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カテゴリー: 社会

ゴーン・ショック

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 朝日新聞取材班 、 出版 幻冬舎
カルロス・ゴーンとはいったい何者だったのか。日産(ニッサン)という自動車会社はどんな会社なのか、取材班が綿密な調査を遂げて明らかにしています。
ニッサンはトヨタと違って、モノづくりで突出したものはなく、またカンバン方式という独特のトヨタ生産方式もない会社だ。
少し前までニッサンは塩路一郎という労組委員長に会社全体が牛耳られていた。ニッサンの入社式で塩路は社長の次に挨拶し、社長をボロくそにけなした。塩路は恐怖によってニッサン労組そして会社を統治・支配した。カルロス・ゴーンも同じ手法をつかった。
カルロス・ゴーンは、1954年にアマゾンの奥地の町で生まれた。その父親は通貨偽造・神父殺害で逮捕されたらしい。
ゴーンは6歳のとき、父親から離れ、母・姉とともに母の生国のレバノンに移り住んだ。レバノンでフランス式の教育を受け、17歳で単身パリに渡った。そして、エリート養成のグランゼコルの一つに入学した。ここでは成績優秀で、卒業後、ミシュランに入社した。そして、ブラジルに派遣され現地の会社の再建に成功。その次は、アメリカでも、見事に会社を再建させた。そのあとミシュランからルノーに移った。
ゴーンがニッサンのCOOに就任したのは1999年6月のこと。
コスト・カッターの異名をとるゴーンの絶頂期は2006年ころまでのこと。倒産寸前だったニッサンが、ウソのように業績が好転し、2006年3月期決算まで、6期連続で過去最高益を更新した。
ところが、やがてゴーンの周辺から経営幹部たちが一人、二人と距離を置くようになった。
ゴーンが良かったのは2006年ころまでで、その後は、明らかに変な人事が増えていった。ゴーンのご機嫌とりの人間が重用されるようになり、かつて熱狂的に崇拝していた「神」への信仰が揺らぐのは意外に早かった。
2008年9月、リーマン・ブラザーズが破綻した。このとき、ゴーンも巨額の損失を出したようです。ニッサンの売上高は前年比で2兆円以上も減り、純損益は9年ぶりに赤字転落した。
2015年、ゴーンはリタ夫人と離婚し、翌16年に今のキャロル夫人と再婚した。この結婚披露宴がベルサイユ宮殿で開かれ、その費用をニッサンの負担にしたのです。
ゴーンの生活は非常に派手になり、「家庭中心、自分の財産中心」となった。
ゴーンは東京に来るのは1ヶ月のうち、せいぜい1週間ほどで、来日しても仕事を2日したら、あとはキャロル夫人と一緒に遊んでいた。
そして、ゴーンを脅かすような部下は放逐し、帝国の拡大を目ざした。
ゴーンはルノー本社の社長も兼ねていたが、ルノーはフランス政府が出資している会社でもある。そして、ゴーンは、フランスの若き大統領のマクロンと折りあいがもともと悪く、年収20億円のゴーンの強欲さをマクロンは苦々しく思っていた。
当初のゴーンの逮捕容疑は8年間の合計91億円もの巨額の報酬を有価証券報告書に記載せずに隠していたという金融商品取引法違反。そして、続いて、ニッサンのお金を私的に流用したという特別背任罪。こちらも50億円とか、信じられないほど巨額だ。
ゴーンが逮捕される前、2018年春ころから、ゴーンの不正についてニッサンの社内調査が始まっていて、10月にニッサン幹部と検察(特捜部)が協議を始め、やがて司法取引の合意が成立して、重要書類を検察が取得し、11月19日にゴーン逮捕に至ったという経過のようです。ニッサンの西川(さいかわ)社長はゴーン寄りと見られていたため、ゴーン逮捕の1ヶ月前に知らされました。
ゴーンが釈放されたあと、日本をプライベート・ジェット機で脱出したことが今ではルートをふくめて明らかになっていますが、そんな逃亡を助けるプロがいることも初めて知りました。
独裁者は永遠でないことを痛感しますが、その追放までの長い期間の犠牲者が受けた苦難をしのぶ必要もあると思いながら、読みすすめました。ニッサンの製造現場に働く人々、そしてニッサン車を販売し、保守点検・整備する人たちのことを考えたら、何十億円もの巨額のお金をマネーゲームにつぎ込み、その損を会社に埋めあわせさせようとするというのは許せないと思ったことでした(ゴーンさん、本当に無実なのですか…)。
400頁をこえる長編力作なので、私も勢いをつけて一日で読了しました。
(2020年5月刊。1800円+税)

