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カテゴリー: 朝鮮・韓国

なぜ書きつづけてきたか・・・

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー
 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

降りられない船

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  ウ・ソックン 、 出版  CUON
 昨年(2014年)4月16日に起きたセウォル号の沈没事件についての本です。
 私は、この事件について、残念でたまりませんでした。ニュースを読みながら、無念の涙を流してしまいました。だって、前途有為の高校生が300人近くも一挙に亡くなってしまったのですよ。信じられない大事故です。
 どうして、こんな大事故が起きてしまったのか、ぜひとも知りたいところです。
 このセウォル号は、韓国の前は、鹿児島と沖縄のあいだで運行していた船だったのですね。そして、韓国で船体が大幅に改造されています。
 船体の後部が増築されたため、本来なら左右をつないでいた船体後尾の甲板は、新設されたサンドイッチパネルの壁で最初から塞がれていた。残りの非常口も施錠したまま運行する習慣のため、開けることができなかった。
 セウォル号の船体が完全に傾いてからは、ドアは開かなかった。すでに海水が入り込んで傾いた船体から海に飛びこみ、水面下へ泳いで出て行った数人だけが最後に生きて戻った。船長以下の船員は脱出しています。
 高校生は、「じっとしているように」という船内放送の命じるままに、じっとしていたのです。これを書きながら、私は無念の涙が止まりません。いったい、この船内放送は、誰が、何のために出したのでしょうか・・・。
 この6千トンを超えるセウォル号の船長は、契約職であり、契約して1年にも満たなかった。
 もちろん、船長の責任は重いと私も考えます。現に裁判で重い有罪判決を受けました。しかし、問題は船長の個人的な資質にあったというのではないということです。
 セウォル号は済州島に行く船だった。済州島にいくのに簡単なのは飛行機だ。格安航空便もある。ところが、高校生が修学旅行で済州島に行くのを船で行くように行政がすすめていた。なぜか?
 1万トン以下のフェリーは、石油の高騰と交通手段としての競争力の低下などで居場所がなくなっていた。そこで、高校生の修学旅行が、教育当局の勧誘によって、カーフェリーに集中した。そして、この修学旅行生によって、途絶えていた路線の運行が復活したのだ。
 そのとき、船の寿命を20年から30年に延長して、日本では経済的寿命が尽きて退役する船が、韓国では中古として再稼働することが可能になった。
 日本の船を鉄くず同然の値段で買った人たちが、船についての基本的な原則と常識もないまま、都合のいいように改造した。船体が傾いたときの復元力に必要な、負荷を均等に合わせる最低限の作業もできなかった。縦方向の増築などで船尾がいじられてしまったため、左右のバランスをとることすらできなかった。
 この日、午前8時52分に船内にいた高校生から、「船が沈没中です。助けください」という電話を消防本部、そして海洋警察は受けている。ところが、午前9時30分に船長たちが海洋警察の船で救助されるとき、高校生は一人として救助されていない。何ということでしょうか・・・。
そして、セウォル号に近づいた警備艇は、二次被害を恐れて、船内に乗客がいることを知りながら、みすみす手をこまねいていた。しかも、他の船には接近するのを禁止してまで・・・。
これまた、信じられません。何があっても船内に侵入せよとの命令が出されるべきだったと著者は指摘しています。私も、まったく同感です。
 韓国の体育の授業には水泳の時間がなく、学校にプールがないそうです。これには意外というか、驚きでした。日本と同じように海に囲まれた国なのに、なぜなのでしょうか・・・。
 ともかく、国民の安全第一で行政はあってほしいものです。日本だって、フクシマの原発事故についての政府の対応をみていると、とても韓国政府の対応を批判できるとは思えません。放射能を今なおたれ流しているのに、早々と「収束宣言」するなんて、そして、原発再稼働を狙うなんて、日本政府も狂っているとしか言いようがありません。
 政府は、国民の安全第一で政治を進めるべきです。怒りが改めて湧きあがってきました。
(2014年10月刊。1500円+税)
 日曜日の午後から、ジャガイモを庭に植えつけました。メークインとキタアカリです。ダンシャクは店に売っていませんでした。いつものようにジョウビタキが近寄ってきましたので、写真にとってやりました。私の個人ブログで紹介します。とっても可愛いです。
 チューリップの芽が地上に出はじめました。春が近づいています。

