法律相談センター検索 弁護士検索
カテゴリー: 朝鮮・韓国

ノグンリ虐殺事件

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 鄭 殷溶、 出版 寿郎社
 朝鮮戦争勃発直後、アメリカ軍による避難民「皆殺し」に巻き込まれ、家族が犠牲になった著者が、自らの苦悩と向き合いながら残虐な戦争犯罪を初めて告発した衝撃のノンフィクション。
 これは、この本のオビに書かれている言葉です。
 朝鮮戦争が始まったのは、1950年6月25日のこと。金日成の命令で、10万人の人民軍が一斉に韓国に侵入して、韓国軍とアメリカ軍は後退の一途をたどっていた。
 7月20日、アメリカ軍第24師団長のディーン少将は戦死し、大田は陥落した。
 7月末の時点では、韓国軍とアメリカ軍を中心とする国連軍は、防衛線を釜山を中心とする広い地域に定めつつあった。そして、ノグンリ虐殺事件が起きたのは、7月26日から29日までのこと。
 「大田で難民たちに仮装した人民軍に、私たちアメリカ軍はひどくやられた。したがって、疑わしい避難民はすべて殺せという上部の厳命があった……」
 避難民を鉄道の上にあがらせ、戦闘機を呼び、空と地上と合同で避難民を殺傷した。
 鉄道上の爆撃で生き残った人々は、鉄道下の大きな双子トンネルの中に、あるいは爆撃現場下の小さなトンネルの中に身を隠した。ところが、アメリカ兵たちは、この小トンネルの中にいる人々に向けて銃を乱射しながら引っぱり出し、大きな双子トンネルの中に押し込んだ。立錐の余地もない双子トンネルの中の人々に対して、アメリカ兵は、7月26日午後3時ごろから、機関銃射撃を加えはじめた。夜になっても射撃は止まなかった。アメリカ兵たちは、老人、婦女子、子どもたちであることを知りつつ、避難民を機関銃で撃った。
 彼ら避難民は、山の中で何の問題も起こすことなく過ごしていたのに、アメリカ軍が引っ張り出して危険地帯に入らせたうえで殺傷したのだった。
 この虐殺をしたアメリカ兵は、大田で人民軍に敗北した24師団ではなく、24師団から陣地を引き継いだ第一騎兵師団の部隊であった。
 仁川上陸作戦が開始されたのは9月15日のこと。
 アメリカ政府は、国連軍が朝鮮半島から撤退せざるを得ないときには、政府と韓国軍60万人をニュージーランドによって統治されている西サモア群島のサバイ島とウポル島へ避難させる計画を立てていた。これは韓国政府にも秘密にしていた。
その前、1950年8月の時点でも、アメリカは、韓国政府と韓国軍2個師団そして民間人10万人だけをグアムやハワイに移して、アメリカ軍はひとまず朝鮮半島から撤退する計画も検討していた。
 うむむ、さすがアメリカです。自分たちのことしか考えていないことがよく分かります。
このノグンリ事件については、2004年2月に特別法が制定され、犠牲者235人に対しての審査が実施されました。民間人の執念が実ったわけです。お疲れ様でした。
 
(2008年12月刊。3000円+税)

最後の証人(下)

