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カテゴリー: 社会

トキワ荘、最後の住人の記録

カテゴリー:社会

著者    山内  ジョージ  、 出版    東京書籍
 楽しい本です。私にとっては、イヤミだの、シェーだの、思い出深いマンガがつくられた舞台裏の話が満載なので、面白く読みふけってしまいました。
 トキワ荘というと手塚治虫を連想しますが、著者は少し後の世代なので、残念ながら住人としては手塚治虫は登場してきません。トキワ荘の住人として登場してくるのは、石ノ森章太郎と赤塚不二夫です。
 著者はトキワ荘の住人としてアシスタント稼業にいそしんでいました。惜しいことにトキワ荘は今はありません。目白駅近くの目白通りにあったオンボロアパートにそうそうたるマンガ家たちが、みんな卵だったころ、ひしめきあって住んでいたのです。一度は現地に行ってみたいなと思います。
 著者が宮城県から上京したのは昭和33年の夏のことです。中学校のときの修学旅行以来2度目に東京でした。トキワ荘を一路目ざし、高校の先輩である石ノ森章太郎をたずねていったのです。
 著者のマンガもなかなかのもので、私なんかうまいと思いますが、やはり世の中には上には上がいるものです。石ノ森章太郎にはとてもかないません。アシスタントは辛いものです。3日間で合計6時間しか眠れず、仕事が終わったらふらふらしていた。こんなんじゃ長生きはできないだろうなあとしみじみ思った。漫画家はタフじゃなければつとまらない。と言いつつ、著者は70歳の今も元気なのです。
 赤塚不二夫のアシスタントをしていたとき、原稿が遅れに遅れ、とうとう印刷所に連れていかれた赤塚さんについていった。印刷現場に隣接する校正室で執筆し、描き上げるそばから一枚ずつ印刷現場に持っていく。赤塚さんを手伝い、仕上げの消しゴムを当てる。その消しゴムを当てないうちに、時間がないと言って持っていかれた・・・。それにしても漫画家というのは、まことに心臓によろしくないと、つくづく身にしみて思った。というのです。弁護士の仕事でも、そんなことがありそうな状況です。はい、時間に追われ、時間との戦いになることは弁護士だってあるのですよ・・・。
 シェーという振り付けが流行したのは昭和40年。ゴジラもシェーをする。長嶋茂雄もシェーをし、果ては昭和41年に来日したビートルズまでシェーをしたという。本当かいな・・・?
九州には、東日本漫画研究会九州支部ができたというのです。なんと変てこな名称でしょうか。松本零士や内山安二(私は知りません)が会員だったとのこと。
 昔なつかしいマンガの舞台裏をひととき味わい、楽しみました。
(2011年6月刊。1600円+税)

僕は、そして僕たちはどう生きるか

カテゴリー:社会

著者   梨木 香歩 、 出版   理論社
 不思議な小説です。
 子ども向けの本のようだと思いながら読みすすめていくと、突然ゴチック体で場違いのような状況が描かれています。その場面だけはどうしても子ども向けではありません。そして、それに関わる人物はとうとう最後まで登場してこないのです。
 自然と人間の関わりがいろんな角度から焦点をあてて考察されています。主人公の一人は長らく登校拒否で引きこもりでした。
 兵役を忌避して山中にこもっていたという老人も登場します。その代わり、山の中のことには滅法詳しいのです。
 私も自然に近い環境の中で生活しています。ホタルは5分も歩いていけば見れます。ところが自然に近いということは、大変な面もあります。昨日も、明け方になって頭上のところで、小鳥が飛び立つ音のあとガタガタ音がしました。少し前に見た光景から推測するに、ヘビがスズメの巣を襲ったのではないかと思われます。2階までヘビがどうやって柱をのぼってくるのか不思議でなりません。しかし、その不思議さは現実のものなのです。そして、虫によく刺されます。ヤモリも部屋の隅をチョロチョロしますし、クモも大小さまざま畳の上を闊歩するのは日常茶飯事です。ですから、虫さされ、かゆみ止めの薬はすぐ手の届くところに置いてあります。ヘビもマムシだったら、咬まれたらすぐに病院に駆け込むしかありません。身近に家人がいなくて、ケータイもなかったら、どうしましょう。手遅れにはなりたくありませんが・・・。
 ずっと一つのことを考えてたんだ。僕は、そして僕たちは、どう生きるかについて。
 主人公のセリフです。なかなか口に出しては言えない言葉です。
僕も集団から、群れから離れて考える必要があった。しみじみそう思って決行したのは、しばらく経ってからだった。それが、学校に行かなくなった理由なんて、誰も分からなかったと思う。誰もまた、分かりたくなかっただろうし・・・。
 人間の心の微妙な動きをよく描いていると思いました。
(2011年6月刊。1600円+税)

