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カテゴリー: 社会

密航のち洗濯

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 宋恵媛・望月優太 、 出版 柏書房
 戦後(1946年)、尹紫遠は朝鮮から日本へ密航し、東京(中目黒当たり)で洗濯屋「徳永ランドリー」を営んだ。日本人の妻と結婚して子ども3人をもうけた。そして自伝的要素の色濃い作品を書き続けた。文筆では食べられないので、洗濯屋をした。
 1964年9月、53歳で無名のまま亡くなった。ところが、2022年になって、生前に書き続けていた日記が出版され、にわかに脚光を浴びた。
 植民地期に日本にやってきた在日朝鮮人一世が日本語で書いた日記はきわめて珍しく貴重なものとして注目された。
 この本は、2人の子どもの協力も得て、日記に登場してくる場所をたどったりして、当時の社会状況を明らかにしています。
 1946年の来日は、韓国の蔚山(うるさん)からの密航。沿岸警備隊に発見されないよう深夜に出港。小さな船に30数人の朝鮮人が乗っていた。このとき、洋上を飛びまわって監視している飛行機はアメリカではなく、イギリス連邦占領軍。つまり、イギリスやオーストラリア、ニュージーランドなど。
このころ、日本人が海外から大量に帰国していた。そのなかで、コレラが発生した。検疫のため、14日間上陸地にとどめおかれ、何事もなければ日本人は上陸を許され、朝鮮人は強制送還される。
 尹紫達は東京で生まれ育ったが、徴用を恐れて朝鮮に渡ったのだった。
 佐世保におけるコレラ患者の死亡率は日本人26.8%、朝鮮人32.6%。
 佐世保での死亡者27人のうち半数の死因はコレラで、残りの半数も栄養失調や急性大腸炎。幼い子どもたちの栄養失調死が目立つ。
 尹紫遠は、東京に戻ってから1年あまり、夕刊紙「国際タイムス」の準社員として働き、月給をもらった。
 日本人の妻・登志子と結婚したあと洗濯屋を開業した。妻の登志子は満州に渡っていたが、戦後、なんとか日本に帰国できた。裕福な家庭の令嬢として育ってきたが、朝鮮人と結婚するということで、実家とは断絶の関係となった。そして、尹紫遠と結婚したことから、登志子もまた朝鮮人とみなされた。
子どもは、両親の夫婦げんかが聞くに耐えなかったという。父親は「日本人の女が・・・」と言い、母親は「朝鮮人は・・・」と言って、ののしりあうのが嫌でたまらなかった。
「やっぱりブルジョアジー崩れの女はダメだ。おれの敵だ」と日記に書いたのでした。
息子は、日本の会社には入れないと分かっていたので、外資系の企業に入った。
このあと、逆転劇がありました。尹紫遠は「金さん」と結婚していて、そのままになっていたので、登志子の結婚は「重婚」ということになり、認められない。すると、登志子は初めから今までずっと「日本人」戸籍のままだったということになる。そこで、登志子たちは日本人であることが改めて確認されたのでした。
「日記」に書かれていることの大半は、お金の心配と妻登志子の悪口。拍子抜けしてしまうとのこと。
戦後日本における在日朝鮮人の生活状況を知ることができました。
(2023年3月刊。1800円+税)

