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カテゴリー: 社会

NO LIMIT

カテゴリー:社会

 著者 栗城 史多、 サンクチュアリ 出版 
 
 日本人初、エベレストの単独・無酸素登頂。そして世界初となるエベレスト登頂のインターネット生中継に挑戦。
 私はテレビも見なければ、ネットサーフィンをすることもありませんので、著者のネット中継なるものを見たことはありません。でも、恐らく、あまりにも生々しくて、怖さを感じてしまうでしょうね・・・・。
 小さな体で一人。ビデオカメラを片手に巨大な山に向かっていく。上がったり、下がったりをくり返しながら、少しずつ、少しずつ頂上を目ざす。
この本には、写真をバックとして、こんな詩のようなフレーズに満ち充ちています。それが心地よく胸に響いてくるのは、やはり山々の写真の素晴らしさが背後にあるからでしょう。
ヒマラヤでの行動には強い意志が不可欠だが、必要な力はそれだけじゃない気がする。
身長162センチ、体重60キロの小柄な登山家です。
 22歳のとき、初めての海外旅行で、北米で一番高い山に一人で向かった。これが僕にとって人生初めての挑戦だった。不可能は自分がつくり出しているもの。可能性は自分の考え方次第で、無限に広がっていくことに気がついた。
 酸素は地上の3分の1。気温はマイナス40度近くにもなる苛酷な世界がそこにある。一歩を踏み出す勇気は、今、やりたいという自分の気持ちを信じることから生まれる。高い山の世界には、どんなに強いやる気でも、それを奪う寒さと酸素の薄さがある。身体が震えて、震えを止めるだけでも必死。持ち物はすべて、地上の3倍くらいの重さに感じる。なにもかもがすべてが苦痛で、すべてのものが遠くに感じる。
 本当に大きなことを成し遂げるためには、自分のこだわりを捨てた方がいい。執着すると、大切なことが見えなくなる。見つけた夢はどこまでも追いたくなるものだが、それはまた危険なものでもある。山登りで一番危険なものは執着心だ。この執着をなくせるかどうかによって、登山の真価が問われる。だから山に入ってからは、絶対に登りたいという思いをなくす努力をする。登りきれば幸せなのは確実だが、頂上にいけるかどうかは、最後は山の神様が決めること。
 山を登って帰ってくると、いつも思うことがある。それは地上の温かさだ。仲間がいて、温かいご飯が食べられて、そしてまた明日が迎えられる。その温かさのありがたみを再認識するために僕は山に登っているのかもしれない。
まだ28歳の若々しい登山家の生命力がびんびん伝わってきます。きっとエネルギーをもらえる本です。
 
(2010年11月刊。1400円+税)

ビジネスで一番、大切なこと

カテゴリー:社会

著者:ヤンミ・ムン、出版社:ダイヤモンド社
 ビジネスの成功の要は、競争力にある。競争力とは、競合他社といかに差別化できるかである。ところが、その差が細かくなりすぎて、多くの消費者がいぶかしく思う段階に達すると、ある日突然、差別化は無意味になる。
 無意味な差別化が進めば進むほど、嘲笑指数は上がっていく。
 現代社会において、差別化は何を意味するのか考えさせられます。ともかく、同じような中味なのに、店にはいろんな形と色の容器がたくさん並んでいますよね。
 ビジネスの世界では、いかなる戦略であれ、永遠を期待することはできない。
 激動の中に放り込まれると、人間は安定を求める。生活が単調であふれていると、鈍感になる。慣れすぎると、何も見えなくなる。印象の欠落は、知覚の欠落につながる。
 相反する二つのものが結びつくには、バランスがすべてだ。類似性は静止状態であり、違いは活動状態。両者が均衡状態をとりながら存在すれば、すべてはうまくいく。そのとき、人は安定を感じると同時に、刺激も感じる。何の混乱もない毎日が続きすぎると、無関心がひたひたと忍び寄ってくる。ひとは停滞を感じ、不安になる。そして、珍しい果物を渇望している自分に気がつく。
 私たちが類似性に圧倒されているとき、判断力に再び火を灯すのは、小さな差ではなく、歴然とした大きな違いである。
 差別化は手段ではない。考え方だ。姿勢であり、傾聴や観察、吸収、尊重から生まれる。
 かなり難しい表現ではありますが、すごく大切なことが語られている本だと思いました。
(2010年10月刊。1500円+税)

