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カテゴリー: 社会

自治体ポピュリズムを問う

カテゴリー:社会

著者   榊原 秀訓 、 出版   自治体研究社
 橋下流の「独裁政治」をマスコミが手放しでもてはやす昨今です。このブームは、いつになったら冷めるのでしょうか・・・。
 橋下への支持は、「何が変わるかが分からない」が、「バッシングにも負けず」に「庶民目線でメディアに発信を続ける」橋下がもたらす「何かの盛り上がり」への漠然とした期待で成り立っている。
 プレビシットという手法である。行政府の長が、選挙や国民投票など有権者の意思表明の機会を自分への信任投票と位置づけ、その結果を自身への「民意」の支持と見なそうとする政治手法のこと。必ずしも必要のない辞職で選挙を設定し、自己の政権基盤強化のために用いるのは、ポピュリズム政治家の本領発揮である。
 今日のポピュリズム首長は、自己の政治的地位の強化と政策の正当化のために意図的に議会を挑発し、意図的に対立構造をフレームアップしている側面のある点で、「革新首長」や「単一イシュー型首長」とは異なる。既存の議会内会派を基盤とする与党形成を追及せず、逆に、これらの諸会派を「敵」と位置づけ、自ら主導する地域政党によって議会内の多数派形成を目ざすという点では、自民・公明を基盤とする石原慎太郎都知事の政治手法とも異なる。
ポピュリズムの首長が多数の有権者に支持されている現実を直視したうえで、それとの理論的、実践的な格闘が求められている。
 ポピュリズム首長は、「無党派市民が支えている」というイメージに反して、実は、自民や民主などの既成政党支持層が基盤である。国政で自民・民主に投票した新自由主義・新保守主義の支持層が地方では、首長翼賛地域政党を支えている。
ポピュリズム首長の政治手法は、第一にレッテル貼りの政治、第二に抽象化された政治、感情の政治という二つの特徴がある。抽象化の政治とは、公益とか市民といった曖昧な概念を多用して自己の政治的立場を強化する手法である。感情の政治とは、政治家の個人的な心情を政治の言葉として表現し、本来ふまれるべき法的・政治的過程を素通りないし無視する姿勢である。
ナチスが設定した「敵」がユダヤ人やコミュニストであったように、日本のポピュリズム首長にとっての「敵」は、議員、公務員、教職員組合である。
大阪市民がもっと冷静になって橋下流のインチキな政治手法にだまされないことを心から願っています。
 橋下市政は公務員そして教員を自己の厳しい統制下において「独裁政治」を貫徹させようとする一方で、福祉を大胆に切り下げつつあります。ひどいものです。政治は弱者救済のためにあるはずなのに・・・。
(2012年2月刊。2400円+税)
 連休中にいつものように近くの小山に登りました。高さ380メートル、わが家から頂上まで1時間あまりです。途中に急勾配の斜面もあります。
 新緑の中を汗をかきつつ登り切りました。見晴らしのよいところでお弁当びらきをします。梅干しおにぎりを食べながら360度に広がる下界を見渡すと気宇壮大、浩然の気を養うことができます。
 薄陽のさすもとで、しばし寝ころがって風の音に耳を澄まします。すぐ近くにウグイスの清らかな鳴き声も聞こえてきました。至福のひとときです。
 山から下りる途中には赤紫のアザミの花があちこちに咲いていました。風薫る五月を実感できた一日です。
 この日、1万5000歩あるきました。翌日、なぜかお尻あたりが凝っていました。

