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カテゴリー: 社会

その後の不自由

カテゴリー:社会

著者  上岡 陽江・大嶋 栄子、  医学書院 出版 
 
 大変勉強になり、また目を大きく開かせる本でした。
いい嫁をやりたい人ほど自分の子どもたちには我慢させて、夫の家族や親戚に尽くす。そのように真面目に嫁をやりすぎたら、突然、子どもが摂食障害になってしまったというケースは多い。
 家族のなかで、自分の子は二の次になってくる。その子たちは、自分のことはずっと我慢し、たえず他人(ひと)のことを優先させるという形で育つ。ところが、高校、大学を出たあたりで段々、身動きがとれなくなってしまう。
薬物やアルコール依存症の女性は、原家族のなかに問題があった例が多い。父のアルコール依存症や暴力、両親の不和などのため、家庭内に緊張感がある。
 家族のなかで、問題が大きかった人ほど、大人になってからも、しょっちゅう自分からトラブルのなかに入っていく。危ない男の人のところに行ってしまう。この人、いつも大変な目にあっているから、私が支えなきゃ、と思う。できたら、そのトラブルを自分がかかわる形で解決させたいと思うのだ。そのような人にとっては、日常が危険で、非日常が安全なのだ。攻撃と密着を愛情と勘違いして教えられてしまった人たちでもある。だから、ヤクザや暴走族のほうを安全と感じてしまう。
ニコイチの関係とは、相手と自分がぴったり重なりあって、二個で一つという関係のこと。このニコイチとDVは表裏一体の関係にある。相手と自分とのあいだに境界線がないときに暴力が出てくる。言葉じゃなくて、すぐに行動化するのは、言葉がつながっていない人たちだから。
相手が試すような行動をしているときに、「死ぬな!」と言ってやめさせようとするのは、ヒモの両端をお互いに引っ張りあっているようなものだ。ところが、身体の手当てをする行為によって、このパワーゲームから別のところへ行ける。自分の病気を受け入れると、回復とは回復しつづけることなんだということが分かってくる。回復するときに乗り越えるべきものがある。それは、変化することを受け入れられるかどうかということ。変化しつづけることが一番安定することなのだ。
 ところが依存症の人は、変化したくない。不安だから、今日のままでいたいと願う。回復には長い時間がかかる。回復とは、どこかに到達することではなく、むしろ変化しながら、より安定した暮らしを維持すること。だから、一つの機関、一人の援助者がずっとその過程を伴走できるとは限らない。むしろ、そんなことはきわめてまれなこと。自分の出来る支援を精一杯して、次の援助者にバトンを渡せばいいのだ。
眠いとか、おしっこしたいとかいう生理的要求というのも、実は、その表現の仕方を教えられて初めて表出できることなのである。
 専門職のなかには、グチを聞くことをひじょうにネガティブにとらえる人が多い。しかし、相談するというのは誰にとっても難しいことなのである。本人には、何が問題なのか分からなくなっている。グチを聞くのも、専門家の大きな役割なのではないか。心の痛みが静かな悲しみに変わるためには、数え切れないくらい同じ話を誰かに聞いてもらわないといけないのだ。
リストカットする(手首を切る)ような人には日常がない。普通の生活というのは、抽象的なものでしかない。だから、実際の普通ってこういうものだというように具体化することが大切。たとえば、料理や掃除が大事なのだ。
 回復途上の男性が働いて給料をもらうと、なぜか車やオーディオなど、不釣合いなくらい高価なものに多額のお金をつぎ込んでしまう。それは誰かと楽しむための道具というより、自分ひとりで満足するためのもの。そこには、他人とつながっている感じが希薄である。これは「ただ遊ぶ」という体験の乏しさの裏返しではないか。
 暴力に関していうと、被害者は加害者意識にみちて、加害者は被害者意識にみちていることがある。被害者は、「自分が相手に暴力をふるわせるようなことをしたのではないか」という罪悪感をもつ。そして、加害者は、「むしろ自分こそが被害者だ」という思いを抱いている。そして、意識だけでなく、実際に被害者が加害者であること、加害者が被害者であることもある。
 重い暴力、激しい暴力にさらされた人ほど、被害体験だけでなく加害体験をもっていることがある。まわりから、「客観的」にみれば加害者とみなされている人たちは、自分たちこそ被害者だと思っていることが多い。
 切迫した恐怖と焦燥感に転じる人を人間関係のテロリストという。人が集まって、なごやかに談笑する場面でマイナスの感情に支配され、その場をぶち壊すような発言をする。その現象を自爆テロと呼ぶ。その場をぶち壊すことには成功したが、自分自身も、その場に受けいれられるチャンスを失ってしまった。彼らは、いつも関係を壊そうとするエネルギーに満ちている。また、長く続けてきた関係を突然、切ろうとする。心からそれを望んではいないことが言葉ではなく伝わるか、次々と周りとトラブルと起こすし攻撃性を向けるので、次第にまわりから人がいなくなるし、援助者もそんな彼らから距離を置こうとする。すると、ますます人間関係のテロリストたちはいきり立つ。そして、自分たちに関心を向けてくれる人たちや手助けをしようとする人たちがようやく現れたのに、そこへ一気に「試し行為」のテロ攻撃を集中的に行う。
そんなとき、共感はするが、巻き込まれないという援助では、何もできない。一定の距離を置いたのでは、問題の核心に触れることができない。でも、これってなかなか難しいことですね。一人でしょいこまないようにするしかないのでしょうね。
セックス「依存症」の女性にとっては、セックスが快感というよりも、相手から一瞬でも必要とされる存在である自分を確認する行為なのである。その背景には、度重なる被害体験のなかでできあがってきた自己肯定感の低さがある。
小児ぜんそく、摂食障害、アルコール依存症という自分の体験にもとづくアドバイスなので、とても説得力があります。250頁、2100円の本ですが、価値ある一冊です。
(2010年9月刊。2000円+税)

