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カテゴリー: 社会

英語教育の危機

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 鳥飼 玖美子 、 出版  ちくま新書
英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができたらいいというものではない。いまの学校は、文法訳読ではなく、会話重視なので、読み書きの力が衰えて、英語力が下がっている。
これまで、まとはずれの英語教育改革が繰り返されてきた。
いま、教える人材の確保が不十分なまま、見切り発車する小学校の英語教育・・・。小学生が可哀想。何も分からない子どもたちが、あまり自信のない先生から、中学レベルの英語を習うことになる。中学校にすすむころには、英語嫌いになっている子どもが今より増えている恐れは強い。
日本の英語教育は、1990年代から基本的に方針が変わった。昔の英語教育とちがって、今は「英語の授業は英語で行うことが基本」とされている。しかし、日本語で説明したって分からない生徒に対して、英語だけで、どうやって教えたらいいのか・・・、現場の英語教師は困惑している。
英語だけの授業では内容が浅薄になりがちで、生徒の知的関心を喚起しない。それは、ことばの不思議さや奥深さに気づかせることが難しくなる。むしろ、英語を英語で教えるというには、時代遅れなのである。
「学習指導要領」の定める小学校「英語」と中学校「英語」の目標は、違いがすぐには分からないくらいに似ている。
一昔前は、大学を受験する高校3年生は、英検「2級」というのが常識だった。しかし、今は、高校生の半数以上が「準2級」という目標にも達していない。これは、大学1年生の英語力が落ちていることに反映している。大学では、中学レベルの英文法基礎の補習授業を余儀なくされている。
大学のほとんどでは、10年後に専任教員を増やす見込みがない。そのなかで、外国籍教員の割合を増やしたら、日本人教員の数を減らすことになる。
文法はコミュニケーションを支えるもの。
英語教育とは、英語という外国語を通して、学習者を未知の世界に誘い、心を豊かにし、人間を育(はぐく)むものである。私もフランス語を毎日勉強していますが、フランスの歴史や地理、文化を学ぶことによって、世界を知り、日本を知るという楽しみを日々実感しています。単に店先でペラペラ会話して買物ができるという以上のものを学校英語には期待したいものです。
(2018年1月刊。780円+税)

史上最悪の英語改革

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 阿部 公彦 、 出版  ひつじ書房
 私も自慢じゃありませんが、英語は読めても話せません。その最大の原因は、話す機会がまったくなかったからです。フランス語のほうは毎週土曜日にネイティブのフランス人と会話しているので、たどたどしくても、一応の意思疎通はできています。やはり、勉強の量と実践の場の確保のおかげです。
 英語だけで英語を教えるというのは、この本の著者も強調していますが、あまりにムダが多すぎると思います。ルールを知らなくて、耳からだけで英語がまともに話せるようになるとは私にも思えません。店先で買物するくらいなら、これでいいでしょうが、ルール(文法)を知らなかったら、文章(英文)は書けないでしょう。それでは社会の求める能力を身につけることにはなりません。
受験産業だけが喜ぶような英語教育にしてはならないと著者は声を大にして叫んでいます。私も、まったく同感です。大学入試に業者テストを使うとか、スピーキング試験をするとか、とんでもないことです。
4技能とは、英語を読み、書き、話し、聞くという能力のこと。
いま文科省がすすめようとしているのは、本当の目的は一部業者のための経済効果にあるとしか思われない。そして、この政策のために、肝心の英語力は、今よりもっと低下する可能性がきわめて高い。
大学入試に業者試験が導入されようとしている。これは業者にとって間違いなく収入増につながる。そして、これは格差を助長する。というのは、業者試験はきわめてパターン化しているので、受験すればするほど点数があがる。ということは、お金を使えば使うほど、大学入試のために有利な点数がとれる。逆にいうと、家計に余裕がない家庭の受験生は競争から落ちこぼれていくことになる。
日本の英語教育は、1989年からコミュニケーション重視でやってきている。それでも英語が話せない人が多い。なぜか。日本人に欠けているのはスピーキングの能力だけなのか・・・。
TOEIC(トーイック)のテストは、企業が「使える労働者」を確保するための道具。「労働力」確保のためである。そこでは、単純労働で使われる英語が中心で、考えるための英語や、感情の特徴を伝えるための英語は入っていない。そこにはアメリカ流の雇用関係が反映されている。会社にとって従業員は道具であり、戦力であり、「使える」かどうかが肝心。TOEICは、それを測るもの。
フレーズを覚えるとしても、背後にあるルールを知っていたら、はるかに能率があがるし、その後の応用も可能になる。同じ時間をかけても、脳が処理できる量は飛躍的に増える。
私も、文法は大切だと思います。やみくもに単語を暗記するより、ルール(文法)にしたがって覚えていく方が応用もきいて英語力が深く広くなると思います。
文科省が、世間の誤解(錯覚)を利用して、テスト業者や予備校と組んで日本人の英語力を低下させ、英語嫌いを増やそうとしていることに腹立たしく思えてなりません。
158頁の価値あるブックレットです。ほんの少しだけ割高の感はありますが、いま大いに読まれてほしい本です。
(2018年2月刊。1300円+税)

