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カテゴリー: 社会

寡黙なる巨人

カテゴリー:社会

著者 多田 富雄、 出版 集英社
 2001年5月2日、67歳の著者は、突然、脳梗塞に倒れた。右側の重度の片麻痺、舌や喉の麻痺による摂食障害が残った。眠っている間に、麻痺のために舌が喉に落ち込んでしまうので、常に電動ベッドの背を45度に上げていなくてはいけない。しかも、水が一滴も飲めない。むせてしまう。唾を飲み込むこともできない。嘔吐反応まで消失していた。
 舌がまったく動かないから、話すこともできない。
 鏡を見ると、歪んだ表情の老人の顔が映っている。右半分は死人のように無表情で、左半分は歪んで下品に引きつれている。顔はだらしなく涎をたらし、苦しげにあえいでいる。とても自分の顔とは思われない。
 リハビリで受ける発声の訓練は、身体にこたえる。発声は全身の運動なのである。ところが、身体が、声を出す筋肉運動の仕方を忘れてしまっていた。うひゃあ、そういうことなんですか……。
 受けてみて、リハビリは科学であることを理解した。実際の経験によって作り出され、その積み重ねの上に理論を構築した、貴重な医学である。
 そして、歩くというのは、人間であることの条件なのである。歩くという何気ない作業が、実は複雑な手続きで行われていることを初めて知った。
 立ち上がるだけでも、脚のたくさんの筋肉のみならず、重心をとり、平衡感覚を全身の筋に覚えさせる大変な学習を要する。随意運動を指令するのは大脳だが、脳梗塞は、その指令を出す大脳皮質の運動野が障害されることが多い。
 小泉改革は、障害者にとって必要不可欠のリハビリを無情にも最長180日に2006年から制限しはじめた。改革の名を借りた医療の制限である。
 著者は、小泉改革を厳しく糾弾しています。まったく同感です。自民党の弱い者いじめの典型が、このリハビリ一律制限です。とんでもない悪法です。いま、消費税を5%から12%に上げようという動きがありますが、その口実にまたもや福祉予算の充実がつかわれています。とんでもないごまかしです。
 この本で救いなのは、著者が重度の障害を持ちながらもリハビリに励んで、本を出版するまでに回復できたということです。並々ならぬ決意と努力のたまものと思います。引き続き健康に留意され、体験をふまえて現行医療制度の改善のための告発を続けてください。 
(2009年2月刊。1600円+税

懐旧九十年

カテゴリー:社会

著者 庭山 慶一朗、 出版 毎日新聞社
 驚嘆しました。よくぞここまで覚えているものです。1917年生まれですから、92歳です。昨年91歳のときに出版されています。それなりに裏付け調査もされたのでしょうが、基本は記憶力の良さではないかと推察しました。
 著者は、住専問題が騒がれたとき、悪の権化のようにマスコミから叩かれました。私も名前だけは知っていました。そのバッシングに耐え、道義的責任から私財1億2000万円を拠出しています。そのあたりになると、著者の筆は弁明に走るどころではありません。怒りに震えて糾弾しています。その激しさには耳を傾けるべきところがあると思わされます。
 著者の父親は、大阪画壇で活躍した日本画家の庭山耕園という人です。申し訳ありませんが、私の知らない人です。花鳥画では有名な人のようです。私も知る竹内梄鳳という画家と並んでいたというのですから、すごい人なんですね。庭山画塾(椿花社)を主宰していたとのことです。
 著者自身は広島で原爆被害にあって命拾いしていますが、3人の弟を戦死させています。ですから、毎年、3月15日に靖国神社に参拝しているそうですが、戦犯を拝んでいるわけではありません。著者は、自分が徴兵されて戦死するのは困る。徴兵を遁れるのにはどうしたらよいかと考えていたと言います。すごいですね。
 著者の小・中・高の生活ぶりが克明に語られています。よくぞここまで覚えているものだと感嘆しました。
 高校生のとき、満州事変が起きて日本軍が破竹の勢いで進軍していたころ、著者は今は勝っているが、万一敗れて敵が日本に上陸してきたら、島国だし、どうしたらよいか心配していたとのこと。うへーっ、そ、そんな心配をしていた高校生がいたのですか。軍国少年ばかりではなかったのですね。
 かといって、著者はマルクス主義には初めから近づいていません。むしろ、反共です。末弘厳太郎に著者は私淑していたようです。末弘厳太郎は、セツルメントにも関わっていましたし、社会に目を見開いていましたので、反共の著者が学生として心が惹かれたというのには、やや意外な感があります。
 著者が東大法学部を卒業した時の成績は、優17、良3、可1というものでした。すごいです。私など、優はわずか1コだけという低飛行の成績でした。
 大蔵省に入り、主税局に配属されますが、昭和19年5月、召集令状がきて、呉の海兵団に入営します。ところが、裏から手が回って、やがて召集解除になるのです。しかし、再び広島に赴任します。そこで原爆にあったのでした。
 妻とともに庭に出て引っ越しのための荷造りを汗だくでやっていた。一服して、ふと頭をあげて上空を眺めると、真っ青に晴れた青空に銀色に光る球体が数個浮かんでいるのが見えた。爆発寸前のリトル・ボーイ(原爆)を目撃したというわけです。それでも90歳まで元気に長生きできたのですから、よほど運のいい人なんですね。
 広島の原爆記念日に「過ちは繰り返しません」というのは、主語がないから意味不明。すべからく消去すべきだと著者は指摘しています。同感です。
池田勇人その他の著名人との交友が次々に紹介されています。
 公共事業という「美名」をつかって国土を破壊することは許されない。行政指導に深入りして銀行と癒着している銀行局のやり方を常に厳しく批判していた。叙勲制度を批判していたから、断った。人間の格付けは受けたくないからである。なるほど、なるほどです。
 大蔵省を26年間つとめて辞めたとき、まだ50歳だった。そこで、日本住宅金融株式会社の社長になった。三和銀行のお誘いに乗った。これは世間でいう大蔵省の「天下り」ではない。そして、20年のあいだ社長を務めた。そこでは、保証人を取らない住宅ローンを始めて、大当たりした。
株主総会では、「いかがわしい慣習」を徹底的に排除した。日本のほとんどの会社がいかがわしい慣習に従っているのは、自らいかがわしいことをしているからである。
 著者は、「私を人身御供にした当時の橋本龍太郎首相以下の政府関係者、中坊公平弁護士以下の集団、学者、評論家、マスコミを許さない」としています。「住専」問題は、むしろ政府とりわけ大蔵省の財政金融政策の失敗によるものだということです。
 ここらあたりになると、著者の怒りが先に立って、全体像が見えにくいという恨みはありますが、それだけに考え直して見るべきものがあることはよく伝わってきます。
 この本は、著者の長男の庭山正一郎弁護士より贈られてきたものです。庭山弁護士は日弁連憲法委員会でご一緒させていただいていますが、その高い識見・能力にいつも敬服しています。500頁もの厚さの本ですが、感心、感嘆、感服しながら最後まで読みすすめました。
(2009年2月刊。1600円+税)

