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カテゴリー: 社会

からだのままに

カテゴリー:社会

著者:南木佳士、出版社:文藝春秋
 著者はパニック障害を17年前に発病(38歳のとき)、やがてうつ病に移行した内科医です。
 自分の判断で人の命が左右されてしまう日常はあまりに重すぎる。
 元気だったころ、小説を書き上げたあとで、寝しなに前から読みたかった本を開くのは至福のときだった。掛け布団から出た顔の上に本の世界が広がり、言葉の海を泳いでいくと、思いがけず遠くまで行けそうな気分になり、その場所はゆめの世界に引き継がれたりした。そういう平凡な幸せの時間は、失ってみて初めてその貴重さに気づかされる。
 私にとっては日曜日の昼下がり、昼食のあとのコーヒータイムで本を読みふけるのが至福のときですね。だから、なるべく明るくて見晴らしのいいお店に入りたいのです。ところが、一人で入れるゆっくりできる喫茶店を見つけるのに苦労します。
 他者の死に立ち会う回数が増えてくるにつれて、人が死ぬ、というあまりにも冷徹な事実の重さに押しつぶされてしまいそうで、このつらい想いを身のうちに抱えては生きてゆけないと明確に意識し、自己開示の手段として小説を選んだ。
 実は、私も高校一年生の終わりまで医学部志望でした。高校三年生まで、ずっと理系クラスにいたのです。でも、二年生に上がる前の春休みに自己診断したのです。数学がちっともひらめかないじゃないか。これじゃあダメだ。それで見切りをつけて文系、そして法学部へ転身したのです。いま、医者にならずに本当に良かったと思います。毎日毎日、人の死に直面して過ごすなんて、耐えられません。私の知っている医師は、だから自宅に帰ると、テレビの馬鹿馬鹿しいお笑い番組を見て腹の底から笑っている。そうやって精神のバランスをとるんだ、そう語っていました。なるほど、ですね。テレビを見ない私は、下らないテレビを見ないでも精神のバランスを保持できているというわけです。それだけでも弁護士という職業につけて良かったと考えています。
 著者のペンネームである南木の由来が次のように紹介されています。
 祖母のような地に足の着いた暮らしを営む人たちの生き様を描く作家になりたかったから、ペンネームを南木とした。南木山とは、嬬恋村の浅間山麓一帯をさす地元の人たちの呼び名だ。
 著者の執筆は休日の早朝のみ。まだ暗いうちにいそいそと起きだす。レンジで、牛乳を温め、それを飲みながら「勉強部屋」のパソコンに向かう。書かれた言葉が次の世界の入り口となり、そこに見えてくるものを記述すると、また異なった視点に立てる。こういう非日常の感覚がおもしろくて小説を書き続けてきた。
 なるほど、非日常の感覚が面白いというわけなんですね。私は、まだその境地には達していません。
 書いた死亡診断書が300枚をこえたあたりから、見送る者であった自分の背に死の気配がべったりと貼りつき、他者に起こることは必ずおまえにも起こるのだ、と脅迫してきた。すると、存在していることがたまらなく不安になり、明日を楽観できなくなった。
 小説を書き始めたのは、医師になって2年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を濃縮する剣呑な作業でもあったのだ。
 医者になりたてのころ、死は完璧に他者のものであり、こちらはたまたま臨終の場面に立ち会わねばらなぬ職業についたまでで、やがては慣れるだろうとたかをくくっていた。中年にさしかかると、日々慣れたはずの死が、じつは自分の背後にそっと迫っているのを知り、慄然とした。他者に起こることは、すべてわたしにもおこりえるのだと肌身にしみた。本当の大人になるとは、こういう大事を知ってしまうことなのだろうから、わたしは厄年のあたりでようやく成人したことになる。それからは、自分が存在することそのものが不安で、夜も眠れなくなり、結果として病棟の担当を降りねばならないほど心身を病んだ。
 医師としての本質的な苦労・悩みが惻々と伝わってきます。
 著者の本が映画化された「阿弥陀堂だより」は本当にいい映画でした。機会があればぜひまた見たいと思います。四季折々の風景の移り変わりは、思わず息を呑むほど素晴らしく、生きてて良かったと大画に引きずりこまれながら、つい思ったことでした。