サル化する世界

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 内田 樹 、 出版 文芸春秋
思想家であり武道家である著者が日本社会を鋭く切りつけています。
著者は団塊世代の最後の世代です(1950年生まれ)。東大仏文を卒業しています。フランス文学を専攻するというより、フランス語に書かれているものなら、何でも対象としていたとのこと。おおらかな時代だったようです。カミュも研究対象でした。今、コロナ・ウィルスのおかげで、カミュの『ベスト』が注目されています。私にはやはり『異邦人』です。
私は、弁護士になって以来、ずっとフランス語を勉強しています。ちっともうまく話せませんが、私には、フランス語を通して、世界へ門戸を開いておきたいという強い願望があります。それが、毎日毎朝、フランス語の書きとりにいそしむ根拠です。
安倍晋三は、日本の過去20年間の政治文化の劣化の「果実」だ。彼を見て、私たちは深く反省すべき。彼を生み出し、表舞台に押し上げたのは、私たちだ。彼を支持する人が今も4割もいる。そんな支持する人たちに「キミたちも、いろいろ辛いんだよね」と語りかけなければいけない。
彼らの言い分をきちんと聞き、自由な論議の場で、彼らの欲求を部分的にでも受け入れ、部分的にでも実現していく。そうしないと、これまでも今も安倍晋三やら維新を支持している市民たちの支持は得られない。非常に辛いことだし、うっとうしい。でも、これをやるしかない。「あんたら、頭おかしいよ」、なんて言っても何も始まらない。
アメリカ合衆国憲法は、そもそも常備軍の存在を認めていない。うひゃあ、ちっとも知りませんでした…。常備軍は、必ず為政者に従い、抵抗権をふるう市民に敵対することをアメリカ市民は経験的知っていたからだ。このように常備軍をもたないことを規定した憲法をもちながら、アメリカは世界最大の軍事力を誇っている。
フランスは、戦勝国として終戦を迎えてしまったため、敗戦を総括する義務を免除された代わりに、もっと始末におえないトラウマをかかえこんだ。
イタリアは、文化的には戦勝国であり、1945年7月に日本に宣戦布告したフランスはド・ゴールというカリスマがいたが、イタリアには、カリスマがいなかった。
 凡庸(ぼんよう)な知性においては、常識や思い込みが論理の飛躍を妨害する。例外的知者の例外的である所以(ゆえん)はその跳躍力にある。
 本当に大切なのは、「心と直感」ではなく、「心と直感にしたがう勇気」なのだ。そのとおりです。この「勇気」こそが、最後に求められるものなのです。
 成熟するとは、変化すること。3日前とは別人になること。
 いつもながらの鋭い指摘に出会うと、胸の奥深くまで短刀を突き刺されて、ハッとする気分を味わうことができます。
(2020年3月刊。1500円+税)
 ジャガイモを掘りあげたあと、今度はサツマイモを植えようと思い、いったん深く掘り起こして、コンポストに入れていた枯れ葉や生ゴミを埋めました。クワとシャベルを使っての久しぶりの力仕事なので、腰が痛くなりました。今は午後7時まで明るいので、7時にやめて風呂場に直行しました。
 庭のアスパラガスは、そろそろ終わりのようです。カンナの黄色い花が咲いて夏の訪れを実感しました。

