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カテゴリー: 社会

放送の自由

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 川端 和治 、 出版 岩波新書
 「一億総白痰化」と叫ばれた時代があったのを思い出しました。
 テレビ放送の初期に人々を熱狂させたのはプロレスの中継番組だった。私の父も熱心なファンでしたので、子どもの私もよくみていました。外人レスラーが悪役となって反則技を繰り返し、耐えに耐えていた日本人レスラーが反撃して勝利をおさめるというのが定番の展開です。力道山のカラテチョップもすごい迫力でした。プロレスがシナリオのあるショー・ビジネスだというのを知ったのは大学生になってからのことです。
 そして、NHKの紅白歌合戦について「白痰化」番組だというコメントを読んでから、私は以来まったくみなくなりました。高校2年生の暮れのことです。
 この本によると、1962年、東芝日曜劇場(私もよくみていました)で「ひとりっ子」が放送中止になったそうです。防衛大学校に合格したのに、親や恋人の反対にあって入学をとりやめるというストーリー展開だったからです。
 また、法廷ドラマ「判決」シリーズも、途中で打ち切られました。教科書検定問題も取り上げようとしたからです。ベトナム戦争についての報道も南ベトナム政府軍の残虐行為の報道は出来ませんでした。
 「若者たち」(テーマソングは今も有名ですよね)も在日朝鮮人の差別を扱ったことから、経営判断として、中止されました。政府が中止命令を出さなくても、テレビ局のほうで委縮して放送しなくなったのです。第一次安倍内閣のとき、1年のうちに6件も行政指導があったというのにも驚かされます。本来、報道のもっとも重要な役割は権力の乱用を監視するところにあるのに、監視される側の政府がこの報道は不公平だと決めつけ、停波処分をしたり、行政指導するというのは間違いだと著者は厳しく指摘しています。まったくそのとおりです。
 それにしても今のマスコミ幹部は政権べったりで、首相たちと会食をくり返していますので、骨抜きのマスコミ人がいかに多いことでしょうか。
 ところが、今では、若い人たちは、新聞を読まず、テレビもみないのです。ひたすらインターネットを眺め、ネット情報に溺れるように浸っています。
 すると、放送の自由だけの問題ではないことになります。先日の兵庫県知事選挙の斉藤知事再選がその見本です。既存のマスコミを批判して、ネット報道にこそ真実があると錯覚させる手法が堂々とまかり通っています。本当に怖い世の中です。
 いろいろと大変勉強になりました。
(2019年11月刊。840円+税)

