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戦陣訓の呪縛

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著者:ウルリック・ストラウス、出版社:中央公論新社
 終戦までの日本人捕虜は3万5000人。ドイツ軍捕虜が94万5100人、イタリア軍のそれ49万600人に比べると、はるかに少ない。ただし、終戦による日本軍捕虜は160万人以上いる。
 アメリカ軍は真珠湾攻撃を受けてから、数千人のアメリカ人に日本語を習得させはじめた。そして、強制収容所から引き抜いてきて、数千人の日系2世を捕虜の尋問に活用した。
 パールハーバー攻撃のとき、特殊潜水艇に乗っていた10人の1人、酒巻和男海軍大尉は潜水艇の故障により海に投げ出されて、泳いでハワイの海岸に上陸して捕まった。
 残る9人は全員死亡して、「九軍神」として祭られた。アメリカ政府は赤十字を通じて酒巻捕虜の存在を通知したが、日本海軍は対応に困った。戦死公報を出さず、家族にも知らせなかった。士官名簿には予備役と書きこまれたが、海軍将校の間では公然の秘密となっていた。戦後、酒巻は日本に帰国し、東京裁判に証人として召喚された。トヨタに入社し、ブラジル・トヨタの社長にまでなった。捕虜第1号だった。
 戦陣訓は、天皇の承認を経て1991年1月8日に東条英機陸軍大臣によって公布された。日本兵は捕虜になってはならないと命じられた。ただ、海軍は戦陣訓のような規則は公布しなかった。
 日本軍においては戦闘で死亡した兵士に比べ、捕虜となった兵士の割合は、海軍で3.0%、陸軍で2.3%しかいない。投降を決心したら、投降するまでに友軍に殺されないよう気をつけなければいけなかった。
 日本兵は全員が日記をつけていた。ここには兵士たちの内面の心理や倫理観が読みとれた。軍務に関する指令や作戦などの貴重な情報もあり、まさに宝の山だった。
 日本軍当局は、日本語を理解できる白人などいないだろうし、アメリカ軍は日系2世なんて信用していないし、太平洋の戦地に送りこんではこないだろうとタカをくくっていた。しかし、真実は、多くの日系2世が太平洋の戦地に送りこまれ、死んだ日本兵や捕虜の日記を翻訳してアメリカ本国へ送っていた。
 捕虜になった日本兵をソフトに優しく扱うと、成績良好で、いとも簡単に軍事情報を話しはじめるのだった。日本兵は機密情報の必要性について十分に教育されていなかった。日記をふくむ文書情報の管理は手薄だった。捕虜となった日本兵はまさか戦場で、日本語のうまいアメリカ軍兵士と遭遇するなど、想像もしていなかった。
 捕虜たちは、自分の国を裏切ったみじめな存在だと考え、無意識のうちに、より人間的な結びつきを求めるのだった。捕虜がアメリカ兵と同様に扱われている事実、そして、共通する人間性という認識は、大いなる感銘を与えた。このことが、アメリカ側の情報収集を促進することになった。
 1944年3月に、古賀峯一連合艦隊司令長官たちを乗せた輸送機のうち古賀司令長官をのせた1番機は台風にあって遭難し、2番機は太平洋に突っこんだ。3番機のみ無事に到着した。2番機に乗っていた福留中将は現地のゲリラに捕まった。しかも、機密文書まで押収されてしまった。ゲリラと人質交換の交渉が成立して福留中将は無事に日本へ帰国できたが、文書はアメリカ軍の手に落ちた。このとき、海軍省は、福留中将は潔白であると裁定し、何の処分も行わなれなかった。日本軍部のご都合主義を典型的に物語る話です。
 捕虜になったらいけないと定めた「戦陣訓」なんて、本当に非人道的なものです。そもそも戦争を始めること自体が人命軽視ではありますが・・・。

テクノストレス

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著者:クレイグ・ブロード、出版社:新潮社
 テクノ依存症患者は仕事の効率を高めようとして、絶えず自分を駆り立てる。彼は自分の限界を認めようとしない。やがて疲労が精神をむしばみ、考え方が硬直しはじめる。自分ではそれと意識せぬうちに、能率は低下し、誤りを犯すことが多くなる。
 テクノ依存症患者は自分が踏み回し続けるハツカネズミになっていることに気が付かない。気がつくだけの洞察力をすでに彼らは失っている。
 制御と予知可能性を何よりも重視するテクノ依存患者は、抑えもきかず、どこでどうなるかも分からない欲望の力をもてあます。テクノ依存症の犠牲者は、自分の要求を感じとる力を失い、あるいは自分が要求を抱いているのかどうかさえ、分からなくなってしまう。
 他者に愛着を感じないテクノ依存患者は、いかなる人間関係を築くこともむずかしい。心の通いあった、長続きする関係をつくることは、とうてい不可能である。
 これはアメリカ人が書いた本です。いつのことか分かりますか。なんと、今から20年以上も前のアメリカ社会について書いた本なのです。ですから今は、もっとひどくなっていると考えるべきでしょう。
 一日中パソコンに向かってインターネットにはまっていたり、ゲームをしていたり、株取引をしていたら、そんな人が増えたら、この社会は人間が住むところではなくなってしまうでしょう。うるおいとゆとりのある人間社会にするためには、何が本当に必要なのか、今こそ考えるべきときではないでしょうか。