手塚先生、締め切り過ぎてます!

カテゴリー:社会

著者 福元 一義、 出版 集英社新書
 手塚治虫は、日本の生んだ偉大な天才の一人です。私も心から尊敬しています。その早過ぎな死を残念に思うばかりです。
 この本は、手塚治虫の担当編集者となり、次いで、なんと同業者(漫画家)、さらに再び手塚治虫のチーフアシスタントを務めたという著者のエッセイを本にしたものです。あの偉大な手塚治虫を身近な存在として感じることができる人です。すごいな、すごい、と、この本を読みながら、何度もうんうんうなずいたことでした。
 まずは、担当編集者時代の苦労話。作家の見張り役兼原稿運び担当。常に編集者がそばにいて監視していないと、手塚治虫は締め切りが競合する他社の原稿を描き出します。油断も隙もあったものじゃない。
 仕事部屋の隣に編集者の部屋をとり、1頁あがるごとに見張りの担当者が交代するという緊迫した状況の中、手塚治虫は2日間の徹夜敢行で8本もの連載原稿を描きあげた。
 手塚治虫のアシスタントは、手が空いた時間に、資料をもとにいろいろな手術シーンの患部を鉛筆で下描きし、ストックしておく。手塚治虫がその中から使えそうな絵を選んで手を加え、作品中に使う。これで、『ブラック・ジャック』の手術シーンで一から資料を調べたり、写真を引き写したりする時間を大幅に短縮することができた。いやあ、そういう手法もつかったのですか。すごいですね。
 手塚治虫には、アシスタントから、その時代の流行や女性の感覚を吸収しようという目的もあったようで、新作が始まるときや新しいキャラクターが出てくるときには、女性アシスタントたちに衣装をデザインをさせてつかうことがあった。
 手塚治虫は道具にこだわっていた。ペン軸は木製で、ペン受けは特注だった。
手塚治虫にとって、漫画の絵は文章の字と同じである。走る、飛ぶ、立つ、座る、泣く、笑う、怒るなど、すべての情報はパターン化されていて、文字と同じように、形でインプットされていた。
 手塚治虫は、死の床で「仕事をさせてくれ」と起き上ろうとした。
 いやはや、すごいものです。あれだけ生命の尊厳を信条としていた手塚治虫なのに、医者の不養生を地で行くような結果となってしまった。悔しいやら、情けないやらの複雑な感情とともに、腹立たしささえ覚えた。これは著者の感慨です。
 手塚治虫は、胃がんにより60歳で亡くなりました。今から20年前の1989年2月9日のことでした。大学のころと違って、あまりマンガを読まない私ですが、手塚治虫だけはかなり読んだものです。本当に惜しい人を早くなくしてしまいました。でも、並みの人の倍どころか10倍以上の仕事はしたのではないでしょうか。
 