新型コロナ最前線-自治体職員の証言

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 自治労連編 、 出版 大月書店
 コロナ禍がなくなったわけではありませんが、今ではそれほど騒がれなくなりました。しかし、コロナ禍「騒動」はきちんと振り返り、総括しておく必要があると思います。コロナと同じような感染病はこれからも起こりうると思うからです。
 それにしても、自治体職員は本当に大変だったと思います。自治体職員は多過ぎる、減らせ減らせの大合唱がありました。今でも決してなくなったわけではありません。トランプ政権下でイーロン・マスクが公務員減らしを高言し、どんどん民営化させようとしています。要するに「税金削減」を口実として、自分の商売(利権)を有利にしようというのです。
ところが、日本の郵政民営化と同じで、公務員を削減したら税金が少なくなって自分の生活が少しでも楽になるかのような幻想、錯覚に陥って、人々が拍手するといおう構図です。でも、結局、公務員を削減して苦しむのは私たち庶民なのです。超大金持ちは何ひとつ困りません。
2020年4月から会計年度任用職員制度なるものがスタートしている。非正規公務員のこと。任期は1年で、再任用は原則2回で、最長3年。要するに使い捨て公務員を増やすということです。これでは、職場に必要なベテラン職員が十分に確保できない心配があります。
 この会計年度任用職員はボーナスはもらえるけれど、月額報酬が減らされるので、ボーナスもらっても同額だという仕掛け。ひどい話です。
 地方公務員でも長時間・過密労働の職場が多く、精神疾患による公務災害申請が増えている。20~40歳代が8割近くを占めている。そして、精神疾患による自死が増えている。過労死ラインといわれる月80時間をこえて働かされている職場が依然として少なくない。
 それは、職員数が削減された結果のこと。正規職員は328万2千人(1994年)だったのが、今や273万7千人(2018年)となっている。そして、5人に1人が臨時・非常勤職員だ。
 コロナ禍で、真っ先に過酷な労働を余儀なくされたのが保健所。終電後の帰宅は当たり前。午前3時か4時に帰宅し、シャワーをあび、1~2時間仮眠をとったら出勤。なかには始発電車で帰宅し、仮眠を取る間もなく出勤する保健師もいた。帰ることができず事務所で寝た保健師もいた。終電がなくなったあと、保健所の前にはタクシーが列をつくっていた。保健師は「死ぬか辞めるか」という究極の選択を迫られ、命を守ることを選び、職場を去っていく人がいた。
 陽性者の入院搬送に付き添った保健師は防護服を着るため、トイレにも行けず、朝から水分を制限。暑さのため熱中症や脱水症状にならないかという不安。夜、電話相談の内容が耳元でリフレインして寝つけない…。
 京都市消防局の救急車の出動は例年1日200件台なのが、コロナ禍のときは倍の400件にもなり、大変な状況になった。ところが、京都市は財政危機のため市長が一方的に職員を150人削減し、三交代制を二交代制に切り替えた。職員は過重労働のため、身体がもつか心配せざるをえなくなった。  
保育園では、「保育士1人に子ども30人」という配置基準が戦後70年間そのまま変わっていない。保育所はあっても保育士は足りない。しかも、「特別な配慮を必要とする児童」の割合が増えている。コミュニケーションがうまくとれない子どもには個別に対応するしかないのに、対応しきれない。
 維新の会が府・市政を牛耳っている大阪市では保健所が次々に廃止・統合されてしまった結果、1保健所で、271万5千人を担当することになってしまった。そのため、最悪の結果が出ている。これが、例の「身を切る改革」の実際。しかし、中間層以上の市民は、今なおそのことを自覚することなく、維新の会に拍手している。本当に残念でならない。
自治体職員の悲鳴がほとばしってくる本でした。
(2023年8月刊。1650円)