江戸の海外情報ネットワーク

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著者:岩下哲典、出版社:吉川弘文館
 鎖国というけれど、海外に開かれていたのは長崎だけではない。北海道の松前氏はアイヌとの貿易を介してロシアや中国東北部(山丹)の文物を入手していた。
 薩摩藩は、朝鮮からの密貿易船のための朝鮮通詞まで養成していた。
 ペリー来航については、1年前に、オランダ商館から長崎奉行を通じて幕府老中に通告されていた。幕府の対応は、この予告情報にもとづいて、それなりに心がまえをもってなされた。
 徳川家康に慶長7年(1602年)ベトナムからの象が献上された。
 その5年前、慶長2年に大阪城の秀吉にルソン総督から象が献上されている。秀頼とともに秀吉は象を見物し、瓜と桃を手ずから象に与えたという。
 大分豊後のキリシタン大名大友宗麟にも、カンボジアの象が献上された。
 もっと以前には、応永15年(1408年)に、スマトラ島の有力華僑から室町4代将軍足利義持に黒象が献上されている。
 慶長7年から126年ぶりの享保13年(1728年)、象が日本に渡来した。徳川吉宗の時代である。長崎にベトナム産の象(オス、メス各1頭)が上陸した。しかし、まもなくメス象は病死し、オス象のみが江戸へのぼった。
 文政4年(1821年)には、ラクダも渡来した。文久3年(1863年)には、横浜にサーカスの象が上陸した。
 このように、江戸時代は、鎖国といっても、決して完全に閉ざされた国ではなかったのです。

ヨーロッパとイスラーム

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著者:内藤正典、出版社:岩波書店
 共生は可能か、というサブタイトルがついています。デンマークの漫画家がマホメットをテロリストのように描き、それがデンマークの新聞にのり、ヨーロッパ各地の新聞に転載されました。イスラム教信者の人々が怒るのはもっともです。日本人だって、天皇が凶悪な殺人鬼のように描かれたら、怒り出す人は多いのではないでしょうか。
 ところが、ヨーロッパの人々は、概して、それは表現の自由の範囲内のことではないか、言論弾圧はしたくないし、問題にする方がおかしいと言って平然と開き直っています。本当に言論の自由の範囲内なのでしょうか・・・。
 麻生太郎外相が講演会で、日本の植民地だったから台湾は教育程度が高くなったと講演しました。これって、台湾の人が聞いて許せるでしょうか。私なら絶対に許せません。
 麻生太郎が居酒屋で知人に対して同じことを言ったのなら、私は許します。ところが、日本国の外務大臣の肩書きをつけて、公開の場所で公衆に対して放言したのですよ。日本が中国・台湾・朝鮮半島を侵略して植民地としたことは反省すべきことではありませんか。しかし、そんな麻生外相の発言に対して手を叩いて賛同する日本人が少なくありません。最近は、若者に増えているようです。自虐史観から抜け出せ、などと叫んでいます。しかし、歴史の真実に目をふさいではいけません。
 ムスリムはキリスト教徒を敵視しなかった。イスラム王朝の支配下におくときには、庇護を与える代わりに人頭税の支払いを求めた。必要経費を払った安全と一定の自由を享受するのだから、不平等だと感じていなかった。
 ところが、キリスト教徒は過去1000年以上にわたってムスリムを敵視してきた。ヨーロッパの社会は、中東・イスラム世界に対して、たえず恐怖と嫌悪を抱き続けてきた。ムスリムによる統治は、宗教の相違を承知のうえで共存を可能にするものだったが、キリスト教のヨーロッパはそれを理解しなかったし容認もしなかった。
 フランスには500万人のムスリムが住み、ヨーロッパで最多。ドイツには300万人のムスリムがいて、そのうちトルコ出身だけで260万人いる。ヨーロッパ全体には
2000万人のムスリムがいる。
 衛星放送のおかげで、母国トルコとヨーロッパの距離は近づいた。しかし、その結果、ヨーロッパ在住のトルコ系移民とドイツ社会の心理的・文化的距離は、逆に遠くなっていまった。
 少なくとも友人になるためには、相手を知り、相手が何を考えているかを洞察する能力が必要だ。これが他者への思いやりだ。ドイツ人一般にその能力が欠けているわけではない。しかし、相手がトルコ人だと、この能力は働かない。それがドイツ人だ。
 これはドイツに住む、成功したトルコ系移民の言葉です。うーむ、そうなのかー・・・。日本でも同じことが言えそうだな、ついそう思ってしまいました。アメリカ白人なら尊重するのに、黒人とか同じアジア系の人に対しては、いわば見下してしまう傾向が日本人にはあるように思います。
 イスラム教には、金銭や商売をいやしいものとする考えがまったくない。そして、強者が弱者を救済するのは、あらゆる人間関係の基本をなす道徳とされる。
 フランス語の会話教室に毎週かよっていますが、そこで初めてマホメットをテロリストに擬している漫画を見ました。日本の新聞には転載していないから、それまで見たくても見ることができませんでした。ところが、インターネットの画面では簡単に見ることができるのですね。これまた、便利なようで、怖いことですよね。

