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カテゴリー: 社会

タケ子 Ⅱ

カテゴリー:社会

 著者 稲光 宏子、 新日本出版社 出版 
 
私が弁護士になる前のことです。1973年(昭和48年)6月、私は司法修習生でした。大阪で参議院の補欠選挙があり、自供対決の一騎打ちで共産党の女医さん(50歳)が自民党の資本家(製薬会社の社長)候補を打ち負かしたのです。しかも、劇的な逆転勝利でした。
これを知って、ずっとずっと長く続き、不敗と思われていた自民党政権も変えることができるんだとまだ20歳代だった若き私の熱い血が騒ぎました。あれから40年たち、自民党政権が本格的に退場し、民主党政権の迷走ぶりはともかくとして、日本の政治だって国民が選挙によって変えることができるという確信を持てたことは大変すばらしいことだと考えています。
それはともかくとして、この本は40年も前に自共対決で共産党がなぜ自民党に勝てたのか、勝った女医さんとはどんな人だったのか、等身大で明らかにしています。とても読みごたえのある本で、青森への出張の帰りの機内で私は一心に読み耽りました。
ドクタータケ子は大阪の下町(姫島)で地元の人々に支えられて診察所を開設します。まだ20代でした。ともかく、昼となく夜となく診察し、その合い間には自転車で患者宅へ往診に出かけていくのです。そして、大水害が起きると、小船に乗って被災者のなかの患者を診てまわります。いやはや、その行動力や、馬力のすさまじさに圧倒されてしまいます。若いって、やっぱり素晴らしいですね。還暦を過ぎて、つくづくそう思います。
そして、推されて市会議員に立候補します。地元の圧倒的な支持をもとに、たちまち当選。32歳の市会議員が誕生しました。医者と「二足のわらじを履く」生活が始まったのでした。
市会議員になってからも、市民とともに要求実現の運動にとりくみます。旧来の政治家のように、「オレに、私にまかせておきなさい」というのではありません。これだったら、財界本位の自民党候補者にたしかに一騎うちで勝てたんだろうなと納得できました。
読んで元気と勇気の湧いてくる本です。若返ります。少なくとも気分だけは……。 
(2010年4月刊。1800円+税)

「沖縄核密約」を背負って

カテゴリー:社会

 著者 後藤 乾一 、岩波書店 出版 
 
 私は国際政治学者だった若泉敬(けい)なる人物をはじめて知りました。沖縄返還の日米首脳交渉に首相の特使として深く関与したという人物です。当時は、まだ30代半ばの気鋭の学者でした。佐藤栄作首相の特使として、隠密裡にアメリカ側のキッシンジャー大統領補佐官(のちに国務長官)と交渉していたのでした。
表面に出た日本合意は、実はは裏に密約があり、それを否定しつつ、佐藤首相は「非核三原則」を貫いたとしてノーベル平和賞を受賞したというのです。とんでもないペテンです。でも、考えようによっては、表に出た「非核三原則」がノーベル平和賞をもらったということで、日本政府をしばり、国際平和の維持に結果として多少なりとも貢献したことになるのでしょうね・・・・。
 若泉敬は戦後の東大で新人会に関わったが、これは戦前の同名団体とはまったく関係なく、むしろ反共リベラルの団体だった。沖縄がまだアメリカ軍政下にあり、復帰運動に対して、そんなことは共産主義者に利用されるだけだからやめとけという脅しが公然となされていた時代です。
 佐藤首相は、1965年1月、マクナマラ国防長官との会談のとき、海上の核兵器の持ち込みは容認すると発言した。いやはやひどいものです。二枚舌も、ここまで来ると許せません。といっても、鳩山前首相も同じようなものでしたね。いずれも、アメリカには、ひたすら従順に服従するのみです。菅首相も、就任直前、いのいちばんにアメリカのオバマ大統領に電話して日米合意を守ることを約束しました。国民に対して十分な説明をするより前にですよ・・・・。
 1965年1月、佐藤首相は初めて訪沖し、沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わっていないという声明を発表した。1969年5月、日本は沖縄にあるアメリカの核兵器の存続を認める秘密合意議事録を作成した。つまり、緊急時にアメリカは核兵器を沖縄に持ち込むことが出来ることを日本は認めたのです。
 表向きは「核抜き全面返還」としつつ、裏では「暗黙の了解」としてアメリカの核持込みを日本政府は許したのでした。これこそ二枚舌の典型です。アメリカは、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、カデナ、ナハ、ヘノコ、・・・・の基地をいつでも使用できる状態としておき、重大な緊急事態が生じたときには、活用できるものとする・・・・。(1969年11月21日)。
 「核密約」なるものは、いくつも存在したようです。今もって、その全貌が明らかになっているとは考えられません。
 また、主人公の晩年が幸福なものだったとは思えない記述もあります。「核密約」の一端を知るうえで、大変貴重な資料となる本でした。
(2010年4月刊。3600円+税)