蒸発

カテゴリー:社会

著者:夏樹静子、出版社:光文社文庫
 著者はいま西日本新聞に随想を連載しておられます。大変な腰痛の苦しみを体験したが、それは心因的なものだった。心のもち方ひとつで人間は病気になり、健康でもあるということを体験を通じて学んだ、という話です。なーるほど、ですよね。病は気から、というのは本当なんですね。
 この本は、この文庫本としては発刊されたばかりなのですが、初出はなんと今から34年も前のことです(1973年3月)。道理で、出てくる話がすごく古いのです。昭和 46年5月の朝刊で日本人記者がベトナムで殉職という記事が出てくるので、びっくりしました。私は、そのころまだ東京の大学生ですし、ベトナム戦争がいつ終わるとも知れず、続いていたころのことです。
 この本を読みはじめると、まず飛行機に乗ったはずの女性乗客が消えてしまったという展開にぶつかり、おいおい、どうして、という感じで引きずりこまれてしまいます。推理小説ですので、謎ときはもちろんしません。ただ、内部に手引きする人がいたということだけ申し上げておきます。私は、他の展開はともかくこの謎ときを一刻も早く知りたいと、必死で頁をめくってしまいました。
 関門トンネル内で起きた男性の事故死が、実は殺人事件ではないのかという推理があります。そのとき、松本清張が「点と線」でつかったような時刻表を駆使した推理がなされます。時刻表マニア(今いうオタク族)でなければ、とても考えつかないような話です。
 今から30年以上も前の福岡を舞台にする話なので、いささかの異和感はありますが、そこで語られている男女の愛のもつれはきわめて今日的でもあり、決して古臭いという気はしません。さすが日本ミステリー文学大賞を受賞しただけのことはあります。
 私も著者の講演をお聞きしたことがありますが、気品にみちたお人柄で、作品の一部にあるドロドロした人間の醜さをみじんも感じさせられず、そのギャップの大きさに正直とまどってしまいました。文章力や構成力がすごいわけですが、取材のほうも、かなり丹念に尽くされているのだろうなと、同じモノカキ志向の私はついつい舞台裏のほうに気がいってしまいました。

全国学力テスト、参加しません

カテゴリー:社会

著者:犬山市教育委員会、出版社:明石書店
 いやあ、実に画期的な本です。一地方の教育委員会が政府(文科省)の方針に反抗して全国学力テストに参加せず、その理由を堂々と明らかにして本を出したというのです。その大いなる勇気に対して、私は心から賞賛の拍手を送ります。
 全国学力テストは先日実施されてしまいました。日本の子どもたちの学力レベルを正確に把握するためには抽出調査のほうがより正確に把握できるとされています。しかし、文科省はあくまで記名式の悉皆(しっかい)調査にこだわるのです。それは一体なぜなのでしょうか。
 今回の全国学力テストの本当の目的は、公立の小中学校にPDCAサイクルを導入することにある。Pとは、プラン(企画、立案)、Dはdo(実施)、CはCheck(検証・評価)、AはAction(実行、改善)のこと。最後の改善を次の計画に結びつけ、継続的な業務改善を図るためのマネジメント手法である。
 しかも、全国学力テストの際に学習状況調査もあわせて実施された。そこでは、家庭における私生活についても質問されている。まさに個人のプライバシーにまで踏みこむものである。
 日本のすべての公立小・中学校を30人学級とするに必要な人件費は、9600億円だと試算されている。日本の軍事費支出は世界第二位と言われていますが、1兆円にみたないこの支出こそ、日本民族の将来を保障することにつながる価値ある人件費だ。私はそう思います。ここはドーンと思い切って支出すべきでしょう。
 犬山市では、30人学級を実施するため市独自に講師を採用するなどして、全国に先駆けて学習環境の整備につとめてきた。小学校では34人以下の学級が9割を占めている。中学校においては、56学級のうち42学級34人以下学級がつくられた。それなのに全国学力テストに参加することになったら、これまで豊かな人間関係のなかで人格形成と学力保障につとめてきた犬山の教育を否定することになる。だから参加しないことを決めた。すごーい。まさしく文科省への挑戦状です。
 犬山では習熟度別指導は原則としてとりいれられていない。考え方や習熟度が違う子どもが交流するなかで、豊かな学習が生まれる。習熟度別指導だけでは、学びあい、支えあうということが出来ない。
 犬山市の教育に関するスローガンは次のとおり。
 生徒であったとしても、また教師であったとしても、通いたい学校を目ざす。
 いいですね、このスローガン。朝起きて、さあ今日も学校に行こう。行って友だちと話そう、先生に教わろうという気分だったら最高ですよね。現実には、毎日なかなかそうはならないでしょうが・・・。
 ずいぶん骨のある教育委員会があることを知って、うれしくなりました。安倍首相に読ませたい本です。