白日夢、素行調査官2

カテゴリー:社会

著者 笹本 稜平、   光文社 出版 
 
 このコーナーでは久しぶりに紹介する警察小説です。潜入捜査員が自死を選ぶ場面から始まります。ええーっ、このあと、どんな展開になるのだろうという大いなる期待を込めて序幕が上がります。
 警察という役所は、実は隠れた利権の巣密だ。うしろ暗いことをやっている連中は警察が握っている情報が気になるから、それが手に入るなら、いくらでも金を払う。マル暴(暴力団)からみの部署ともなれば、得意先の業界とは持ちつ持たれつだ。便宜を供与すれば見返りがある。暴対法が施行され、理屈から言えば広域暴力団は壊滅していいはずなのに、大半が今も立派に生き残っているのをみれば、その癒着のほどは想像がつく。なーるほど、そうなんですねー。警察の裏金づくりは、いつのまにか曖昧になってしまいました。マスコミが報道しなくなったのは、警察の裏金作りをスクープとして連載した北海道新聞が警察の仕返しに負けたからだという人がいます。きっとそうなんでしょうね・・・・。
 パチンコ機やパチスロ機の検定を委託されている協会(保通協)は警察トップの天下りの受け皿で、前会長は元警察庁長官、元会長は前警視総監だ。そこがパチンコ業界の首根っこを押さえているわけだから、OB、現役を問わず、この役所の官僚たちが業界から甘い汁を吸っているのは間違いない。警察庁が指定したパチンコやパチスロの用のROMを扱う業者、プリペイドカードの業者も警察官僚の天下りの受け皿だ。たとえ正義感や使命感に燃えて入庁しても、その後の出世競争が人の性格を変えていく。それ以外のことが眼中にないほど集中しないと、あっという間にふるい落とされる。官僚としての職務より出世競争が優先する。それだけシビアな競争社会だ。いくつかある派閥のどこに属するかその選択を一つ誤れば、一生、冷え飯を食わされることになりかねない。
警察を取り締まる警察はないんだ。人事の監察といえども警察内部の一部署に過ぎない。自分たちこそ警察のなかの警察だと見得を切ったところで、警察機構の巨大なピラミッドのなかで発揮できる職権は高が知れている。そのことを思い知らされた。
こんなセリフが登場します。ふむふむ、恐ろしい現実ですね。
 キャリア警察官の腐敗が追及すべき一つのテーマとなっている本でした。
(2010年10月刊。1700円+税)