興行師列伝

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 笹山 敬輔 、 出版 新潮新書
「仏の嘘を方便といい、軍人の嘘を戦術といい、興行師の嘘を商いという」
これは松竹の創業者(大谷竹次郎)の言葉。なるほど、そういうことなんですか…。
興行の真髄は大衆の欲望を充たすことにあるから、興行師は、そのために巨額のおカネを動かし、複雑な人脈を操る。実体のないものをかたちにするという点で、興行の世界は、裏も表も、嘘が誠で、誠が嘘の世界だ…。
興行師は過大なリスクを背負い、ときに「悪役」をも引き受けなければならない。
これはハイリスク・ローリターンなのが現実で、決して割のよい商売とは言えない。それでも興行の魔力に一度ハマってしまうと、抜け出すことができなくなる。いったい何が興行へ駆り立てるのか…。
興行師には、あくどいところもあり、強欲なところもあるが、その反面、よほどのお人好し、この商売の好きな馬鹿でなければつとまらない、可哀想なところもある。
最近は、うさんくさいイメージのともなう興行師とは言わず、プロデューサーとかマネージャーと呼ぶ。
江戸時代から明治初期にかけての芝居小屋は、暗い、汚い、臭い、だった。だが、多くの観客が、その環境の中で芝居を楽しんでいた。観客は暗い空間で芝居を見ていた。色鮮やかな衣装は、暗くても分かりやすくするためだった。
興行の世界がきれいごとですむはずがない。ヤクザから身を守るためにヤクザを使うのは興行界の常識。松竹が勢力を拡大するのに、裏の世界と無関係ということはありえなかった。
松竹の創業者である大竹は1年を通して興行を行い、損益を1ヶ月単位ではなく、通年で計算した。これは、興行を博打(ばくち)から経営にしたということ。
吉本興業の会長だった林正之助は兵庫県警によると「山口組準構成員」とされていた。そして、吉本興業の『百五年史』には、正之助と山口組三代目、田岡一雄との交流が明記されている。
ヤクザと興行の関係は吉本に限らない。松竹や東宝にも結びつきはある。しかし、吉本とヤクザの関係は距離が近すぎたと言える。
永田ラッパで有名な永田雅一(まさいち)がヤクザ出身だということを初めて知りました。
永田は京都の千本組(せんぼんぐみ)に出入りしていたヤクザだった。永田は、親分子分の仁義を守り、思想信条よりも義理人情を重んじた。それでも、いざとなれば大胆に裏切る。永田は学歴がなく、インテリでもなかった。ヤクザから権力の中枢へ駆け上がった。永田は、いざというときには義理人情よりも野心を優先させる。それくらいでなければ大人物にはなれない。
永田雅一の復帰第一作の映画である『君よ憤怒の河を渡れ』は中国で8億人がみたという大ヒット作品。中国で文化大革命が終了した直後に、中国全土で大人気だったということです。私もテレビでみましたが、ええっ、こんな映画が…、と思いました。
宝塚大劇場(4000人収容)は小林一三による。小林が東宝を発展させた。
長谷川一夫がカミソリで左頬を斬られた事件が起きたのは昭和12年(1937年)11月12日。この事件の黒幕は永田雅一だった。長谷川一夫は死ぬまで、この事件のことを語らなかった。
戦前・戦後の日本の興行界の歩みを知ることのできる面白い新書でした。
(2020年1月刊。820円+税)