日本人が知らない世界のすし

カテゴリー:社会

 著者 福江 誠、 日経プレミアシリーズ 出版 
 
 この夏、フランスに出かけたときパリだけでなくリヨンそしてディジョンにまで回転寿司の店があるのを知って驚きました。寿司のヘルシーさをフランス人が好んでいるようです。
今、アメリカには1万をこえる日本食レストランがある。アメリカは日本を除く世界の日本食の3分の1を占める日本食先進国だ。オーストラリアのシドニーには、市内に1000件もの寿司店がある。フランスも同じく1000店の日本食レストランがあり、パリに700店ある。いま、全世界で寿司を食べることのできるレストランは5万店をこす。回転寿司の先進地は、アメリカではなく、イギリスのロンドンだ。日本の寿司屋ではニンニクは臭いがつくため避けられているが、海外ではそれが必須となっている。海外では、きつい酢の味わいは好まれず、押し寿司のような甘い酢加減の店が多い。
海外では、突飛で派手な外見が「目にも楽しい」と好まれている。日本人の感覚とは違って、シンプルに美しいものよりも、ゴテゴテと華やかに楽しいものが受けている。
フランスの寿司屋の経営は9割以上がベトナム系中国人。
海外で寿司店や日本食レストランを経営するうえでの心構えとして必要なのは、自分の哲学を持っていること。寿司の勉強は誰でも出来る。ただし、なぜその町で寿司を食べさせたいのかという根本が必要だ。店のコンセプトをはっきりさせないと長続きしない。
 海外では寿司職人の方がニーズがある。給料も、板前より2倍もいい。カウンターでお客とやりとりしながら仕事をするので、チップもバカにならない。お客は寿司職人に名前を覚えてもらうのがうれしい。海外で寿司職人として成功する秘訣の一つは客の名前を覚えること。海外で生きていくには寿司の技術と知識だけでは足りない。現地の言葉と人々の考え方への理解がないと、店を経営するのは難しい。寿司職人として雇われるのなら、一定の語学があれば足りるが、経営者として人を使う立場になると、スタッフの考え方まで知っていた方がいい。
 日本の現状は、回転寿司店が6000店舗で6000億円の市場。テイクアウト寿司店も同程度の市場をもつ。回転寿司専門店(立ち店をふくむ)と三分の一ずつ市場を分けあっている。
東京寿司アカデミーには、2ヶ月間で短期集中して学ぶコースと、1年かけて英語の接客技術や海外での店舗経営まで学べる寿司シェフコースがある。外国人も入学するが、その9割は韓国人である。いい魚を見分ける目利きの力と、包丁の扱いにはある程度の経験が必要だが、繰り返し練習すれば、誰でも必ず上達できる。
 寿司はカウンター越しの対面商売という、「行為そのものを消費する」独特の日本文化だ。世界には、こうした食文化・習慣はないので、カウンター商売が非常に新鮮に映る。
 世界のなかでの日本の寿司の置かれている状況がよく分かりました。カラー写真で、見た目も楽しいカラフルな巻き寿司がたくさん紹介されていて、つい手が出そうになります。20年ほど前、シカゴの高層ビルにアメリカのローファームを訪問したとき、昼食として出た寿司がびっくりするほど美味しかったことを思い出しました。ああ、寿司が食べたくなりました・・・・。
(2010年8月刊。850円+税)
 先日のフランス語検定試験(準1級)の結果が届きました。自己採点とぴったり同じ76点で合格していました。基準点が65点で、合格率26%です。ペーパーテストはこれで6回ほど合格したことになります。問題は面接試験です。時事問題をフランス語で話せなくてはいけません。とても難しいのです。これまで2回しか合格できていません。1月下旬まで、集中的に勉強するつもりです。
 チョコさんは長野にある「ちひろ美術館」に行かれたようですね。うらやましい限りです。私は東京の美術館には行ったことがありますが、まだ長野の方には行ったことがありません。ぜひ信州の高原にある美術館めぐりをゆっくりしたいものだと思います。
 本年は単行本を560冊読みました。チョコさんのような励ましがあると、書きつづる勇気が湧いてきます。いつも、ありがとうございます。

