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カテゴリー: 社会

南風に乗る

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 柳 広司 、 出版 小学館
 沖縄の戦後の歩みが生き生きと紹介されている本です。アメリカ軍の支配下にあった沖縄で、沖縄の人々は本当に泣かされていました。少女を強姦しても、人々を殺してもアメリカ兵はまともな裁判にかけられることもなく、アメリカ本土に逃げてそれっきり…。日本に裁判権がないのは、昔も今も実質的に変わりません。そして、目先のお金につられ、また脅されて、アメリカの言いなりの人々が少なくないのも現実です。
 今、沖縄の島々に、自衛隊がミサイル基地を設置し、弾薬庫を増設し、司令部は地下へ潜り込もうとしています。島民はいざとなったら、九州へ逃げろというのですが、いったいどうやって九州へ行くのですか。また、九州のどこに行ったらいいというのでしょうか。
 軍隊は国民を守るものではない。軍隊は軍隊しか守らない。むしろ、軍隊にとって国民は邪魔な存在でしかない。沖縄戦のとき、先に洞窟にたどり着いていた人を遅れてやってきた軍隊が戦火の中へ追い出した。
 ところで、この本のタイトルは何と読んだらいいのでしょうか…。「まぜ」と読むそうです。文字どおり南からの風のこと。マは「良」ですから、「良い風」でもあります。
 この本に登場してくる主要な人物は3人。まず、ビンボー詩人の山之口獏(ばく)。沖縄出身の天才詩人で、日本語で書いた詩がフランスで賞をとったそうです。2人目は瀬長亀次郎。戦前、川崎市で働いているうちに治安維持法違反で逮捕され、懲役3年となり服役。終戦時は沖縄にいて、避難しているうちにひどい栄養失調になって入院した。
 戦後の沖縄はアメリカ軍政下にあり、アメリカ軍の少佐はこう言った。「アメリカ軍はネコで沖縄はネズミ。ネコが許す範囲でしか、ネズミは遊ぶことができない」
 これって、今の日本でも本質的に同じですよね…。オスプレイを押しつけられ、佐賀空港の隣に基地ができるなんて、たまりません。
カメジローは、1952年3月の立法院議員に立候補し、那覇区でトップ当選。そして、琉球政府創立式典のとき、カメジローは、ただ1人、起立せず、さらにアメリカ軍民政府への協力宣誓を拒否した。
 いやあ偉いです。勇気があります。君が代斉唱の拒否どころではありません。
カメジローは、演説中は一切メモを見ない。終始、聴衆に自分の言葉で話しかける。独特のユーモアと明るさ、庶民性を兼ねそなえている。カメジローの演説は聴き手にとって、胸のすく思いのする、またとない娯楽だった。
「海の向うから来て、沖縄の土を、水を、そして沖縄の土地を勝手に奪っているアメリカは、泥棒だ。泥棒はアメリカにはいらない。アメリカは沖縄から出ていけ」
 アメリカ軍政下の沖縄です。ユニーク、かつ大胆なカメジローの演説は聴衆のどぎもを抜いた。
沖縄では、アメリカ兵がどんな重大犯罪を犯しても、日本の法廷で裁かれることはなく、非公開の軍事法廷で裁かれ、判決結果は公表されず、被害者へ知らされることもない。殺され損の泣き寝入り。これは本質的には今も変わらない。アメリカ軍に代わって日本政府がなぜか肩代わり補償するようで、まるで植民地システム。
1954年10月、カメジローは逮捕された。容疑は犯人隠匿(いんとく)幇助(ほうじょ)。不法滞在の人間を匿ったという罪。沖縄人民党員の活動をアメリカ軍が嫌ったというのが、実質的な逮捕理由。有罪となり、直ちに刑務所へ収監。控訴・上告のない一審制。
刑務所から出獄して8ヶ月後、カメジローは那覇市長に当選。アメリカ軍は、カメジロー市長の那覇市にはお金を支給しないと宣言。すると、那覇市民は、自らすすんで納税にやってきた。500メートルもの市民の行列ができ、納税率はなんと97%。銀行が税金の預りを拒否したため、大型金庫を買って、職員が交代で番をした。日本全国から5千通をこえる応援の手紙が届いた。いやあ、泣けてきますよね。アメリカ軍の言いなりにならない、我らがカメジロー市長を応援しようと心ある市民が立ち上がったのです。
そして、ついに市長不信任が可決。するとカメジロー市長は議会を解散して選挙へ。その結果は、カメジロー派の議員が6人から12人に倍増。反カメジロー派は7議席も減らした。
そこでアメリカ軍政府は、カメジロー市長を追放し、被選挙権まで奪った。このときの市長追放抗議市民集会には10万人をこえる市民が集まった。この集会でカメジローは勝利を宣言した。
「セナガは勝ちました。アメリカが負けたのです」
市民が投票で選んだ市長を、アメリカの任命した高等弁務官の意にそわないからといって追放するだなんて、「民主主義の国、アメリカ」が泣きますよね…。でもこれがアメリカという国の、今も変わらない本質だと私は思います。
カメジローの不屈な戦いは、岸田政権のJアラートを頻発し、「北朝鮮は怖いぞ、怖いぞ」と思わせて大軍拡路線に突っ走っている現代日本で、待って待って、と声を上げ、平和を守ってともに闘いましょうという勇気をわき立たせてくれました。思わず元気の湧いてくる本です。ぜひ、あなたにご一読をおすすめします。
(2023年3月刊。1800円+税)