中村哲さん殺害事件、実行犯の遺言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 乗京 真知 、 出版 朝日新聞出版
 2019年12月4日午前8時すぎ、アフガニスタンにおいて中村哲さんは出勤途上で銃撃され、護衛の警察官ともども殺害されました。この本は、この殺害状況を詳しく明らかにすると同時に、殺害犯人たちの素性を突きとめようとしています。
 この本を読んで浮かんだ私の疑問は2つ。その一つは、「犯人」は中村哲さんを殺す気はなかった、誘拐するつもりだったといいますが、銃撃状況は最初から全員を殺害するつもりだったとしか考えられません。護衛の警官はみな反撃するまもなく殺害されていますが、それは四方から一度に銃撃されたため、どの方向に反撃していいか分からなかっただろうとされているのです。誘拐なら、威嚇射撃をして、抵抗を抑圧して交渉に入るはずですが、そんなことはなく、「犯人」たちは四方から一斉に銃撃しています。
 また、その二は「犯人」の黒幕はパキスタン政府だという説が紹介されていますが、これまた本当なのでしょうか。クナール川の水をアフガニスタン側に導水したことをパキスタン政府は苦々しく思っていたというのです。それが中村哲さんを殺害する動機になるのか、私にはいささか疑問です。
 中村哲さんの出勤路はいつも決まっていたようです。近くの太い通りは、朝は一方通行になっていて通れず、別のルートは遠まわりになってしまうのです。
犯行グループは、通りに先回りしている待ち伏せ班と、待ち伏せ班の目の前に中村医師の車列が止まるよう進路をふさぐ白いカローラに乗った班と2手に分かれていた。彼らは、単なる強盗(犯罪)集団ではなく、計画的に中村哲さんを狙った。
 護衛たちは、反撃するまもなく、全員が撃たれた。四方から銃弾が飛んできたので、どこに撃ち返したらよいか分からないまま次々に殺害されてしまった。
そして、中村哲さんが、銃撃のあと、ふっと頭を上げ、左右を見渡した。それを見た「犯人」の1人の若い男が「日本人が生きている」と声を上げたので、それを聞いた自動小銃の男が四駆のフロントガラス越しに3発、中村哲さんに向けて弾を撃ち込んだ。
 そのあと、自動小銃の男は「全員死んだ。行くぞ」といって、中村さんの護衛人たちの銃を奪ったあと2台の車に分乗して現場から立ち去った。
 若い男は中村哲さんのことを「ジャパニ(日本人)」と呼んだから、標的が「日本人」であることを知っていたと思われる。
 この殺害現場の近く、50メートル先には、防犯カメラがあり、殺害前後の状況が残っている。防犯(監視)カメラは、アフガニスタンの田舎にもあるのですね・・・。
 中村哲さんを殺害したのは9人前後で、パシュトゥー語を話していた。
犯人の一人として疑われている人物がハズラット・アリ(57歳)という政治家です。クナール川流域における水や土地にからむ紛争にからんでいるそうです。
 主犯の一人と見なされたアミールは2021年1月に銃撃戦で死亡している。
 中村医師と同時に殺されたのは、運転手1人と護衛役の4人、計5人。護衛役の4人は、中村医師を守るために遠くから派遣されてきた警察官。
それにしても、中村哲さんを殺害するなんて、とんでもない馬鹿な男たちがいたものです。残念でなりません。私は中村哲さんが日本に帰ってきたとき、自宅のある大牟田で、JRの駅のホームに見かけたことがあります。日本は、中村哲さんのような平和的方法でこそ国際貢献をすべきだと思います。
(2024年2月刊。1600円+税)

カレー移民の謎

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 室橋 裕和 、 出版 集英社新書
 ネパール人が営むインド料理店が日本全国に5000軒ほどある。
ええっ、そ、そんなにあるの…。インド料理って、インド人がやってるんじゃないんですね…。
 ネパール人は日本のインド料理店で8年とか10年のあいだ働いて、それから独立する人が多い。
ネパール人の人口3000万人のうち40%は貧困層。1人あたりの年間所得は20万円ほど。家族・親戚のうち、誰かは必ず海外で働いている。
 海外からネパール本国への送金額は1兆1千億円に直し、GDPの3割を占めている。ネパールは世界屈指の「出稼ぎ国家」。
在日ネパール人は15万6千人(2023年)。10年前(2013年)は3万人だったので、10年間で5倍に増えた。
 日本に来たネパール人10人のうち成功するのは2人くらい。ネパール人の営むインド料理店は必ずしもうまく行っているとは限らない。うまくいっている店は、地域の日本人としっかりつながっているところが多い。
ネパール人は安全運転、まず失敗しないことを選ぶ。なので、初めに入って学んだ料理を独立してからも同じもの(味)をつくる。そして、自分のまかないは、ネパールの家庭料理で、店でつくっているものとは全然違う。
 インド人は男性が稼いで女性を養う。でも、ネパール人は妻も働く、家族で働く。いま日本にいるネパール人の3分の1が「家族滞在」。インド人は、カースト制度の意識が反映して、自分の仕事しかしない。ネパール人は、ひとりで何でもやる。
 ネパール人は、インド人と違って食材のタブーがない。イスラム教徒のインド人は豚肉を扱えない。
 カレー屋は、ネパールの貧困を固定化する装置にもなっている。
ネパール人が来日するとき、紹介料として100万円以上支払うことが多い。
 日本のカレーは、どろっとしたものが多いのに対して、インドやネパールのカレーは、もっとスープ状のもの。
 「インネパ」なるコトバを初めて聞き、その内実を知ることができました。
(2024年3月刊。1200円+税)