韓国・北朝鮮とどう向き合うか

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  東アジア共同体研究所 、 出版  花伝社
 韓国へ日本から5億ドルが支払われた。朴正熙大統領のときである。しかし、この5億ドルは、ひもつきのお金だった(タイドローン)。日本から物を買う。日本から技術を購入する。日本から人材を必要とする。そのための5億ドルだった。すなわち、この5億ドルは賠償金ではなく、あくまで商業ベース的なレベルで日本は拠出した。
 ソウル地下鉄とか、浦項(ポハン)製鉄所(現ポスコ)への資金も、この「賠償金」5億ドルから流れていっている。そして、日本にもキックバックされた。
 金正恩が張成沢を処刑したのは、金正恩はそうせざるを得なかったということ。それを進言したのは、北朝鮮の党・軍のなかの元老グループ。
 北朝鮮の労働党政治局員20人の3分の2は、70代、80代が占めている。
 4人の副委員長のうち、張成沢が切られて、残る3人は89歳の元軍政局長、84歳の元総参謀長、78歳の軍総参謀長。
 金正恩からすると、軍のほうから張成沢を外す方がいいと言われたら従うしかない。
 軍は軍で、この若さの三代目について、自分たちの権益・利権を守る。金正恩は彼らに乗っかかって金正恩体制をつくっていこうということなので、利害関係が一致している。そこに、弾き飛ばされる人間が出てきた。
 北朝鮮でも、韓流が入ってきていて、多くの若者の心をとらえている。韓流の映画俳優の顔に近づけたいといって二重まぶたにするというのは、そこらじゅうでやっている。医師でもない人が手術して、金もうけしている。
 情報閉鎖と教育をセットにし、かつ恐怖統治をそこに組み合わせると、人々はいろんな不満があっても、それがトップのせいだというよりは、身近にいる自分の真上にいる幹部がトップのいうことをよく聞かないでやっているせいだと思い込んでしまう。中間職が悪いんだと不平を向けさせることで、ガス抜きをする。
 金正恩には、思想・理論もないし、統治してきた経験もないから、金正日の遺訓ですべてを治めている。日本でいうと、水戸黄門の印籠をかざして、これが見えないかという形になっている。
 中国は、もしも金正恩が中国の国益を前面から害するような行動に出た場合は、金正男をカードとして抑えておこうとしている。
 北朝鮮では、朝鮮労働党の組織指導部が中核権力となっている。組織指導部は、国家保衛部と軍を動かせる。したがって、組織指導部を中核とする金正恩体制と言える。
 組織指導部では、部長は一貫して空席で、金正日時代も金正日総書記が兼任していた。組織指導部の内部に党、軍、政府それぞれの担当者がいて管理している。軍総政治局は、組織指導部の一課に過ぎない。
 先軍政治というのは、軍事を優先する政治であって、それを推進する権力中枢は組織指導部である。だから、権力の中枢は組織指導部に、権力の基盤は軍に置いている。
 工作機関が一つにまとまっているのが偵察総局。労働党の作戦部、調査部、そして軍の偵察局。この三つが拉致の実行犯。この特殊機関について、国家保衛部には監察能力はない。
 今回の北朝鮮側の特別調査委員会には、実際の権力を持っている機関が入ってない。
北朝鮮は中国の支援なくして戦争はできない。中国の習近平が訪韓したことから、北朝鮮は、戦争行為は、もはや出来なくなった。中国は金正恩政権を見放してもいいという状況になっている。
鳩山由紀夫・元首相の主宰する真面目な研究所における深く突っ込んだ分析が満載のブックレットです。価値ある1000円だと思いました。
(2014年10月刊。1000円+税)