サラ金崩壊

カテゴリー:社会

著者:井手壮平、出版社:早川書房
 グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争というサブ・タイトルがついています。出資法の上限金利(年29.2%)と利息制限法の上限金利(最高年20%)のあいだのグレーゾーンがついに撤廃されました。この本は、そこに至るまでの政府・財界の内幕を暴いています。この間の経過を記録した貴重な本です。
 すべては2006年1月13日の最高裁判決に始まった。最高裁は、ただ「原判決を破棄する。本件を広島高裁に差し戻す」と言っただけ。大勢の傍聴人がいるわけでもなく、勝訴と書いた紙をもって法廷から駆け出してくる弁護士もいないし、うれし涙を流す支援の人もいない。しかし、表面上の動きとはちがって、この判決のもつ意味は限りなく重かった。
 最高裁は、一日でも支払いが遅れたら一括して支払わなければならいという条項に着目した。このような恐怖心の下で支払わされている限り、任意に支払っているとは言えないとしたのだ。これは、まさに画期的な判決です。弁護士生活30年以上になる私なんか、この一括請求条項を当然視していました。どんなひどい条項でも、何度も、また何年も見ていると、いつのまにか問題のない条項だと錯覚してしまうわけです。すみません。
 サラ金会社は株式市場に上場し、一流企業の条件とも言える経団連への入会も認められ、テレビCMでお茶の間に流れ、広く社会に浸透し、すっかり世の中に受け入れられていたように思われてきた。しかし、今、それが根本からひっくり返ろうとしている。
 サラ金会社のオーナーは、2005年度世界長者番付のうちの日本人上位6人のうち3人を占めている。アイフルの福田吉孝社長、武富士の武井保雄前会長、アコムの木下恭輔会長。2006年度には、順位を少し下げたが、それでもソフトバンクの孫正義や任天堂の山内社長よりは上位にランクしている。
 サラ金がもうかっている。そこに大銀行が目をつけ、次々に提携がすすんだ。
 三井住友銀行はプロミスに20%、三菱東京UFJ銀行はアコムに15%、それぞれグループで出資し、役員も送りこんでいる。
 銀行もサラ金も、高利貸しの悪どさでは似たり寄ったりなんですよね。ただ、銀行のほうが少しだけ上品ぶっているだけ。サラ金は社員までワルぶっているだけ。そんな違いじゃないでしょうか・・・。
 それにしても、アイフルそしてアコム、三洋信販と続いた金融庁による全国一斉、全店の営業停止処分には私も驚きました。やっていることへの処分という点では当然のことなんですが、金融庁がそこまで踏み切った点に驚いたというわけです。
 この本によると、おかげでチワワの仔犬が一匹60万円していたのが、20万円以下にまで下がるという影響があったそうです。チワワにとっては、とんだ災難でした。
 この金利引き下げでは小泉チルドレンが活躍しました。小泉改革は日本をダメにしたと今でも私は思っていますが、その小泉エセ改革ブームに乗っかって誕生した小泉チルドレンたちは、自民党ボス議員に反抗しなければ自分たちの存在意義を訴えられなかったわけです。世の中、何がプラスになり、マイナスになるか分からないということですね。 福岡そして九州に関わりのある自民党の太田誠一とか保岡興治などは、サラ金擁護で身体をはっていたわけですが、この分野では青二才の小泉チルドレンにあえなく敗退してしまいました。いい気味です。
 保岡議員が、禁酒法によってアル・カポネは勢力を拡大させた、だから、金利を引き下げてはいけないと訴えたという話は、まったく時代錯誤もはなはだしいですね。顔を洗って出直してほしいものです。
 太田誠一議員も、自民党内の会議のときに、「この会議のなかに共産党がいる」と叫んだそうです。やめてほしいですよね。正論を言う人に対して、おまえは共産党かと叫んで糾弾するというのは。それって、まるで戦前の軍国主義日本ではありませんか。民主主義というのは、いろんな思想信条の人々がいて、お互いに尊重しあうってことなんですよ。
 上限金利引き下げに対して、アメリカから大変な外圧がかかっていたということも紹介されています。もちろん、アメリカは金利を引き下げるなと要求したのです。日本のサラ金に外資が出資して、サラ金のもうけの一部を外資が吸い上げ、大金をアメリカへ持ち去っていってます。
 もうひとつ、サラ金とセイホ(生命保険会社)の密接な関係も暴かれています。サラ金は団体信用生命保険に加入していますが、これは結局、サラ金のもうけの一部を保険料ということで生命保険会社が吸い上げているということです。というのも、サラ金会社は、生命保険会社から巨額の融資を受けているからです。たとえば、アコムは明治安田生命から395億円をかりているのです。2005年度にサラ金会社17社が受けとった保険金は302億円。支払った保険料は376億円。このようにサラ金とセイホは、もちつもたれつなのです。
 大手サラ金は生き残ると思いますが、中小零細サラ金業者の存続はきびしいと私も思います。そこで、またぞろヤミ金が横行する危険はたしかにあります。でも、ヤミ金は昔からありましたが、結局、違法金融は覚せい剤と同じで、一つ一つ摘発していくしかないのではないでしょうか。いま、私はそう考えています。