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 金 聖鐘、 出版 論創社
 2つの殺人事件の思わぬ真相が、覆っていた黒いベールをはぎとるようにして少しずつ明らかになっていきます。そこには韓国社会の闇を反映するものがあります。なにより、朝鮮戦争における朝鮮人同士の殺し合いに深い根があり、その後、長く続いた反共アカ狩りと、南侵スパイ政策がからまっていきます。いずれも、今日にまで続く韓国社会の奥底に今日もなおうごめく深い闇の部分です。
 それらの闇は、司法界にも当然のことながら及んでいます。弁護士だけでなく、裁判官も当の権力に牛耳られているのです。そして、マスコミも同罪です。
 1974年、「韓国日報」の懸賞公募に当選し、200万ウォンという多額の賞金を獲得した作品だということです。なるほど、なるほど、すごく読みごたえがあります。
 著者は1941年生まれで、韓国ではなんと2度も映画化されているとのこと。ぜひ私も見てみたいと思いました。日本語字幕付きのDVDが売られているそうです。
 現在、著者は韓国推理作家協会会長をつとめておられるとのことです。今後も活躍されることを大いに期待します。
 先日、北朝鮮がミサイルか人工衛星かよく分かりませんが打ち上げ、日本の政府・マスコミが大騒ぎしました。これも憲法改正への地ならしではないかと私などは大いに心配です。よくよく考えてみれば、日本にたくさんある原子力発電所をミサイルが狙ったら大惨事になるのは必至です。そんなことにならないよう未然に防止するしかないと思います。武力に頼ってはいけないのです。この点、例の田母神氏が次のように述べているのは紹介に値します。
「核ミサイルでない限り、ミサイルの脅威はたかが知れている。通常のミサイル一発が運んでくる弾薬量は、戦闘機1機に搭載できる弾薬量の10分の1以下である。1発がどの程度の破壊力を持つのかというと、航空自衛隊が毎年実施する爆弾破裂実験によれば、地面に激突したミサイルは直系10メートル余、深さ2~3メートルの穴を作るだけだ。だから、ミサイルが建物の外で爆発しても、鉄筋コンクリートの建物の中にいれば死ぬことはまずないと思ってよい。1991年の湾岸戦争のとき、イラクがイスラエルのテルアビブに対して41発のスカッドミサイルを発射したが、死亡したのはわずかに2名のみだった。北朝鮮が保有しているミサイルをすべて我が国にむけて発射しても、もろもろの条件を考慮すれば、日本人が命を落とす確率は、国内で殺人事件により命を落とす確率よりも低いと思う」
 北朝鮮は怖い国だ。攻めて来るかもしれない。だから憲法を改正して自衛軍を持とう。そんなイメージ・キャンペーンがはられています。でもでも、日本国憲法を変えてしまったら、それこそ日本は東南アジアの平和をかき乱す尖兵になってしまうでしょう。本当に北朝鮮は怖いのか、いったい日本の自衛隊というのは果たしてどれほどの戦闘能力をもっているのか、まずはもっともっと真実が語られるべきだと私は思います。
(2009年2月刊。1800円+税)

最後の証人(上)

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 金 聖鐘、 出版 論創社
 これはとても面白いし、考えさせられるミステリー小説です。韓国では開戦日にちなんで6.25と呼ばれるそうですが、日本でいう朝鮮戦争の起きたころ、韓国における激しいパルチザン闘争を背景とした、重厚な小説でもあります。
 朝鮮半島に住む同じ民族が、親共・反共に分かれて殺し合い、憎しみ合ったことがあること、それが今日なお水面下で奥深く尾を引いていることを感じさせる内容です。
 ミステリー小説ですから、ここでアラスジをバラすわけにはいきません。ともかく、読んで絶対に損はしない、面白い本だということを保証します。
 この本は、韓国では1974年から1年にわたって新聞に連載されていたものですが、なんと50万部も売れたベストセラーだそうです。いやあ、実にすごいものです。でも、この本を読むと、それもなるほどと納得できます。
 著者によると、まったくのフィクションということではなく、一部は事実にもとづいているとのことです。『南部軍』という、やはり韓国南部にある智異山を舞台としたパルチザンが壊滅していくまでを描いた本を前に読み、ここで紹介しました。(韓国では映画にもなったそうですが、残念ながら日本語版はないようで、私は見ていません)。その知識があると、さらに時代背景が理解しやすいと思います。
 私は、この本を東京行の飛行機の中で時間の経つのも忘れて一心不乱に読みふけり、いつのまにか東京についていたことを知りました。
 ソウルの有力弁護士が殺され、5ヶ月後に田舎で金持ちの男が惨殺されます。この2つの殺人事件が、実は深いところでつながっているのです。それを田舎の警察署にくすぶっている刑事が足でたずね歩いて、一つ一つ核心に迫っていくという話です。読んで損はしないミステリー小説です。一読を強くお勧めします。
 
(2009年2月刊。1800円+税)

パラダイス・イデオロギー

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者 渡邊 博史、 出版 窓社
 奇妙な写真のオンパレードです。通りに人がいません。当然そこにあるべき雑踏というものが見あたらないのです。ええーっ、いったい、人民、いや、民衆はどこに行ったの・・・、と、つい疑問に思ってしまいます。
 街角に映画館があります。タイトルには「海賊王」という漢字が読めます。でも、通行人がまったくいません。不思議です。まるで映画撮影のためのスタジオのようです。黒沢明監督の映画「酔いどれ天使」の看板もかかっています。でも、そこに登場するのは、ホーキをもった清掃のおばちゃん一人です。「乳房拡張美容器店」とか「神経痛」という看板を掲げた店もあります。でも、誰もうつっていません。明るい昼日中の写真なのに、人っ子ひとり歩いていない商店街なのです。あたかも中性子爆弾が落とされて、人間だけが消滅してしまった町並みを撮った写真です。
 偉大なる金正日将軍のどでかい絵の前に、わずかに通行人がいます。そして、大きなビルの前の広場に何かのパフォーマンスを見ている着飾った観客がいます。でも、奇妙です。みんなあまりにも着飾っています。普段着の人が見あたらないのは、やはり居心地の悪さを感じさせます。
 地下鉄のホームには、わずかに雑踏らしきものを感じさせます。それでも、ホームの床があまりにもピカピカすぎて、ふだんは人が利用していないんじゃないの、そうとしか思えません。
 異例づくめの写真集です。大勢の美男・美女がかしこまって出てきます。そこには、残念ながら、暖かい人間味がちっとも感じられません。地上の楽園(パラダイス)というには、あまりにも人工的な、こしらえものの「楽園」としか思えません。
 北朝鮮っていう国は、やっぱり異常な国だと、つくづく思わせる写真集です。
(2008年12月刊。3800円+税)

