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カテゴリー: 社会

10年先の憲法へ

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 太田 啓子 、 出版 太郎次郎社エディダス
 申し訳ありませんが、私はテレビを見ませんので、NHKの朝ドラ『虎に翼』も『あんぱん』も見ていません。ところが、弁護士である著者は子育てしながらも朝と昼、2回も見ていたそうです。そして、「とても幸福な朝ドラ体験だった」といいます。
 朝ドラが終了した翌日、主人公のモデル・三淵嘉子夫妻が過ごしていた小田原市にある別荘・甘柑(かんかん)荘保存会から声がかかって、「憲法カフェ」の講師として話したのでした。この本は、その時の講演をベースにしていますので、とても分かりやすいものになっています。
 この本の後半に「ホモソーシャル」という私の知らない用語が登場します。女性を排除した男性どうしの絆(きずな)を指します。女性は、あくまで男性同士の関係性を構築するための「ネタ」であって、その関係性からは排除されてしまっている。そもそもホモソーシャルとは女性軽視(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)をベースにした男性同士の強固な結びつき、および男たちによる社会の占有をいう。つまり、女性を自分たちと同じように社会を担う一員とは考えず、また同じように物事を考え、同じようにさまざまなことを感じながら生きている存在だとは見ない。ふむふむ、そう言われたら、自分のことを棚上げして言うと、そんな男集団ってありますよね…。
男らしさの三つの要素は、優越志向、権力志向、所有志向。
 一種の権力志向に「嫌知らず」があるそうです。「嫌知らず」というのは、女性や子どもが「それは嫌だ」「やめてほしい」と言っているのに、それが伝わらず、同じことを繰り返す男性の行動を指す。
 『虎に翼』に登場した「優三」について、著者はケア力の高い男性だとみています。他の人のニーズを汲(く)み、理解して、自分ができることで、それに応えようとする、そんな行動をナチュラルに出来る人。
寅子のモデルの三淵嘉子は、家庭裁判所で少年事件を担当するとき、「もっと聞かせて」と少年によく言っていたそうです。長く弁護士をしている私は、この言葉を聞いて、ガーンと頭を一つ殴られてしまった気がしました。
 というのも、弁護士として、いかに書面を書いて、主張を展開し、まとめることばかり気をとられ、目の前の依頼者や相談者に対して、「もっと聞かせて」なんて頼むことはほとんどありません。目の前の裁判官が「もっと聞かせて」と言いながら身を乗りてきたとき、少なくない少年たちが心を開いて、自分のみに起きたことを話し始めるのではないでしょうか…。
 出涸(でが)らし、という言葉も出てきます。弁護士生活50年以上、パソコンを扱えず、判例献策をインターネット上ですることもできない(なので、すぐ身近な若手弁護士に頼みます)私なんど、この出涸らしの典型でしょう。でも、出涸らしには出涸らしによる良さもあると確信しています。
 「おかしい、と声を上げた人の声は決して消えない。その声が、いつか誰かの力になる日が、きっと来る。私の声だって、みんなの声だって、決して消えない」
 いやあ、いいセリフですよね。今日の少数意見が明日は多数意見になることを信じて歩いていくのです。
この本のタイトルって、どんな意味なのかな…と思っていると、最後にネタ明かしがありました。『虎に翼』の主題歌の歌詞に「100年先も」というフレーズがあるのですね。
 三淵嘉子は日本で初めて司法試験(高等文官司法科試験)に合格した3人の女性のうちの1人です。私の父は、その3年前に同じく司法科試験を受験しましたが、残念ながら不合格。1回であきらめて郷里に戻りました。法政大学出身で、「大学は出たけれど…」という映画がつくられるほど、当時の日本は不景気でした。父は合格したら検察官になるつもりだったと言いました。ええっ。と私は驚きました。
 でも、当時は、治安維持法違反で特高警察に捕まった被告人を法廷で弁護したら、それ自体が目的遂行罪なる、訳の分からない罪名で弁護士までも逮捕されて刑務所に追いやられていました。そのうえ、「赤化判事」として、現職の裁判官が自主的に勉強会をしたとか、共産党にカンパしたくらいで逮捕されたのです。このあたりの詳しい状況を知りたい人は、ぜひ、『まだ見たきものあり』(花伝社、1650円)を読んでください。
 憲法13条は、「すべて国民は個人として尊重される」と定めています。そして、憲法12条は、国は不断の努力によって、自由と権利を保持しなければならないとしています。このとき、国民とは、日本に住む外国人も当然に含まれます。健康で文化的な生活を営む権利は、日本に住むすべての人のもっとも基本的な権利なのです。いい本でした。
(2025年4月刊。1540円)
 日曜日、少し厚さもやわらいだ夕方から庭に出ました。熱中症にならないよう、日陰での作業から始めます。ひんぱんに小休止して水分を補給しました。
 今、庭一面に黄色い花(名前が分かりません)が咲き誇っています。3月ころ、白い花を咲かせていました。
 ブルーベリーが色づいていましたので、指でもぎりました。小さなカップ一杯とれたので、夕食のデザートにします。
 目が覚めるような真紅の朝顔が咲いています。夏に朝顔は欠かせません。
 外国人排斥を叫び、明治憲法に戻れという参政党が支持を伸ばしているといいます。信じられません。まるで戦前の亡霊です。
 若い人や女性が支持しているというのですが、ヘイトスピーチは、いずれ自分にはね返ってきます。ぜひ考え直してほしいです。みんな同じ人間なんですから…。