(2009年4月刊。700円+税)

筆に限りなし

カテゴリー:社会

著者 加藤 仁、 出版 講談社
 城山三郎伝です。まあ、よく調べてあることだと、ついつい感心しました。
 城山三郎が本を執筆していた書斎が資料館が名古屋にあるそうです(双葉館)。子どもの学習机ほどの小さい執筆机と、その周囲に取材メモや手紙類が散らかっています。城山の蔵書は、段ボール箱にして300個分あったそうです。本は1万2000冊。本や雑誌は、地元の文学ボランティアによって今なお分類・整理がすすめられていて、取材ノートやメモ・手紙なども仕分け作業がすすんでいます。毎日、1人か2人は作業しているのですが、まだまだ完成まで相当の時間がかかりそうだということです。
そして、城山三郎が1冊の本を書き上げるまで、大変入念な取材をしていることがよく分かる本でした。
 城山は家族に対して、チラシ1枚だって棄てないように厳命していた。だから、もう、ゴミ屋敷みたいだったと娘は語る。
 城山は戦前は完全な皇国少年であった。しかし、軍隊に入って、その現実をいやというほど知らされた。そして、戦後になって、戦時中の自分自身の精神生活がすべて否定されたことによる虚脱感に浸った。裏切られた皇国少年は、生きる拠りどころを失い、精神の傷痕と思索の混迷に喘ぎ、自分を失いかけた。
 城山は、戦後、今の一橋大学(当時は東京商科大学)に入った。
 城山は専業作家になる前、愛知学芸大学で経済論を教えていた。
 そして、『総会屋錦城』で世に出た。これは、異端の経済小説である。
 城山作品すべてに共通するのは、必ず自分の足で歩いて丹念に調べ執筆していること。調べるという学者の職能を大いに発揮して、インプットが多いほどアウトプットも多いと素朴に信じ、行動した。フットワークありきの小説執筆を皮肉って、城山のことを足軽作家と呼んだ文芸評論家がいた。
 城山は、資料収集から取材・執筆まで、スタッフを使うことなく、なにもかも一人でやってのけるのを原則とした。そのために投じる労力は計り知れず、流行作家のようには原稿の量産がきかない。城山三郎には才能があった。その才能とは、ケタはずれの努力をすることである。
 私が城山三郎の本として読んで記憶に残っているのは、『毎日が日曜日』『素直な戦士たち』などです。企業の内幕ものとして、高杉良の先輩作家というイメージがあります。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

追録・蘇った「いつつぼし」記念パーティー

カテゴリー:社会

著者 内田 雅敏・鈴木 茂臣、 出版 れんが書房新社
 愛知県蒲郡市出身の内田雅敏弁護士による『いつつぼし』(昭和28年12月に発行された、当時、蒲郡南部小学校2年生の作文集)の発掘遺文ともいうべき文庫本です。
 ここまでやるか、と感嘆・感動・感銘を受ける追録集でした。私は知りませんでしたが、内田弁護士は、『法曹界の新宿鮫』とも呼ばれているそうです。そういえばそうかな、とつい思わずうなずいてしまったことでした。
 著者は、『乗っ取り弁護士』『敗戦の年に生まれて』など、いくつもの著書を出し、集会で飛びぬけて大きな声を出して周囲を驚かす快男児でもあります。といっても、私よりはいくらか年長です。私とは日弁連憲法委員会の同じメンバーとして、月に一回ほど顔を合わせる仲間です。
 ぶらんこ(2花 松井 延子)
 冬になるとぶらんこは、だれものらなくて、さびしそうにかぜにゆら、ゆらゆれています。かぜとなにか話しているよう、かぜも、ぶらんこもさびしそうだ。
 お正月(2花 井上 稔)
 お正月、まちどおしいな。マラソンで早くとんでこい。いいにおいするげたはいて、母ちゃんといなかのじいちゃんのとこへ、おきゃくにいくんだ。
 うーん、どちらもいい詩ですね。子どもの素直な心がそのままにじみ出ていますよね。
 昨年6月に開かれた同窓会のときには、当時の5人の担任のうち、女性3人が全員出席されたとのことです。残念なことに、男2人の先生は亡くなっていました。残念ですね。
 戦後の厳しい世の中を生き抜いてきた内田弁護士たちが、戦争だけは起こしてはならないという、担任だった鈴木久子先生の思いをしっかり受けとめていることもよく分かる本でした。内田弁護士の、今後ますますの健闘を期待します。
 
先日、仏検(1級)のみじめな結果をご報告しましたが、少し補足します。合格点は84点でしたから、その半分しか取れなかった。逆に言うと、2倍の努力をしないと合格できないということです。そして、合格率は10.8%でした。
(2009年6月刊。500円+税)

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