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カテゴリー: 社会

キムラ弁護士、小説と闘う

カテゴリー:社会

著者:木村晋介、出版社:本の雑誌社
 私の敬愛するシンスケ先生の最新作です。この本を読んで、私は早速、3冊の本を注文しました。読書中毒症の私は、他人(ひと)が素直に面白いと言ってすすめている本はなるべく読むようにしているのです。
 書評でもない、評論でもない。裁判記録を読むように小説を熟読玩味する、キムラ弁護士ならではの面白小説論。
 オビに書かれた、このキャッチフレーズのとおりの本でした。
 いやはや、よくぞここまで読み尽くし、また書き尽くしてあるかと、ほとほと感嘆・感動、感銘を受けました。
 たくさんの本がとりあげられています。年間500冊以上の読書量を誇る私ですが、その大半は読んでいない本でした。というより、読んだ本は何冊かしかなく、我ながら不思議に思ったほどです。
 シンスケ先生は「月光仮面」にあこがれ、「ペリーメイスン」をみて弁護士を志したということです。「月光仮面」をみたのは私が小学生のころです。まだ我が家にはテレビがなくて、よその家で見せてもらっていたように思います。
 近くの銭湯には、奥の居間にテレビがありました。内風呂はありますが、銭湯を利用しないとテレビをみせてはもらえませんので、銭湯に入ったこともありました。
 紅白歌合戦の何日か前、テレビがついに我が家にもすえつけられて大喜びしたことを思い出します。
 「ペリーメイスン」は、日曜日の午前中に放映されていた記憶があります。私の実家は小売業の酒屋でしたから、毎月1回、掛け売りの集金と空き瓶の回収に社宅をまわりました。そのとき、テレビで「ペリーメイスン」をやっていて、見れないのが残念だと思っていました。
 シンスケ先生、これからも落語とあわせて書評にもぜひ健筆を奮ってください。
(2010年2月刊。1600円+税)

生きるって、人とつながることだ!

カテゴリー:社会

著者:福島 智、出版社:素朴社
 9歳で失明し、18歳で聴力を失った「全盲ろう者」の著者が東大教授として活躍しています。見えない、聞こえないのに会話は出来るのです。なぜか?指点字という方法があるのです。図解してありますが、両方の手指のうちの両手3本ずつを使います。親指と小指は使いません。これで、五十音だってアルファベットだって数字だってあらわせるのです。しかも、母親が思いついたというのです。すごいです。えらいです。
 ちょっと見ただけでは覚えきれません。必死になれば身につくのでしょうね。同級生がまたたくまに覚えてそうですから、意欲さえあれば覚えて使えるようです。
 盲ろう者にとって、香りあるいは匂いは大切な情報源である。香水やシャンプーの香りだけでなく、さまざまな匂いに敏感になる。
 香りは実生活に役に立つというだけでなく、心に対しても不思議な作用を及ぼすらしい。香りが思い出と結びついているのも、その一つだ。
 私にとって干した稲ワラの匂いは子ども(小学生)のころ、田舎(大川)のおじさん(父の弟)宅の田んぼにあった稲ワラ積みの匂いです。その匂いをかぐと一瞬にして小学生の夏そして冬休みに記憶が戻ります。そして、この匂いは魚(フナ)釣りの思い出に結びついています。おじさん宅の前のクリークで夕方まで魚釣りをしていました。
 盲ろう者にとって大きな楽しみの一つは食べることである。視覚と聴覚を奪われているだけに、味覚と嗅覚は敏感だ。いきおい、食べることへの執着が深まる。といっても、必ずしも一般の人に比べて盲ろう者の鼻がいいとか、舌が肥えていることを意味するわけではない。目と耳から入る情報がないので、いわば「味そのもの」が純粋に感覚の対象になるということ。
 盲ろう者には本好きが多い。後天的に視覚と聴覚を失った人の場合、まず例外なく読書家である。盲ろう者のなかには、毎日、朝から晩まで本ばかり読んでいるという人がいるが、これは誇張ではない、
 盲ろう者はテレビが見えず、ラジオも聞けない。一人で散歩もできないし、電話で気軽におしゃべりを楽しむことも無理だ。一日中、することがない状態に置かれる。こうした状況下では、多くの盲ろう者は本を読まずにはいられない。外界の情報から隔絶された自らの希薄な現実自体を読書によって埋めようとする側面がある。
 ただし、生まれつき、あるいはごく幼い時期に盲ろう者となった人は本に興味の持てない人が少なくない。
 引越のときに苦労したのは点字書。やたらにかさばる。点字書だけでダンボール箱  150個ほどにもなる。うへーっ、そ、そうなんですね・・・。驚きました。
 すごい人です。読んでいるうちに元気が素直にもらえる、いい本です。
(2010年3月刊。1600円+税)