政治とカネ

カテゴリー:社会

著者   海部 俊樹、   新潮新書 出版 
 
 日本の政治がいかにカネまみれであるか、この本を読むと、その一端が首相にもなった当事者自身が吐露していて、嫌になってしまいます。
 表向きはキレイゴトを言っていても、裏ではお金にモノを言わせて何事も進んでいたのが自民党の政治でした。そして、今、それを批判して誕生したはずの民主党の政治が、まったく同じ道を歩んでいます。その典型例が、月に1億円を自由気ままに使って、その使途をまったく明らかにしなくていい内閣官房機密費です。民主党はその廃止が公約だったと思うのですが、政権をとった今は月1億円をこれまでと同じように使って、その使途を公表しようとはしません。自民党政権とまるで同じです。そして、マスコミは、そのおこぼれにあずかっているからなのでしょうね。深く追求することもしません。月1億円を内閣官房長官の主宰で自由に使ってよくて、その使途も明らかにする必要がないというシステムは、どう考えても民主主義に反すると思います。
首相にもなった村山富市について、著者は許し難い人物だと厳しく批判しています。
 村山富市は長いあいだ社会党の国対委員長をつとめていたが、約束は破る、八百長はする、本会議はめちゃくちゃにするといった許し難い人物であった。
そして、小沢一郎も厳しく批判します。物事がまとまりかけると、自分の存在価値が低くなるから、つぶす。つぶすためには、横車でもなんでもゴリゴリ押して、荒れるなら荒れるでよろしい。小沢一郎はそれを繰り返した。何かがちょっと育ってくるとゴツン、すこし芽が出はじめるとゴツンと叩いてしまう性癖がある。だから、「壊し屋」という異名がついた。
 小沢一郎が幹事長で、著者が党首という新進党をつくったが、このとき、小沢一郎と腹の底から信頼しあう関係を築こうとは思わなかった。小沢一郎の問答無用なやり方、会議に出ない、密室政治、人を呼び出す傲慢さ、反対派への報復人事など・・・・。小沢一郎ほど、側近の出入りが激しい政治家はいない、小沢一郎は、誰にとっても心の通い道をつくれない相手である。
 こんな政党に税金で助成金をだすなんて間違いだと思います。企業献金も禁止して、個人献金のみにすべきです。民主党政権は、この点でも公約違反です。
 政党助成金の主要なつかい道は選挙公報です。大手PR会社である電通やら博報堂が私たちの税金でキレイゴトのPR作戦をして国民を欺いているようなものです。郵政改革を最大の焦点とした小泉選挙の負の遺産に今、私たちは苦しめられているように思うのです・・・・。
それにしても、著者の近影は痛々しさを感じました。政治家というのは、心労がひどい職業なんですね。まともな人にはとてもできない職業です。だから差別発言を繰り返す石原慎太郎がのさばる世界なんでしょうね。残念です。
(2010年12月刊。680円+税)

伝える力

カテゴリー:社会

池上彰 PHPビジネス新書 2007年 840円
かつてNHKの記者や子供ニュースのキャスターを務め、現在はフリーのジャーナリストとして活躍する著者の2007年のエッセイ集。著者の近年の池上ブームといえるほどの大活躍により、改めて本書も脚光を浴び、ベストセラーランキングの上位に名を連ねている。
試しにいくつか目次を拾ってみる。
・深く理解していないと、わかりやすく説明できない
・まずは「自分が知らないことを知る」
・「よい聞き手」となるために
・「型を崩す」のは型があってこそ
・悪口は面と向かって言えるレベルで
・優れた文章を書き写す
・寝かせてから見直す
・アウトプットするには、インプットが必要
・思い立ったらすぐメモ
このように難しいことは何も書かれていない。ただただ人と人との関わり方を易しく易しく書き綴っている。これが「伝える力」の源泉なのだなあと感じる。
振り返って私も平素より「伝える」ことを生業とし、そのことに力を注いでいるつもりであるが、伝える内容の難しさを競うことに自ら陶酔しているところがあるな、とふと気付く。平易であることが大切であることを再認識させてくれる。
また本を読むのに時間がかかる私でさえ、この本を2時間で一気に読み通せた。このような一気に読み通させる迫力も、「伝える力」の本質に一面なのであろうな、と思った。
伝えること、それはその語義からも明らかなように、人が人に云うことである。伝える力を磨くことは、自分を磨くことであり、相手を尊重することであり、伝え、伝えられることの力は、そのような両者の健全で融和な関係の中で生み出されるものであるのであろうな、と考えた。