「日本の教育政策」

カテゴリー:社会

著者   OECD教育調査団 、 出版   朝日新聞社
 1970年1月にOECD(経済協力開発機構)が日本に派遣した教育調査団によるレポート「日本の教育報告書」が一冊の本になっています。1971年に発刊されましたが、40年たった今、一瞬、言葉を失うほどの衝撃的な内容です。
 この教育調査団のメンバーにはアメリカのライシャワー教授(かの有名な元駐日大使)も含まれています。ほかはフランスの元首相、イギリス、ノルウェー、イスラエルの教授たちです。
 そんな陣容の調査団が、日本の初・中等教育について、自分たちの方こそ学ぶべきだとまで絶賛しているのです。
 さらに、「優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、誰しも認めるところであろう」とほめたたえています。
 では、それほどすぐれた日本の教育を誰が今のようにダメにしてしまったのでしょうか。
 この本を読みながら、つらつら考え直してみたことでした。
 これからの日本の教育のあり方を考えるうえで必読の本ではないかと考えて、ここに紹介させていただきます。
「われわれは自分たちの国にくらべて、初・中等段階での日本の成果がいかに大きいかに、深く印象づけられた。だが、そうだからといって改善の要がほとんどないなどというつもりはなく、われわれはこの段階の学校について、重要だと思われた問題点のいくつかは、ためらうことなく提起した。しかしながら、とりわけ初・中等教育についていえば、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり、示唆するよりも、むしろわれわれ自身の方が学ぶべき立場におかれているのではないかというのが、調査団の一般的な意見であった」
「日本は、十五歳まで、すなわち中学校段階まで、差別的な学校教育をやらないよう細心の努力をはらってきた国の一つである。コースの分化をさけ、心身障害児のほかは特別の学級をおいていないし、また、優秀な子どもには、おくれた仲間の学習を助けさせるという中学校教育のあり方は、もっとも魅力的で人間的な教育の特質として、われわれの心をとらえた」
「日本の初・中等段階の教育が技術的にすぐれていることは、だれしも認めるところであろう。初・中等段階の数学教育で日本が最先端にいることは世界的に知られているが、それは日本の到達した高い水準を示す、証拠の一つにすぎない。
・・・・つねに長期的な展望のなかでとらえられねばならない。これらの改革を実現させるのにどうしても必要なのは、教師と地域住民の参加、実験計画の立案と実施にあたる機関の設立、教育養成計画に活力を与えるためのおたがいの努力、新しい法律や規則、予算などであろう。・・・・・
 弾力性にとみ、拘束性の少ない教育計画を立てて、もっと自由な時間、もっと選択自由な教育課程、もっといろいろなことができる課外活動、もっと親密な生徒同士の協力を実現させ、生徒の個性を発達させるべきだと考える。・・・・・
 規律と競争だけでなく協力を、受容と模倣だけでなく想像を―そうしたことに強い関心を向けるべき時機が、すでに到来しているのではなかろうか」
「中等教育はどこの国でも、さけがたい大きなジレンマをかかえている。すなわち一方では、子どもたちの多様な必要に、また多様な適性と能力に、教育課程をどう対応させていったらよいのだろうか。と同時に、それぞれに異なる能力をもち、また異なる進路をめざす子どもたちができるだけ長い期間、仲間としていっしょに活動できるような共通の教育の場をつくるには、どうしたらよいのだろうか。どの教育段階であれ、子どもたちに優劣の序列をつけることは避けねばならない。そうした格づけは、彼らの知的、道徳的な発達を妨げ、またそれがもたらす差別は、やがて彼らが成人したとき、社会階層の上下の別離をいっそう拡大するように作用するからである」
「一般的にいって、生徒を将来の職業の目標あるいは知識の獲得能力によって、早い段階で区別するやり方は、社会断層を硬直化させ、しかもその断層間の社会的距離を広げる結果になり、かえってその利点は失われてしまう。学校は、多様な能力水準をもった子どもたちの必要をみたし、多様な便宜や教育を与えるべきであると、われわれは考えている。どのようなタイプの学校も、多様な能力をもった子どもたちを受入れ、ほぼ同じ資格をもった教師を擁し、また同じ水準の施設設備をもたなければならない」
「文部省は日本の教育の内容に対して、非常に強力な公的支配力をもっている。その点では、世界においてもっとも中央集権化された官庁の一つかも知れない。
(一)  各教科における学習指導要領を決める権限をもっている。また、その権限は詳細な点まで指示するようになっており、教育課程に変化をあたえようとする教師の自由は制限されている。
(二)  使用されるすべての教科書に対して、検定許可の権限をもっている。この権限は、歴史のような教科書にかかわる場合に、画一的な政治的価値を押しつけるという危険をはらんでいる」
いかがでしょうか。いずれも、今日の日本に生かすべき、忘れてはいけない大切な指摘ではないかと思いました。
(1972年11月刊。980円)
 連休の三日三晩、至福のときを過ごしました。1954年制作の映画『二十四の瞳』を三回に分けて毎晩寝る前に見たのです。なにしろ2時間20分ほどの長編ですから。それにこのDVDを探しまわってなかなか見つかりませんでしたが、結局なんと80円で借りることができました。
 教師という職業の崇高さ、一人一人の子どもを大切にすることの大切さ、時流に流されていくことの怖さ、涙なくして見れない感動の大作です。
 子どもたちと一緒になって遊ぶシーン。桜の咲く丘を汽車ごっこする有名なシーンなど、子どもたちも本当に楽しいそうです。
 貧しい家庭に育ち、学校に通えない。修学旅行に行けない。そして「将来の希望」という題を与えられて作文が書けないと泣き出す子ども。家庭訪問し、子どもたちと一緒に鳴く大石先生です。
 男の子たちは軍人志望。疑問を述べる大石先生は弱虫と言われます。それだけならいいのですが、アカだと批判が立ち、校長先生から今のご時勢に流されない。見ザル、聞かザル、言わザル。お国のために役立つ兵士をつくるのが教師のつとめだといさめられるのでした。
 そして、やがて生徒たちは出征していきます。戦後、大石先生は再び岬分教場につとめるようになります。そして教え子たちが戦死したことを知るのです。