名著講義

カテゴリー:社会

著者:藤原正彦、出版社:文藝春秋
 中学生のころ、大学入試問題の数学(幾何)をすらすら解けたというのですから、私なんかには想像もできない天才的頭脳をもった数学者です。ところが、父親がかの新田次郎で、その血を受け継いだのでしょうか、文章も見事で、ともかく読ませます。
 東大に入って、3年生になって本郷に行ったとき、それまで自分より優秀な人間がいると感じたことはほとんど無かったけれど、初めて世の中にはずいぶん優秀な人間がいると驚いたというのです。まるでレベルの違う別世界の話ですね。
 著者は、仕事をなしとげるのに大切な三要素があるといいます。
 その一は、野心。身分相応な望みだけでは発展は望めない。野心があってこそ困難な研究に乗り出すことができる。
 その二は執着心。とにかく諦めないこと。執着心がなければ、大きなことを成し遂げることはできない。
 その三は楽観的であること。これがもっとも大切。自分を客観的に見たら人間は生きていけない。おめでたくてよい。主観的でいい。楽観的でないと脳が全開しない。楽観的でなければ、挫折したときに立ち直ることができない。
 いやあ、実にいい指摘ですよね。売れないモノカキである私も、これまで同様、うまずたゆまず、書きすすめていきたいと改めて思いました。
 この本は、著者の勤めるお茶の水女子大学で十数年にわたって読書ゼミを続けてきたものの一端が再現・公開されたものです。
 ゼミ受講生になるには2つの条件がある。その一つは、毎週1冊の文庫を読む根性があること。その二は、毎週1冊の文庫を買う財力があること。
 ゼミを再現するにあたっては、文藝春秋の20代末の女性編集者がジーンズをはいて 10歳も若づくりしてゼミに潜入し、録音テープをまわしたといいます。これまた、すごい取材方法です。
 取り上げられた本は、福沢諭吉、内村鑑三、「きけ、わだつみの声」「逝きし世の面影」「忘れられた日本人」「山びこ学校」などです。
 日本の国の昔の実際の姿に今どきの大学生が接したときの率直な驚きも再現されていて、大変面白い内容となっています。
 江戸時代260年間に切腹や戦争で死んだ人は恐らく合計で1万人以下。そのころ、世界の主要国は、どこも、その間に戦争や革命で数十万人から数百万人も死んでいる。
 武士の支配した江戸時代は、残酷どころか、世界的に輝く平和の時代であった。
 戦後、日本の経済復興がとてもうまくいったのは、理工系の人々が徴兵延期となって戦争にそれほど行かなかったから。学徒出陣したのは、主として法文系の学生だった。
 1820年代に長崎出島にいたオランダ人フィッセルは、専制主義は、この国(日本)では、ただ名目だけであって、実際には存在しないとした。
 大変興味深く読みとおしました。
(2009年12月刊。1500円+税)

もうひとつの剱岳・点の記

カテゴリー:社会

著者:山と渓谷社、出版社:山と渓谷社
 明治40年、前人未踏の山・剱岳に挑んだ男たちを描いた映画「剱岳・点の記」の撮影のときの裏話と写真が満載の本です。
 ラストシーンに手旗信号が出てきます。これは、原作にはありません。木村大作監督のアイデアでした。遠くにいる人にも心は通じるという思いを込めたこのシーンは、本当にいちばん最後に撮られた。なーるほど、よく撮られた、感動的なシーンでした。
 映画制作に2年、ロケで200日は山に入った。機材を持って自分の足で歩き、自分の荷物は自分で持つ。山小屋では雑魚寝だし、テントにも泊まる。
 ロケ中は、撮影場所まで行くのが一番大変だった。主人公の柴崎芳太郎が測量した27ヶ所のうち22ヶ所をまわった。片道9時間もかけて現場へ行って、撮影したのは2カットだけということもあった。
 撮影の途中でスタッフがケガをした。これによって、山には危険がつきもの。無理をしてでも行きましょうという案内人・長次郎の台詞が生まれた。
 木村監督はヘリコプターをつかっての空撮はしなかった。ヘリでは風景になる。ドラマは感じない。歩いて、人の目線で撮ると、それだけで、ドラマになるんだ。
 撮影は瞬発力。準備も、技術も、理屈も、考えている時間はない。いきなりトップギヤで突っ走るしかない。自然も待ってはくれない。
 新田次郎について語った娘の話。マスコミによく登場する歴史学者が手に山ほどの本をかかえて、新田次郎にこう行った。
 「いいですねえ、小説家さんは。ペンと原稿用紙さえあれば書けるんですから」
 新田次郎は次のように言い返した。
 「いいですねえ、学者さんは。本さえあれば書けるんですから」
 新田次郎は、歴史学者は史実を正確に把握、読解し、言い表さなければならない。小説家は、その史実と史実の間に埋没している人間の苛烈な深層心理を書くのだと言いたかったのだろう。
 モノカキ志向の私には、この深層心理を書くという点が課題だと痛感しています。
 剱岳の神々しいまでに美しい写真の数々に魅せられてしまいます。でも、寒さに弱い私は、それに勇気もありませんので、写真をじっと眺めるだけで良しとしておきます。
(2009年7月刊。2000円+税)

