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カテゴリー: 社会

派遣村・何が問われているのか

カテゴリー:社会

著者 宇都宮 健児・湯浅 誠、 出版 岩波書店
 「年越し派遣村」ほど、近年、私の心をうったものはありませんでした。私が毎月1回は通っている日比谷公園が、年末年始に派遣切りでホームレスになった人々などの救いの場となったわけです。テレビをまったく見ない私ですが、新聞を読んでいるうちに、九州の地で安穏としていいのか、という気になっていました。近くだったら、私も駆けつけて、少しはお手伝いくらいしたと思います。それくらい、居ても立っても居られない、切羽詰まった気になったのでした。
 実際、この派遣村に実行委員として関わった主要メンバーは、年末年始のあいだ、まともに眠れず、食べるものも食べずにがんばったようです。すごいものです。ついつい大学生時代、学園闘争の、それなりに厳しかったころのことを思い出してしまいました。もちろん、そのころ私は20歳前で、気力も体力もありましたから、少しくらい食べず、眠らずでも大丈夫でしたが……。
 貧困問題の主要な課題の一つは、可視化にある。見えないことから、貧困問題が「ない」ことにされてしまう。見えるようにさえすれば、誰も放置できない課題であることは明らかだから、対応がなされる。見えるようにすること(可視化)が、貧困問題の解決に向けた第一歩になる。派遣村は、そのことにかなり成功した。そして、このことは、現代の貧困の「見えにくさ」を痛感させる出来事であった。
 これは、湯浅誠氏の指摘です。その講演を私も聞いたことがありますが、決して激することなく、冷静・沈着な態度を崩さない話ぶりに、かえってほとばしる熱情を感じたものです。
 見えない貧困、しかし、現実にそこにある貧困。この事実を、私たちは正視すべきです。この本は、現代日本の抱えている深刻な状況を、実に分かりやすく目に見える形で教えてくれます。
日比谷公園には、もともと20人の野宿者がいる。近くの東京駅周辺には50人の野宿者がいる。
 派遣村の場所設定でについては、厚生労働省の目の前にある日比谷公園が最適だということになった。都心の日比谷公園は規制がきびしく、テントが張れない場所としてよく知られていた。そして、野宿者への炊き出しも行われていなかった。
 結局、派遣村にやって来た人は505人。女性は非常に少ない。ボランティアとして登録した人は1692人。のべ数千人になる。カンパは4400万円。リンゴ1.8トンなど、食材などの物品カンパも多かった。
 企業の違法行為の結果、多くの被害者が路上に放り出されてしまった。ボランティアと税金によって、企業の違法行為の尻拭いをさせられ、違法を行った張本人は何の責任もとっていない。そうなんです。トヨタもキャノンも、奥田も御手洗も、涼しい顔をして他人事(ひとごとのように自己責任だといいつのるばかりです。そのくせ日本人には道徳心が欠如しているなんて言って、子どもたちに道徳教育を押しつけているのですから、呆れるほどの厚かましさです。日本の財界人には道徳心はかけらほどもないのか、と叫びたくもなります。
 生活保護を受けようとすると、世の中の反応があまりにも冷たいことも指摘されています。甘えているというものです。私は、ヨーロッパのように、若い人が失業したら、次の仕事が見つかるまで何年でも失業保険をもらえるか、生活保護を受けられるように日本もしたらいいと思います。もちろん、年輩者には十分な年金が保障されるというのが必要です。そんな夢のようなことを言うな、という人がいるかもしれません。でも、それを実現するのが政治の役目ではないでしょうか。
 この本の面白いところは、派遣村に裏方として関わった実行委員の人たちの苦労話です。
 年末年始だったので、不足したテントを探すのに苦労したこと、せっかく見つけても運搬するトラックの運転手が確保できなかったこと。6人用テントを用意したけれど、持ってきた荷物と布団で4人が限界だったので、20張のテントに80人しか収容できなかったこと。テントを張るとき、下に石があると痛いし、平な場所が少なくて苦労したこと。実行委員は炊き出しにありつけず、寝るのもテントで寝れず、手足の先が凍傷になりかかったこと、などなど、その大変な苦労が伝わってきます。年末年始をいつものようにぬくぬくと過ごした私など、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 そして、派遣村にやっとの思いで辿り着いた人の実情のすさまじさには息を呑んでしまいます。浜松から歩いて日比谷公園までやってきたとか、三日三晩、何も食べずにやって来たという人たちがいたのです。そして、派遣村で炊き出しを食べたら、とたんに体調を崩してしまう人が続出したのでした。
 これが豊かな国ニッポンの現実なのですね。改めて、その深刻さが伝わってきました。
 結局、派遣村にたどり着いた500人のうち、300人が生活保護を受けることになりました。それでも、外国人労働者や女性については、ほとんど手つかずというのです。
 派遣切り、ホームレス、野宿者の問題というのは、日本国民全体で考えるべき問題なんだということがよく分かる本でした。
 ホームレスの人は働く意欲がないという誤解がまかり通っているが、それは間違いだと強調されています。ぜひ、あなたも読んでみてください。ここに書かれていることは、まさに日本の現実です。私は、大学生のころから貧困問題に関心を持ってきましたが、現代日本にいまある貧困に光をあてた派遣村のことを知りうる、いい本が出たと、しみじみ思いました。
 