大泥棒

カテゴリー:社会

著者  清永 賢二    、 出版  東洋経済新報社 
 窃盗犯で捕まった人物が刑務所のなかで6年間に書きためた膨大な日記を解読し、ドロボーの心理と技術を分析・公表している珍しい本です。春日井市の住宅街で、このドロボー氏に実験してもらった結果が紹介されています。きわめて有能なドロボーだったことが立証されました。防犯ブザーなんか、てんで役に立たなかったのです。
 ドロボーの狙うのは、お金持ちかどうかではない。銀行に大金が預けてあるのではダメで、現金を家においているような家が狙い目。周囲から取り残されたような家は、家を建て替えようとし、そのためにお金を貯めている。すると、ここはドロボーの狙うターゲットになりえない。ええっ、そうなんですか・・・・。
 外からのぞいて、干し物と風呂。これがどう使われているかで、その家の人間関係がほとんど分かる。プロのドロボーは、きわめて自己抑制的(世俗的禁欲主義)であると同時に、一瞬のうちにがらりと豹変し、狂気に支えられた衝動的行動に走るという分裂的傾向にある。
 プロのドロボーは普段から人目につかないことを基本的な生活態度とし、何事につけ過度に抑制的であることをモットーとして生活している。しかし、その抑えた分だけ、自分の日常生活圏とは異なる「我を忘れても安全な別の世界」を得ようとする。たとえば、それは競馬であったり、パチンコであったりする。
 そして、非常に執念深く、非常に妄想的である。勝手な思い込みで自分に都合のよい物語をつむぎ出していく才に長けている。ふむふむ、なるほど、なるほどと思いました。
 5歳までに親がきちんと子どもに向きあって、ときには温かく、時には世の中の常識を厳しく体得させることが大切。つまり、男親が男の子の子育てに関わっているか否かである。ダメな父親よりも、真剣に生きる母親は父親以上の意味をもつ。
家庭で子どもをワルにするための原理が紹介されています。ほとんど同感・共感できる内容です。
 〇子どもがどんなに立派にしても、「それで何なんだ・・・・」とけなす。
 〇小さな子どもを抱きしめてあげる必要はない。
 〇何かを立派にやりとげても、「それで何なのだ」とケナせ。それが親だ。
 〇鉄拳こそが子ども教育の基本だ。遠慮なく見境なく殴れ。それが親だ。
 〇子どもが警察に補導されても、いじめにあっても一切かまうな。
 とんでもないことのオンパレードです。
ドロボー御殿なるものが現存するそうです。写真をみると、窓がほとんどなく、侵入する手がかりを与えない異様な建物です。たしかに、これだったら忍び込めないと思いました。反面教師として役に立つ本です。
(2011年6月刊。2400円+税)

運命の人(1~4巻)

カテゴリー:社会

 山崎豊子 文春文庫
 沖縄返還をめぐって、日本政府が密約をかわしていたことが今では客観的に歴史的な事実として定着しています。惜しむらくは、そのことについての国民の怒りが少々足りないということです。日本人って、どうしてこんなに大人しいのでしょうか。
福島原発事故で放射能が現に拡散しているにもかかわらず、既に多くの日本人が慣れて、あきらめている感があるのも同じ日本人として解せないところです。
 それはともかくとして、政府とりわけ外務省がアメリカの言いなりに外交交渉をすすめてきたこと、そして、ずっと国民を欺してきたこと、今も隠し続けていることに腹が立って仕方ありません。
 それをすっぱ抜いた毎日新聞の西山記者に対して、外務省の女性事務官と「情と通じて」と起訴状にわざわざ特記して大キャンペーンを張り、ことの本質から目をそらさせた政府、マスコミも許せません。
 おかげで西山記者は家族ともども長く日陰の身を過ごさざるをえなくなりました。まさに、正義はどこへ行ってしまったのかと慨嘆せざるをえない有り様です。
 著者はそこを本当にうまく書いていきますので、実に自然に感情移入させられ、涙と怒りで頁をめくるのがもどかしくなってしまいます。
 この本は、最後に少しばかり救いがあります。『沈まぬ太陽』にも、いくらかの救いはありました。それでも、その代償がいかに大きかったことか。
そんな不正義を許さないためには、この本を読み、政府と外務省の自主性のなさ、アメリカ言いなりの情ない姿勢に対して怒りの声をあげることではないかと痛感しました。
 依頼者の方から勧められて読んだ本です。
            (2011年2月刊。638円+税)

夕凪の街、桜の国

カテゴリー:社会

著者    こうの史代  、 出版   双葉社
 ヒロシマを生きる若き女性の生活と未来への不安を描いたマンガです。
 私が小学生のころには、ここに描かれているような、雨もりするバラック小屋みたいな家があちこちにありました。着ている服はツギアテ。靴下はほころびたら、あて布で補正する。靴も、する切れるまで履くのが当たり前。トイレは、もちろんぼっとん式です。
 ご飯を食べるときは、丸いちゃぶ台を家族みんなで囲み、小さいおかずを子どもたちが奪いあうようにして食べていました。私なんぞ、5人姉兄の末っ子でしたから、もちろん可愛がられたのですが、食べることにかけては食い意地がはって、兄たちに負けないようにハシをのばして自分の食べるものを確保していました。もらいものの羊かんを姉兄で分けるときには、どれが大きいかを目を血のように食い入るように見つめて必死でした。ですから、そりゃあ美味しいものでした。真剣度が違いましたからね。何もなくても、友だちがわんさかいて、楽しく遊ぶことだけは出来ました。
 ヒロシマでゲンバク被災者は見たことを話せず、自分が被災者だと名乗ることをはばかる時代が長かったようです。そんななかでも、若さで乗り切っていこうとする、すがすがしさあふれた青春マンガです。
(2011年6月刊。800円+税)

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