ビキナーズ・ドラッグ

カテゴリー:社会

著者 喜多 喜久 、 出版  講談社
製薬会社で、新薬をつくり出す過程が面白く展開していきます。珍しい病気の症状とそれに合う新薬の化学式がいかにも詳しく、ありそうに思えます。ですから、こりゃあ取材が大変だったろうなと思って読み終わり、著者の略歴を知ってナットクしました。
著者は、なんと東大の薬学系大学院を終えて、大手製薬会社に研究員として勤めていたようです。なるほど、道理で製薬会社内の動きが真に迫っているわけです。
要するに、製薬会社は絶えず新薬を開発して成績をあげていく必要があるのです。しかし、新薬をつくり出すのは簡単なことではありません。人間とお金を投入しても、必ず成果を上げられるという保証は何もありません。たいていの新薬創生への取り組みは、結局のところ失敗してしまうのです。
営利会社として先行投資にも限度があります。しかし、たまには採算を度外視して冒険に乗り出さないと会社に勢いがなくなり、ついには事業の存在自体が危うくなってしまいます。その前に優秀な社員から、いち早く逃げ出していくのです。
新薬開発という、なじみの薄い分野で、読み手をハラハラドキドキさせながら、ひっぱっていく筆力はたいしたものです。民事裁判の前後と、わずかな待ち時間まで本を開いて読みふけってしまいました。
(2017年12月刊。1500円+税)

異色の教育長、社会力を構想する

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 門脇 厚司 、 出版  七つ森書館
学校教育のあり方を教育長経験者が鋭く告発する本であると同時に、あるべき姿も呈している頼もしい本です。
ながく教育研究者であった著者が、ひょんなことから(交通事故で瀕死の重傷を負い、一命をとりとめたのです)、居住する村の教育長を引き受けた6年あまりの活動をふり返った本です。ですから、学校現場のことがよく分かっていて、教育長ががんばれば、それなりのことが出来ることを証明しました。
私が感嘆したのは、「選書会」です。中学校に300万円、小学校には100万円を振り分けて、生徒全員に1人3冊まで選ぶ権利を与えます。合計600万円の予算で、業者に2000冊の本(マンガ本ははいっていません)をもってきてもらって、授業時間1コマを丸ごとつかって本を子どもたちに自由に選ばせ、図書館に置いて貸し出すのです。これでは子どもたちは図書館に通うようになりますよね。本好きは、新たな世界へ飛び出すのを助けます。この試みを幼稚園にまで広げた(ただし50万円)というのですから、たいしたものです。
そして、「ノーテレビ、ノーゲーム」運動を推進します。
さらに、「読み合い」です。これは、「読み聞かせ」ではありません。これまで会ったことのない2人が絵本を媒介にして仲良くなるきっかけにすることを主たる狙いとした取り組みです。
また、「おんぶ、だっこ運動」というのも実現させました。体育館のなかで、他の子をおんぶして一周する。また、他の子をだっこして一周する。これで、他の子と体と体を接することになり、相手の重さや体の温かさ、ときには特有の匂いにも気がつく。他者に対する親近感が高まり、クラスのまとまりが良くなり、いじめがなくなっていく。さらには、子どもの背筋力が向上する。
いいですね、いいですよね、こんな工夫って・・・。
そして、著者は学力向上路線からの離脱を宣言します。子どもたちが授業が楽しいと思えるようにするのです。勉強が楽しいと子ども思っていると、結果的に学力は向上します。うん、うん、そうなんですよね・・・。
また、キッズ・カンパニーを設立し、子どもたちがサツマイモをもとに商品として売り出す機会を与えます。もうけたら、村に税金を払ってもらいます。残ったもうけは子どもたちのために使われます。いやあ、楽しいですね・・・。
日本の教員は世界でも珍しいほど忙しい。朝7時から夜10時まで、働かされている。そして、その結果、日本の教員は勉強せず、自分の頭で考えなくなっている。その能力が「ほどほど」で、求められている水準に達していない。従順さはあっても、子どもたちの将来を考えようという視点に欠けている。
「ゆとり教育」は、知識偏重を憂い、人間らしい人間の育成を目ざすという目的だったが、現場の教員たちは何をしていいのか分からず混乱してしまった。
新しく教員になったうちの4分の1しか教員組合に加入しない。今では、教職員組合の存在感は薄い。
著者は、教員はもっと本を読み、勉強し、自分の頭で考えること、上からの指示にひたすら従うだけではいけないと強調しています。まったく同感です。そして、そのためには、もっと教員が学校でゆとりを感じられるようにする必要があります。まったくムダなイージス・アショアに2000億円を投じるなんてことをやめて、教育予算を増やしたらいいのです。そして、日の丸、君が代、そして教育勅語を押しつけるなんてバカなことをやめましょう。学校の教員をのびのびさせたら、子どもたちもハッピーになり、日本の未来も開けてくること間違いありません。
ところで、著者は、今はつくば市教育長です。続編が待たれます。楽しみです。
とても画期的な、いい本でした。あなたもぜひ図書館で借りて読んでみてください。
(2017年12月刊。2800円+税)