キムラ弁護士、小説と闘う

カテゴリー:社会

著者:木村晋介、出版社:本の雑誌社
 私の敬愛するシンスケ先生の最新作です。この本を読んで、私は早速、3冊の本を注文しました。読書中毒症の私は、他人(ひと)が素直に面白いと言ってすすめている本はなるべく読むようにしているのです。
 書評でもない、評論でもない。裁判記録を読むように小説を熟読玩味する、キムラ弁護士ならではの面白小説論。
 オビに書かれた、このキャッチフレーズのとおりの本でした。
 いやはや、よくぞここまで読み尽くし、また書き尽くしてあるかと、ほとほと感嘆・感動、感銘を受けました。
 たくさんの本がとりあげられています。年間500冊以上の読書量を誇る私ですが、その大半は読んでいない本でした。というより、読んだ本は何冊かしかなく、我ながら不思議に思ったほどです。
 シンスケ先生は「月光仮面」にあこがれ、「ペリーメイスン」をみて弁護士を志したということです。「月光仮面」をみたのは私が小学生のころです。まだ我が家にはテレビがなくて、よその家で見せてもらっていたように思います。
 近くの銭湯には、奥の居間にテレビがありました。内風呂はありますが、銭湯を利用しないとテレビをみせてはもらえませんので、銭湯に入ったこともありました。
 紅白歌合戦の何日か前、テレビがついに我が家にもすえつけられて大喜びしたことを思い出します。
 「ペリーメイスン」は、日曜日の午前中に放映されていた記憶があります。私の実家は小売業の酒屋でしたから、毎月1回、掛け売りの集金と空き瓶の回収に社宅をまわりました。そのとき、テレビで「ペリーメイスン」をやっていて、見れないのが残念だと思っていました。
 シンスケ先生、これからも落語とあわせて書評にもぜひ健筆を奮ってください。
(2010年2月刊。1600円+税)

生きるって、人とつながることだ!

カテゴリー:社会

著者:福島 智、出版社:素朴社
 9歳で失明し、18歳で聴力を失った「全盲ろう者」の著者が東大教授として活躍しています。見えない、聞こえないのに会話は出来るのです。なぜか?指点字という方法があるのです。図解してありますが、両方の手指のうちの両手3本ずつを使います。親指と小指は使いません。これで、五十音だってアルファベットだって数字だってあらわせるのです。しかも、母親が思いついたというのです。すごいです。えらいです。
 ちょっと見ただけでは覚えきれません。必死になれば身につくのでしょうね。同級生がまたたくまに覚えてそうですから、意欲さえあれば覚えて使えるようです。
 盲ろう者にとって、香りあるいは匂いは大切な情報源である。香水やシャンプーの香りだけでなく、さまざまな匂いに敏感になる。
 香りは実生活に役に立つというだけでなく、心に対しても不思議な作用を及ぼすらしい。香りが思い出と結びついているのも、その一つだ。
 私にとって干した稲ワラの匂いは子ども(小学生)のころ、田舎(大川)のおじさん(父の弟)宅の田んぼにあった稲ワラ積みの匂いです。その匂いをかぐと一瞬にして小学生の夏そして冬休みに記憶が戻ります。そして、この匂いは魚(フナ)釣りの思い出に結びついています。おじさん宅の前のクリークで夕方まで魚釣りをしていました。
 盲ろう者にとって大きな楽しみの一つは食べることである。視覚と聴覚を奪われているだけに、味覚と嗅覚は敏感だ。いきおい、食べることへの執着が深まる。といっても、必ずしも一般の人に比べて盲ろう者の鼻がいいとか、舌が肥えていることを意味するわけではない。目と耳から入る情報がないので、いわば「味そのもの」が純粋に感覚の対象になるということ。
 盲ろう者には本好きが多い。後天的に視覚と聴覚を失った人の場合、まず例外なく読書家である。盲ろう者のなかには、毎日、朝から晩まで本ばかり読んでいるという人がいるが、これは誇張ではない、
 盲ろう者はテレビが見えず、ラジオも聞けない。一人で散歩もできないし、電話で気軽におしゃべりを楽しむことも無理だ。一日中、することがない状態に置かれる。こうした状況下では、多くの盲ろう者は本を読まずにはいられない。外界の情報から隔絶された自らの希薄な現実自体を読書によって埋めようとする側面がある。
 ただし、生まれつき、あるいはごく幼い時期に盲ろう者となった人は本に興味の持てない人が少なくない。
 引越のときに苦労したのは点字書。やたらにかさばる。点字書だけでダンボール箱  150個ほどにもなる。うへーっ、そ、そうなんですね・・・。驚きました。
 すごい人です。読んでいるうちに元気が素直にもらえる、いい本です。
(2010年3月刊。1600円+税)