砂の器・映画の魔性

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 樋口 尚文 、 出版 筑摩書房
 映画大好き人間(フランス語ではシネフィルと言います)の私にとって、日本映画の最高傑作は『七人の侍』であり、それに次ぐのが、この『砂の器』ではないかと考えています。もちろん、他にも『二十四の瞳』だとか、『生きる』というのもありますが…。
 この本は『砂の器』に関してあらゆる角度から総括したものと思えます。すごいです。製作現場の裏話まで、当時のノートまで掘り起こして裏づけています。
著者の主張が最後に要約されていますので、それを紹介します。
 松本清張の作品のなかでは問題も多い長大な原作を脚本家にして製作者でもある橋本忍が大胆な「奇想」でまるで別物に改変し、それゆえの無理の多いところを野村芳太郎監督の「緻密」が細心にカバーしたところに生まれた、非常に奇異なるベンチャー映画である。
 作り手の稀有な「奇想」と「緻密」の掛け算が生んだメロドラマ性は、そこに傾けられた熱気の迫力もあいまって、日本人独特の心性に強く訴えかける特異な映画に仕上がった。
 中国の映画監督との対談もあり、中国の映画監督に対して『砂の器』は大きな影響を与えたし、中国でも大好評だったようですが、『七人の侍』ほど国際的には評価されていないようだと知ると、少しばかり残念に思いました。
 この本には、『砂の器』で子役(「秀夫」役)だった人(春日和秀氏)が登場します。子役を15歳でやめたあと、自動車関連の仕事をしていて、自分が『砂の器』で子役をしたことを妻子にも言っていなかったというのです。
 『砂の器』に出演したのは小学1年から2年生までのことで、この1年間はほとんど学校にも行っていないとのこと(今では考えられません)。
 セリフはないけれど、目力(めぢから)がすごいという評判をとっています。そして、額にひどい傷ができるような転がり方をロケ地で実際にさせられたそうです。加藤剛は、その傷を隠そうとしています。そして青森の竜飛(たっぴ)崎でのロケのときは厳寒のなかで加藤喜に抱かれて携帯カイロのようにされていたというのです。
 この『砂の器』は、松竹の城戸四郎社長が製作に反対して13年間も「お蔵入り」をして、「橋本プロ」の企画して、ようやく陽の目を見ることができたのでした。
 映画が完成して上映されたのは1974(昭和49)年10月のこと。私はこの年4月に弁護士になっていますので、恐らく川崎か東京の映画館で見たように思います。大評判になりました。泣かずにはおれない映画です。しかも号泣です。老若男女の幅広い客層で、映画後半には場内のそこかしこで観客の嗚咽(おえつ)が聞こえ、終映後のロビーには満足と称賛の声があふれていた。この年の映画配給収入の第3位となる7億円を売り上げた。
この映画の肝(きも)のひとつが出雲にある亀嵩(かめだか)地方が東北のズーズー弁と同じということです。その意味で亀嵩駅が登場するわけですが、実は本当の亀嵩駅は全然使われておらず、近隣の液の風景をパッチワークのように描き出したとのこと。すごいですね、さすが映画です。
女優の島田陽子は清純派として有名だったわけです(当時21歳)が。加藤剛とのベッドシーンでは、「気持ちをちゃんと作ってください」と監督から指示されたとのこと。大変なプレッシャーです。そして、ヌードになるとき、監督に申し入れたとのこと。「私があまりに胸がないので、お見せするのに忍びないと思って…」。すると、野村監督は、「こんなに幸薄い女性の胸が大きかったらおかしいでしょう」と言い返したとのこと。いやはや、なるほど、そうかもしれません。
 ぜひまた、『砂の器』を観てみたくなりました。
(2025年6月刊。2750円)

