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カテゴリー: 社会

ヤクザと原発

カテゴリー:社会

著者   鈴木 智彦 、 出版   文芸春秋
 この本を読みながら、本当に原子力発電所が安全だというのなら、東京電力は下請まかせなんかにせず、すべての作業を自社の正社員のみでするべきなんじゃないかと思いました。保守・点検そして清掃・片付など一切の作業です。だって、東電が払った日当は最大1日10万円ですよ。今でも、1日に2~3万円のようです。東電の社員の給料がいくら高いといっても、1ヵ月300万円とか40万円の人ばかりではないでしょう。
 ないはずの危険な汚れた仕事を下請に出すから、この本が指摘するような暴力団のしのぎ(稼ぎ)の場になってしまっているわけです。
 本当は危険だから東電の社員にはやらせられないのだというのだったら、なんで同じ日本人、人間なのに下請の社員にそんな仕事をさせるのでしょうか。絶対おかしいと私は思います。
 原発にかかわる仕事は電力会社の社員、それも一定の資格ある社員に限る。国会はこんな法律を制定すべきではないでしょうか。
この本の著者は、ヤクザ専門週刊誌の編集長も務めたこのとある暴力団ウォッチングのジャーナリストです。福島第一原発の事故のあと、そこに潜入して労働したという体験記なので、まさに身体をはっています。
 しかし、そうは言っても「フクシマ50人」だけでなく、実際には、そこに数千人の労働者が今も現に作業しているのです。そのこと自体には本当に頭が下がります。でも、現場にイレズミ男、現役の暴力団組員もまじっていると聞くと、複雑な気分になります。もう、これまでみたいな、いいかげんな仕事はしてほしくないなというのと、暴力団の荒稼ぎの場になってほしくないということです。
どこの原発にもヤクザがいると思って間違いない。原発には、薬食って仕事やっているのが一杯いたよ。時間がたつのが早いし、怖いもんなしになるから、この仕事に向いているんだよ。
 電力会社は一応の注意はするけれど、それは建て前なんだから。なにかあったとき、私たちはきちんと指導していましたって、そう言いたいだけ。実際のところは、みんな下請まかせ。
バブルの時期は、作業員1人について月100万円が支給された。40万円の月給を払っても60万円が仲介した暴力団の懐に落ちる。いいもうけになる。
 暴力団が原発の深くまで根を張っていることは間違いない。
 原発事故直後は、日当が5~20万円が相場だった。なかには50万円という組もあった。
 条件は40歳以上、65歳以下の男性。ただし、住民票が必要。
東電は事故直後、下請に「死んでもいい人間を用意してくれ」と言ったという。
 作業員の多くは放能に関する専門的な知識をもっておらず、毎日のニュースすら知らない情報弱者である。自分がどれほど危険な作業をしているか漠然としか理解していないうえ、新たな情報も得られず、慣れが恐怖心を鈍化させてしまう。
 福島第一原発がたて続けに水素爆発を起こしたとき、多くの作業員はオンタイムで被曝数値のわかるデジタル線量計をもっていなかった。
 フクシマ50の中に暴力団員が数人いるのは、ほぼ事実と考えてよい。
 作業員にとって死に直結する危険は放射能ではなく、熱中症と交通事故だ。
九州の大牟田・荒尾からも作業員が来ていた。
 すべてを包み隠さずに言えば、原発は人間の手に負える代物ではないという結論が出る。そうなると、どこでも原発の再稼働は難しいし、新規原発の建築は中止となる。そのうえ、放射能パニックも起きるから、政府の要請もあって、情報は小出しにせざるを得ない。
 原発の恐ろしさを改めて認識させられる本でした。260頁ほどで、さっと読めますので一読をおすすめします。
(2011年12月刊。1500円+税)