パチンコの経済学

カテゴリー:社会

著者:佐藤 仁、出版社:東洋経済新報社
 日本の食品スーパーは1万8500店。パチンコ店は1万5000店。えーっ、多い。パチンコ業界は30万人が働く巨大な産業。
 先日、トイレ休憩で久しぶりにパチンコ店に入りました。私も司法試験の受験生だった学生のころは、図書館へ行く前にちょっと寄り道してパチンコ店に入り、たまには景品でチョコレートなんかをもって帰って友だちにプレゼントしていました。いまのパチンコ店は、トイレなんてピカピカ、きれい過ぎるほどです。スロットマシーンの前にはずらり老若男女が並んで坐っていました。空いている席がないほど埋まって、みんな真剣に盤面を見つめています。ただ、久しぶりにパチンコ店に入ると、あの騒音がたまりません。頭がおかしそうになって早々と退散しました。
 パチンコ業界の年間売上は28兆7000億円。パチンコ人口は1710万人。パチンコ機とパチスロ機とを合わせて490万台の遊技機がある。
 パチンコホール企業数は7000社、遊技機メーカーは50社。日本人の一年間のレジャー支出は80兆900億円なので、パチンコの占める比率は36%。
 パチプロは、一般に月10〜20万円、パチスロで20〜30万円かせぐのが可能だ。それには時間がたっぷりあり、遊技に関する情報収集に熱心で、フットワーク軽く動けることが条件だ。ただし、長くしていると健康を損ない、ひいては人格も失いかねない。うむむ、よく分かる指摘です。
 現在のパチンコ機は長くて1年、短ければ2〜3ヶ月で撤去されるという短期の入れ替えサイクルになっている。お客はピーク時の3150万人から、半減している。しかし、売上は減っていない。単位時間あたりの消費金額を増やして粗利益の絶対額を維持しようとしている。
パチンコ人口は10年後(2015年)は1270万人となり74%に減り、15年後(2020年)には1130万人と66%になると予測されている。その大きな理由は加齢現象。なるほど、パチンコが面白いといっても、最近の若者を大々的に呼びこめるものではないということなのでしょうね。
 日本のパチンコは面白すぎるのでギャンブル依存症の温床となっている。
 ひゃあー、そうだったんですか。知りませんでした。借金まみれになった人のうち、少なくない人々が、このギャンブル依存症です。なかなか抜け出せない病気です。でも、決してあきらめてはいけません。

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