エヌビディアの流儀

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 テイ・キム 、 出版 ダイヤモンド社
 TSMCにしろ、このエヌビディアにしろ、台湾系アメリカ人が興(おこ)した企業なのですね。日頃、IT関係に疎(うと)い私でも、エヌビディアという世界的超大企業の存在は知っていましたので、その内情を少しばかりのぞいてみたくて読んでみました。
 エヌビディアは、大きくなるにつれ、生き残るためには未来になるべく多くの保険をかけることが肝要だと考えた。エヌビディアが競合他社と一線を画すのは、長期的な実験や投資に前向きであり、その自由な活動を収益化に結びつける能力が高いこと。
 目先の利益だけを追い求めるのではなく、ちょっと先まで考え、今はムダに思えることでもやってみるという姿勢が肝要なんですよね。最近の日本企業に欠けている視点のように思います。いかにも視野の狭い企業人が大学の研究にまで口を出して、今すぐもうかるものにばかり目を向けさせようとするのです。それでは先が伸びません。
 ChatGPTは、公開してわずか2ヶ月で月間アクティブユーザーが1億人を突破した。これは史上もっとも急成長した消費者向けアプリ。
 2023年に生成AIの需要が爆発的に伸びたとき、生成AIを完全にサポートする準備が整っていたハードウェア・メーカーはエヌビディアだけだった。
 エヌビディアには社員を引き留める柔軟な報酬制度がある。社員は入社時に証券口座を受けとり、入社1年目の終わりに初回の株式報酬の4分の1を受けとる。4年たって株式を満額行使できるようになってすぐ退社するのを防ぐため、エヌビディアは、毎年、追加で株式を付与している。これによって、社員が会社に残る理由はますます増えていく。
 そして、特別な評価に値すると認めた社員に対しては、年次の勤務評定を待たず、いつでも社員に直接様式を付与する。このような、エヌビディアの実力主義的で柔軟で機敏な報酬制度は、きわめて低い離職率に一役買っている。エヌビディアの離職率3%未満は、業界平均の13%を大きく下回っている。
 エヌビディアは弱肉強食の競争文化が生まれるのを積極的に防いでいる。
 「ひとりで負ける者はいない」というのが哲学。困ったら、積極的に応援を求めることが奨励されている。ふむふむ、これはいいことですよね。
 エヌビディアは大学を支援するだけでなく、学生たちも支援している。いちばん大事なのは、改善しようとする姿勢。
 エヌビディアの会議は、ホワイトボードを活用する。全員がまっさらなホワイトボードから始め、過去を忘れて現在、重要なことだけに集中する。ホワイトボードを使うときは、厳密さと透明性の両方が自然に求められる。ホワイトボードの前に立つたび、一から始めなければならないので、自分の考えをなるべく詳しく明快に説明する必要がある。
 存在感を保ち続けるためには、投資するしかない。投資を止めたとたん、淘汰されてしまう。成功にとって大事なのは忍耐力。人格は、挫折が逆境を乗り越えてこそ磨かれる。
 エヌビディアという会社の名前は、開発中のNVIチップに敬意を表したもの。
 少しだけエヌビディアというIT超大企業の内幕を知ることができました。
(2025年2月刊。2400円+税)

ウンコノミクス

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山口 亮子 、 出版 インターナショナル新書
 人間が排出するウンコの国際比較。1日にアメリカ人は150グラム、イギリス人は100グラム。日本人は200グラムで、中国人は210グラム、インド人は300グラム。ケニア人はなんと520グラム。ところが戦前の日本人は400グラムだったので、半減している。
 日本人は85歳まで生きると、生涯に6.2トンの排出することになる。アフリカ象1頭分だ。そして、日本人は1億2400万人いるので、毎日2万5千トンを排出している。
 100万都市だった江戸では人糞尿は取引されていて、年間2万両になった。今の8~12億円。
 リンは重要な肥料。日本は中国から輸入している。
 ウンコは、肥料の3要素(リン酸、カリウム、窒素)のうち、窒素とリン酸を豊富に含んでいる。日本はリン酸アンモニウム(リン安(あん))の90%を中国から輸入している。
 リン鉱石は特定の地域に偏在している。中国とモロッコ、エジプトの3ヶ国で8割を占める。
 リンは工業用にも使われる。電気自動車のバッテリーにはリン酸鉄リチウムイオン電池が使われる。
 汚水処理場で発生した最終的な汚泥は、全量焼却している。
 著者はウンコ由来の肥料を生産し、活用することを提唱しています。たしかに、全量焼却するよりは、よほど健全かつ合理的でしょう。
 すでに下水汚泥はヨーロッパでは活用されているのです。フランスでは、畑にも牧草地にも、下水汚泥を散布するなどして、8割も農業に利用しているそうです。日本も考える必要があります。「台湾有事」とか言って、中国を敵視していますが、日本は中国に、リンとリン酸についてはすっかり依存しているのです。戦争なんて出来ませんよ。してはいけません。
 ウンコを核にした資源の循環が提起されています。画期的な提案です。この提案がホンモノになることを心より祈念します。
(2025年4月刊。950円+税)