「子どものために」は正しいのか

カテゴリー:社会

著者   金森 俊郎 、 出版   学研新書
 なるほど、なるほどと同感できるところの多い本でした。
 最近の子育てや教育は過程を軽視しすぎではないのか。「できた」という結果のみに目を向けるから、「できない」と自信を失い、立ち直れない。自信を失ったときに支えてくれる友だち、人間関係がないから、自己否定や自己喪失感に襲われる。
 温かい人間関係がなければ、人は生きていけない。人間が孤独でつらい、苦行になってしまう。今の子どもたちがどれだけ傷ついているか、大人は気がついていない。それが一番怖い。
 これって、橋下徹に聞かせてやりたいセリフですよね・・・。6人の子の親として、自信満々なのでしょうか?もし、本当にそうだとしたら、それはそれで怖いことですね。
 「できたこと」だけをほめていたのでは、子どもは「できたこと」しか報告しなくなる。「できなかった」ことを恥じ、自分を追い詰めていく。何より、「できる」までのプロセスの尊さに気がつかなくなる。努力した自分、励ましてくれた友だち、教えてくれた大人といった豊かな人間関係があってこそ出来たのだということに目が向かなくなり、「できた」のも「できなかった」のも、自分一人の手柄であり責任であると孤立化してしまう。
 私が司法試験を目ざして苦しい受験生活をしていたころを急に思いだしました。もちろん勉強自体は一人机に向かうことが多かったわけですが、周囲にいた友人たちのときどきの励ましが、私を大きく支えてくれていました。
 困っている子どもに「がんばれ!」とだけ言ってもダメ。がんばれないから、その子は困っているのだから。子どもの弱さを一方的に非難せず、パパ(お父さん)も、そうだったと共感し、理解を示す。子どもから話を聞き出す前に、まず親が語り込むことだ。励ましや説教ではなく、自分の体験、生き様を語るのだ。
 親が自分の体験を語ると、子どもは共感し、安心する。言い出す素地ができる。
 そのとき、場所選びも大切だ。散歩に連れ出したり、河川敷に並んで座ったりして、話しやすい雰囲気をつくることだ。
 子どもの受ける苦しみに共感して、寄り添ってくれる人がいれば、人間は生きていける。逆に、周りが共感的に受けとめず、表面的な憐憫や哀れみだけしか示してくれないと、子どもはその苦しい現実を自分の内面深くに固く閉じ込めて生きていかなければならず、悩みはどんどん深刻化していく。
 エネルギーを正しく投入できる場があり、正当に評価される場があると、子どもは変わる。
 これって、大人だって同じことですよね。じっくり味わい深い、内容の濃い教育書だと思いました。さすがは38年間、小学校の現場で子どもとトコトン向きあった教師だけはあると思います。
(2011年10月刊。740円+税)

