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雇用破壊、非正社員という生き方

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著者:鹿嶋 敬、出版社:岩波書店
 高校を卒業してすぐに就職し、同じ会社に正社員としてずっと勤務している人の生涯賃金(19歳から60歳までの年間収入の累計)は2億1500万円。高校卒業後、ずっとアルバイトを続けている人(パート労働者)は5200万円。生涯賃金の格差は4.2倍、1億6000万円の差がつく。
 フリーターが正社員になれないことによる経済的損失は、税収面では1.2兆円、消費額は8.8兆円、貯蓄額では3.5兆円になると推測されている。
 フリーターの7割はサービス業に従事している。そして、半数以上が従業員30人未満の小規模な企業・事業所に勤務している。
 フリーターの平均年収は、男性156万円、女性は122万円。フリーターの生活は気楽などころか、先を考えれば考えるほど、不安で押しつぶされそうになる。
 非正社員の親との同居率は高く、結婚している比率は低い。経済的に不安定なフリーターが増えれば増えるほど、非婚・晩婚というライフスタイルの選択に拍車をかけ、少子化はさらに進む。
 中高年フリーターが100万人時代となっている。若いうちからずっとフリーターで流されていく漂流組が100万人となり、近い将来には300万人をこすことになるだろう。
 25〜29歳の未婚男性フリーターの有配偶率は28.2%、男性フリーターの未婚は顕著だ。
 悲劇を増幅しやすい夫婦とは、夫はプライドがあって失業したことを言い出せない、妻は夫の失業を知ったとき、あなたがだらしないから、こんなことになると怒る、というケースだ。経済から疎外された男性のあせり、屈辱感は相当なものだ。
 正社員は多忙すぎ、非正社員は安すぎ。まさに言い得て妙です。うちの娘も朝7時すぎに家を出て、夜10時すぎに帰ってくる生活です。はたでみていても、本当に大変そうです。3月半ばに会社を辞めるというのを、とめる気にはなれません。

宮中賢所物語

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著者:?谷朝子、出版社:ビジネス社 
 賢所は「かしこどころ」と読むのが正しい。しかし、著者たちは「けんしょ」と呼んでいた。皇居にある宮中三殿の全体を賢所(けんしょ)と呼ぶ。ここは神様が来るところで、年に20数回のお祭りがあり、月に3回の旬祭(しゅんさい)がある。平安時代から途切れることなくお祭りしてきた。ここで57年間も内掌典(ないしょうてん)としてつとめてきた人の聞き語りによる本です。
 戦前、滋賀県大津にあった高等女学校を卒業し、19歳のときにつとめはじめたのです。賢所の儀式は書き残すことが許されず、すべて口伝によるといいます。
 内掌典は、公務員に準ずる内廷の職員という身分である。宮中三殿は、明治になって京都から東京へ移ってきてから建てられたもの。明治22年建築。戦災にもあわず、そのまま残っている。アメリカ軍は政策的検地から皇居は爆撃しなかったのです。
 賢所では、動物の肉を食べることが禁じられている。牛乳やバター、肉のエキスの入った加工品もダメ。しかし、二本足のニワトリ、カモなどの鳥肉は良しとされている。ラーメンも、鶏肉だけでスープをつくるしかない。調理するのは雑仕という大学を出たばかりの若い女性がつくるもの。宮中と違って専用のコックがいるわけではない。ただし、内掌典も、皇居の外に出たら肉を食べることは許されている。なお、お酒の方は飲むことが認められている。
 賢所の生活で重要かつ基本となるのは、「次清(つぎきよ)」のしきたり。内掌典は常に身を清め、衣服を清くして、居住まいをただし、手を清くしてつとめる。その清浄でないことを「次」(つぎ)という。
 財布(お金)に触れたら「次」、外部から来た郵便物に手が触れたら「次」といった具合。このときは、手を水や塩(おしろもの、という)で清められる。水で洗うときにも、「次」となった手で直接触れることはできず、手の甲で栓をひねって水を出す。
 生理のとき、またトイレ(よそよそ、という)をつかうときも、同じように大変です。
 生理(まけ)の1週間は、着物や化粧品は専用のものをつかう。トイレ(よそよそ)のなかでは、手を着物の表に決して触れないようにする。
 手をケガして血(あせ、という)が出たら、御殿の水で手を清めることはできない。
 この本には、賢所の1年がことこまかに紹介されています。驚くのは、12月29日に、賢所は、もうお正月になるというのです。1月1日には、午前0時に起床して、おつとめがあります。大変ですね。
 著者が内掌典になったときには、いったんつとめはじめたら10年が期限だったそうです。それを聞いて父親は反対しました。3年間は、外出もできなかったといいます。
 内掌典は、著者をいれて6人。今では、4年です。魚と繊維質の多い野菜が中心の食生活。結局、結婚しないまま57年ものあいだ内掌典をつとめたのです。賢所のあいさつは、芸能界は夜でも「おはようございます」といいますが、「ご機嫌よう」というのだそうです。
 御所言葉が最後に紹介されています。お金は、おぞろ、そうめんおたから。食事は、おばん。寿司は、おすもじ。お魚は、おまな。
 神殿につかえる巫女さんの一生が紹介されたということでしょうか。
 私には、なぜ、この本がベストセラーになるのか、不思議でなりません。実をいうと、私は皇居に住む天皇一家の私生活が紹介されているのかと誤解して読んだのです。