ある男

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 平野 啓一郎 、 出版 文春文庫
 著者の社会批判は、いつも的確で、小気味良さを感じながら共感することがほとんどです。
 映画はみていませんので、どんな話なのか、まったく知らないで東京出張の途中で読みはじめました。いやあ、ぐいぐい引っぱられてしまいました。読ませます。
 弁護士活動の体験談のような体裁の本でもあります。これは、著者が京都大学法学部出身なので、身近に弁護士が多数いることから来るのかもしれません。
 ともかく、弁護士である私が読んで、まったく違和感がありませんでした。
 これから、少しネタバレになることをお許しください。私は弁護士として、たくみに噓をつく人には少なからず接触してきましたが、戸籍の交換というのは私の見聞したなかにはありませんでした。外国籍の人が日本の国籍を得るために「偽装」結婚したというケースは関与したことがありますが…。
 誰かになりすますというのは、たとえ戸籍を交換できたとしても容易なことではないはずです。それぞれの生活背景を語り尽くせるはずがないからです。
 また、統一協会やエホバなどの信者2世の悲惨な状況が話題になっていますが、殺人犯などの加害者2世の問題も深刻だと、私も思います。だから、戸籍をとりかえてまで、他人になりすましたいという気持ちは、それなりに理解できます。
 父親が殺人犯だとして、その父親とそっくり、よく似ていると言われたとき、それは、この世にいてはいけない存在だと言われたも同然のこと…。いやあ、きっとそう思いつめるんだろうな、そう思いました。でも、よく考えてみたら、父と子って、子が大人になったら、全然、別の存在なんですよね。
 私は、大学でセツルメントというサークルに入って、親を敵視しているという学生に出会って、それこそ腰が抜けるほど驚いてしまいました。私自身は、親のおかげで大学に入れたのに、親を小馬鹿にしていた自分の愚かさに気がついて、ガク然としました。このことを今もはっきり覚えています。
 いい本にめぐりあえたという思いで一杯になった本でした。
(2021年9月刊。820円+税)

「父・坂井孟一郎」

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 嶋 賢治 、 自費出版
 今は長崎市の一部になってしまった香焼(こうやぎ)町で、「憲法町長」というネーミングをもつ革新町長を永くつとめた人の息子(娘の夫)が紹介した冊子があるというのを知り、取り寄せて読みました。
 坂井孟(たけ)一郎は、明治43(1910)年6月生まれで、戦前、治安維持法違反で検挙された。日本大学予科をストライキ指導で退学させられ、満州に渡った。このとき、香焼村の村長をしていた父親が政治力を発揮して起訴留得にしたうえで満州で逃がした。
満州では4人の子(全員が男の子)を日本敗戦の前後に次々に亡くした。そして、日本に引き揚げたあと、36歳のとき(1947年4月)香焼村長に当選した。
村長として、戦後の農地解放の波に乗って、川南造船所から進航軍(マッカーサー)の指示より4倍もの土地を農民のものとした。
 ところが、昭和天皇の長崎行事に階し、村長として県下ただ一人お迎えに行かなかったことからリコール運動が起きた。そのとき、父のすすめもあって、小学校建設とひきかえに村長を辞任した。
昭和30年、香焼村の財政が破綻したことから村民に呼び戻されて村長に立候補して当選。川南造船所が破産間近と知って、財産差押を断行して村財政の再建に貢献する。水道施設を村有として上水道を創設し、中学校の校舎を建設した。
その後も、香焼町長として活躍。町村で初めての下水道100%計画、図書館、ごみの毎日収集などを実現。昭和62(1987)年4月末に町長を退任するまで革新自治体の長として活躍した。
1985(昭和60)年の町長の施政方針演説の一部を紹介する。
 「核兵器の保有において世界の第一、第二という保有国の一方とだけ同盟を結んで対処していこうとするのが今の日本政府の方針。アメリカという国は、核兵器の廃絶、使用禁止とかに国連で賛成したことはない。
 日本が核保有国の一方と同盟を結ぶというのは日本民族の将来の厄災につながりかねない。そういう危険な方向は廃すべきだ」
 これが田舎の町議会での町長の演説だなんて、信じられませんよね。今の岸田首相にしっかり聞かせたいものです。野党多数の町議会だったので、坂井孟一郎の生涯はケンカの一生だった。それでも本人は「どうもケンカを途中でやめられないタチらしくて…」とウソぶいて、貫き通したのです。偉いものです。
 通算10期35年ものあいだ、村長そして町長として「憲法をくらしの中にいかそう」という大看板を町役場にかかげていたのです。涙が出るほど元気の出る、うれしい話です。
 わずか70頁の冊子ですが、こんな首長の登場を今ふたたび待望したいものだと思い、勇気づけられました。この冊子を刊行された(株)嶋会計センターに感謝します。
(2022年9月刊。非売品)