(2009年3月刊。1200円+税)

骨の記憶

カテゴリー:社会

著者 楡 周平、 出版 文芸春秋
 東北の山奥から貧農の少年が上京してきます。就職した先でひどくこき使われます。何度もやめて田舎へ帰ろうと思うのですが、田舎には仕事がありません。また、帰りたくない暗い過去もあるのでした。やがて、ひょんなことから別人になりすましてしまうのです。
それが幸運の始まりでした。思わぬ土地代金が入り、勤めていた運送会社を独立して始めた運送業も大当たりです。お金が面白いように入ってきます。政治家から土地ころがしの口がかかって、大儲けもします。そして、金持ちの令嬢と結婚し、豪邸を手に入れます。
 ところが、令嬢は成り上がり者とバカにして見向きもしません。そこから復讐が始まるのです。
いったい、少年のころの暗い過去とは何だったのか、復讐はどのようになされていくのか。いやはや、すごい作家の発想力です。それも情景描写がきちんと出来ているからこそ読ませます。
 人生には常に光と影があることを考えさせてくれる本です。500ページもある力作長編でしたが、ぐいぐい本の世界、暗い、どうしようもないやるせなさのつきまとう世界ですが、そこへ引きずり込まれてしまうのでした。
 
(2009年2月刊。1714円+税)