「原爆裁判」を現代に活かす

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 大久保 賢一 、 出版 日本評論社
 「原爆裁判」というものを、今の若い人がどれほど知っているのか、いささか不安があります。若い人が新聞を読まないばかりかテレビも見ないからです。
 これは、NHKの朝ドラ「虎に翼」(昨年4月から9月まで放映されていました)の主人公寅子のモデルとなった三淵嘉子が裁判官として関わった裁判です。
1955年、原爆の被害にあった市民5人が、アメリカの広島・長崎への原爆投下は国際法に違反するので、その受けた損害の賠償を日本政府に対して請求した裁判。
 1963年、東京地裁は原告の請求を棄却した。判決理由のなかで、アメリカの原爆投下をはっきり違法と認定し、同時に被爆者に対して支援しようとしない「政治の貧困」も指摘した。それによって、この判決は日本国内外に大きな影響を与えた。
 著者は、ドラマ化されるときに、手持ちの資料を提供したそうです。
 裁判を起こした原告5人の代理人は岡本尚一弁護士ですが、提訴して3年後に亡くなり、弁護士3年目の松井康浩弁護士が受け継ぎました。
 原爆を投下したのはアメリカなのに、なぜ被告をアメリカ政府ではなく、日本政府にしたのか…。アメリカの原爆投下は違法だ。その違法行為によって損害を受けたのだから、被爆者はアメリカに対する損害賠償請求権がある。日本政府は、その請求権を対日講和(平和)条約によって放棄してしまった。国民の財産権を放棄したのであれば、憲法29条3項によって、政府はそれを補償しなければならない。その補償をしないのは違法だから日本政府に対する国家賠償請求権がある、このような堂々たる論法です。
 日本の裁判所でアメリカ政府は裁けません。日本政府は、1945年8月10日の時点では原爆投下を「国際法違反」としていたのに、裁判になると「国際法違反ではない」と主張しました。国民に向かっては手の平を返したのです。
 アメリカは原爆投下は「戦争終結を早め、多くの人命が失われるのを防いだ」という原爆投下正当化論に立っていますが、日本政府も裁判で同じことを主張したのでした。まったくもって許せません。このような日本政府の姿勢は今も続いています。アメリカの「核の傘」にいたら安全であるかの幻想に浸り、また「核抑止力論」を振りかざすばかりです。
 判決は、広島と長崎への原爆投下を国際法違反と判断した。そのうえで、日本政府の責任について次のように述べた。
 「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ。しかも、その災害の甚大なことは、一般の災害の比ではない。被告が十分な救済策をとるべきことは多言を要しない。しかしながら、それは裁判所の職責ではなく国会や内閣の職責である。戦後十数年を経て、高度成長をとげたわが国においてこれが不可能であるとは考えられない。われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」
 この裁判に終始関わった三淵嘉子は、弁護士になったあと、日本婦人法律家協会の会長だったとき、池袋駅前に立って反核署名を集める活動もしていたとのことです。行動する人でもあったのですね。すばらしいことです。
 日本被団協(被爆者団体協議会)が長年にわたる反核・平和の取り組みに対してノーベル平和賞が授与されました。そのときの田中代表委員のスピーチは胸を打つものでしたが、そのなかで日本政府が被爆者に対して冷たい仕打をしてきた(している)ことを重ねて批判したことも忘れられません。
 この本には、1999年6月、イギリスの3人の女性がトライデント搭載潜水艦の関連施設に無断侵入し、家庭用ハンマーで機器類を壊して湖に投棄したという事件が紹介されています。私は知りませんでした。
 核兵器の使用等は大量殺人あるいはその準備であり、国際法違反。その違反行為のために存在するトライデント関連施設の破壊は、大きな犯罪行為を阻止する行為であり、こんな行為を処罰するのは、法のあるべき姿ではない。したがって私たちを無罪にすべきだと彼女らは主張しました。
 この裁判で、陪審員は女性3人の主張を真正面から受けとめ無罪評決を出し、裁判所も無罪としたのです。大きな違法行為を止める行為は処罰されるべきではない。犯罪的意図をもって行動していないから、無罪。いやあ、すっきり明快な無罪判決ですね。勇気ある3人のイギリス人女性に心から敬意を表したいと思います。
 本文150頁(別に資料が50頁)という、ほどよい厚さの本です。とても読みやすい解説文となっていますので、相談の合い間に読了しました。みなさんに一読をおすすめします。
 なお私は、原発(原子力発電所)がミサイル攻撃の対象にならないとも限らない現下の状況(ウクライナでは現実に起きました。日本海側に原発が何十基も立地しています)を大変心配していますが、著者がそのことについて一言も触れないのが不思議でなりません。
いつものように著者から贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2024年12月刊。1870円)