国旗・国歌と「こころの自由」

カテゴリー:社会

著者   大川 隆司 、 出版   高文研
 卒業式のとき「君が代」を全員起立して歌わせる、歌わせないと処分する。これって、やっぱり異常だと私は思います。
 厳粛な式でなければいけないから、強制するのはやむをえないという考えがあります。
 でも、生徒が卒業式を企画し運営していくというのがあっていいでしょ。泣いたり、笑ったり、あまり型にはめない卒業式のほうがよほど楽しいし、あとで良い思い出になるんじゃないですか。じっと黙ってありがたい祝辞を聞いているだけ。歌いたくないから、口パクだけして時を過ごす。そんなの、いやですよね。私も、実際、口パク組の一人だったように思います。「君が代」って、暗いし、ぴんと来ない歌ですからね。どうせなら、もっと明るい歌にしたらどうなんでしょうか?
 かつての卒業式は、在校生が卒業生の卒業を祝って送り出し、卒業生が在校生を激励する。いわば、生徒のための式典だった。同じく、入学式は在校生が新入生の入学を祝って迎え入れる、やはり生徒のための式典だった。そうですよね。これが本来の姿でしょう・・・。
 日本政府は日の丸掲揚にについて、1920年代まで、まったく熱意をもたなかった。
 「君が代」について、政府の見解は、「天皇を象徴とするわが国」のことだとする。しかし、政府は英語では、はっきり「天皇の治世」としている。今の天皇は、国旗・国歌について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と発言しました。これこそ日本人の健全な常識合致しているものだと私も思います。
 「日の丸に対する敬意の強制が、思想および両親の自由を損害する強制とならぬよう、慎重な配慮が望まれる」
 これは大阪高裁判決(1998年1月20日)の判決ですが、まさしくそのとおりです。
 反対意見を強制的に排除しはじめると、やがて、それは反対者を根絶することへとつながってしまう。意見の統一を強制することは、ただ墓場という同一化をもたらすだけである。これは、アメリカ連邦最高裁の判決(1943年)です。本当にいいことを言っていますよね。
 子どもたちが学校で伸びのびと学びあうためには、教職員にも自由闊達さを保障しなければいけません。橋下徹のように、上から何でもがんじがらめに統制してしまえば、教職員は萎縮してしまい、子どもたちはおどおど、おろおろするばかりです。橋下徹の教育は一部エリート養成には都合がいいかもしれませんが、日本全体が底無し沼に沈み込んでしまうだけです。
 それにしても、そんな橋下流の「改革」に「底辺」であえぐ若者の多くが同調しているのですから、世の中はまさに矛盾だらけです。
 著者は、私にとって学生セツルメントの大先輩にあたります。
(2006年2月刊。1100円+税)

ラーメンと愛国

カテゴリー:社会

著者  速水健朗 、 出版  講談社現代新書
ダイエットにいそしんでいる私はラーメンをほとんど食べません。いえ、好きなのです。ラーメンとギョーザなんて最高です。でも、我慢、ガマンです。
トンコツ・ラーメンを食べ慣れていましたので、高校生のとき修学旅行で初めて東京に言ってラーメンを食べて、そのまずさにびっくりしました。なに、これ、ウドンじゃないの。東京の醤油味ラーメンに舌がついていけませんでした。東京で大学生になってからは、タンメンを愛好しました。やっぱり野菜を少しでも摂ろうとしたのです。
 ラーメンほど激しく変化する食べものも珍しい。
 醤油やみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。ラーメンの具も、ナルトとほうれん草が消え、海苔と煮玉子が登場し、定着している。
 ラーメンほど呼び名が変わる料理も珍しい。かつては南京そば、以後、支那そば、中華そば、ラーメンと変わってきた。いまどきのラーメン屋は、ラーメンとは名乗らず、麺屋、麺処などが主流。
 南京そばがラーメンに変わるには3つの大きな発明があった。一つは、スープに醤油を入れたこと、二つ目は、かつお節やニボシなど和風ダシを加えたこと。三つ目には、麺を縮らせたこと。
 ふむふむ、ラーメンといっても、この100年という短い歴史の中で呼び名も中味も大きく変化してるんですね。
 戦前の支那そばは、都市下層民の深夜飲食の楽しみとして、娯楽的に食していたもの。また、深夜労働者が安価な夜食として食していたものだった。
 戦後はじまった「サザエさん」のなかで、シナソバが中華そばに変わったのは1950年のこと。
カップヌードルが普及したのは1972年のあさま山荘事件のとき、警察が愛用しているのをテレビで放映されたことによる。
 2005年7月、宇宙食ラーメンとしてスペースシャトルに搭載された。実はラーメンという言葉がいつどこで生まれ、誰が命名したのか、定説はない。1900年より前のことではある。1970年ころ、フランチャイズのラーメン店が全国に広がった。札幌ラーメン系なのである。1990年代末、ラーメン屋を代表するスタイルとして作務衣系が定着した。
インスタントラーメンは915億食。中国がダントツの1億。ベトナムではエースコックが26億食。「マルちゃん」はカルフォルニアの刑務所で人気がある。通貨がわりとしても通用している。
ラーメンって、すごい力を持っているのですね。よく調べてあるのに驚嘆しました。
(2011年10月刊。760円+税)

