役割しかしない外交官ばかりのなかで、東郷和彦は軍事力の強化で中国に対するのではなく、平和外交の積極的な展開が必要だと強調しています。まったく同感です。また、難民支援に日本はもっと積極的に取り組むべきだとします。これまた同感至極です。
 福岡の生んだ偉人・中村哲医師のやってきた人道的活動を日本政府も取り組むべきことも強調しています。日本にも、こんな骨のある外交官がいるのですね。うれしくなりました。
 なお、以上の人名に「さん」とか敬称をつけないのは、たとえば日本では松本清張について、「さん」とも「先生」ともつけずに呼び捨てするように、あまりにも有名人の場合には呼び捨てにする慣行に従ったまでです。
 なので、熊本県玉名出身で私の親しい岡田尚弁護士には、超有名人とまではいかないので、「さん」をつけたのです。その岡田さんから送ってもらいました。お互い元気にもう少しがんばりましょうね。
(2025年8月刊。1650円)

團藤重光日記(1978-1981)

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 畠山 亮 ・ 福島 至(編著) 、 出版 日本評論社
 私は司法試験を勉強するとき、刑法は団藤(ダンドー)の「刑法網要」上下の2冊を基本書としました。最終盤では、朝から読み始めて夜までに500頁もある部厚い本をなんとか読みあげることができました。結局、繰り返し4回ほど読んで自信をつけて試験に臨み、合格できました。弁護士になってからは読み返していませんが、今も本棚に愛読書として飾ってあります。団藤さんから授業を受けたという記憶はなく、刑法は藤木英雄でした。
 団藤さんは最高裁判事となり、大阪空港訴訟も担当しています。政治が介入して大法廷に回付されたことを怒ったと日記に書いているというので、その部分を探したのですが、今までのところ探し当てていません。
 最高裁判事というのは皇室とは親密な関係にあるようで、この本には、鴨狩りの様子とあわせて天皇以下の皇族との会話が何回も紹介されています。
 私が驚いたのは、団藤さんが天皇に対して、「福江(長崎の五島列島の島)の裁判所には昔、脱獄囚が判事になっていたことがございました」と話しはじめ、天皇の反応が良かったので、詳しく話したということが紹介されていることです。これは一部に有名な実話です。判事になった脱獄囚というのは三池炭鉱が囚人を働かせていたときのことで、そこから脱走したということです。ところが、団藤さんは天皇に対して2つ間違った紹介をしているようです。
 その一は、「執行猶予になり」としていますが、そうではありません。その二は、晩年を東京で暮らしていたとしていますが、これも間違いなのです。詳しくは、次に紹介するとおりです。
 この日記で紹介されている脱獄囚で裁判官になったというのは、本名を渡辺魁といい、東京生まれだけど島原に育った。父親は島原藩士だった。魁は東京に出て一橋大学の前身の商法講習所で学び、三井物産長崎支店に勤めた。手形を扱っていたことから、支店長印を乱用して460円を横領したのが発覚し、懲役終身(無期懲役)となった。当時の巡査の初任給が6円なので、それなりの被害額だけど、それにしても無期懲役とは重すぎるとされています。
 ところが魁は脱走に失敗して、三池炭鉱に送られて囚人として労働させられることになった。そして、1ヶ月もしないうちに三池炭鉱から脱走し、長崎で裁判所に勤める父親のところに行き、そこから、大阪、鳥取そして大分にまわって、そこで辻村庫太と名前を変えて裁判所に事務員として働くようになった。真面目に仕事をしているうちに見込まれ、書記官となり判事登用試験に合格して判事補になった。そして、長崎は五島列島の福江の裁判所で判事として活動するようになった。年俸600円の高給取り。ところが、世間は甘くない。偽名を見破って通報する人がいて、逮捕された。もちろん有罪になるわけだけど、判事として下した判決は有効なのか、本当に官文書偽造が成立するのかという難問をかかえている。そのためか、なんと非常上告では無罪となり、元々の懲役終身刑についても特赦の対象となって釈放された。団藤さんは、その後は東京に住んでいたらしいと書いているが、実は島原で印刷業などを営んで、ひっそりと暮らし、64歳で亡くなった。
 魁は、戸籍は、寛永寺で彰義隊が官軍と戦ったときに孤児になったと嘘を言って新しくつくってもらったという。ウィキペディアには関連する本がいくつも紹介されています。そっちの話ばかりになりましたが、あまりに刻明な日記であることに驚きました。そして、執務時間中に、ゴルフの練習場に通ったりもしていたようです。団藤さんの私生活がよく分かりました。
(2025年2月刊。4400円)

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