名をこそ惜しめ

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著者:津本 陽、出版社:文芸春秋
 硫黄島、魂の記録と銘打った本です。日本軍が玉砕したとされていたとき、実は、まだ日本兵1万人が地底に掘った坑道や洞窟などに生き残っていました。大本営が降伏を呼びかけていたら助かったのではないかという指摘がなされています。本当に胸の痛む思いがしました。
 敵弾で戦死したのは3割で、6割は自殺したとみられています。なぜか。出れば殺されると思ったから。誰からか。アメリカ軍からではない。上官または同僚から殺されるという心配が一番頭にあったのだ。うーん、そうだったのですね・・・。可哀想です。
 硫黄島は、面積20平方キロの火山島。東京北区と同じ広さ。島には自然に湧き出る水はまったくなく、すべて天水でまかなう。地面の温度は50℃。
 日本軍の将兵が体力を消耗するのは、下痢による。1日10回ぐらいなら健常者。寝こんだ患者は1日に30回、40回と下痢する。それでも生きているのは、一日に水筒一杯 の硫黄と塩分のまじった水と、日に三度の重湯のおかげ。風土病であるアメーバ赤痢も流行していた。病人は、2万人いる日本軍全体の2割、絶えず4000名はいた。
 日本軍のトップ栗林中将は、妻へ送った手紙に、こう書いています。
 私はまもなく死ぬ。あなたはその事実を納得しなければならない。遺骨も故郷に戻らないだろう。それは承知のうえだ。私の魂は、あなたと子どもらの中に住むことになる。
 硫黄島に上陸したアメリカ軍は、海兵隊が3個師団、7万5000。そのほか、あわせて11万。飛行機は1000機。大変な物量作戦ですが、それでも日本軍は全滅していなかったのです。地下にもぐらのような生活をして耐えていました。
 栗林中将は、アメリカ軍が来る前、硫黄島に視察に来た大本営陸軍作戦部真田少将に対して次のように言ったそうです。
 サイパン玉砕の戦訓にかんがみ、このうえ、わが国が無駄な損害をかさねないよう、すみやかに和戦の方途を講じられるよう、大本営に対して具申していただきたい。
 もちろん、そのような具申はされず、日本軍は無駄な損害をかさねていったわけです。
 栗林中将は、バンザイ攻撃をいっさいせず、最後の一兵まで戦わせ、一人十殺をなし遂げさせようと思いきわめていた。そうするよりほかに、眼前に迫っている滅亡を甘受する意味を見つけ出すことはできない。自分を抹殺しにくる者を、一人でも多く死出の道連にするのだ。
 有名な摺鉢山の頂上に星条旗が立った写真は1945年2月23日のこと。ところが、翌24日未明、日章旗にかわった。夜があけると、また星条旗が立つ。4日目の26日未明、ついに日章旗は見られなくなった。うーん、そうだったのですか・・・。日本軍も最後まで粘り強くたたかったのですね。アメリカ側の本も読みましたが、3日目まで山頂の旗が入れかわったというのは初耳でした。
 アメリカ兵が日本軍将校の自決する様子を見ていました。次のように紹介されています。
 将校は一枚の写真をポケットから取りだし、見ながらなにかつぶやき、その写真に幾度となく頭を下げては涙を拭っていた。彼は頭を下げたのち、胸のポケットに写真を入れ、大声でフサコ、トシヤスと幾度も絶叫したのち、アメリカの戦車兵が壕内を焼き払っている火焔のなかに飛びこんだ。
 本当にむごく、痛ましい光景です。将校も「天皇陛下バンザイ」を叫んで死んでいったのではないのですね。
 硫黄島には、いまも1万2000体をこえる日本軍将兵の遺体が埋まったままだそうです。なぜなのでしょう。本当に、日本っていう国は冷たい国ですね。靖国神社への公式参拝には熱心でも、遺骨の収集にお金をかけることはしないのですね。それでいて、英霊の顕彰なんていう小泉首相は許せません。もちろん、無謀な戦争に国民をひっぱっていった当時の日本支配層は、もっと許せませんが・・・。