神さまとぼく、山下俊彦伝

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 梅沢 正邦 、 出版 東洋経済新報社
松下電器産業といえば、子どものころテレビのコマーシャルで、「明るいナショナル、……なんでもナショナル」という軽快なソングを耳にタコができるほど聞かされ、親しみのもてる会社ナンバーワンでした。テレビだって洗濯機だって冷蔵庫だって、みんなナショナル製だといって不思議ではなく、その高い性能にすっかり安心して生活していました。
日曜日の朝、起きてくると、パンの焼けたいい香りが家中に広がって幸せな気分に浸ることができました。自動パン焼き器は我が家も購入しましたが、あれは本当にクリーンヒット製品でしたね。月に5万台も売れたとのこと。1987年ころのことです。
ところが、今やパナソニックという名前に変わって、かつての松下電器の威光(栄光)は、みるかげもありません。本当に残念です。永遠に続くかと思われた大企業の繁栄が、わずか20年ほど、ガタガタと崩れ去っていくのをこの目で見て、驚くばかりです。
そういえば、かつて三井鉱山といえば、天下の三井の中枢企業でしたが、今は存在しません。日本コークスと社名を変更し、日本製鉄が買収した、単なる弱小の一私企業でしかありません。銀行にしろ、三井銀行という名のものは今ではありません…。世の中、変わりました。
日本のエレクトロニクス産業の生産高がピークだったのは2000年で、26兆円だった。それが、2018年には半分以下の11.6兆円に転落している。ピーク時に1兆円をこえていた薄型テレビは、2018年に494億円になってしまった。ケータイ電話は2002年に1.4兆円だった生産額が17分の1の822億円にまで縮んでいる。ちなみに、韓国のサムスン電子は23兆円の売上高。
松下電器は、強大な「家電王国」だった。そして、「家電王国」から総合エレクトロニクス企業への脱皮・飛躍に失敗してしまった。
山下俊彦が松下電器の社長になったのは1977年(昭和52年)のこと。私がUターンで首都圏から福岡に戻っていた年のことです。私は28歳でした。
山下俊彦は、取締役会の序列は26人いるうち、下から2番目。工業高校を卒業して学閥もなく、松下家とは縁もゆかりもない。松下電器に入社して、いったん退社して再入社している。冷機(エアコン)事業部長から社長に抜擢されたとき、57歳。誰にとっても意外な人事だった。「山下跳び」とか「22人跳び」と呼ばれて世間の注目を集めた。
山下に決定的になかったのは、権力欲求。自己顕示欲も出世欲もなかった。
なぜ、山下俊彦が社長になれたのか、そして9年も社長を続けられたのか、また、その後、パナソニックが急速にダメな会社になっていったのか…。この本は山下俊彦社長誕生の経緯、そして在任中のこと、退陣後を追跡していて、読みごたえがありました。ゴールデンウィーク中に読んだ本のなかでもピカイチです。
要するに、いくら大きな会社であっても、昨日までの実績にあぐらをかいているだけでは、足元をすくわれてしまい、明日はないということです。
山下俊彦を見出したのは松下幸之助ではありません。でも、先の見えない危機感が面識のない、工業高校出身の事業部長を社長に大抜擢したのです。
そして、山下社長の体制でビデオは大当たりしました。1980年ころのことです。
山下俊彦は社内報に「奢(おご)り」を戒めるメッセージを社員宛に書いた。
「ほろびゆくものの最大の原因は奢り。過去の栄光におぼれ、新しいもの、あるいは困難なものに挑戦する気迫を失ったため。強さは、そのまま弱さに転化する。企業は生きている。活力のある企業は栄え、活力を失った企業は衰える。いちどの守りの姿勢になった企業は衰退の一途をたどるのみ」
山下社長退陣のあと、パナソニックは、残念ながら活力を失ってしまったようだ。
山下俊彦は努力の達人だ。その一つは、「忘れる」努力。
私も自慢じゃありませんが、「忘れる」ことにかけては、他人にひけをとりません。今となっては、認知症になって、すべてを忘れてしまうことになりはしないかと心配してしますが…。
長い弁護士生活のなかで、私もたくさん嫌な思いをさせられましたが、幸いにも読書習慣のおかげで、さっと忘れることができ、ストレスをためることがほとんどありません。この書評を書いているのも、私のストレス解消法のひとつなのです。読んだ本で感銘を受けたら、文字にして、それで安心して忘れることができます。人間にとって忘れられるというのは病気にならないためにも、大切な資質の一つだと実感しています。
山下俊彦は9年間の社長で、売り上げを3兆4241億円、営業利益1467億円とした。それぞれ2.6倍に伸ばしている。
松下幸之助は山下俊彦を直接は知らなかった。幸之助は「ツキ」が大事だと考えていた。そして、幸之助は山下にこう言った。
「キミはツイとる。ツイとるヤツを、ワシは見つけたんや」
社長になる前、事業部長の山下は定時退社を実践していた。机の上に余分な書類は一切置かない。引き出しのなかにもハンコが1個あるだけ。
部下が山下にあげる報告書は1枚が原則。指示が求められると、その場で即答する。保留するときも、自ら期限を切った。
リーダーの役割は、早い決断だ。ダメだったら、やり直せばいいだけのこと。
山下は、仕事とは主体的にするものだと考えた。自ら意欲をもち、自ら計画を立て、さまざまに工夫し、前進し、目標を達成する。それが仕事だ。
社長になった山下は午前8時少し前に出社する。午前9時までは誰も入れない。午前9時から30分刻みで予定を入れていく。それ以下はあっても、延びることは絶対ない。それで、飛び込みのアポが入ってきても、まかなってしまう。
山下の考えは、自己責任の原則のなかに人間の主体性が生かされるというもの。
山下は欲がない、ウソがない、虚飾がない、人に対して分け隔てがない。
山下は若い社員にこう問いかけた。
「みなさん、毎日が楽しいですか」
「みなさん、仕事は面白い?」
山下はノイローゼにならないため逃げ方の道具の一つとして健全な趣味をもつことが大切だと強調した。山下には読書のほか、登山はあった。そのため、早朝4時に起きてジョギングした。
山下の松下電器は、ビデオVHSが大当たりした。年間生産10万台が月間14万台となり、累計200万台となった。
日本が世界の半導体産業のなかトップを占め「天下」をとっていたのは、わずか6年間だけだった。アメリカに再逆転され、韓国・中国に追い抜かされた。
松下家を守り育てるなんていう発想があったら企業は伸びるはずもありませんよね…。と書いたとたんに、トヨタ自動車を思い出してしまいました。トヨタでは豊田家が依然として重用されているようですね。これまた信じられません。ニッサンもカルロス・ゴーン逮捕以降、パッとしませんが…。もっと会社は従業員を大切にしないといけませんよね。
この本の著者も、「あとがき」で、非正規雇用が日本で4割になっているが、本当にそれでいいのか、人間がただのコストであってよいのかと問いかけています。
もちろん、その答えは断じて「否!」です。
500頁近い大作です。コロナ禍の連休中に所内の大整理のあと必死に読み上げました。
(2020年3月刊。1800円+税)