カウントダウン

カテゴリー:社会

 著者 佐々木 譲、 毎日新聞社 出版 
 
 いつも秀逸な警察小説を読ませてくれる著者が、同じ北海道を舞台としながら、赤字まみれの地方自治体の再生を探る社会派小説に挑戦しました。同じような炭鉱閉山の市や町をいくつもかかえる福岡県にとっても他人事(ひとごと)ではない展開ですので、一気に読み上げました。
 多選のワンマン市長の愚政と、ほとんど「オール与党」の市議会という構図は、日本全国、どこにいっても同じようなものですよね。野党だった社会党が消え去った今、愚政に異議申立をきちんとしているのは政党としては共産党だけになってしまいました。残念ですね、これって・・・・。
 この本には選挙ブローカーが登場してきます。たしかにいるんですね。日本全国の選挙を渡り歩いて職業として食べていけるというのですから、不思議なものです。
選挙は、結局のところ候補だ。タマだ。選挙戦術でどうにかなるのは、全得票のせいぜい10%でしかない。タマ選びからやれるんなら、勝利は確実なんだ。
 これは行政広報と選挙のプロの言葉です。
20年間で、18勝3敗。市議会は、きみと共産党市議以外は、全員が市長支持派だ。市役所の幹部も同じ。市の職員組合も、長年、市長に飼い慣らされてしまった。商工会にも、地区労にも、農業団体にも、現職市長に挑む意思のある者なんていない。
こうやって選挙ブローカーは、まだ市議一期目の森下を市長選に出るようけしかけるのでした。
 第三セクターへ巨額の出資をしていながら、その第三セクターの経理状況を質問すると、市長は民間会社のような経営状況なんて公開できるはずがないとうそぶいて居直り、開示しない。
森下と共産党市議以外の議員はみな与党であり、現職市長の翼賛団体であるという議会。保守政党はもちろん、現職市長がかつて市職労の委員長であったことから、市職労は一貫して現職市長を組織内候補として応援した。市職が中心となっている地区労も、その上部団体としての連合支部も、現職市長の20年間の市政を貫いて支持した。
 この町には現職市長を批判する勢力はなく、市長のもたらすうまみを、有力団体すべてが享受してきた。議会はやるべき市政の監視機関ではなかった。でたらめ機関の追認する機関でしかなかった。
 まさに、そのとおりです。だからこそ「オール与党」の一員にとどまりたいのです。
 阿久根、名古屋そして大阪の議会を見ていると、「オール与党」である議会の大半は、実質的に何もしていないも同然なので、そこに市民の怒りが殺到しているように思います。「オール与党」の議会構成だったら、市民の怒りは無為無策のより身近な「市議会」に集中します。そこに議員なんて不要だとか、議会の定数を大幅に削減してしまえという意見の生まれる根拠があります。まことに罪深いのは「オール与党」体制です。
 森下はついに市長選への立候補を決意します。そのときのメインの政策は福祉でした。福祉と先進医療の町として再生をはかる。お年寄りに優しい町として看板をつくる。
 私も、これしかないと、以前から考えてきました。ハコものをつくるのではなく、人間を大切にすること。これこそ地方自治体に求められているものではないでしょうか。地方自治体には乏しいながらも利権があり、それをめぐってたかる人々の群れも活写されています。
 来年4月に地方選に立候補を考えている知人にこそこの本を読むようすすめたばかりです。あなたもぜひ、ご一読ください。
(2010年9月刊。1600円+税)