子どもと保育が消えてゆく

カテゴリー:社会

著者  川口 創  、 出版   かもがわ出版   
 名古屋で活躍している、子育て真最中の弁護士が日本の保育はこれでいいのかと、実体験をもとに鋭く問題提起しているブックレットです。
 わずか60頁ほどの薄いブックレットですが、日本の明日を背負う子どもたちを取り巻く、お寒い保育行政の現実を知ると、背筋がゾクゾクしてしまいます。
 コンクリートより人を、と叫んで誕生した民主政権でしたが、権力を握ったら、自公政権と同じく、コンクリート優先、福祉切り捨て政治を強行しています。悲しい現実です。
 いま政府がすすめている「幼保一体化」の看板の下で実施されるのは、保育所の解体のみ。「こども園」には、待機児童がもっとも深刻な3歳未満児の受け入れ義務を課さない。 それでは、3歳未満児は、どうなるのでしょうか・・・・?
 私の子どもたちがまだ幼いころは、全国各地で「ポストの数ほど保育所を」という合言葉のもとに保育所づくりの運動が広がっていました。
 1970年代には、年に800ヶ所を増設し、9万人の入所児増を実現した。保育所は2万3千ヶ所、在籍児200万人だった。ちころが、その後は自助努力が強調されるなかで保育所は減少していき、2000年には、2万2千ヶ所にまで減らされた。そして、2000年から2008年までの8年間に、全国で1772ヶ所の公立保育園が消えた(13.9%減)。
 厚労省によると、2011年4月の待機児童数は全国で2万5千人を超えている。
 日本の保育を、アメリカと同じように市場化し、「ビジネス・チャンス」にしようという狙いがある。
 女性が経済的に自立できるようにするためにも、公立保育所の拡充こそ必要です。安易に民間委託し、「ビジネス・チャンス」なんかとすべきではありません。
子どもたちにとっても、集団保育はとても有意義です。3歳児までは親の手もとでずっと面倒をみるべきだというのは、現実の日本社会の実情にもあわない主張です。私の3人の子どもたちはみな保育園に出し、そこでのびのび育ちました。社会人になった今でも、保育園当時の仲間とは親しく交流しています。親としても、たいへん喜ばしいことです。子どもにとって親の愛情とともに、友人と親しく交わることができるというのはなにより大切な財産です。
 「幼保一体化」でビジネス・チャンスをつくり出すだなんて、いったい政府は何を考えているのでしょうか。子育てを金もうけの機会にするというのはとんでもない間違いです。
 子育て、がんばってくださいね。大変でしょうが、楽しく充実した日々なのです。としをとって、あとで振り返ってみると、それを実感します。
(2011年10月刊。2800円+税)