リープ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 ハワード・ユー 、 出版  プレジデント社
優位性が揺るがないような、独自のポジショニングを追及しても、それは幻想にすぎない。どんな価値提案も、それにどれほど独自性があっても、脅かされないことはない。よいデザインや優れたアイデアも、それを企業秘密にしても、特許があっても、結局はまねされる。
こうした状況の下で、長期にわたって成功するための唯一の方法はリープ(跳躍)すること。先行企業は、それまでとは異なる知識分野に跳躍して、製品の製造やサービスの提供に関して、新たな知識を活用するか、創造しなければならない。そうした努力が行われなければ、後発企業が必ず追い付いてくる。
「模倣の国」と呼ばれたスイスでは、化学会社は自由に海外企業のまねができた。それどころか、模倣が推奨されていた。模倣は大成功し、チバは1900年にパリで開かれた万国博覧会で大賞を受賞している。
企業の経営者は、複雑で、変化する環境を相手にしている。数年前にうまくいったことが、永遠にうまくいくとは限らない。企業は、まだ時間があるうちにリープすればよい。
正しいシグナルに耳を傾けるためには、忍耐力と規律が必要だ。チャンスをつかむためには、必ずしも最初に動くのではなく、最初に正しく理解することが求められる。そのためには、勇気と決断力が必要だ。リープを成功させることとは、一見すると矛盾するこの二つの能力をマスターすることである。この待つための鍛錬と、飛び込むための決断力をバランスよく組み合わせることができれば、その見返りは大きい。
自らが置かれた状況を理解しようと頭を悩ませ続けられる能力こそが、知的なマシンの時代に人間がもち得る最大の強みだ。
大規模で複雑な企業の生活を脅かす最大のリスクは、内部の政治的な争いと、誰も率先して行動を起こさないこと。
企業の寿命は、1920年代には67年だった。今日ではわずか15年だ。アメリカの大企業のCEOの平均在籍期間も、この30年のあいだに短縮している。
いま、私たちは変化が加速している世界に生きている。
そうなんですよね…。でも、昨日と同じ今日があり、明日があると、ついつい思ってしまうのです。その点も大いに反省させられるビジネス書です。
(2019年12月刊。2200円+税)

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