自殺社会から生き心地の良い社会へ

カテゴリー:社会

 著者 清水 康之・上田 紀行、 講談社文庫 出版 
 
 日本では毎年3万人をこえる人が自殺で亡くなっています。私も前からこのことは知っていました。しかし、3万人という数が頭にあまり入ってきていませんでした。ところが、清水氏自身が東京マラソンの様子をビルの屋上から撮影した映像を見て、途中から身震いしてしまいました。東京マラソンの出場者も同じ3万人なのです。東京都心の広い道路をマラソン参加者が埋め尽くしています。もちろん、全員が異なったナンバーを表示するゼッケンをつけています。そのあふれるような人々の流れが延々と、なんと20分も続くというのです。すごい映像です。圧倒されました。ゼッケンをつけてひたむきに走っている一人ひとりに、それぞれのナンバーがついているように、自殺して亡くなった3万人一人ひとりにも、その人だけのかけがえのない人生があったはずです・・・・。
 清水氏の話を聞きながら東京マラソンで走るランナーを見ていると、なんだか泣けてきました。ああ、今の日本って、本当に生きている人を大切にしないんだなと思ってしまったことでした。
 日本に駐留するアメリカ軍への思いやり予算については、民主党政権は自民党と同じく、最優先であり、削減の対象とはしないというのです。そのくせ、中小企業対策費や福祉予算は減る一方です。とんでもない国です。それなのに、今、マスコミは、国も地方も議員を減らせ、公務員を減らせ、高すぎるから給料を引き下げろの大合唱の先頭に立っています。マスコミまで民主党と同じひどさです。もっとお互いに人間に優しくしましょうよ。
 日本の自殺者3万人は、交通事故による死者の6倍。日本の自殺率は、アメリカの2倍、イギリスやイタリアの3倍。働き盛りの40~60代の男性の自殺が全体の4割を占める。
20~30代の死因のトップが自殺であり、80歳以上も31.4と、前世代平均の25.3を大きく上回っている。
 男女比は7対3で、女性は少ないかと思うと、自殺率は男性で、世界第8位であるのに対して、日本の女性の自殺率は世界第3位と高い。いやはや、そうなんですか・・・・。
 現代日本社会において、自殺は「時代を象徴する死」であり、個人的な問題として看過できない「社会構造的な問題」なのである。自殺者3万人に対し、自死遺族は、死者の4~5倍はいる。つまり、毎年12~15万人が自殺によって家族を失い、自死遺族となっている。現在、日本全国の自死遺族は300万人もいる。
 札幌の地下鉄のホームに立つと、線路の向こう側に大きな姿鏡がある。電車への飛び込み自殺を防止するためのもの。鏡をつけておく必要がある。発作的に電車に飛び込もうとした人が、その鏡面にうつった自分の姿を見て、はっと我にかえって思いとどまることがある。うへーっ、そうなんですか。よく注意して見てみましょう。
日本の社会は、「負け組」の象徴として自殺を扱っている。日本社会の誤りは、3~40年もの永いあいだ、あまりにも勝ち続けてしまったことにある。
 今の若い人は、日本が豊かだった時代を知らずに青春時代を送ってきた。そして、ただひたすらおとなしい学生が増えている。
団塊世代についても世代論が語られていますが、こちらは納得できないと思いました。あまりにも一面的で皮相な見方なので、団塊世代の一人としてとても残念に思いました。世代間の対立をあおってほしくはありません。
それはともかくとして、いろいろ考えさせられる文庫本です。
 
(2010年3月刊。581円+税)
 冬を迎えて庭の手入れに精を出しています。芙蓉とエンゼルストランペットは根元から切り取りました(毎年のことです)。球根類が増えすぎていますので、植え替えてすっきりさせています。残っていたチューリップを植えていると、頭上にメジロの鳴き声がします。なんとハゼの実をメジロたちが群がって食べているのです。ひとしきり食べたあと、やがていなくなりました。ハゼの実をメジロが食べるなんて知りませんでした。このハゼの木は実生で自生したものです。夏前にハゼ負けで皮膚がかゆくなった、あのハゼの木です。根元から切り倒すかどうか少し迷っています。

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