脳内汚染

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著者:岡田尊司、出版社:文芸春秋
 タイトルが少しばかりドギツイので、トンデモ本の印象を与えますが、内容はしごくもっともな指摘です。
 子どもたちが幼いころからテレビ漬けになっていると、対人関係が乏しくなるということは古くから指摘されてきました。しかし、テレビ漬け以上にゲーム漬けになったら、もっと怖いということです。ところが、今では、ゲーム産業はビッグビジネス化しているので、マスコミは批判できないようになっているというのです。本当に困ったことです。
 テレビに次ぐメディア産業となっているのが、ゲーム業界である。1997年にゲームの総出荷額は1兆円をこし、2001年に1兆5000億円となった。国外への出荷額が3分の2以上。国内市場は縮小傾向だが、アーケードゲームが6000億円、ビデオゲームが5000億円。世界全体のビデオゲーム市場は20億ドル(2兆円)で、日本のゲーム産業は4分の3のシェアを占めている。ゲームの最大の消費国はアメリカ。アメリカだけで世界の半分以上を消費している。今や、映像メディアだけで国内に7兆円をこえる市場規模をもつ巨大産業である。
 平均的なアメリカ人の子どもは、18歳になるまでに、少なくとも暴力的なシーンを 20万回、殺人を4万回、目撃する。小学校を卒業するまでに、8000件の殺人と10
万件の暴力行為を目撃させられる。ビデオゲームには、1時間のプレイあたり最大で  1291回、平均で61回、人間が死ぬ(殺される)。
 FBIなどの射撃訓練センターでつかわれている訓練用装置と基本的に同じものがビデオゲームとして売られている。だから、アメリカのコロンバイン高校での大虐殺事件の高校生たちは、本物の銃を扱ったことがほとんどなく、ビデオゲームをみていただけなのに、銃を発射して人間に命中させることができた。
 8歳の時点で、テレビをどれくらい見ていたかによって、30歳までに犯した犯罪行為の程度を予測できる。つまり、8歳の時点で、どれだけテレビを診ていたかによって攻撃性の強さは左右される。
 暴力的な映像の洪水には、3つの有害な影響がある。第1に、感覚麻痺によって、暴力に対して無感覚になる。第2に、感じないことを、あたかも優れた美質であるかのようにみなす傾向になる。第3に、世界や人間に対して過度に悲観的になり、醜く危険で希望のないものとみなす傾向を植え付けてしまう。これは、子どもにとってその心に対する暴力であり、虐待にほかならない。
 ビデオゲームは、最高の叡智を傾け、中毒を起こしやすく設計された、一種の合成麻薬である。ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。アドレナリンを出せる一番てっとり早い方法は、やられたと思わせることだ。つまり、やるか、やられるかという危険のなかで、必死に戦うか、逃げている瞬間にアドレナリンがもっとも盛んに放出される。敵を倒し、危地を脱したと、達成感とともに、脳の中ではドーパミンが放出される。
 ゲームに入り込むと、アドレナリンが放出され、瞳孔が開いて瞬目率が下がる。
 ゲーム依存、ネット依存が生じている最初の重要な徴候は、時間を守って終えることができないという症状である。依存がすすんでくると、ずっとやっていたいという気持ちを抱くようになる。そして、やっているときは、激しいワクワク感と気分の高揚を覚えている。メディアによって、あまりにも易々と代償的な満足が得られるために、苦労の多い努力をして、現実の中で満足感を得ようとは思わなくなってしまう。
 非行に走った子どもをみてみると、生物学的な基盤よりも、心理社会的な要因の方が、問題をこじらせる原因となっていることが多い。
 現実の中で寂しさを抱きながら、それをメディアの中の存在で満たすという状況におかれてしまうと、子どもの中で、現実の存在に対する尊厳や同一化が起こる機会は永久に失われる。その結果、多くの若者たちに、自我理想の形成不全がみられる。
 現実の人間は、画面の中のヒーローに比べると、格好悪い存在でしかない。身近な現実の存在は、最初理想化されたとしても、やがて失望を生む。対人関係は不安定なものにならざるをえない。
 快感を組みこまれ、いわば信者となった幼い脳は、親や教師の言うことに耳を貸さない。カルト宗教の信者のようなものだ。
 手づくりの体験が心をよみがえらせる。刺激のない状態の静けさや、安らかさを心と脳に取り戻してやることが大切だ。新たな刺激を際限なく求め続けることは、長期的にみれば、心をどんどん鈍磨させ、幸せを感じにくい心をつくり出してしまう。ささやかな楽しみが楽しみとして感じられることこそが、幸せの本質なのである。
 毎朝、出勤する前、フランス語の書きとりをしています。頭をあげると、わが家の庭の向こうに、緑あふれる低い山並みがあります。晴れた青空をバックとして目にしみる静かな緑に心が落ち着きます。心にゆとりを感じるひとときです。私はテレビを見ませんし、テレビゲームも一度もしたことがありません。1978年から流行したインベーダーゲームは何回かしましたが、私にはとてもできないと思いました。
 子どもたちに豊かな自然環境を残すだけでは足りない。社会環境についても考えるべきことは大きい。そういうことなんですね。