子どもと保育が消えてゆく

カテゴリー:社会

著者  川口 創  、 出版   かもがわ出版   
 名古屋で活躍している、子育て真最中の弁護士が日本の保育はこれでいいのかと、実体験をもとに鋭く問題提起しているブックレットです。
 わずか60頁ほどの薄いブックレットですが、日本の明日を背負う子どもたちを取り巻く、お寒い保育行政の現実を知ると、背筋がゾクゾクしてしまいます。
 コンクリートより人を、と叫んで誕生した民主政権でしたが、権力を握ったら、自公政権と同じく、コンクリート優先、福祉切り捨て政治を強行しています。悲しい現実です。
 いま政府がすすめている「幼保一体化」の看板の下で実施されるのは、保育所の解体のみ。「こども園」には、待機児童がもっとも深刻な3歳未満児の受け入れ義務を課さない。 それでは、3歳未満児は、どうなるのでしょうか・・・・?
 私の子どもたちがまだ幼いころは、全国各地で「ポストの数ほど保育所を」という合言葉のもとに保育所づくりの運動が広がっていました。
 1970年代には、年に800ヶ所を増設し、9万人の入所児増を実現した。保育所は2万3千ヶ所、在籍児200万人だった。ちころが、その後は自助努力が強調されるなかで保育所は減少していき、2000年には、2万2千ヶ所にまで減らされた。そして、2000年から2008年までの8年間に、全国で1772ヶ所の公立保育園が消えた(13.9%減)。
 厚労省によると、2011年4月の待機児童数は全国で2万5千人を超えている。
 日本の保育を、アメリカと同じように市場化し、「ビジネス・チャンス」にしようという狙いがある。
 女性が経済的に自立できるようにするためにも、公立保育所の拡充こそ必要です。安易に民間委託し、「ビジネス・チャンス」なんかとすべきではありません。
子どもたちにとっても、集団保育はとても有意義です。3歳児までは親の手もとでずっと面倒をみるべきだというのは、現実の日本社会の実情にもあわない主張です。私の3人の子どもたちはみな保育園に出し、そこでのびのび育ちました。社会人になった今でも、保育園当時の仲間とは親しく交流しています。親としても、たいへん喜ばしいことです。子どもにとって親の愛情とともに、友人と親しく交わることができるというのはなにより大切な財産です。
 「幼保一体化」でビジネス・チャンスをつくり出すだなんて、いったい政府は何を考えているのでしょうか。子育てを金もうけの機会にするというのはとんでもない間違いです。
 子育て、がんばってくださいね。大変でしょうが、楽しく充実した日々なのです。としをとって、あとで振り返ってみると、それを実感します。
(2011年10月刊。2800円+税)

ホットスポット

カテゴリー:社会

著者   NHK・ETV特集取材班 、 出版   講談社
 3.11のあと、福島第一原発事故からどれだけの放射能が日本全国いや世界中に流出していったのか、想像を絶します。この本で紹介されているテレビ番組は日頃テレビを見ない私もビデオにとって、しっかり見ていました。
 放射能汚染というのは、決して単純な同心円状にはならず、とんでもないところに高濃度汚染のホットスポットが生まれるということを、その番組を見て実感しました。
 この本は、番組製作の舞台裏も紹介していて、とても興味深いものがあります。NHK
の上層部から取材そして放映を中止するような圧力がかかったそうです。
ホットスポットとは、局部的に高濃度の放射能に汚染された場所をあらわす言葉。
 同じ双葉町の中で、わずか1キロほど移動しただけで、空間線量率が毎時300マイクロシーベルトから40マイクロシーベルトに変わった。汚染は同じ同心円状に広がったのではなく、斑(まだら)状になって分布していた。
 取材班は、高線量が予測される地帯は50歳以上で担当するというのが暗黙の了解となっていた。取材が終わって宿に着いたら、真っ先に風呂に入る。そして、合羽やゴム長をていねいに水で洗い、大浴場で頭や手足を入念に洗う。内部被曝が恐ろしい。衣服や靴、皮膚に放射性物質が付着し、そのまま屋内にもちこむと、知らず知らずに拡散し、体内に取り込んでしまう恐れがある。
放射能の雲は原発から50キロの、100万人が住む福島県の中通りを襲い、雨や雪とともに大量の放射性物質を地上に沈着させた。そして、そこには今も人々が普通に生活している。
 3月15日。東京で毎時0.809マイクロシーベルトの放射線量が観測されて大騒ぎになった。福島市内は、このとき242マイクロシーベルトまではねあがり、16日まで20前後の高い数字が続いた。事故前の500倍になる。しかし、30万人の住む福島市民への避難指示は出なかった。
本当にこれでいいのでしょうか。学童だけでも疎開させる必要があるのではないでしょうか。人体実験だけはしてほしくありません。
子どもの被曝リスクは大人の3倍高く考える必要があるからです。
 放射能は、沿岸の海底に堆積し、ホットスポットのような放射能のたまりが出現している。そして、それが沿岸流という海流に乗って南下している。
 福島県だけでなく、岩手、宮城、新潟、茨城もふくんで東日本一円に放射能は拡散し、雨や雪によって土壌を汚染し、そこで育つ農産物に入り込み、さらには川を伝って各地の海を汚染し、それが魚介類に入りこんで消費者の食卓を脅かす「魔のサイクル」が現れてきた。
 いやはや、原発の底知れぬ恐ろしさを実感させる映像でしたし、その背景を知ることができました。民主党政権が今なお全国各地の原発を再稼働させようと執念を燃やしていることに心底から怒りがこみあげてきます。どこまで人非人なのでしょうか。目先のお金のためなら人類の生存なんてどうでもいいという無責任さです。私は絶対にそんなことを許すことができません。
(2012年3月刊。1600円+税)

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