東大セツルメント法相の機関紙「歩む」 第7号 

カテゴリー:社会

川島武宜教授が巻頭言を書いています。戦前の東大ではセツルメントは白眼視されていた。医学部ではセツルメントに参加する医局生を「不逞(ふてい)のやから」視する風があった。これは戦後も同じで、法学部にも程度の差こそあれ存在していた。有力な人、権力者の側につくことはやさしいが、有力でない人、下積みの人、権力に支配される人の側につくには勇気がいる。しかし、まさにそれゆえに、セツルメントへの参加は、若い学生諸君にとって、良心をテストし良心をきたえる数少ない機会の一つとなるように思われる。
アイちゃんが所属していたのは古市場ハウスのセツル法相です。ここではセツルメント診療所を中心として保健部、栄養部、児童部そして青年部が連絡協議会をつくって、総合的なセツルメント活動をすすめていました。参加するセツラーは全体30人を超え、法相も16人と史上最高のメンバーでした。アイちゃんは2年生7人のうちの1人です。火曜日の定例相談日のほかに金曜日を生活相談日と設定して、家庭訪問を中心とする活動をすすめていったのです。
アイちゃんはセツル法相の文書に「ケース・ワークへの取り組み」という一文を載せています。セツルメント診療所で神経科特診日をもうけたところ、18人もの人がやってきた。その人たちがなぜ精神病になったのか、その背景、原因をアイちゃんは考えます。小さい頃から貧しかった。女工として重労働に耐えきれずに体をこわした。クビになってヤケ酒をあおるうちに神経が侵された。この現実を見ると、精神病が先天的なものであり、手のほどこしようのない、仕方のないものだという考えは捨てざるをえない。誰もがいつ精神病だと認定されるのかもしれないのだ。
これらの人たち一人ひとりを法相セツルのセツラーたちは受けもち、その背景をさぐり、何が彼らをこうしてしまったのかを突きとめようと考え行動をはじめました。この活動は、ハウスにやって来る人たちに法律的な手助けをしようという従来の法相の活動とは異なるものだ。
アイちゃんたちは、一軒一軒の家庭を訪れ、図々しくあがりこんで話を聞き出し、その生活環境や生い立ちを洗いざらい引き出し、その人を精神病に追いやった背景を探っていく。アイちゃんはこのような活動について、これは社会の現実の姿を掘り下げる第一歩であるが、法相という表看板が何ら用をなさない場合が多いとする。
「法律で精神病はなおせない」「法律は資本家のためにある。労働者の味方にはなってくれない」「法律でご飯を食べられるか」「オレたちがこうすりゃ法にひっかかる。ああすりゃポリに捕まる。結局、何もできねえ」…。
こんな声を聞くと、法とは何なのか、法を学び、法をつかって我々は何をしようとしているのか考え直さざるをえない、アイちゃんはこのように考えました。
法相が、「法律」を表看板にするのではなく、もう一度壁をつき破り、地域の諸問題と取り組むなかで、法律を有力な武器として使っていく、そのような方向を追及することが今後の法相の姿ではないか、こうアイちゃんは提起します。
ぼくらは、このころ川崎市の労働者居住地域である古市場でそれまでの児童部、青年部だけでなく、栄養部、保健部といった学生の専門を生かしながら相互に連携して地域の人々の多面的な要求にこたえられる綜合的セツルメント構想をすすめていました。アイちゃんは法相セツラーとして、この構想の具体化を考え実践していたのです。新しい法相が市民部的役割を生せるようになったら、素晴らしいことだと展望を語っています。
アイちゃんがこれを書いたのは、文中に「2月9日」とあるので、ぼくらが駒場にまだいた1969年(昭和44年)3月だと思います。東大闘争で、1月に安田講堂「攻防戦」があり、確認書が取りかわされ、学内が正常化しつあった時期です。まだ正規の授業はほとんどなかったので、ヒマをもてあました学生たちは古市場という地域に気軽に通うことができました。そろそろ法律を専門的に勉強しよう、でも、何のために法律を勉強しようというのか、アイちゃんは法学部に進学する前、真剣に考えて、模索していたことになります。
(昭和44年4月。非売品)

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