食品の裏側

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著者:阿部 司、出版社:東洋経済新報社
 怖い本です。つい目をそらしたくなってしまいました。でも、毎日の生活の基本である食べもののことですから、目をよーく見開いて、最後まで読み通しました。
 著者は理学部化学科を卒業し、食品添加物の専門商社に長く勤めてきました。食品添加物を売り歩くセールスマンでした。でも、あるとき、自分の家で子どもたちがミートボールを美味しそうに食べるのを見てガク然としたのです。「そんなもの、食べたらいけない」こう叫んだといいます。
 スーパーの特売用ミートボールは何からつくるか。牛の骨から削りとる、肉とも言えない端肉。そのままだとドロドロだし、水っぽくて味もない。そこで卵をうまなくなった廃鶏のミンチ肉を加えて増量し、ソフト感を出すために組織状大豆たんぱくを加える。そして、ビーフエキス、化学調味料を大量に加えて味をつける。歯ざわりを滑らかにするため、ラードや加工でんぷんも投入する。機械で大量生産するので、作業性を良くするために結着剤や乳化剤も加える。色をよくするために着色料、保存性を上げるために保存料とPH調整剤。色あせを防ぐために酸化防止剤をつかう。これでミートボールができあがる。いや、まだまだある。ソースは、氷酢酸を薄め、カラメルで黒くして、化学調味料を加えてソースもどきをつくる。ケチャップの方は、トマトペーストに着色料で色をつけ、酸味料を加えて、増粘多糖類でとろみをつけ、ケチャップもどきをつくる。これで、やっと商品になる。結局のところ、添加物を30種類ほどつかっている。つまり、本来なら産業廃棄物となるべきクズ肉を、添加物を大量に投入して「食品」に仕立てあげたということ。こんなミートボールは、自分の子どもには決して食べさせたくない。それが著者の出発点でした。
 添加物商社の3大お得意さまは、明太子、漬物、ハム・ソーセージ。
 明太子。これは添加物で、どうにでもなるもの。ドロドロに柔らかく、粒のない低級品のタラコでも、添加物の液に一晩漬けるだけで、たちまち透き通って赤ちゃんのようなつやつや肌に生まれ変わる。身も締まって、しっかりした硬いタラコになる。
 ハム。100キロの豚肉のかたまりから、130キロのハムをつくる。肉用ゼリー液を豚肉のかたまりに注射器で打ち込む。
 コーヒーフレッシュは、植物油に水を混ぜ、添加物で白く濁らせ、ミルク風に仕立てたもの。だから使い放題にできるのだ。
 一般に日本人が摂取する添加物の量は1日平均10グラム、年間4キロ。日本人の食塩摂取量は1日12グラムなので、それと同じくらいということになる。
 コンビニのおにぎり。甘みを出しておいしくするためアミノ酸などの化学調味料や酵素が加えられ、保存性を高めるためにグリシンが入っている。フィルムがするっと抜けるために、乳化剤や植物油をつかう。こうやって10種類ほどの添加物がつかわれている。
 このようにして日本人の舌は、今や完全に化学調味料に侵されてしまっている。味覚が麻痺して天然の味が分からなくなっている。
 食品を買うときには、必ずひっくり返して裏を見よう。台所にないものが少ないもの、台所にないカタカナがぞろぞろ書いてあるようなものは買うのを避けよう。
 加工度が高くなればなるほど添加物は多くなる。安いものには飛びつかないこと。安いのには理由がある。うーん、毎日の食生活にはかなり気をつけているつもりでしたが、本当に怖いことだと改めて反省させられました。

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