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大江戸復元図鑑(庶民編)

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著者:笹間良彦、出版社:遊子館
 江戸時代の見直しがブームとして長く続いています。私も江戸時代についての本は小説をふくめてかなり読みました。この本の良さは左側のページに絵があって、具体的イメージを描けることです。江戸時代の庶民の生活について、知識を広げることができます。たとえば、質屋は「ななつ屋」とも呼び、質物価格評価の3分の1が質屋の利益、3分の2が質置主の取り分。質置期間は、江戸で8ヶ月なのに、大阪はわずか3ヶ月が標準。利息は年5割ほど。
 藤沢周平とか、江戸ものの小説を読むうえで、江戸風景を知る絶好の手引き書です。

男性誌探訪

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著者:斎藤美奈子、出版社:朝日新聞社
 「アエラ」に連載したものを一冊の本にまとめたものです。私は「アエラ」をふくめて、週刊誌はほとんど読みません。理髪店か病院の待合室で読むことがある程度です。亡くなった渥美清もまったく読まなかったそうです。本当に知りたいことが書い
てあるのかい。渥美清はそう言っていたとのこと。でも、私は、週刊誌の広告のみは熱心に見ています。つまり、新聞にのっている見出しだけは見落とさないようにしています。本文を読まなくてもそれだけで十分です。そこに世の中の関心が今どこに集まっているか分かるからです。 実は高校生のときには、『丸』の愛読者でした。ご存知の人も多いと思いますが、戦記物と武器オタクに欠かせない雑誌です。おかげで、今も軍事問題(最新兵器の性能など)に関心があります。今はもっぱら「ニュー
トン」です。最先端の科学情報が絵と写真で図解されているのに見とれています。
 「失楽園」(読んではいませんが・・・)系不倫専門情報誌まであるというのを知って驚きました。ハウステンボスのホテル「ヨーロッパ」が東京からの不倫カップルで成り立っているという話を聞いたことがあります。本当でしょうか・・・。

四百年の長い道

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著者:尹達世、出版社:リーブル出版
  秀吉の朝鮮出兵(1594年)は今から400年以上も前のことですが、この本を読むと、当時、日本に連れてこられた朝鮮の人々の足跡が西日本各地に今もたくさんのこっていることがよく分かります。
 もっとも有名なのは沈寿官さんの薩摩焼です。また、大分県玖珠町はJR豊後森駅でおりるところですが、ここにあった森藩の家老にまでなった人もいるそうです。
 福岡県内でも、大牟田にあり閉山してしまった三池炭鉱の前身は柳川藩の家老・小野家が営んでいました。今も、「小野さん堤」が三池山の麓の方に残っています。そして、高田町には「人参山」という高麗人参を栽培する山もありました。
 赤穂浪士のひとりに武村唯七がいますが、彼の祖父は朝鮮から連れてこられた孟二寛という人物で、藩医として仕えていたというのです。
 日本と朝鮮の関係が古くからいかに密接であったか、改めて認識させられました。