北朝鮮、首領制の形成と変容

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者   鐸木 昌之 、 出版  明石書店
 北朝鮮の現在をどうみたらよいのか。その点について深く究明した本です。本当に大変勉強になりました。
 金正恩は張成澤を死刑にし、即刻、処刑した。張成澤は、金正日の妹である金敬姫の夫。ときに大将の階級章をつけて軍服を着て登場していた。
 張成澤は2013年12月8日、党中央委員会政治局拡大会議で、反党反革命宗派行為を犯したとされ、すべての職務から解任し、一切の称号を剥奪し、出党、除名された。その4日後の12月12日、国家安全保衛部の特別軍事法廷で、張は「国家転覆陰謀行為」が刑法60条に該当するとされ、死刑となり、直ちに処刑された。
 なぜ処刑されたのか、しかも秘密裏にではなく、報道して知らせたのか。今回の粛清は、北挑戦粛清史でも異例である。
金正恩は中国の介入を恐れた。張成澤は、北朝鮮で唯一外貨を豊富につかって国内の多くの問題を解決できる存在にあった。他方、金正恩は真綿で首を絞められる状態に陥った。張成澤の処刑と報道は、金正恩が中国と国際社会の要求する核兵器の放棄を拒絶したことを明らかにしたもの。首領制の核心は、核兵器であることを中国と国際社会に公然と示した。
 しかし、張成澤の処刑後、金正恩は、恐怖によって矛盾を一時的に押さえつけたものの、直面している問題を何ら解決できていない。金正恩が問題解決できるのか、そのカギは中国が握っている。北朝鮮が内閣中心制にかえようとしても、北朝鮮の外貨資金は中国の掌中にあるからである。
 金正日は、軍が非政治化する、すなわち党の統制から離れることをもっとも恐れた。党の統制から離れた軍は、いつ自分に刃を向けるか分からない。それがソ連崩壊から学んだ教訓だった。
 金正日は、金日成政治を継承すると言いながらも、それを部分的に否定し、自らの独自性を主張した。金正日は、父親を部分的に否定しなければ自らの時代を切り開けないことを知っていた。だからこそ、父親の百喪を契機に、「先軍政治」を言いはじめた。先軍政治の要締は、人民軍が金正日に対して無限の忠誠を誓っていることにある。
 先軍政治とは、朝鮮人民軍を金正日護衛軍としてつくることから始められた政治方式である。金正日は、自分の周囲の人々を信頼できず、徹底的に孤独だった。金正日の孤独感が、北朝鮮の孤立にも投影している。
 先軍政治は、軍隊に依拠すると強調しつつも、実際には、軍隊に対する党の優位は、金日成から金正日、そして金正恩時代になっても一貫している。人民軍は、党綱領にも憲法にも規定されているとおり、労働党の領導を受ける革命武力である。
金日成の時代は、人民武力部が総参謀部の上に常に位置していた。しかし、先軍政治が始まると、人民武力部長は総参謀長の次に座るようになった。
 金正日は、総政治局長、総参謀長、人民武力部長の三線垂直体制をつくり出した。金正日は、この三人を相互牽制するようにした。その結果、総政治局、総参謀部、人民武力部の順位となった。そして、護衛司令部、人民保安省、国家安全政治保衛部など、その麾下に実力部隊をもつ機関も人民軍と相互牽制させた。金正日は、それらのバランスの上に立って、独裁権力を維持しようとした。
 イデオロギー上の説明とは異なり、先軍政治とは、人民軍を中心としたものではなかった。その中核は、特殊部隊と核兵器だった。北朝鮮は、ソ連・中国という後ろ盾がないなかで、特殊部隊と核兵器に頼らざるをえない。核は体制の護持そのものである。
 特殊部隊は、人民軍の上に置かれた。そのため、党作戦部が先頭に立った。党作戦部は、特殊部隊のなかの特殊部隊となった。この結果、先軍政治を強調されながらも、最大の被害者は、皮肉にも人民軍だった。
 先軍政治は「首領の経済」と呼ばれるものが支えた。金正日は、外貨を内閣の管轄下や計画経済のもとに置くことを望まなかった。人民経済は、金正日の登場とともに、内閣の管轄に属されない特殊経済機関と単位によって浸食された。
 人民経済の市場化が進行した。北朝鮮は、社会主義でもない。
 国家の制度的統一性と継続性が失われていった。金日成と金正日の教示の絶対性がこれに拍車をかけ、社会を無秩序化し、混乱させた。北朝鮮社会は変化を起こしているというより、崩壊の過程に入っている。
 それでも体制が維持されているのは、むき出しの暴力が人々に向けられているから。
 とても納得できる分析が満載の本です。北朝鮮の内情に少しでも関心を有する人へ一読を強くおすすめします。
(2014年1月刊。2800円+税)