済洲島四・三事件

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者:文 京洙、 発行:平凡社
 1948年というのは、団塊世代である私の生まれた年です。その4月3日未明、済洲島で武装蜂起が起きました。その規模は300人。重火器は日本製九九式銃など、旧式のものが20挺ほどで、残る大半は竹槍とか斧・鎌の類を所持するだけ。この小さな抗議行動が、その後130あまりの村を焼き、全島人口28万人のうちの3万人もの島民が犠牲となる凄惨な殺戮劇のきっかけとなった。四・三事件というのは、歴史上記憶されていい、悲しい出来事だと思います。
 60年経った2007年6月、済洲島はユネスコの世界自然遺産として登録された。
 四・三事件は、1980年代まで韓国の歴代政権の下で闇に封印され、これをまともに語ることは久しくタブーとされた。2000年1月に四・三特別法が制定され、ようやく問題解決の糸口が見出された。
 済洲島には白頭山に次ぐ朝鮮半島第二の高峰であるハルラ山(1950m)がそびえている。冬ともなれば、厚い雪に埋もれ、その険しさは人を寄せ付けない。
 戦前の済洲島での抗日運動で見逃すことのできない特徴の一つは、日本、とりわけ大阪の左翼運動との関係が深かったこと。
 終戦後、信託統治反対(反託)の運動は、すねに傷持つ親日派が民族独立の大義を持って政治的に復権する格好のチャンスを与えた。そして、当初、反託の立場を示した左派は、共産党指導部(朴 憲永)の平壌への秘密訪問(1945年12月28日)のあと、信託統治支持(賛託)にまわり、信託統治への賛否は、そのまま韓国における国論の左右分裂となって、解放後の朝鮮を引き裂いた。
 済洲島の島民の多くが、日本など島外の近代世界の生活体験を持ち、教育水準や政治意識も高く、抵抗と自立にまつわる記憶の共有を背景に自律への気構えが旺盛だった。
済洲島の共産党組織が結成されたのは1945年10月のこと。210人ほどのメンバーだった。しかし、独自の組織活動はほとんどなく、済洲島の左派勢力は人民委員会の一員として活動し、左派の中央での路線は済洲島にはスムーズに伝わっていなかった。
 ところが、1945年11月にソウルで南労党が作られ、済洲島でも南労党島委員会として衣替えしたころから変わり始めた。
 1947年の三・一節事件から四・三事件勃発までの1年余りの逮捕者は2500人に上った。左翼・同調者と見られると検挙・テロにさらされ、職場からも追い出された。だから、夏ごろから若者たちが続々とハルラ山に入山しはじめた。そこは絶好の避難場所だった。
 軍政警察・右翼の攻勢が厳しさを増せば増すほど、南労党内では古参の社会主義者を中心とする穏健派がしりぞき、復讐心や敵愾心に燃える急進的な若手指導者の発言力が高まっていった。武装蜂起の決断も、若い強硬派の主導で下された。4月3日の蜂起は、追い詰められた左翼の自衛的かつ限定的な反抗・報復としての性格を帯びていた。
 しかし、四・三の武装蜂起は、アメリカ軍政が全力で推進しようとしていた5・10選挙に対する重大な挑戦と映った。4月5日、済洲島非常警備司令部が設置された。
 6月10日、ディーン軍政長官は、済洲島での選挙の無期延期を発表した。このようにして、済洲島は大韓民国の建国に向けた5・10単独選挙を全国で唯一拒んだ島となった。
 済洲島で犠牲となった1万4000人あまりのうち、軍警討伐隊による殺害が80%近い。しかし、武装隊による犠牲も13%はあった。武装隊と討伐隊の双方からの攻撃と報復の悪循環で、多くの住民が犠牲となった。
 四・三事件のあと、済洲島は与党の大票田となった。1956年の大統領選挙では投票率95%、そして李承晩の得票率は88%だった。全国平均より18%も高い。済洲島の若者は、「反共の戦士」に徹するしか、「暴徒」「アカ」という汚名を拭い去ることができなかった。
 私はまだ済洲島に行ったことがありません。すごく重い歴史を持った島だと思います。 
(2008年4月刊。2400円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.