名著講義

カテゴリー:社会

著者:藤原正彦、出版社:文藝春秋
 中学生のころ、大学入試問題の数学(幾何)をすらすら解けたというのですから、私なんかには想像もできない天才的頭脳をもった数学者です。ところが、父親がかの新田次郎で、その血を受け継いだのでしょうか、文章も見事で、ともかく読ませます。
 東大に入って、3年生になって本郷に行ったとき、それまで自分より優秀な人間がいると感じたことはほとんど無かったけれど、初めて世の中にはずいぶん優秀な人間がいると驚いたというのです。まるでレベルの違う別世界の話ですね。
 著者は、仕事をなしとげるのに大切な三要素があるといいます。
 その一は、野心。身分相応な望みだけでは発展は望めない。野心があってこそ困難な研究に乗り出すことができる。
 その二は執着心。とにかく諦めないこと。執着心がなければ、大きなことを成し遂げることはできない。
 その三は楽観的であること。これがもっとも大切。自分を客観的に見たら人間は生きていけない。おめでたくてよい。主観的でいい。楽観的でないと脳が全開しない。楽観的でなければ、挫折したときに立ち直ることができない。
 いやあ、実にいい指摘ですよね。売れないモノカキである私も、これまで同様、うまずたゆまず、書きすすめていきたいと改めて思いました。
 この本は、著者の勤めるお茶の水女子大学で十数年にわたって読書ゼミを続けてきたものの一端が再現・公開されたものです。
 ゼミ受講生になるには2つの条件がある。その一つは、毎週1冊の文庫を読む根性があること。その二は、毎週1冊の文庫を買う財力があること。
 ゼミを再現するにあたっては、文藝春秋の20代末の女性編集者がジーンズをはいて 10歳も若づくりしてゼミに潜入し、録音テープをまわしたといいます。これまた、すごい取材方法です。
 取り上げられた本は、福沢諭吉、内村鑑三、「きけ、わだつみの声」「逝きし世の面影」「忘れられた日本人」「山びこ学校」などです。
 日本の国の昔の実際の姿に今どきの大学生が接したときの率直な驚きも再現されていて、大変面白い内容となっています。
 江戸時代260年間に切腹や戦争で死んだ人は恐らく合計で1万人以下。そのころ、世界の主要国は、どこも、その間に戦争や革命で数十万人から数百万人も死んでいる。
 武士の支配した江戸時代は、残酷どころか、世界的に輝く平和の時代であった。
 戦後、日本の経済復興がとてもうまくいったのは、理工系の人々が徴兵延期となって戦争にそれほど行かなかったから。学徒出陣したのは、主として法文系の学生だった。
 1820年代に長崎出島にいたオランダ人フィッセルは、専制主義は、この国(日本)では、ただ名目だけであって、実際には存在しないとした。
 大変興味深く読みとおしました。
(2009年12月刊。1500円+税)

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