クアトロ・ラガッツイ

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著者:若桑みどり、出版社:集英社
 信長・秀吉の時代にローマ教皇に会いに出かけた天正少年使節の栄光と悲しい運命を描いた本です。上下2段組みで530頁もありますが、質量ともに大変読みごたえのある書物です。福岡のある裁判官と立ち話をしたとき、この本が話題となりました。私はぜひ読んでみてくださいと強くすすめました。
 4人の少年は1582年(天正10年)に出発し、1590年(天正18年)に帰国しました。実に8年5ヶ月かかっています。出発のとき12歳から14歳だった少年たちは、20歳ないし22歳という立派な大人になっていて、実の母親でさえも見分けがつかないほどでした。すでに信長は倒され、秀吉の天下になっていました。しかも、伴天連追放令が出ています。すっかり世の中が変わっているなか、秀吉に面会できるか危ぶまれました。そこを押しきって上京し、威風堂々と行進するなかで、秀吉の方もインド副王の手紙が来たことを自分の権威誇示に役立てようという思惑から、少年たちに面会することになります。そして、伊東マンショに士官をすすめたのです。もちろん、マンショは断ります。でも、断り方には慎重な配慮が必要でした。
 マンショは、そのまま日本にとどまり、42歳のとき長崎で病死します。原マルチーノは国外追放となり、マカオで死にました。中浦ジュリアンは日本国内に潜伏し、1633年、長崎で穴吊りの刑にあって殉教します。残る松田ミゲルは棄教者となりました。しかし、1637年に勃発した島原の乱のとき、天草四郎はミゲルの息子だという噂が立っていたというのです。
 伝道が始まってわずか数十年のうちに、キリスト教の信者は九州の全人口の3割をこえる30万人に達しました。これは、キリスト教がまず貧民の救済事業を行ったことが大きいようです。
 ザビエルは手紙にこう書きました。「日本人は非常に好奇心に富み、知識に渇し、問題を出し、またその答えを聞いて、少しも疲れない。新事物を聞くこと、とくに宗教上のことを聞きたがるのは、そのもっとも好むところ。日本に来る神父は、日本人のする無数の質問に答えるための学識をもつ必要がある。日本人との討論において、その矛盾を指摘するために、弁証法学を知っているとなお結構である。宇宙の現象のことを知っていると、ますます都合がよい。なぜなら、日本人は、天体の運行や日蝕や月の満ち欠けの理由などを熱心に聞くからである」
 家光は12年間に28万人ものキリスト教徒を殺しました。改宗しさえすれば殺されないのに、改宗しないで死を選んだ日本人がそれほど多かったということです。
 権力と命令系統に従順な日本人の平の武士が、キリシタンになったとたん、命がけで権力にさからって自分たちの宗教を護ろうとする。これを権力者が放っておくわけがありません。巡察師ヴァリヤーノは日本人について、次のようにローマ教皇に報告しました。
 「彼らはきわめて礼儀正しい。貴族ばかりではない。一般庶民や労働者も驚くべき礼儀をもって上品に育成され、それはあたかも宮廷人のようである。この点で、彼らは東洋の諸民族のみならず、我らヨーロッパ人よりも優秀である。人々は有能であり、すぐれた理解力をもち、子どもたちは我らの学問や規律をすべてよく吸収し、ヨーロッパの子どもよりもはるかに容易に、また短期間に我らの言葉で読み書きを覚える。彼らのことごとくがあるひとつの言語を話すが、それは知られている限り、もっとも優秀なものであり、きわめて優雅であり、私たちのラテン語よりも語彙が豊富で思想をよく表現する」。
 果たして現代日本人にもあてはまると言えるのでしょうか・・・?
 高山右近はマニラに追放されましたが、そこで国賓のように歓迎され、彼の孫は総督の養子になっています。そして、高山右近の領地であった摂津高槻の隠れキリシタンは250年後まで生き延びました。日本教会の奇蹟と言われています。

ヒラリーとビルの物語

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著者:ゲイル・シーヒー、出版社:飛鳥新社
 ヒラリーの母親・ドロシーは、15歳の母親から生まれ、両親はドロシー8歳のときに離婚した。ドロシーは14歳で住み込み女中として働くようになる。ドロシーは娘(ヒラリー)に離婚がどれほど過酷なものか何度も語ったに違いない。ヒラリーほど、自らの野望に首尾一貫して真摯な女学生はいないと友人たちは言う。ヒラリーが本当に興味をもっていたのは政治学とAをとること。ところが、ヒラリーは高校時代に選挙で負け、心が大きく傷ついた。大学3年生のとき、学生自治会長に立候補し、3週間かけて寄宿舎まわりをして、当選を果たした。
 ヒラリーは、変革を起こすことに興味をもっていたが、それは体制の外からではなく、内側からの変革だった。ヒラリーはまぎれもないタカ派で、秘密の反共組織のメンバーでもあった。
 クリントンの母親・ヴァージニア・ケリーは快楽主義者であり、自分を飾ることに一生懸命の女だった。また化粧するのに時間がかかるから、寝るときにも化粧を落とさなかった。チェロキー・インディアンの血も受けつぎ、5回、結婚した。
 クリントンの家庭は、誰が見ても道徳的・倫理的に混乱していた。本人も「わが家には常に家庭内暴力があり、家庭が家庭として機能していなかった。だから、孤独だった」と正直に語っている。クリントンは決して離婚を選ばない。アルコール中毒者のいる家庭では、どんな犠牲を払っても平穏を保つことが最優先されるから。
 ヒラリーは一家の大黒柱であり、政治の実情も握っている。ヒラリーもクリントンも一人娘チェルシーを愛している。しかし、2人の最優先事項は政治家としてのクリントンのキャリアだった。
 ヒラリーの中毒はビル。クリントンは選挙運動と安物の愛、そしてフリーセックスによって生きている。女たらしの夫の秘密を長い年月にわたって守り続けたヒラリーは、心の中に神経まで麻痺させる分厚い防護壁を築き上げた。
 クリントンのなかには2つ以上の人格が存在する。一方の彼は敬虔な父親であり、良き夫である。もう一方の彼は、妻と娘の双方を平気で裏切っている。子どものころにしばしば虐待された人物は、生き残るために自分の人格の一部を分離することを覚える。クリントンは幼児期をすごしたホットスプリングスで母親がいて、寛容な環境があったころの人格にはいるとき、とてもくつろいて安心できる。しかし、それは虐待をもって終わる。つまり、クリントン自身による女性への虐待によって、このアイデンティティがそこで終わる。そして、バレて嘘をつくとき、彼はすでに別の人格になりおおせている。だからこそ、あたかも第三者がやったことであるかのような口ぶりができる。
 なるほど、クリントンとヒラリーの関係は、そういうことだったのか・・・。よく分かった気がしました。

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