平和憲法で戦争をさせない

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 寺井 一弘 ・ 伊藤 真 、 出版 自費出版
 昨年(2022)年2月にロシアがウクライナに侵攻して始まった戦争は、いつになったら終わるのか、不安な日々が続いています。
 そんな人々の不安につけこんで、自民・公明の政権は相変わらずアメリカの言いなりに高額な兵器を買わされ続け、日本もアメリカに続けとばかりに戦争する国になりつつあります。怖いのは、少なくない日本人がそれに慣らされ、モノ言わぬ人々になってしまっていることです。それが裁判所(裁判官)の意識も包み込み、出る杭は打たれるとばかりに、政権の言いなりに判決を書き続けています。司法が行政の歯止めの役割を果たそうとしていません。
 「そんなこと、オレたちばかりに押しつけるなよ…」という、弱々しい告白がもれ聞こえてきます。でも、あきらめずに、安保法制法は憲法違反だという裁判を意気高くすすめているグループがいます。私も、そのグループに加わり、微力を尽くしています。
 この70頁ほどの小冊子は、そんな安保法制違憲訴訟を引っぱっている二人のリーダーによるものです。さすがは憲法伝導士を自称するだけあって、格調高い内容です。
 まずもって驚かされるのは、戦前の明治憲法をつくった伊藤博文が立憲主義の本質を理解していたということです。君主の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法の目的だと、伊藤博文が言っているのです。自民党の政治家にぜひ読んでほしいところですよね…。
 ただ、残念なことに、「個人の尊重」は理解していなかったようです。だって、女性の参政権は認めていない時代ですから、当然の限界なのでしょう…。
 明治憲法は天皇が強かったわけですが、実のところは、天皇を通じて国民を自由に操(あやつ)る実質的な権力者が天皇の裏にうごめいていたのです。
 明治憲法では、親権天皇、軍隊、宗教が三位一体の構造をなしていた。これに対して、戦後の日本国憲法は、象徴天皇制、9条による戦争放棄、政教分離を規定した。
 今の日本国憲法を「押しつけ憲法」というのは事実にも反しますが、このコトバは1954年の自由党の憲法調査会で初め登場したもの。
日本国憲法は、国連憲章ができたあと、それも人類がヒロシマ・ナガサキで原爆(核兵器)を使ったあとに制定されたもの。このことを忘れてはいけない。
 日本は、今日までの戦後77年間、戦争することなく、少なくともこれまでは無用な軍備拡張競争に乗ることなく、ただ一人として国民・市民が戦争で死なず、そして自衛官が戦死することもなく今日があるのです。
抑止力の本質は、戦争する意思と能力があることを相手に示して威嚇すること。
 日本が敵基地攻撃能力を持ち、「やられる前にやれ」といって攻撃したら、「敵国」は必ず反撃してくる。ミサイル攻撃の応酬になってしまう。どちらも共倒れ、廃墟になってしまうまで続くことになりかねない。
 戦争が始まったら、なかなか終息しない。なので、戦争にならないようにするしかない。そのためには、私たちはもっともっと声を大きく強く平和を求めて叫ぶべきなのです。
(2023年5月刊。カンパ)

武蔵野、狭山丘陵

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 高橋 美保 、 出版 現代写真研究所出版局
 蔦(ツタ)が締め付け、蜘蛛(クモ)が舞う。クヌギが朽ち、湧水が浸みる。これはオビにあるフレーズです。写真で、その情景が見事に切り取られています。
 狭山丘陵は武蔵野台地の西北にあって、古多摩川の削り残した残丘。周囲は約30キロ、高さは最高で200メートルほど、平均海抜100メートルの台地。長年の風雨に浸食され、細かい山襞(やまひだ)や斜面から滲(にじ)み出る雨水と湧水によって、谷戸が点在し、複雑な地形になっている。内部には、人工的につくられた二つの湖があり、水源涵養林として、周囲に深い緑を残している。
 太古は原生林だったが、徐々に人間が伐採して、コナラ、クヌギ、クリなどの人工林として育ってきた。湿地にはカエルの卵塊があり、またヘビ(ヒバカリ)も生息している。
 コナラの大木をカズラが巻きついている。クモは見事にラケットの形をした巣をかけている。
 カモもアオサギも湿地あたりでエサを探している。
 狭山丘陵の荒廃の原因は、台風が強力になり、夏冬の変動の振れ幅が増大しているように、気候変動の影響が過酷になっていることにある。
 コロナ禍によって狭山丘陵に立ち入る人が減ったため、荒廃がすすむ一方で、動植物が人目に触れないところで自由を満喫して競争している。
 湿地のカエルが増え、ササ林のクモも一時、急増したが、最近はまったく見かけなくなった。このように増減は不安だ。
 集中豪雨や強風で倒木が増えると、雑木林がまばらになる。一時的に地衣類が増えたとしても、日照が良くなると、湿地が乾燥して草原部分が増加する。
 そんな狭山丘陵という自然の移り変わりが見事な画像として切り取られている写真集です。目の保養にもなりました。
(2023年2月刊。2700円+税)

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