生存権

カテゴリー:社会

著者 立岩 真也・尾藤 廣喜・岡本 厚、 出版 同成社
 貧困の問題はずっとあったし、拡大している。今、ようやく注目を浴びている。注目されるのはよいことだが、心配なのは、すごく悲惨な部分のみ取り出され、その悲惨こそが問題だと語られ、そう思われること。そんなに悲惨でなくても、生活保護は使えるべき制度だということを忘れてほしくない。
 いま、国民皆保険とは言いながら、国民健康保険証をもっていないという人がかなり多い。介護保険をふくめて、保険料が支払えない人が出てきて、いざというときにその人は受けられないということがある。これでいいのか……。
 政策として、労働政策としてやっていくのか、所得保障政策としてやっていくのか、ふたつある。基本的には、この二つともやるべきではないか。
いまの日本社会には、困難な人たちを見たくない、関心をもちたくないという気分がかなり多くの人にある。見ようと思えば見えるんだけど、目を伏せて脇の方を通っていくというマインドが国民の中にある。
 うむむ、なるほど、そうなんですよね。ビラ配りして訴えている人がいても、そっと素知らぬふりをして避けて通りすぎてしまうことって、私にもあります。この世の矛盾って、見ようと思わないと、まったく見えないものなんですよね。
 生活保護裁判には、これまで4つの波があった。第一の波は朝日訴訟。第二の波は藤木訴訟。第三の波は、ごく普通の人が自分の問題として、生活保護のさまざまな問題点を取り上げて裁判を起こしたこと。いま起きている第四の波は、生存権裁判。そこでは生活保護基準、つまり最低生活の中身をどう考えるか、ということを真正面から問う裁判が起こされている。たとえば、資産の保有がどこまで認められるか争われている。自動車の保有は、今も認められるのは例外的なもの。
高齢者で、年金生活している人が、本来なら生活保護を受けられるはずの人が生活保護を受けていない。そんな人が生活保護の支給額が自分より高いことに怒って、声高に文句を言う現実がある。
 憲法25条は、国民に社会権を認め、国に対して命令した規定である。ところが、プログラム規定であり、具体的な拘束力はないという学説が有力だ。しかし、生活保護法が憲法25条を具体化しているので、拘束力がある。とりわけ、2項の増進義務は、国に対して積極的な施策を求めている点が大きい。これを自民党は地方自治条項を改正することによって骨抜きにしようとしている。
ワーキングプアがなぜ発生するかというと、最低賃金制がきちんとしていないから。そして、これは生活保護費とリンクしている。早く生活保護の利用を認め、生活力を回復させ、雇用に結びつく可能性を保障する。つまり、早めに給付を始め、早めに終了できるようなシステムをつくる必要がある。生活力を形成するための生活保護という視点が今まで少なかった。なるほど、ですね。ヨーロッパでは生活保護を受けるのは日本と違って若者だそうです。老人には十分な年金が支給されるのです。
 普通に働いたら、普通に生活できるというように、最低賃金を上げなければいけない。そうしないと、働く意欲が出てこない。働く能力がないという人たちが、きちんとした生存権を保障されなければ、働く能力のある人たちの生存権もおそらく保障されない。
 今の日本社会には、家族主義・扶養意識が低下している。扶養できない実態があるのに、扶養を求めている。
 私と同世代(正確には一つ年長)の弁護士から贈呈された本です。厚生省(現厚労省)に入って3年間がんばり、今では生活保護問題の第一人者です。この本で展開されている鋭い問題提起にはいたく感銘を受けました。
 
(2009年3月刊。1400円+税)

医者を殺すな

カテゴリー:社会

著者 塚田 真紀子、 出版 日本評論社
 この本を読むと、医師の仕事のすさまじさがよく伝わってきます。高校生のころ、医師になることを少しは真面目に考えた私ですが、医師にならず弁護士になって本当に良かったと思ったことでした。だって、何日間も徹夜続きなんて厭じゃないですか。そんなことしたら病気になるにきまってます。医者になってわずか2か月余り、20代の半ばで死ぬなんて、信じられないハードスケジュールです。
 毎日15時間以上も働き、法定労働時間を月に200時間はオーバーしていた。その対価として得たのは、月6万円の奨学金と「日夜直手当」のみ。うへーっ、ひどいものです。
 医師も聖職者というより、その前に労働者ですよね。自明のことだと私は思います。ある勤務医は、毎晩、午前0時までに帰るのが目標だったと語る。土日も出勤した。うひょひょ、これでは身体がもちませんね。
 一審判決は、1億3500万円の賠償を大学病院に命じました。そして、そのあとで、労働基準監督署は労災認定したのです。発症1か月前に100時間をこえ残業したときは、業務と発症の関連性は強いと認定する新しい基準が適用されたのでした。でも、これって順番が逆ですよね。労働者を守るのが労基署の使命でしょ。
 研修医はものすごいストレスにさらされる。これまで学生として責任なく自分のペースで生活してきた人が、いきなり医師として大きなストレスにさらされる。そして、研修医の労働時間はあまりに長く、睡眠・食事・家事など、人間としての生活を営むに必要な時間が足りない。自分の能力以上の役割を期待されるなど、医師としての責任が重い。さまざまな患者と家族を相手にしなければならないし、医療スタッフの中では研修医が一番弱い立場にある。だから、うつになる研修医が多い。
勤務医が過重労働をせざるをえない理由は4つある。第1に、医師の仕事量や労働密度が増えたこと。第2に、深夜の受診数が増えたこと。第3に、勤務医の年齢構成の変化。第4に、長時間働くのは当たり前という医師の意識。
 あまりにも大変なため、たとえば20代の外科医が激減しているそうです。それは本当に困ったことです。医師も大切にしないといけませんよね。なんだか、悪循環に陥っているなと感じました。
(2009年2月刊。1800円+税)