漢拏山へひまわりを

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  金 昌厚 、 出版  新幹社
 済州島四・三事件を体験した金東日の歳月。これが、この本のタイトルです。
 済州島に生まれ育ち、四・三事件そして朝鮮戦争が始まってからは山中のゲリラ隊に参加もした。それから密航船で日本に渡って、東京は江戸川区で弁当屋を営んでいる女性の半世紀の聞き書きからなる本です。すごい経歴であるのに驚くと同時に、読みやすい文章なので、すっと頭に入ってきます。
 金東日は1932年(昭和7年生まれ。13歳のときに解放の日を迎えた。1947年に朝天中学院に入学。民愛青(民主愛国青年同盟)で活動をはじめ、連絡係としてビラを運んだ。
 四・三事件(1948年)のあと、山に入った。武装蜂起が起きたからには当然それに従わなければいけないと考えていたし、当然、勝てると思っていた。最後の血の一滴までもすべて捧げて闘うという気持ちだった。国のために、自分が死んでも国が生きのびるのなら・・・。
 言いたいことも言えないで生きていく生活のことを、冷蔵庫の中の凍った肉という。金東日たちは、すぐにでも解放されると信じていた。組織には楽観論が支配していた。
ところが、本の少し前までの山の人(ゲリラ側)にあんなに協力して食糧も届けていたような人々が、いつの間にかがらりと変わって敵に回ってしまった。山の人たちに勝ち目はなくなり、生き残ろうと思ったら、警察側につくという人が目立った。
 非合法生活をしているとき、逃亡だけだったが、かえってそれは希望があると思い込んでいた。なぜなら、これほど弾圧されて苦労しているのだから、済州島民が決起するに違いないと考えたのだ。指導部は当時の判断力不足で情勢を見誤った。
漢拏(ハルラ)山では、つらい毎日だった。死に向きあいながら、いつかきっと自分たちの世の中になると堅く信じていた。本人は意気揚々としていたが、人々が金東日を指さしながら、「この暴徒のアマ!」と言いながら集まってきた。それが、村で一緒に活動していた人たちばかりだった。
 朝鮮戦争が始まると、金東日は今度は智異(チリ)山で郡島委員会の秘書になった。18歳だった。そして捕まってしまうのでした。
金東日は、二回も捕まったのに、運が良く、再び済州島で母と生活するようになった。
 金東日が若いころに命をかけた戦いは正々堂々としたものだった。漢拏山や智異山に入ったことを後悔もしていない。
 2000年1月に本国(韓国)で四・三特別法が公布され、四・三事件真相相究明と犠牲者の名誉回復事業が本格的に始まり、「まるでひまわりに花が咲いたように」金東日の心を明るくした。
 済州島で大変な体験をした少女が、戦後50年以上も日本で生活していたことが発掘されたのでした。ご本人と、その発掘作業を本にした人たちへ、心より敬意を表します。
(2010年5月刊。1500円+税)

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