米原昶の革命

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 松永 智子 、 出版 創元社
 米原昶(よねはら・いたる)という共産党の代議士がいました。今ではすっかり忘れられていますが、その娘の米原万里(よねはら・まり)のほうは、かなり知られているのではないでしょうか。私の書棚にも、5冊以上並んでいます。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はひどく胸の打たれる本でした。
 さて、父親です。東京選出の共産党の代議士として、私がまだ東京にいたころ活動していました。この本によると、1973年9月の衆議院本会議で、田中角栄首相に対してKCIAと国際勝共連合(文鮮明の統一協会の別働隊)を追求したというのです。この質疑を安倍晋三が銃撃されて死亡したあと、2023年8月16日に「ポリタスTV」で紹介されたところ、たちまち「時の人」になったということfです。
 姉の米原万里と同じく妹の米原ユリ(料理研究家)もそれなりに有名です。というのは、作家の井上ひさしと結婚したからです。万里もユリも、「父(いたる)が大好きで大好きで」というのでした。これは、たいしたものですね…。
 米原いたるは、鳥取の名家の生まれ。生家は国の有形文化財に登録されている。米原いたるは、鳥取中学校から東京で一高に入学し、除籍されている。
 鳥取といえば、今の石破茂首相の地盤ですが、米原いたるは、1949年には鳥取でトップ当選しています。鳥取の名家出身のなせるわざですね。東京2区からも3回当選しています。中選挙区制だったからです。今の小選挙区制は民意をきちんと反映していません。
 米原いたるは一高時代は柔道部に入って熱心に練習していたようです。ところが社研に入って活動するようになり、ついには、地下で党活動を始めたのでした。1928年ころのことです。私の父(茂)も、このころ東京で逓信省につとめて働いていました(『まだ見たきものあり』)。
 3.15事件は小林多喜二が小説にしていますが、特高が政府に反抗的な人々に対して凄惨な拷問を加えていたのでした。1929年10月、米原いたるは一高より除籍処分を受けた。その理由は「不穏の言動」というものです。信じられない理由です。
 1930年7月から1945年8月まで、米原いたるは15年間という地下生活に入ったのでした。21歳から36歳までのことです。北海道、東京、群馬、福島で偽名を使って生活していました。この間、いたるの父・米原章三は貴族院議員になっています。この15年間、造船所や鉄工所で肉体労働をし、また、雑誌の編集、返信教育に関わっていたようです。
 米原いたるは1959年から社会主義国のチェコ(プラハ)に駐在するようになります。「平和と社会主義の諸問題」という雑誌の編集部員として、ヨーロッパ諸国への情報収集を任務としました。本名ではなく大山二郎(アヤーマ)と名乗っての活動です。中ソ論争が激しくなる中で、妻が日本に帰国してから、娘2人とプラハで3人暮らしをしていました。このころの娘たちの生活の大変さは万里の本のなかによく描かれています。
 やがて、日本共産党はソ連との関係が悪化し、1964年11月に日本に帰国しました。そして、1969年12月の総選挙で当選して国会議員として活動しはじめました。
 米原いたるは1982年5月、73歳で亡くなった。難病のALSだった。
 米原いたるは家で息子の矜持(きょうじ)からか、名家(資産家)の祖父の遺産は一銭も使われなかったという。米原いたるは、島軽西高の応援歌「祝勝の歌」を作詞した。今に至るまで、100年間、うたわれている。ちなみに、この本の著者は久留米の明善高校出身とのこと。米原いたるの曾祖父・米原章三は、「世のため人のために奉仕せよ。孫の代まで見すえた仕事をせよ」と説いたという。それを米原いたるは見事に貫き、実践した。最後に米良いたるの年譜があるのを見て、私の父と同年(1909年、明治42年)の生まれだと知りました。
 道理で、東京の一高生のころに時代背景が重なるわけです。
 それにしても米原万里が早く亡くなったのは惜しまれます。父の地下生活の15年間を追跡していたそうですから…。
(2025年2月刊。2970円)

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