あの日の風を描く

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 愛野 史香 、 出版 角川春樹事務所
 芸術大学(美術大学)は、異能をもつ学生集団から成りますよね。
 東京芸大について、「最後の秘境」として紹介した本を読みましたが、まさしく秘境というか異郷です。とても凡人の行くところではありません。
そのなかに文化財保有修復専攻がある。日本絵画の模写や修復、表具の仕立てをするところ。
 江戸時代が終わるまでの絵画が「日本絵画」で、日本の伝統的な画材と技法を用いて描かれた明治時代以降の近代絵画が「日本画」。
 日本絵画を日本絵画たらしめる、古の画家がもつ底知れぬ描写力。円山応挙の絵には余分な線が一切なく、対象の本質を見抜いて充実している。
 中国では、バブル期に日本に留学した中国人によって「岩彩画」という新しい絵画ジャンルが確立している。日本画の自由な気風と岩絵具を使った表現方法は、水彩画が席巻していた中国画壇に新風を吹き込んだ。
日本において「模写」には、古くからいろいろな定義がある。教義を伝えるための仏画の模写。様式や技法を継承するための模写。修業のための模写。保存するための模写。日本の仏画や水墨画、障壁画といった絵画様式は、それぞれ図様や技法が、模写によって時代を超えて継承されている。保存のための模写は、どの状態を模写するかによって三つに区分される。現状模写、古色復元模写そして復元模写。
 卓越した腕をもつ画家の行いをなぞることで、冷静になり、自分を客観的にとらえることができる。未熟さや傲慢さ、どこに神経を研ぎ澄まさねばならないのか、いろいろと気づかされ、視界が晴れる。
新岩絵具は、化学反応で人工的に発色させた硝子(ガラス)質の塊を粉砕してつくられた天然岩絵具に比べて、色数が多い。
 絵具のにじみを防ぐ、にじみ止めを「どう砂」という。水ににわかと「明ばん」を溶かした液体。描く前に和紙に塗っておかないと、絵具がにじんで描きたい細さで線が引けない。
AI絵画が出てきたけれど、本来、絵は時間がかかって面倒臭いもの。作るにしろ、鑑賞するにしろ、芸術はタイパ良く楽しめるようには出来ていない。
 修復では、作品に影響を及ぼすような描き起こしや塗りはしない。これが原則。穴や破れを埋めた箇所に絵を足すことを補彩というけれど、周囲の色調とのバランスをとるため、作品本来の地色と合わせる程度にとどめる。
 いやあ、すごく専門的な解説があって、日本画の復元作業の奥深さをしっかり堪能できました。なので、著者はもちろん芸大が美大の卒業生だと思って巻末の著者紹介を読むと、なんと、福大の薬学部を卒業して、今は薬剤師だというのです。のけぞってしまいました。
この本は小説賞をとっただけのことはあります。ともかく最後まで読ませました。
(2024年10月刊。1650円)