60歳からのマジック入門

カテゴリー:社会

著者   麦谷眞里 、 出版  東京堂出版
 私はマジックにとても興味があります。ハウステンボスに泊まったとき、2度ほど大がかりなマジックショーを見ました。舞台の上でオートバイに乗っていて、姿が消えたと思ったら、会場の奥、舞台の反対側からオートバイに乗って同じ人物が姿を現すのです。まさに瞬間移動術です。これんなことが出来るのなら、飛行機なんて不要ですよね。ドラえもんの「どこでもドア」と同じなのですからね。私も欲しいです。
 そして、いかにも重たい本物のゾウが舞台(地面そのものです)にいて、そのゾウの周囲を大きな鏡で取り囲んでしまいます。そして、鏡を開け放ったときには、なんとゾウの姿はどこにも見当たらない。そんなマジックに驚嘆しました。
 東京には手品ショーを身近でやってくれるスナックがあります。知り合いの弁護士に連れていってもらいました。お札がどんどん増えていく手品もあります。これじゃあ、まともに働くことなんてバカバカしくなってしまいますよね。こんなのマジックの種明かしをぜひ知りたいと常々思っているところに、本書を手にしました。
 著者は、なんと厚生労働省の現役官僚で、日頃は高齢者対策に関わっています。そして、マジック歴50年という医師でもあります。つまり、子どものころからマジックに取りつかれた人なのでした。
 マジックは、見ている観客が錯覚を楽しむ高尚な娯楽である。
 手を目より早く動かすことはできない。観客が実際に見ているものや見えているものが大事なのではなくて、観客の「心」が本当に何を見ているのかが重要なのだ。観客の「心」を別方向に誘導することに成功すれば、どんなマジックも上手に演じることが出来る。
 観客の「心」の誘導は、実は、人生経験が豊富な人ほど巧みなのだ。だから、マジックを60歳から始めるのは時宜を得ている。うむむ、そうなんですか。といっても、私のように不器用ではむずかしいのでしょうね・・・。
 マジックは、これから何が始まるのかをあらかじめ観客に言わないのが大原則である。ハンカチーフを丸めて握った手のなかに入れていくと、手を開いたときには卵になっているというマジックのタネ明かしがされています。なーんだ、そういうことだったのか、というネタです。
 また、コップのなかの大量の牛乳を丸めた新聞紙に注ぎ込んでいき、その新聞紙を開いてみると、どこにもミルクがない。ミルクは、いったい、どこに消えたのか?
このネタ明かしは、コップが2重になっていて、大量のミルクと見えたのが錯覚なのでした。やっぱり、何にでも、タネも仕掛けもあるのですよね。
かなりの練習を必要とするようですし、私には向いていないと思いますが、そうは言っても、マジックの一つくらい身につけておいて、若い女性の前で披露して注目を集めてみたいものなんですが・・・。
(2011年9月刊。2500円+税)
 明けましておめでとうございます。
 今年も引き続きご愛読ください。
 正月休みに恒例の人間ドック入しましたが、今年はなんと肥満と診断されてしまいました。ガーン、ショックです。体重がそれほど増えていないのですが、お腹まわりがぷっくらしています。いま注目のタツノオトシゴはオスが子育てするので、ぷっくらでもメスにモテるそうですが、今さらお腹ぷっくらでもてても仕方ありませんよね。なんとかウエストを減らすつもりです。
 お正月はせっせと庭づくりに励みました。おかげで庭がすっきりしています。春に向けての手入れが欠かせません。
 いま黄色いロウバイの花が盛りです。ジョウビタキの姿を見かけるのが少ないのが残念です。
 今年が良い一年であることを願っています。

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