グローバル恐慌

カテゴリー:社会

著者 浜 矩子、 出版 岩波新書
 サブプライム問題という言い方は適切でない。正しくは、サブプライム・ローン証券化問題なのである。ことの本質は、サブプライム融資そのものにはない。本質的な問題は、サブプライム融資に内在するリスクが、証券化という手法によって世界中にばらまかれていったことにある。このばらまき行為がなかったら、サブプライム問題は、アメリカに固有の地域限定問題にとどまっていたはずである。
 そして、このようなサブプライム証券に多くの投資家が手を出したのは、世界中がカネあまりに陥っていたからだ。その原因の大きなひとつに、日本の長年にわたるゼロ金利政策がある。日本は、世界で最大の債権国である。純貯蓄の規模が世界で一番大きい。日本国内で金利を稼げないジャパン・マネーが、世界中に出稼ぎに行く。世界的カネあまりのルーツが日本のゼロ金利政策にあったとすれば、サブプライム証券化商品問題と日本との間には、切っても切れない関係があるといえる。
 今日の日本は、一種、基軸通貨国的な機能を担っている。今日の円は、いわば隠れ基軸通貨である。
 1971年8月のニクソン・ショックは、基軸通貨国アメリカの脱退位宣言にほかならなかった。ドルの金交換性というタガをかなぐりすてたアメリカは、以降、どんどんインフレ経済化の道を進んでいく。これはアメリカ経済の高金利かをもたらし、金利自由化への突破口を開いた。
 1971年は8月は、金融自由化に向けてパンドラの箱の蓋が開いた時だった。2008年9月は、グローバル恐慌に向けて地獄の扉が開いたときだった。
 グローバル恐慌は、カネの世界の暴走がもたらしたものであるからこそ、モノの世界、そして家計と消費という意味でのヒトの世界へのインパクトが大きい。
 カネの世界だけのマネーゲームが自己増殖を続ける状態では、モノの世界がどうなろうと、カネの世界的暴走は続く。そして、ついに暴走が転倒につながったとき、その衝撃がモノの世界に対して一気に減縮圧力をかけてくるという展開になる。
 人間の営みである経済活動の中でも、金融はもっとも人間的な信用の絆で形作られている。そうであるはずだった金融の世界から、人間が消えた。ここに問題の本質があるのではないか……。
 大変歯切れの良い指摘で、大いに勉強になりました。それにしてもいつまで続くのでしょうか、この大不況、人間使い捨てという嫌な時代風潮は……。
 桜の花が満開です。梅の花も早かったのですが、今年は桜もずいぶんと早い気がします。昔は入学式のときに桜が満開だったように思いますが、今では卒業式のときに満開の桜が卒業生を見守っています。
 我が家のチューリップが300本近く咲いています。6~7割は咲いている感じです。今度の日曜日が最盛期となりそうです。これも例年より1週間以上は早い気がします。だって、まだ3月ですからね。どうなってるんでしょう。
 それにして昔ながらの赤や黄のチューリップの花を見るとしばし童心に帰ることができ、心がなごみます。
(2009年1月刊。700円+税)

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