わが記者会見のノウハウ

カテゴリー:社会

佐々 淳行  著 、文芸春秋 出版 
 確かに不祥事は、いかなる団体、組織にもつきものです。それが発覚したとき、トップはいかに対処すべきか、また、部下は上司に対してどう進言したらよいか、日頃から考えておくべきことでしょう。
 私も、前にも書きましたが、弁護士会の役員をしていたとき、2回にわたって苦しい記者会見をさせられました。そのとき、日頃なじみのある記者も、ない記者からも厳しい質問が飛んできました。これは立場の違いから、仕方ありません。もっとも、日頃の飲みにケーションも私は不十分だったのは事実です。なにしろ、当時も今も、二次会には行かない主義ですから。それより私は一人で本を読んでいたいのです。
 そのとき私が心がけたのは、テレビカメラの回っている場なので、第1に自分からは決して席を立たないようにしよう、後ろ姿を撮られて「逃げるのか」という罵声を浴びせかけられるようなことはしないこと、第2に、質問に対しては出来るだけ誠意をもってカメラ目線で正面を向いて答えようということでした。記者会見は2回とも思ったより長く、30分以上もかかってしまいましたが、幹事の記者から、「これでおわります」という言葉が出て、カメラが閉じられるまで席を立ちませんでした。成果の報告、売り込みならニコニコしてやれるわけですが、なにしろ不祥事にともなうものでしたから、笑っているわけにもいかず、苦虫をかみつぶしたような顔で終始していなければならず、それも大変でした。
ちょっとした交通事故を息子が起こしたときに、どうするか?
 しかるべき地位にいて多忙な父親が、多すぎず、少なすぎずの額の現金をもって率直な謝罪に行くことがポイント。金額は、当座の費用として加害者が持ってくるだろうと先方が思っている金額の2倍が目安。本人に命じて、残高ゼロの預金通帳を差し出す。現金は10万円でも30万円でもいい。モノを言うのは、残高ゼロの通帳である。
 なーるほど、こういう手もあったのですね・・・・。
ひとたび問題が起きたときは、最初の動きが非常に重要である。危機管理の記者会見は、最初の一言で勝敗が決する。
 不祥事や失言など、問題の起きたときの「守りの記者会見」こそ、広報担当官の真価が問われる。このときは、すべての記者を敵に回すような、逆境での記者会見になる。
 正しいユーモア感覚の持ち主でないと厳しい攻撃的な記者会見は乗り切れない。隠したがり屋や杓子定規な官僚タイプの人、自分のコントロールができてない人も向かない。
 事前に打ち合わせをして、言ってはいけないことを確認してから発表の場にのぞむ。何でも聞かれたことには答えているかのように見せかけつつ・・・・。なるほど、なるほど、です。
 記者会見は、言葉による危機管理であり、言葉のたたかいである。言葉はたたかいの武器であり、平和を回復させる手段にもなる。単に前例を踏襲すると失敗する。緊急会議に集まった5人なら5人の、人生50年の集大成みたいな一言、これが組織の危機を救う。
 謝るのなら、誰に向かって謝るのか、はっきりさせておく必要がある。
 一語一句に注意を払いながらも、誠意と人間味をもって対応する。
 ネバー・セイ・ネバー。危機管理の鉄則である。「決して」と「決して言うな」。二度と決してこのようなことは起こしませんとは、絶対に記者会見で言ってはいけない。どれだけ最善を尽くしても、また起こってしまうことがある。努力してもゼロには出来ないことがある。
 新聞記者と犬と責任は、逃げると追ってくる。これを肝に銘じる。社会部の記者は猛獣である。それほどでなくても、政治部の記者も半ば猛獣である。手なずけているつもりでも、ガブッとやられる。猛獣然としていないだけに、かえって危険な面がある。
 ただ、「一切しゃべるな」では、口止めにならない。これは話してはいけないという、ネガティブリストの作成なしに「一切言ってはいけない」では、口止めにならない。あの全裸事件を起こした直後の草なぎ剛の謝罪記者会見のとき、最長28秒の沈黙があり、5秒ほどの沈黙は10回もあった。このことについて、ワイドショーは、自分で言葉を選びながら誠実に答えていたと評価した。普通なら、28秒もの沈黙は許されない。
いろいろ大変勉強になる本でした。  
(2010年2月刊。1524円+税

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