カリスマ幻想

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著者:ラケシュ・クラーナ、出版社:税務経理協会
 古くはダイエーの中内、マクドナルドの藤田。最近ではライブドアの堀江そしてソフトバンクの孫。まさにカリスマCEOです。アメリカもたくさんいます。クライスラーのリー・アイアコッカ、GEのジャック・ウェルチ、そして、ビル・ゲイツなどなど。
 この本は、こられのカリスマ経営者に企業再建を頼ることの愚を明らかにしています。カリスマCEOに対する礼賛、カリスマCEOを存在させている継承プロセス、これらを容認する文化、これらすべてはオズの魔法の神秘化とまったく同じだ。我々は、より成熟した、そして自己をより深く認識した人たちによる、責任ある社会を構築するために、ベールに包まれているそのなかをしっかりと見極めなければならない。
 ビジネス・スクールで学生はカリスマ幻想を学ばされる。というのも、リーダーシップ論のテキストは主人公はCEO1人という前提で作成されているからだ。
 1992年、アメリカのGE(ゼネラル・モーターズ)で株主である機関投資家が経営陣をすべて更迭した。権力が経営者サイドから投資家サイドに移行したことを物語る。社内の生え抜きがトップになると、それまでの会社のカルチャーを台無しにすることはできない。いやな奴にはなり切れない。そもそも、会社にずっといたのだから、こんな会社にした責任の一端がある。だから、社外の人間を呼ぶことになる。
 優れたCEOというのは、有能な経営者から、カリスマ性を備えたリーダーに変わった。会社は単に利益だけでなく、より壮大で、より高潔なミッションをも追求していると従業員が納得してくれるよう、CEOは従業員を指導しなければならない。
 つまり、これからの時代のCEOには、メディアやアナリストの注目を集める能力が評価の基準になる。この能力によって、投資家やそのほかの人たちから信頼感を勝ちとり、また、企業に対する高い評価を定着させることができる。CEOほど、よい広報マンはいない。
 CEOは外部の人間に求める。うまく機能していない社内の仕組みを変え、順調なことはそのまま維持してくれる。そんな人物を探すことになる。
 CEOは企業間を転々と移り、報酬を螺旋的に吊り上げている。それはサーチ会社が後押ししている。経営能力とは関係なく、企業や株主の利益から、かつては見られなかったほどの巨額の報酬・慰労金をかすめとっている実態がある。
 ところが、今日行われている社外人材によるCEOの継承の実態は、門戸開放や競争原理とはほど遠い。今日のCEO人材市場は、本来の開かれた市場と同じだと擁護されているが、実態はそうではない。外部CEO人材サーチのプロセスは、トップ経営者層だけの閉鎖生態系を形成している。
 アメリカにおいては、大企業のリーダーを選ぶプロセスが、かつての旧東ベルリンの壁のように、囲い込まれてしまっているのが事実だ。そこは、市場原理から隔離されている。
 つまり、カリスマCEOというカルトと、それを生み出し助長する閉鎖的な後継者人選のプロセスは、歴史的にみて不思議な現象以上のものである。それは、企業と社会の双方に重大な損害を与える恐れがある。
 2000年度の大企業のCEOは、平均して、2000万ドル(20億ドル)の報酬を受けとっていた。これは、1999年度に比べて22〜50%増だ。CEOの報酬全体の3分の2はストック・オプションで占める。企業は株価とストック・オプションの権利行使価格の差額を負担することになる。
 1980年代には、平均的CEOは平均的ブルーカラーの42倍の報酬をとっていた。1990年までにその格差は倍の85倍となった。そして、2000年には、CEOの報酬は工場労働者の531倍となった。これは拡大する富の不平等、社会基盤を徐々に崩壊させている。
 企業のなかで一個人だけが大きく注目をあび、たくさんの報酬を一人占めしている現実は、企業の実績は一個人の力だけで達成できたのではないという点をまったく無視している。そういう意味でも、社内の人材を無視し、スター経営者の争奪戦に走る傾向は有害である。
 外部人材によるCEO継承プロセスが生起した2つの事態、高騰したCEOの報酬とポジションへの膠着した人材流動性、をつぶさに調べてみると、その影響力は重大であり、広範囲に及んでいる。
 日本もアメリカに遅れてではありますが、似たような現象が進行中ですので、大変参考になりました。

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