山田洋次が見てきた日本

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 クロード・ルブラン 、 出版 大月書店
 寅さん映画(『男はつらいよ』)の第1作は私が大学3年生のとき上映されました。大学祭のとき、無料(タダ)でみることが出来ました。それ以来年に1回から2回、ずっとみてきました。盆と正月の恒例行事でした。子どもたちが少し大きくなってからは、正月に家族でみる映画でした。弁護団合宿で飯塚の安い旅館に泊まっていると、ちょうど寅さんが沖縄で同じような安宿に泊まっている光景が出てきて、みんなで大笑いしたこともなつかしい思い出です。
 この本は、フランス人のジャーナリストが書いたもので、日本語訳はなんと770頁もある超大作です。当然、値段も高く9900円もします。まあ、しかし、寅さん映画、そして山田洋次監督の映画のほとんどをみてきた身として、読まないわけにはいきません。
 この本によると、寅さん映画は、そのときどきの日本の社会状況を正確に反映している記録映画の面もあるとのこと。なるほど、たしかにそうですね。その典型例が汽車(列車)です。今では廃線になっているところがいくつもあります。映画のなかでも、駅舎で寅さんとポンシュウが待っていると、いつまでも列車が来ないという場面(シーン)があります。もう廃線になってレールも取り払われているのに二人は気が付かなかったというのです。
 山田洋次監督は満州育ちです(生まれは大阪)。小学2年生のころの新京(現・長春)での写真が紹介されています。金持ちの、いかにも賢そうなお坊ちゃんです。ちなみに、祖父は柳川藩の武士の息子でした。
 この祖父は満州に渡って旅館業を営み、その稼ぎのおかげで息子を九州帝大の工学部に進学させることができました。そして息子である父親は満鉄に勤め、鉄道技師として働くのです。
 日本敗戦のとき、山田洋次は中学生で、学校でロシア語が必修になったので、ロシア語を勉強させられた。ところが、まもなくソ連軍は撤退し、八路軍がやって来た。
 そして、日本に引き揚げてきて、山口に住むようになった。苦学生として働きながら、東大を受験し、一浪して東大に入学します。法学部を卒業するのですが、学生のときには自由映画研究会に入っていて、松竹に入社するのでした。初任給は6000円。
 山田洋次は最下位の助監督として働くうちに、監督として大切なのは、その場のバランスを保つために十分な力を示すことができるかどうかだと理解した。
 野村芳太郎監督は、「映画なんてスタッフに任せておけば出来ちゃうんだよ。キミがつくるわけじゃない」と言った。周囲の人々の個性を尊重すると同時に、コンセンサスをつくりあげるように尽力すべきだ。そうしなければ、満足のいく作品はほぼ期待できない、ということ。山田組と呼ばれる親密なチームがあることで有名ですよね。スタッフの全員を山田洋次監督は知っていて、あだ名で呼んでいるそうです。
 山田洋次は30歳近くになって、ようやく監督に昇進した。ハナ肇を主役とする『馬鹿まるだし』を上映したところ、客が大笑いしているという知らせがあり、山田洋次も映画館に足を運んだ。すると、客がたしかに、予想もしなかったところで、わいわい笑っていた。これによって、山田洋次は松竹のなかで認められた。
観客を惹きつけるには、ユーモアとヒューマニズムが決め手になる。
 「現実が砂漠ならば、おれはオアシスを作るのだ」
 葛飾柴又は2018年に東京で最初の重要文化的景観に指定された。
 私は柴又には少なくとも3回は行っています。帝釈寺にも行きましたし、矢切りの渡しも見ています。
 近くに江戸川があり、寅さんはダンゴ屋に帰る途中、江戸川の土手を歩くのですが、実際には、これはありえないコースです。まあ、映画の見所(みどころ)をつくる場所として必要だったんでしょうね。
 柴又は狭い参道の両側に店が並んでいて、本当に草だんごを売っている店もあります。私も入って食べました。少し離れたところに寅さん映画の資料館があり、なつかしい情景が再現されています。
寅さんの叔父は、森川信、松村達雄そして下條正巳がつとめました。いずれも適役でした。叔母を演じた三崎千恵子は、私もNHKテレビで一緒に出演したことがあります。
 商品先物取引に騙されないようにという啓蒙番組です。九州・福岡で若い弁護士(私のことです)が取り組んでいるというので、東京から声がかかったのでした。1回目は全国生(ナマ)放送で、2回目は、ミニ・コントつきで録画でした。このミニ・コントに三崎千恵子が出ていて、私が弁護士としてコメントしたのです。いい思い出です。
 『男はつらいよ』は、第5作が最終作になる予定でした。ところが、1970年の「望郷扁」が70万人の観客動員だったので、松竹がもうけられると思って続扁がつくられることになったのです。
 渥美清の父親は小さな新聞社の政治記者、母親は代用教員で、裁縫の内職もしていた。
 チャップリンとチャーリーという有名な例を除いて、渥美清と寅さんという、役と俳優がこれほど一体化したことはない。
 『男はつらいよ』は、幾度となく200万人以上の観客動員を達成しました。信じられませんが本当です。映画館は満員、そして爆笑に次ぐ爆笑なんですが、ついしんみり、ホロリともさせられて…。
 『男はつらいよ』には、まさに日本の庶民が描かれている。人を愛し、自由を愛する寅さんの信条が、日本人の心をわしづかみにした。
 『男はつらいよ』は日本人にしか分からない。ガイジンになんか、その良さが分かるはずはない。そんな思い込みを完全にノックアウトしてしまう大作でした。
 毎週日曜日の午後、行きつけの静かな喫茶店で読みふけりました。楽しく充実した、濃密な、至福の時間を与えてもらったことを著者に感謝するばかりです。
(2024年9月刊。9900円)

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