パラサイト難婚社会

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 山田 昌弘 、 出版 朝日新書
 戦前の日本社会は「離婚大国」だった。明治時代も、その前の江戸時代も離婚は多かったのです。東北地方では2組に1組は離婚した。結婚が50万5千組で離婚は18万組ですから、およそ3対1の割合です(2022年)。
 離婚の8割は協議離婚で、裁判離婚は1%。私も常時、離婚裁判をかかえています(現在2件)。結婚して10年以内の離婚が半数に近い。私も、弁護士として、子どものいないカップルには気安く離婚するよう勧めています。
離婚の多くに経済問題がある。
 非嫡出子の割合は明治時代の半ばまで10%だった。今では2%。ところが、フランスではなんと60%にもなる。うひゃあ、これはすごいことですね。
 離婚は二極化している。富裕層と貧困層に離婚が多い。経済条件があまり変わらないからでしょう、きっと…。
 離婚は、今では「人生を左右する非常事態」ではなくなり、「人生の一大イベント」にすぎない。離婚は人生のステップアップなのです。ためらう必要はあまりありません。
 男性の3割弱、女性の2割弱が結婚せずに人生を終えている。
 生涯未婚率は、50歳の時点で「未婚」の人たちの割合をいう。
日本人の結婚観、そして離婚についての考え方は大きく変わりつつあるという実情がよく分かる新書です。
(2024年2月刊。990円)

「漢語四方山話」

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 一海 知義 、 筧 久美子・文生 、 出版 岩波書店
 呉(ご)音と漢音の由来(ゆらい)と相違点。
 呉音は昔の中国の南方音で、漢音は北方音が日本に伝わったもの。
 仏教は奈良朝より前、つまり漢音が日本に渡来するより前に日本に伝わったものなので、お経は呉音で読まれてきた。したがって、仏教関係の言葉はだいたい呉音で読む。
 792(延歴11)年以降、朝廷はこれから漢文は漢音で読むようにという布令を繰り返し発した。ところが、なかなか徹底しなかった。
 たとえば、元号についてみると、大正は漢音ならタイセイで、ダイショウは呉音。昭和も漢音ならショウカであり、呉音でショウワとなる。つまり、現実には、呉・漢混同で読まれている。
生は、呉音ではショウと読み、セイというのは漢音。
 漢文の読み方は、いろいろあって難しい。捲土重来は「けんどちょうらい」と読むべきもの、ただ、「じゅうらい」と読んだら間違いかというと、そうでもない。この語句は唐の杜牧(とぼく)の詩に由来するもので、土を捲(ま)きあげ、重ね来たらんという意味。
 傍若無人を、「そばに若い人がいない」などと間違って理解されることがある。本当は、「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」と読むべきもの。つまり、世間体を気にせず、心のおもむくままに自由に行動することをいう。
 御用は、もともとは皇帝が使用するもの、という意味の言葉。明治維新のころ、官尊民卑の風潮のなかで、政府のお先棒をかつぐ新聞は、自ら「御用新聞」という看板を掲げ、それによって民衆の信用と尊敬を得ていた。ところが、自由民権運動の高まりのなかで、「御用」の価値が逆転した。それから、「御用学者」というと、軽蔑の意味が込められて用いられている。
 不夜城というのは、たとえば夜の銀座を指して使われたりする。もとは、古代中国の幻の町につけられた名前。遊仙志向の方士が架空の世界をあたかも実在するかのように語り伝えてつくり出した地名。それが、唐の玄宗皇帝のとき、夜も昼間のように灯火が明るく輝いているという意味で使われるようになった。
 「春風に坐するが如し」とは、まるで春風にでも吹かれているかのような心地よさを意味している。
 漢語について、認識を深めました。
(2005年2月刊。2400円+税)

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