やめられない-ギャンブル地獄からの生還

カテゴリー:社会

著者  帚木 蓬生、    集英社 出版 
 
 やめられない病気は多い。アルコール、覚せい剤、シンナー、買い物、万引、露出症、セックス・・・・そしてタバコ。やめられない病気は数多いが、そのやめられない度合いの強さと本人の人生上の破滅だけでなく、周囲の人々をとことん苦しめる点において、やめられない病気の最悪のものは、ギャンブル依存である。学生なら勉強が手につかなくなり、社会人は仕事がそっちのけになる。家庭をもっても、不和と離婚。社会的な信用は失い、家族や親類から忌み嫌われ、軽蔑される。
 いくつものギャンブル依存症の症例が紹介されています。私の依頼者にも少なからずいましたし、現にいます。パチンコ店の前を素通りできない人々がいるのです。
借金と嘘。これがギャンブル地獄であがいている人間の見まごうことない二大症状である。悪性腫瘍よりもタチが悪く、治癒しない限り進行し、自然治癒もないのが病的ギャンブリング。
借金の尻ぬぐいは、病気を進行させる厳然たるカラクリがある。チャラにしたつもり、リセットしたつもりというのは見せかけだけ。見えないところで病気はぐんと進行している。
 著者のクリニックで初診した100人がギャンブルに平均して投入した金額は1300万円。うひゃあ、ちょっとした中古マンションが買えますね。ギャンブル開始年齢は20歳前後、受診時の平均年齢が39歳、19年間に1300万円がギャンブルで消えた計算になる。
 受診までにギャンブルに使った最高額は1億600万円。借金をかかえたギャンブル依存症の患者に対しては、一番いいのは、放置すること。本人の借金は、あくまで本人が少しずつでも返済していく。この重しが、再びギャンブルへと足を踏みはずさないためのガードレールの役目をしてくれる。
 病的ギャンブラーの頭のなかでは、寝ても覚めても、どんな巧妙な嘘をつけばいいかで占められている。思考がそこに集中するので、編み出された嘘は成功に出来ていて、なかなか見破れない。
 借金と嘘。この二大症状のために骨の髄まで苦しむのが配偶者であり、親兄弟である。本人はケロリとしているのに対し、周りの者が、心労からことごとく病気になっていくのが、病的ギャンブリングの特徴である。
 本人そして家族の錯覚は、この病気が本人の「意思」の力でどうにでもなると思っていること。この病気は「意思」とは無関係。ギャンブル地獄に落ちてしまっている病人には、もう「意思」はないと考えるべき。「意思」よりも強い脳の変化が、そうさせてしまっている。
 年少時にギャンブルを始めればはじめるほど、病的ギャンブリングにうつ病が合併しやすく、自殺企図にまで至りやすい。
病的ギャンブリングに効く薬はない。病的ギャンブリングには、自然治癒もなく、進行性である。回復の方位はただ一つ。週1回以上の自助グループへの参加と、月1回の通院、受診である。
鬼よりもロボットよりも悪いのが病的ギャンブラーである。
人間性を回復したとき、人は自然に次の三つの言葉が言える。
ありがとう。お世話かけるね。ごめんね。
なーるほど、ですね。お互い、いつまでまっとうな人間でありたいものです。作家として高名な著者は、本業の精神科医としてギャンブル依存症の治療に積極的に関わっています。
 私は少し前に、著者と個人的に話すことがありました。一年に一作ということで、その前の取材に何年かかけるということです。なるほど、よく出来ていると感心することばかりの本です。この本は、実践的な啓蒙書として読み通しました。
(2010年9月刊。1200円+税)
 フランス語の試験が終わったあと、KBCシネマで『ハーモニー』という韓国映画を観ました。いやあ、本当に心が洗われるっていうのは、こんなことを言うのですね。澄み切った歌声がまさしくハモっていて、素晴らしい映画でした。心の震える2時間が、あっというまにたっていました。女子刑務所のなかで収容者たちが合唱団をつくっていき、ついには外部でも発表するまでの出来栄えになったという実話に基づく映画です。指揮役の大女優の貫録に心が打たれました。ぜひみて下さい。

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